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南国科学通信

言葉と世界の見え方

 

「リンゴ」という言葉なしでリンゴを思い浮かべることができるだろうか。おそらくは無理だろう。あの独特の芳香ほうこうを放つ甘い果物は、言葉で限定されてはじめて、ミカンでもないカキでもない何かとして、われわれの心の中に存在する。ところが奇妙なことに、この言葉はわれわれの内に最初からあったのではなく、外から心に注入された恣意しい的な記号である。リンゴという文字やそれを読み上げた音列と、リンゴの存在自体とを結びつけているのは、社会的な約束事のみである。

それを実感するには飛行機で旅立つのが良い。異国の見知らぬ街に降り立って、店先でいくらリンゴと叫んでも、望みの果物は決して得られない。 

 

 

言葉という社会的約束事を通さずには、事物の存在の認知すら覚束おぼつかなくなるのである。だとすれば異国語の話者には、世界がわれわれとは違って見えているのではないか。白色に相当する何十もの言葉を持つイヌイットたちには、単色の北極圏世界がずっと多彩に感じられるのだろうか。

誰しも一度は思いをせただろう言葉と認知を巡るこのような疑問に、最初の明確な科学的解答を与えたのが、シカゴ大学の言語心理学者のジョーン・ルーシー博士である。ルーシー博士の本来の専門はマヤ語であった。神聖文字に覆われた謎の古代都市を、メキシコの緑濃いジャングルに残した人々の言葉である。古典マヤ文明の流れをむ現代のマヤ人は、今もユカタン半島で700万人ほどがマヤ語を用いて生活している。

マヤ語には「助数詞」の概念があって、ものを数える時、ものの種に応じ変化する語句を数字の後に加える。日本語でいえば、動物一匹二匹、電話一台二台という時の「匹」や「台」が助数詞である。ところが英語には「助数詞」に相当するものが存在しない。

「ろうそく」のマヤ語は「キブ」であるが、「ろうそく1本」は「ウン・チュト・キブ」となる。「ウン」が「1」、「チュト」が「本」である。

助数詞のおかげでマヤ語では、ものを指す名詞が「形」の拘束から解放される。固まって棒状でも溶けて板状でもろうそくは「キブ」であり、助数詞「チュト」を伴ってはじめて棒状と明示されるわけである。

対して助数詞を欠く英語では、多くの場合、ものを表す名詞自体が形の情報を含んでいる。ろうそく一本は「ア・キャンドル」であるが、「キャンドル」という名詞に棒状の形が含意されているのである。

  

漆喰に刻まれたマヤ文字(パレンケ博物館蔵) wikipedia

 

 西暦1992年、ルーシー博士は次のような実験をおこなった。被験者はまず手に乗るほどの大きさの「厚紙の小箱」を見せられる。ついで同じ位の大きさの「プラスティックの小箱」と、「平たい厚紙」を見せられて、最初のものと似た方を選べと告げられる。アメリカ人の被験者はほぼ常にプラスティックの箱を選び、マヤ人はかなりの割合で厚紙を選んだ。

これは最初にみたものを、英語話者は形で判断して「小箱」と認識し、マヤ語話者は素材で判断して「厚紙」と認識したからだ、と考える事ができる。名詞が形の情報を含む英語、含まないマヤ語という言語の構造が、物体の認知に影響を及ぼしている事が、この実験で初めて明確に証明された。

面白い事に、この実験を7歳以下の子供で行うと、アメリカ人にもマヤ人にも差が出ない。どちらでも形を優先して「プラスティックの小箱」が選ばれたのだ。マヤ人の子供が7歳以下ではまだ数助詞を正しく使えない事実と、これはぴったり符合する。

言語の構造が人の認知に直接的影響を持つとの指摘は「サピア=ウォーフ仮説」として知られ、言語学界ではこれをめぐる長い論争の歴史があった。20世紀初頭の全体主義の興隆ともからんで論争は政治的な色彩をび、長らくこの問題は学派間の分断の一因となってきた。しかしその種の原理的論争は今では影をひそめ、実証的研究に基づいた「言語学的相対論」、すなわち認知の根幹構造は生得的で共通だが、異言語による認知の差異は確かに存在するとの説が、大方の言語学者の認めるところとなっている。脳科学や深層学習など関連分野の進展もあって、言語と認知をめぐる研究は、今や「実用的」な段階に来ている。

世紀の替わり目の西暦2000年、ヘルシンキにあるフィンランド職業健康研究所で、フィンランドにおける労災事故の、フィン語話者とスウェーデン語話者の比較が行われた。ハイテク世界企業のノキアから家族経営の林業水運業まで、総計5万件の労災データが用いられた。シモ・サルミネン博士とアンテロ・ヨハンソン博士が発見したのは、スウェーデン語話者の事故率が、フィン語話者に比べて4割ほど低いという事実である。この結果は企業の規模や業種にほとんどらなかった。ちなみにフィンランドの労働環境は先進的で、多数派フィン語話者の労災事故率自体、欧州平均に比べて低い。

フィンランド国民の6%弱を占めるスウェーデン語話者は、6世紀以上の前からの居住者である。彼らは文化的にも経済的にも、そして生活習慣の上でも、多数派フィン語話者と完全に統合されている。言葉を話さない局面で両者の区別を行うのは、フィンランド人自身にとってもほぼ不可能だという。

 

  フィンランド語モノリンガル自治体
  フィンランド語が多数を占めるバイリンガル自治体
  スウェーデン語が多数を占めるバイリンガル自治体
  スウェーデン語モノリンガル自治体
  サーミ語とのバイリンガル自治体
※少数言語の話者が人口の8% (or 3000)を超えると「バイリンガル」自治体、 逆に6%を切ると「モノリンガル」自治体とされる。
wikipedia

 

他のあらゆる要因が考察の上排除され、サルミネン、ヨハンソン両博士がたどり着いたのは、事故率の違いは言語による認知の違いに帰す以外にない、という結論であった。

フィン語は他の欧州の言葉とは全く別系統で、事象の関係は名詞の格変化によって示される。たくさんの事象がある時、それらの間の時間順序が曖昧になる傾向がある。対してインド・ヨーロッパ語族のスウェーデン語では、前置詞後置詞を駆使することで、日常会話でも事象の時間関係は常に明確である。危険を伴う複雑な作業を順次行う場合、フィン語話者に比して、スウェーデン語話者のほうが、より時間順序の明確なメンタル・モデルを構築できて、労働安全上優位性があると考えられるのである。

異なった言語を知ることは、異なった世界の見え方を会得えとくすることである。全ての日本語話者が、最も日本語から遠い言語の一つである英語を、義務教育で教わるのは決して悪いことでは無い。読者諸氏が学校や受験で英語学習に費やした労苦やくやしさ、そして涙は、たとえ英語の熟達した話者となれなかったとしても、決して無駄ではない。ちょうど異国の料理の導入で食文化が豊かになるように、異国語の要素は一国の言語文化をより香り高い豊穣ほうじょうなものにするだろう。

言語習得による新たな認知能力の獲得は、別に外国語に限らない。同一言語であっても、初等教育で身につけるものと高等教育で接するものとは、別の言語体系といえるほど異なっている。高等教育のメリットの大部分は、おそらくはそこに由来しており、個々の学科での新知識の獲得ではないのだろう。言語心理学界の最近の研究の一つの焦点は、異なった社会階層における言語の違いと、認知機能の違いとの関係である。

言語と認知の関係の研究はいまだ発展途上にある。言語を含む人間活動の巨大電子データの蓄積とともに、それはより精密になっていくだろう。そして社会の安全性や利便性の向上に使われ、また知能犯罪や意識の操作に使われるだろう。オーウェルの「ダブルスピーク」風に自由の抑圧に用いられるかもしれない。

存在と意識を直接につなぐ社会的媒体である「言葉」に秘められた力は、未だみ尽くされていない。

いずれにせよ今後、その力のさらなる開示を、われわれが目にするだろう事は間違いない。

 

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著者略歴

  1. 全卓樹

    京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第三の故郷。東京大学理学部物理学科卒、東京大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了、博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学。量子グラフ理論本舗/新奇量子ホロノミ理論本家。ジョージア大、メリランド大、法政大等を経て、現在高知工科大学理論物理学教授。
    http://researchmap.jp/T_Zen/

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