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南国科学通信

ペルシャとトルコと奴隷貴族

言葉も風習も異なる遠方の人々の歴史書を読むのが好きである。奇異で不道徳で同時に美しく精妙な制度、何かが心に引っかかり記憶から消せない事物などが、そこには数多く記されている。

その一つに「マムルーク」がある。

中世から近世にかけてのイスラーム諸国でみられた、異民族の奴隷からなるエリート部隊の軍人のことで、各国の宮廷の守護の柱だったという。近世の三大陸に覇を唱えたオスマン大帝国のイェニチェリ軍団が有名であるが、エジプトの「奴隷王朝」のように自身が王となったマムルークもいた。

マムルークという不可解な制度がどう出来てきて、一体どのように運用されたのか、それを知るためには、千百年前のサーマーン朝ペルシャに(空想の中で)出かけねばならない。

 

Opening Folio of the 26th Volume of the

Opening Folio of the 26th Volume of the "Anonymous Baghdad Qur'an"
A.H. 706/ A.D 1306–7
The Metropolitan Museum of Art

 


サーマーン朝とはイスラム暦の2世紀半ば、西暦9世紀末に、今日のイラン東部からウズベキスタンにかけて存在した、ペルシャ語を喋る人々の国である。アラブの征服者に国を滅ぼされイスラム化したペルシャ人であったが、言葉と文化は残り人々も残り、二百年ののち元の場所より少し東に寄せて、新しい王朝が立ち上がったのだ。

ペルシャの国の東の果てには異教徒のトルコ系遊牧部族が住んでいた。騎馬に秀でた剽悍〔ひょうかん〕なトルコ人の襲撃は、文明的都市住民となっていたペルシャ人たちの悩みの種であった。このような場合の定石は「夷〔い〕を以て夷を制す」である。サーマーン朝ペルシャ人たちも当然定石を用いたのだが、そのやり方が独特であった。

ペルシャの奴隷商人がトルコ人の少年たちを攫〔さら〕ってくる。サーマーン朝の役人が来て、その中から知能体力性格容貌すべてを厳しく選りすぐって買って行く。奴隷少年たちの行き先は特設の学校で、そこで彼らはコーランから武術まで、数学から詩まで、礼節から立ち振る舞いまでを学び、サーマーン朝に忠誠を誓うイスラーム戦士となるのである。軍功には昇進と封土が約束された。時をおかずサーマーン朝の精鋭軍は、兵卒から司令官までトルコ人戦士で満たされた。精鋭軍の行く手には常に勝利と栄光が待っていた。トルコ人奴隷たちは軍事貴族となり、イスラーム法官や官僚からなるペルシャ人貴族と並んで、サーマーン朝国家を支える二本柱の一つとなったのである。

サーマーン朝の東の辺境は安定し、国は西に向かって拡張した。往古のペルシャ帝国の版図〔はんと〕の大部分が回復された。これがマムルーク制度である。サーマーン朝の奴隷精鋭軍の評判はあっという間に広まり、マムルークはイスラーム世界全体に浸透した。

 

サーマーン朝の版図
wikipedia

 


奴隷から特権階級となったトルコ人たちは、宮廷にも影響力を持つようになり、国の政治を左右し始めた。サーマーン朝からアフガニスタンを分離して別王朝を立てたのも彼らである。しかしマムルークに許されていないことが一つだけあった。それは階級の世襲である。精鋭軍を精鋭に保つために、兵士は常に新たに辺境の異教徒から育てられねばならない。マムルークの子供達はイスラーム法官や国家官僚となって、一般のペルシャ人文官貴族と融合していった。マムルークは常に奴隷から鍛〔きた〕え上げられる一世代限りの存在なのである。

マムルークを絶やさないためには、常に新たな奴隷の供給が必要となる。サマルカンドやブハラといった東部の大都市には、どこも大規模な奴隷市場があった。ホレーズム地方の中心都市ヒヴァには、いまから百五十年前に奴隷制度が廃止されるまで、世界最大の奴隷市場が置かれていた。その遺構〔いこう〕は世界遺産となって今日見ることができる。

これらの市場を通じて大量のトルコ人が東から西へと流れていった。古代からペルシャ人の居住地だったすべての場所が、トルコ=ペルシャ融合世界へと姿を変えていった。世襲の文官貴族と一代限りの軍事貴族が並び立つ制度は、この世界融合の鍵であった。イスラーム全域の、場所ごと時代ごとの異なった辺境で、異なった異教徒からマムルークが作られた。アルメニア人、グルジア人、チェルケス人、ギリシャ人、アルバニア人、ブルガリア人。彼らの子孫は今では全て、イスラーム統合世界の市民である。

 

 

نهاية السؤل والامنية في تعلم أعمال الفروسية
أقصرائي، محمد بن عيسى بن إسماعيل الحنفي
A Mamluk manual on horsemanship, military arts and technology

 

 

イスラーム世界は中世末期、人類文明の先頭に立っていたと考える人もいる。その香り高い文化と強力な軍事の背後には、まさにマムルーク制度という、一見奇怪な人種的職能的分業制があったのである。現在のわれわれが奉じている、平等と人権と民主主義の社会制度とは対極の、この不可思議な制度をどう考えたらよいのだろうか。

前近代社会の文脈でみれば、マムルーク制を「農耕民と遊牧民の対立」問題への、創造的でエレガントな解法だと考えることができる。なぜなら遊牧民に対して壁を立て買収し武力で対抗しても、ちょうど高まる津波に次々と堤防をせりあげて応じるように、いずれ巨大な決壊が予想されるからである。

今日多くの国で、異文化からの才能を取り込む事なしには、先端科学技術の発展も経済の活況も見込めなくなっている。現代人はこれを首尾よく行えるだろうか。万民平等主義の建前とは裏腹に、われわれの周囲で異民族カースト間の軋轢〔あつれき〕が生じ始めていないだろうか。マムルーク制を参考にしつつ、奴隷制度に代えてわれわれの道徳観に合う別な何かで、社会の異質な要素の親和と融合をめざす制度が設計できないものだろうか。

われわれにとってマムルークとは何か。これは思わぬ知見をもたらし得る、仲々に深い問いなのかもしれない。

 

Hizb (Litany) of An-Nawawi

 

 

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著者略歴

  1. 全卓樹

    京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第三の故郷。東京大学理学部物理学科卒、東京大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了、博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学。量子グラフ理論本舗/新奇量子ホロノミ理論本家。ジョージア大、メリランド大、法政大等を経て、現在高知工科大学理論物理学教授。
    http://researchmap.jp/T_Zen/

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