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南国科学通信

シラード博士と死の連鎖分裂

 

いかなる大河もその源流を一筋の流れにさかのぼることができる。

始まりはチェコのヨアヒムスタール銀鉱に産するボヘミア装飾ガラスの緑色の原料、ウラニウム元素であった。アンリ・ベクレルによる1896年のウラニウム放射線の発見が源流となり、放射能と原子核物理学の探求が欧州の各地で始まった。美しい緑色ガラスの奥の極微世界に魔力が宿るというのである。研究の流れは勢いを増し、やがてウラニウム核兵器開発の奔流となって、半世紀後の広島の街に凄惨せいさんな地獄絵を現出させることを、まだ誰も見通せなかった。

源流からの曲がりくねった川のみちすじがやがて定まるように、原子核エネルギーの封印が解かれて、歴史の悲劇のみちすじが定まったのは、1933年のロンドンの街角においてであった。信号を待っていたハンガリーからの亡命物理学者レオ・シラードに、連鎖核反応のアイデアが降りてきた。中性子を当てることで原子核を崩壊させる研究が当時各地ではじまっていた。もしその崩壊の過程で中性子が複数出てくる事があるならば、それが別な核の崩壊を引き起こし、それがまた複数の中性子を放出し、という具合に続けざまな核の崩壊の連鎖が起こって、厖大ぼうだいなエネルギーが放出されるだろう。




Edgerton, Harold Eugene.
1978
Micro-second photograph of an atom bomb explosion in progress;
black-and-white reproduction image. (CC)
HEE-SC-08322
MIT Museum

 


それから10年後、シラードはシカゴ大学のフットボール競技場の地下、アメリカ政府の潤沢な資金で作り上げられた秘密の実験炉の前にいた。そこで彼は、同僚のイタリア人亡命物理学者エンリコ・フェルミとともに、濃縮のうしゅくを繰り返し純度を高めたウラニウム燃料が、理論通りに連鎖反応を起こすのを目の当たりにしたのである。シラードは急いでいた。歴史の流れは急峻きゅうしゅんたににさしかかり、ナチスはチェコに侵攻した。欧州唯一のウラニウム鉱山がすでにヒトラーの手に落ちていた。ドイツに先を越されてはならない、自らにこう言い聞かせて、自らが大量殺戮の使徒となることへの、良心の呵責かしゃくを眠らせたのだろうか。こうして核爆弾への一直線のみちすじが開かれた。都市への無警告の核爆弾投下は控えるべきだとの、政府首脳に宛てたシラードの書簡が残されている。その願いが聞き届けられることは勿論なかった。それから後の歴史の悲劇は、誰もが知るとおりである。

何故なぜにシラードは核兵器の原理を構想したのだろうか。それは核兵器のあまりの強力さが戦争を不可能にするという信念に発するものであった。そこではH.G.ウェルズの「自由になった世界」という小説の影響が決定的だったことを、回想の中で彼自身が語っている。

SF小説の始祖しその一人であったウェルズは、1914年、第一次大戦直前に出版されたこの小説において、ウラニウムの放射線放出を加速する事で作られた兵器について語っている。何日にもわたって繰り返し爆発する手投げ弾として用いられるその核兵器が、あらゆる戦場で使われる。戦争の被害が余りにも大きくなり、人類の文明は破滅の危機に直面する。そこで正気に目覚めた主要国のリーダーたちが、紆余曲折うよきょくせつの末、国家の枠組みを越えた世界政府を作り、人類に最終的な平和が訪れるというのである。

H.G.ウェルズの文学的想像力は、核エネルギーの兵器としての活用を、どの物理学者よりもはるか先に予想しただけでなく、核兵器開発の直接のインスピレーションを物理学者シラードに与えたわけである。

芸術が現実世界を模倣もほうするよりむしろ、現実世界が芸術を模倣する、と語ったのは19世紀末の頽唐たいとう芸術家オスカー・ワイルドである。しかし往々おうおうにして、われわれの現実世界は芸術の無様な崩れた模倣である。それはわれわれ現代人にあって、道徳的成熟が知的成熟に追いつかぬことの帰結、社会的知性が技術的知性のはるか後ろを歩んでいる事実の反映なのであろうか。





Ebony and Ivory
1897
シカゴ美術館

 


ウェルズが小説で予想した核兵器は、30年ほど後、より恐ろしい、目をおおううばかりのむごたらしい形で実現した。一方その帰結として予想された合理的道徳的な世界政府と平和は、100年しても今だにその形すらみえない。核兵器は拡散を続け、世界各地の国民国家は再び排外はいがい色をび始め、まるで諸部族がやいばを向け合う啓蒙けいもう以前の中世に向かって、世界がちていくようでさえある。数千発の核弾頭かくだんとうを保有するアメリカの大統領が、源流の地チェコのプラハにて、核廃絶を希求する感動的演説を行ったのは、一体いつの事だったろうか、今ではまるで夢物語のように思い起こされるのだ。

ウラニウム放射能発見の源流から120年、われわれはその最終の帰結をいまだに目にしていない。人類が原子核エネルギーを支配するのか、あるいはそれに支配されるのか、大河の流れつく大海原おおうなばらはいまだに見えてこない。

(初出:高知新聞「所感雑感」H30.8.6)

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著者略歴

  1. 全卓樹

    京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第三の故郷。東京大学理学部物理学科卒、東京大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了、博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学。量子グラフ理論本舗/新奇量子ホロノミ理論本家。ジョージア大、メリランド大、法政大等を経て、現在高知工科大学理論物理学教授。
    http://researchmap.jp/T_Zen/

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