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答えは風のなか

いいヤツ

  

 せき初日しょにち、ぼくはとなりの席になった中村なかむらくんに「いいヤツ」とばれた。シャープペンシルのしんがなくなってこまっていたので自分の芯を一本けてあげたら、中村くんは「サンキュー! たすかった!」と大喜おおよろこびして、「伊藤いとうって、がいといいヤツなんだな」と言ってくれたのだ。

 ぼくもうれしかった。

 中村くんとは五年生ではじめて同じクラスになった。もっとも、ぼくは中村くんのことを三年生や四年生のころから知っていた。スポーツ万能ばんのうでいつも元気な中村くんは、三年生の
なつ地元じもとのJリーグチームのジュニア・セレクションに合格ごうかくした。ウチの小学校では初めての快挙かいきょだった。

 なかくなりたいと思っていた。でも、中村くんはいつもたくさんの友だちにかこまれて、サッカーや野球やきゅうやバスケの話でがっている。スポーツのにがなぼくは、なかなか話しかけられない。四月、五月と仲良くなるチャンスはなかった。それが、せきえのおかげで一気いっき―—しかも、感謝かんしゃされて、いいヤツだとほめてもらったのだ。

しん、明日かえすから」

「ううん、いいよ、そんなの」

 ほめてもらったおれいのつもりだった。でも、中村くんは「だってわるいじゃん、返すよ、ちゃんと」と言った。そういうところも中村くんってカッコいいなあ、とぼくはますますうれしくなった。

 だから、次の日に登校とうこうした中村くんが「おっす」と挨拶あいさつしただけでシャープペンシルの話をしなかったときも、ぼくのほうからはなにも言いださなかった。うっかりわすれてしまったのだろう。そういうのはよくあることだし、ぼくは最初さいしょから芯を返してもらわなくてもいいと思っていたのだから。

 

 次に中村くんに「いいヤツ」とばれたのは、その三日後だった。サッカーの練習れんしゅういそがしかったせいで、中村くんは算数さんすう宿題しゅくだいを忘れてしまった。授業じゅぎょうが始まる直前ちょくぜんになってそれに気づき、「伊藤、ごめん、宿題見せて!」とりょうを合わせてぼくをおがんだ。席のはなれた友だちにたのゆうがなかったのだろう。しかたない。緊急事態きんきゅうじたいだ。ノートをわたすと、「サンキュー、ほんと、おまえっていいヤツ」と言って、また拝んでくれたのだ。

 ところが、うつしが終わらないうちに先生が教室きょうしつに入ってきた。僕たちの席は教壇きょうだんのすぐ前なので、ノートを返してもらったらばれてしまうかもしれない。書き写しをしているのも見つかったら大変だ。

 中村くんのことが心配しんぱいになって、横目よこめでそっとたしかめると、思わず声をあげそうになった。中村くんは、ぼくのノートを自分のノートにかさねて広げていたのだ。まるで自分のもののように。まるで、自分がやった宿題のように。

 ぼくはしかたなく、社会しゃかいのノートをつくえに出した。宿題を当てられたらどうしよう。どきどきしながら授業じゅぎょうけた。うんく当てられることはなかったけど、チャイムがるまでこわくて怖くて、先生の話はちっともあたまに入らなかった。

「うわー、ビビったなあ」

 中村くんは授業が終わると、わらいながらノートを返してくれた。「あそこで返したら、絶対にばれて、伊藤もおこられてたよな。ヤバいヤバい」

 ぼくも? そうなの? 怒られるのは中村くんだけだと思っていた。ぼくも悪いことは悪いかもしれないけど、どっちかと言うと被害者ひがいしゃっぽいし······中村くんは、もし先生に見つかったら、ぼくのことをかばってくれるつもりはなかったのかな······。

 

 休み時間になると、中村くんのせきにはいつも友だちがあつまってくる。つまり、それは、ぼくの席のそばにみんながいるということだ。席替えして最初のうちは、自分がじゃまになりそうな気がして、トイレに行くふりをして席をはなれていた。

 でも、シャープペンシルのしんや算数の宿題のことで、中村くんはすっかりぼくを気に入った。「伊藤って、すごく親切しんせつでいいヤツなんだよ」とみんなにも言って、席を立とうとするぼくを「いいよ、すわってろよ」とおしゃべりの仲間なかまくわえ、何度なんどもぼくに話をってくる。スポーツのだいにはなかなかついていけなくても、「伊藤はどう思う?」といてくれるだけでもうれしい。みんなも、中村くんが「いいヤツ」と言ってくれたおかげで、ぼくのことを見直みなおしたみたいだ。

 席替えから一週間もすると、友だちがいっぺんにえた。みんなの呼び方も「伊藤」から「イトちん」になった。ウチのクラスは毎月席替えをする。七月にはまた中村くんと席がはなれてしまうだろう。さびしいけど、中村くん以外にも気の合いそうなヤツは何人もいるし、みんなぼくを「いいヤツ」だと呼んでくれる。

 

 席替え十日目のこと。

「マジにイトちんっていいヤツ!」

 掃除当番そうじとうばんはん一緒いっしょの山本くんが、みんなの前で昨日の出来できごとを話した。

 廊下ろうか掃除中そうじちゅうきゅうにおなかがいたくなった山本くんが「ごめん、ちょっとってて」とトイレに行っている間に、ぼくは山本くんのぶんもぞうきんがけをして、掃除を終えた。もどって来た山本くんは大感激だいかんげきして、「このごおんは一生忘れません!」とまで言ったのだ。

 話を聞いた中村くんたちも「けるー」「感動かんどうするー」「きょうしょるよ、絶対」と口々にぼくをほめてくれた。れくさかったけど、やっぱりうれしい。

 だれかがボソッと言った。

「ヤマ、ほんとは仮病けびょうでサボったんじゃねえの?」

 冗談じょうだんっぽい言い方だった。山本くんはすぐに「バーカ、なに言ってんだよ」と笑ってしたし、みんなもおかしそうに笑っていた。ぼくも笑った。そんなのありえない、ありえない、ありえないって。

 次の日、日直にっちょくでコンビを組んだ佐伯さえきくんが、昼休ひるやすみにぼくを廊下ろうかに呼び出して「悪い!」とたのみごとをしてきた。

「今日、母ちゃんが風邪かぜひいてるんだ。だから、ほうはダッシュでウチに帰らなきゃいけないんだ。がっきゅう日誌にっしとか黒板消こくばんけしの掃除とか、伊藤にお願いしていい? いいよな?」

「うん、まあ、いいけど……」

「やった! さすが、いいヤツ!」

 お母さんのことは朝からわかっているはずなのに、なんで昼休みにきゅうに言うんだろう。給食きゅうしょくのとき、佐伯くんたちは駄菓子屋だがしやさんに遊びに行く話でり上がっていたけど、それとはかんけいない······よね?

 佐伯くんはすぐにぼくの前からはしった。おれいこと、言ってもらわなかったような気がするけど、それって、うれしすぎてわすれてしまった······んだよね?

 

 

 朝ごはんのとき、ぼくのウチでは時計代とけいがわりにテレビでNHKのニュースを流している。

 その日の朝の特集とくしゅうは、オレオレ詐欺さぎについて。息子むすこになりすました犯人はんにんにお金をだまし取られてしまった被害者ひがいしゃのおとしりは、別の詐欺にもひっかかってしまうことが多いのだという。詐欺グループは、被害者の住所じゅうしょや名前を別のグループと交換こうかんして、その人をまた詐欺でだましてやろうとねらうらしい。

「悪いヤツらにだまされる人は、みんなひと
しなんだよなあ。だから、うそ見抜みぬけないんだ」

 お父さんは被害者に同情どうじょうしながらも、「どくだけど、自分で自分をまも〕rしかないんだよな」と言った。

 お母さんは「あなただって同じじゃない」とお父さんをかるくにらむ。「なんだかんだ言って、おひと
しすぎるから、すぐにいろんなごとしつけられちゃって。体をこわしても知らないわよ」―— ここのところ残業続ざんぎょうつづきでかえりがおそいのを心配しているのだ。

「ねえ、お父さん」

 ぼくはトーストをかじりながら言った。

「おひと
しって、どんな人のこと?」

 お父さんは「うーん、そうだなあ」と少しかんがえてからこたえてくれた。

やさしくて、親切しんせつなんだけど、なんて言えばいいかなあ······オレオレ詐欺みたいに悪いヤツにだまされたり、ずうずうしいヤツにようされちゃったりするんだよ」

「じゃあ、ダメな人ってこと?」

 優しいのも親切なのも、その人の長所ちょうしょになるはずなのに。

「いや、まあ、ダメっていうわけでもないんだけど······そんしちゃうことはあるかなあ」

「どんな損をするの?」

「だから、あいこまってるからたすけてあげようと思ってがんばるんだけど、ほんとうは相手は困ってなくて、面倒めんどうくさいから助けてほしいだけだったりすると、結局けっきょく苦労くろうして助けてあげても、向こうは全然感謝ぜんぜんかんしゃしなくて、むしろ、うまく使つかってやった、なんて思うだけだったりして······」

 どきん、とした。

 席替えして二週間がたった。ちょうどかえてんだ。いまの席ですごすのも、あと半月はんつきということになる。

 佐伯さえきくんの日直のごとを引き受けたころから、友だちにしょっちゅう頼みごとをされるようになった。

 一つひとつはたいしたことじゃない。順番じゅんばんちをしていたトイレで「おしっこれそうだから、先に行かせて」と言われたり、ゴミをてに行こうとしたら「ついでにこれもいい?」と自分のゴミを渡されたり、理科りかの授業ではんに分かれて実験じっけんをするとき、マッチが怖いという橋本はしもとくんの代わりにアルコールランプに火をけてあげたり······その程度ていどの頼みごとだ。すぐにけられるし、べつに苦労するわけでもないし、あとでみんなに「さすがイトちん」「おまえ、ほんとにいいヤツだよな」「サイコー」とほめられると、もちろん、悪い気はしない。

 でも、そういうのが毎日まいにち、しかも一日に何度も続くと、さすがに「ちょっとなあ」「なんだかなあ」と言いたくもなってしまう。

ようされちゃうんだ、おひと
しは」

 お父さんの言葉に、今度はむねがきゅっとすぼまった。

「ダメだとかイヤだとか、はっきり言えばいいんだけど、それができないんだよ」

······なんで?」

「優しいし、親切なんだけど、ちょっと意志いしよわいのかもなあ」

「はい、そこまで」―—     お母さんが苦笑くしょうじりに話を止めた。「朝から、そんな話をしなくていいんじゃない? もう七時半を回ってるわよ」

 いけない。ニュースも、もう特集が終わってお天気コーナーにわっていた。

「ユウちゃんもいそがなきゃ。四十五分に出るんでしょ」

「うん······」

「なんだ、今朝けさは早いんだな」とお父さんが言うと、ぼくの代わりにお母さんが「ウサギのエサやり」と答えた。「ピンチヒッターなんだって」

 中村くんに頼まれたのだ。ほんとうは今朝の当番とうばんは中村くんだったけど、サッカーのジュニアチームで朝練あされんがあって、登校とうこうこくすれすれになるというので、昨日の帰りぎわに「悪い、順番じゅんばんわって!」と両手でおがまれた。

 えーっ、めんどくさいなあ、と最初は思った。いろんな学校から選手せんしゅが集まるジュニアチームが、ほんとうに平日へいじつの朝に練習をするんだろうか、というのも気になった。

 でも、中村くんは「代わってくれるだろ、イトちんっていいヤツだもん、見捨みすてたりしないだろ? な?」とめてかかっていた。

「じゃあ、オレのときにはナカちゃんが代わってくれる?」

「代わる代わる、死んでも代わる、きゅう滅亡めつぼうしても代わるから」

 中村くんは笑って言って、ぼくがきちんとへんをする前に「じゃあ明日、頼んだからなー!」とダッシュして教室を出てしまった。

 しかたない。やるしかない。ウチは学校から近いから、ウサギ当番があってもふだんより十五分ほど早く出るだけですむし、ぼくのもともとの当番はどうせ来週に回ってくるから、そこで中村くんに代わってもらえばいいんだし。

 お父さんは、ピンチヒッターの話をくわしくはたずねずに、「友だちにたよられるっていうのは、いいことだよ」と言った。

たよられる」と「たのまれる」って、どうちがうんだろう。ふと思った。

 でも、お母さんは「あなたとユウちゃん、親子でてるところがあるから心配よ」と笑って言って、「たよりにされるんだったらいいんだけど」と続けた。

たよられる」と「たのまれる」と「たよりにされる」も、どう違うんだろう。信頼しんらいの「頼」だから、ぜんぶ、いい意味いみだと思うんだけど。

 のこりのトーストをほおったぼくに、お父さんは言った。

「でも、イヤなときはイヤって言わなきゃだめだぞ」

 ちょっとだけ、真剣しんけんかおをしていた。

 

 

 ウサギのエサやりを終えて教室きょうしつに入ると、こく
ぎりぎりになるはずの中村くんは自分の席にいて、いつものように友だちとおしゃべりしていた。

 ぼくに気づくと、「おーっす」とふだんどおりに挨拶あいさつをして、「ウサギ当番、サンキュー」と言った。

······ナカちゃん、朝練あされんは?」

「うん?」

「サッカーの朝練、なかったの?」

「ああ、あれな、そうなんだよ、ゆうべちゅうが決まって、なくなっちゃったんだ」

 唖然あぜんとするぼくに、中村くんは「悪い悪い、電話しようと思ったんだけど、もうおそかったから」と両手を合わせてあやまった。

 それだけだった。中村くんはすぐに友だちとのおしゃべりにもどって、もうぼくのほうをきもしなかった。

 翌週よくしゅうのウサギ当番の前日に、中村くんにねんのためにひと声かけた。

「ナカちゃん、明日だからね」

「え?」

 きょとんとした顔になった。「なにかあったっけ?」

······ウサギ当番」

「って、なに?」

「だから······このまえナカちゃんの代わりにやったから、オレのときにはナカちゃんがやる、って······おぼえてない?」

 中村くんは「そんなこと言ったっけ、オレ」と首をかしげて、続けた。「どっちにしても、明日はオレ、朝練があるから無理むり

 ちょっとってよ、約束やくそく守ってよ、と言いたかった。でも、言えない。代わりに口にしたのは、笑いながらの「えーっ、マジ?」という一言―—    これでも必死ひっしにがんばったつもりなんだけど。

 

 六月の下旬げじゅん、お父さんが入院にゅういんをした。

 風邪気味かぜぎみだったのに会社を休めず、無理を続けていたら、ねつ睡眠すいみん不足ぶそくのせいで階段かいだんの一番上の段から足をみはずした。ゴロゴロゴロッとおどまでころげ落ちて、右脚みぎあしのスネを骨折こっせつしてしまったのだ。

 病院びょういんけつけたお母さんは、泣きながら怒っていた。お父さんにたくさんごとをやらせていた会社にも、それにもんを言わなかったお父さんにも。

 お父さんはおひとしだから、イヤだと言えずに、仕事をたくさん背負せおってしまった。

 みんなにたのまれて―—  ?

 みんなにたよられて―—  ?

 みんなにたよりにされて―—   ?

 三つとも同じなのか、全然ちがうのか、ぼくにはやっぱり、まだよくわからない。

 でも、三日間の入院中、お父さんの病室びょうしつには会社の人がたくさんお見舞みまいに来てくれた。えらい人よりも、一緒いっしょに仕事をしているわか社員しゃいんのほうが多かった。

 お母さんはそのことを、あとですごく、とうのお父さんがびっくりするぐらいよろこんでいた。

 

 お父さんが退院たいいんした翌日よくじつ佐伯さえきくんが僕の席に来て「イトちんにちょっとお願いがあるんだけど」と言った。

 明日のウサギ当番を代わってほしい―—   。

「オレ、いままで言わなかったんだけど、アレルギーがあるんだよ。ウサギのにさわるとポツポツが出ちゃうの。いつも困ってたんだけど、ナカちゃんが、イトちんってウサギがきみたいって教えてくれたから」

 ねっナカちゃん、と佐伯くんに声をかけられた中村くんは、自分には関係ない、という顔でとおくを見ていた。

「イトちん、いい? いいよな?」

 ウサギのアレルギーがあるなんて、聞いたことがない。もしほんとうだとしても、それを相談そうだんするのはぼくじゃなくて―—  。

「先生にいてみる」とぼくは言った。

「え?」 

「当番を代わっていいかどうか、先生にいてからにする」

 クラス担任の白石先生に話して、先生が「いいわよ」と言ってくれたら、交代こうたいする。

「えーっ、なんでだよ、先生なんてかんけいない関係ない関係ないって······」

 佐伯くんは早口に言った。そのあわて方で、ほんとうのことがわかった。

「関係あるよ、クラスの当番なんだから」

「なに言ってんだよ、ワケわかんねーよ」

「オレ、いてくる」

 椅子いすを引いて立ち上がろうとしたら、佐伯くんは「やめろよ」ととおせんぼした。「先生に言いつけるとか、ひきょうだろ」

「言いつけるんじゃないよ」

「やめろって」

······じゃあ、先生にはかないけど、当番は代わらないから」

 こえふるえた。目もそらした。でも、きっぱりと言った、つもりだ。

たのむって、イトちん、お願いっ」

「イヤだ」

「なんでだよ」

「代わりたくないから」

「こんなに頼んでるのに?」

「やらない」

 だんだんいてきた。さいは「ぜーったいに、イヤ」とねんした。

 佐伯くんは「マジかよ······」と、中村くんにたすけをもとめた。

「ナカちゃん、なんとかしてくれよ」

 でも、中村くんはそっぽをいたまま、「やだよ」と言った。「おまえのけ、決定けってい

 佐伯くんは中村くんにはさからえない。代わりにぼくをにらんで「もういいよ」と憎々にくにくしげに言った。「ほんとは全然いいヤツじゃなかったんだな、伊藤って」

 自分の席にダッシュでもどっていく佐伯くんをいかける気にはならなかった。でも、あとでかえしされるかもしれない。

 「気にするなよ」

 中村くんが、まるでぼくの心を見抜みぬいたように言った。「だいじょうぶだよ、あいつがうそついたのが悪いんだから」

 佐伯くんではなく、ぼくの味方みかたになってくれた。でも、あまりうれしい気持ちにはなれなかった。心の中で、ぼくは言った。じゃあくけど、このまえのナカちゃんは、ほんとうにうそをついてないんだよね? しんじていいよね? 心の中だけでいた質問に、答えなんて返ってくるはずがなかった。

 中村くんの言っていたとおり、その後も佐伯くんはべつに仕返しをしてくるようなことはなかった。中村くんとぼくがとなりどうというのも大きいのかもしれない。

 佐伯くんから、なにかを頼まれることはなくなった。佐伯くんにとって、ぼくはもう「いいヤツ」ではなくなったのだろう。

 ほっとした。

 でも、なんとなくさびしい気持ちも、ないわけではなかった。 

 

 六月三十日、お父さんはひさしぶりに会社に行った。入院にゅういん自宅じたくで休んでいたのを合わせると一週間ぶりの出社しゅっしゃになる。

 石川さんというわか男性社員だんせいしゃいんが、自家じか用車ようしゃで会社とのおくむかえをしてくれることになった。石川さんは自分から「オレ、やりますよ」と手をげたらしい。「いつもお世話せわになってる伊藤さんに恩返おんがえしです」とも言っていたんだと―—  お父さんはゆうべ、うれしそうに教えてくれた。

 もちろん、会社の中ではまつづえをつかなくては歩けない。ぼくと一緒に外まで見送りに出たお母さんは「だいじょうぶ?」と心配そうだったけど、お父さんは「へい平気」と笑って、迎えに来てくれた石川さんに「おはよう! わざわざ悪かったな」と元気に声をかけて、れない松葉杖をついて歩きだした。

 そのなかながめながら、お母さんは「たのもしいね、ごとのときのお父さんって」とぼくに言った。たのもしい。かんで書くと「たのもしい」だっけ。ここにもまた「頼」という字が登場とうじょうしていた。

 お父さんを見送ったあと、ぼくも学校に向かった。今日は七月のせきえのクジ引きがある。中村くんととなりどうですごすさいの一日だ。

「ユウちゃん、今日はみちなしよ」

 出がけにお母さんに言われて「わかってるって」とうなずいた。お父さんは復帰ふっき初日しょにちなので、今日は早めに帰ってくる。でも、お母さんはパートタイムの仕事がある日なので、夕方ゆうがたまで帰れない。まつづえのお父さん一人きりだと不便ふべんなので、ぼくがいろいろお手伝てつだいすることになっているのだ。

 お父さんは「いいっていいって、ユウは友だちと遊んでろよ」と言ってくれたけど、ぼくだって少しは活躍かつやくしたい。

 いつもお世話せわになってるお父さんに恩返おんがえ―—   って、ちょっとちがうかな。

 

 席替えのクジ引きは、教室の全部ぜんぶの席に番号ばんごうを付けて、自分の引いたカードの番号と合わせる、という仕組しくみだった。

 「来月もとなりだったらいいな」

 クジ引きを始める前、中村くんがごえで言った。「前とか後ろとか、あとななめでもいいけど」

 そう言ってもらえるのは、やっぱりうれしい。でも、自分では気づかなかったけど、ぼくはうれしくなさそうな顔になったようだ。

  「え? なんで?」と中村くんは意外いがいそうに言った。「隣になりたくないの?」

 そんなことない―—  いつもならあわててすところなのに、口をついて出た言葉ことばは自分でも思いがけないものだった。

 「ナカちゃんは、なんでオレととなりになりたいの?」

 一瞬いっしゅんきょとんとした中村くんは、あははっ、とわらって言った。

 「だって、イトちんって、サイコーにいいヤツだもん。ずっと隣同士でいたいよ」

 そんなのあたりまえだろ、というがおだった。ぼくも「サンキュー」と言った。今度は笑顔になっていた、と思う。

 でも、ほんとうは、中村くんには別の言葉
を言ってほしかった。

 友だちだから―—  。

 そう言ってくれたら、ぼくはなおに笑えていただろうか。同じだっただろうか。

 いいヤツと友だちのちがいって、なんだろう。違いなんてないんだろうか、ちゃんとあるんだろうか。

 うーん、うーん······と考えているうちに、クジを引く順番じゅんばんが回ってきた。

 ぼくは〈12〉―—          まどから三列さんれつの、前から二番目になった。中村くんは34―— 一番いちばん廊下ろうかがわの列の、後ろから二番目だった。

 「あーあ、残念ざんねんとおくなっちゃったなあ」

 中村くんはくやしそうに言って、ふと思いだしたように「あ、そうだそうだ」とぼくの耳に顔をせてきた。

 「あのさ、イトちん、今日の日直にっちょくオレなんだけど、ほうごとだけ、わりにやってくれない? サッカーの練習に行く前に、どうしてもやらなきゃいけないようがあるんだ」

 すぐにはへんができなかった。

 すると、中村くんは「さいなんだから、たのむって、なっ?」と両手でぼくをおがんだ。

 ぼくは、えへへっ、と笑う。

 きたいような気持ちでもう一度笑ってから、ゆっくりと、小さな声で、こたえた。

 

(第1回「いいヤツ」おわり。第2回につづく)

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著者略歴

  1. 重松 清

    1963年生まれ。早稲田大学教育学部卒。出版社勤務を経て執筆活動に入る。ライターとして幅広いジャンルで活躍し、1991年に『ビフォア・ラン』(ベストセラーズ/幻冬舎文庫)で作家デビュー。1999年『ナイフ』(新潮社)で坪田譲治文学賞、『エイジ』(朝日新聞社)で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』(新潮社)で直木賞、2010年『十字架』(講談社)で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』(新潮社)で毎日出版文化賞を受賞。
    著書に『流星ワゴン』(講談社)、『疾走』『とんび』『木曜日の子ども』(KADOKAWA)、『みんなのなやみ』(理論社/新潮文庫)、『その日のまえに』(文藝春秋)、『きみの友だち』『青い鳥』(新潮社)、『希望の地図』(幻冬舎)、『赤ヘル1975』(講談社)、『ひこばえ』(朝日新聞出版)など多数。2013年に『きみの町で』(ミロコマチコ氏との共著)を小社から刊行。

  2. ミロコマチコ

    画家・絵本作家。1981年大阪府生まれ。生きものの姿を伸びやかに描き、国内外で個展を開催。絵本『オオカミがとぶひ』(イースト・プレス)で第18回日本絵本賞大賞を受賞。『てつぞうはね』(ブロンズ新社)で第45回講談社出版文化賞絵本賞、『ぼくのふとんは うみでできている』(あかね書房)で第63回小学館児童出版文化賞をそれぞれ受賞。ブラティスラヴァ世界絵本原画ビエンナーレ(BIB)で、『オレときいろ』(WAVE出版)が金のりんご賞、『けもののにおいがしてきたぞ』(岩崎書店)で金牌を受賞。その他にも著書多数。第41回巌谷小波文芸賞受賞。
    展覧会『いきものの音がきこえる』が全国を巡回。本やCDジャケット、ポスターなどの装画も手がける。2016年春より『コレナンデ商会』(NHK Eテレ)のアートワークを手がけている。2013年に『きみの町で』(重松清氏との共著)を小社から刊行。
    http://www.mirocomachiko.com

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