朝日出版社ウェブマガジン

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答えは風のなか

おばあちゃんのメモ

 
 その年の冬、おばあちゃんはずっと元気がなかった。
 「長生きしすぎたのかねえ……」
 ぽつりとつぶやいて、かたががっくりと落ちてしまいそうなほど深いため息をつく。
 でも、長生きをしすぎたなんて言うには、おばあちゃんはまだわかい。七十七さい現役げんえきで仕事をしている人はたくさんいるし、リタイアしたあとのシニアライフを楽しくごしている人は、もっとたくさんいる。おばあちゃんだって、ほんの二、三年前――わたしが小学校の低学年だったころは、市民プールにわたしを連れて行って、一緒いっしょに泳いでくれていたのに。
 お父さんもお母さんも心配していた。
 ウチのお父さんは三人きょうだいの末っ子で、上はお姉さん二人。長女のお姉さんが大学生のころに、父親――つまりわたしにとってはおじいちゃんがくなった。お父さんはまだ中学生だった。
 そこからおばあちゃんは女手一つで子どもたちを育てあげた。すごい。たくさん苦労してきたはずなのに、子どもの前では弱音よわねを一言も口にしなかった。ほんとうにすごい。
 としをとってたいじゅうたく同居どうきょするようになってからも、自分のことは自分でやるし、なにをやらせてもてきぱきしている。しっかり者で、まんづよくて、そのぶん言葉がキツいところもあるみたいで、お母さんはたまにお父さんにグチっているけど、わたしにはいつもやさしい。
 そんなおばあちゃんが、「ミドリちゃんがオトナになるまで元気でいたかったけど、むずかしいかもねえ……」なんてきつなことを言って、なみだぐんでしまうようになったのだ。
 「おふくろも、去年の夏からいろいろあったから、それで一気に込んだのかもな」
 お父さんの言う「いろいろ」とは、こんなこと――
 暑い日の夕方に庭仕事をしていたらねっちゅうしょうになって、救急車で病院に運ばれた。お母さんがたまたま台所から庭を見て、しゃがみんだおばあちゃんの様子がおかしいことに気づいたのだ。
 入院は三日ですんだけど、おばあちゃんは脱水だっすいしょうじょうを自覚できなかったことにずいぶんショックを受けていた。
 しかも、病院でけんをしたときに、熱中症とは無関係のところで、病気がいくつも見つかった。ないきょうだいちょうのポリープを取ったり、しんぞうにカテーテルを入れたり……と秋のうちに二度も入院をして、さらに高血圧こうけつあつとう尿にょうりょうも始まった。
 負けずぎらいのおばあちゃんは、病院がよいのために「体力をつけなきゃ」と言ってウォーキングにはげんだ。ところが、それで足をくじいてしまい、お医者さんから運動を制限せいげんされるはめになった。
 出歩くことができなくなると、足腰あしこしも弱るし、免疫めんえきりょくも落ちる。この冬は何度も風邪かぜをひいて寝込ねこんでしまった。そのたびに体が小さくなっていく。風邪が治ってもしょくよくがなかなかもどらない。夜の寝付ねつきも悪くなったというし、テレビのCS放送で大好きな昭和のホームドラマをつけても、ちっとも面白くないらしく、すぐに切ってしまう。
 せてしまったせいで顔のしわが深くなり、数もえた。じりがしらに黄色いヤニがまるようになって、がんへの通院も加わった。老化して目ののうおとろえているらしい。あと二、三年でしゅじゅつが必要になりそうだとお医者さんに言われて、さらに落ちんでしまう。
 「だいじょうぶだ、春になってあたたかくなれば、また元気になるって」
 お父さんはそう言っておばあちゃんをはげましていた。お母さんとわたしも、そうそうそう、ほんとほんとほんと、とうなずいた。
 春はおばあちゃんの大好きな季節だ。ぽかぽかと暖かくなり、日が長くなって、いろんな花がくと、それだけでゴキゲンになる、という。特にさくらがお気に入りだった。近所の城山公園に家族で出かけてお花見をするのは、恒例こうれい行事になっていて、お弁当の主役はおばあちゃんがつくる寿司ずしなのだ。
 早く春が来るといいのに。おばあちゃんが元気になるといいのに。大きな太巻きの中にお花のような細巻きがいくつも入った特製とくせい巻き寿司、今年もたくさん食べたい。
 いつもの年以上に春を待ちわびていた。わたしも、両親も、そしてだれよりもおばあちゃん自身が。
 でも、その年の春は――
 
 
 覚えているかな。 こわいウイルスが世界中に広がって、たくさんの人がくなった年―― もう、ずいぶん昔になった年の、の小さな出来事だ。
 

 おばあちゃんはテレビの画面をじっと見つめていた。泣きだしそうに顔がゆがむ。ふるえる声でつぶやいている。最初はよく聞き取れなかったけど、耳をすますと、わかった。
 「ひどいねえ……ひどいねえ……なんでこんなことになったのよ……」
 テレビの画面には、外国のニュースがうつし出されていた。
 病院の光景だった。ベッドがぎっしりならんだ広い病室で、お医者さんやかん護師ごしさんたちがりょうしている。お医者さんと看護師さんは白いぼうふく姿すがたで、ベッドに横たわるかんじゃさんは人工きゅうを付けていた。外国の言葉でアナウンサーがしゃべっている。重々おもおもしい口調だ。すぐに通訳つうやくの声が聞こえた。
 ――この病院では一日に五十人をえる患者が運びまれ、連日十人以上がくなっています――
 テレビの横には、このまえれから出したばかりのおひなさまがかざってある。去年までと変わらないすまし顔のおひなさまに、わたしは心の中で声をかけた。
 ねえねえ、おひなさまは知らないと思うけど、いま世界は大変なんだよ、滅亡めつぼう危機ききなんだよ……。
 画面は、別の外国の映像えいぞうに切りわる。住民の外出が禁止されて、人影ひとかげが消えてしまった街の風景だった。透明とうめいのフェイスシールドをつけた警察官けいさつかんが無人の街をパトロールしている。ネットフリックスで観たSF映画のワンシーンみたいだけど――すべて、現実。
 りょうやくもワクチンもない新しいウイルスが世界中に広がっていた。
 十万人近い人たちがウイルスに感染かんせんして、病院に運び込まれた。しょうじょうが悪化して肺炎はいえんを起こし、きゅう困難こんなんおちいったすえに亡くなった人も、もう三千人をえた。
 海に囲まれたわたしたちの国にも、ウイルスは入ってきてしまった。よその国ほど勢いよく広がっているわけではなくても、じわじわと感染者の数が増えてきた。これ以上ウイルスを広げてはいけないというので、全国の学校も休みになって、わたしの小学生最後の日々ひびは、友だちのだれとも会えないまま過ぎていくことになった。
 画面がさらに切り替わる。ウイルスで亡くなった人のお葬式そうしきだった。亡くなったあともウイルスは体内に残っているので、家族ですられることはできない。ガラスまどしにお別れをすると、たいはすぐにげんじゅう密封みっぷうされてひつぎおさめられる。亡くなったのはウチのお父さんぐらいのとしの男の人だった。マイクを向けられたおくさんは、泣きながら早口にまくしたてていた。外国の言葉なので意味はわからない。でも、通訳の声が聞こえなくても、悲しさとくやしさは伝わった。
 ふと見ると、おばあちゃんはテレビの画面に向かって手を合わせていた。「かわいそうにねえ……かわいそう、かわいそう……」とおきょうを唱えるようにつぶやきながら、頭を小さく下げた。
 その頃から、おばあちゃんは目に見えて元気をなくしていったのだ。

 ウイルスはどんどん広がった。
 世界の感染者はあっという間に何十万人という数になった。じゅうしょうになった患者や亡くなってしまった人も、それに合わせて急増した。わたしたちの国でも感染者が増えている。
 なるべくウチにいるように、とニュースが何度も何度もかえした。いろんなお店がお休みになり、全国の学校も休校になって、街はしーんと静まりかえってしまった。
 わたしは入学したばかりの中学校にまだ一日もかよっていない。両親も二人ともテレワークになって、たまにどうしても会社に行かなくてはならない日は、帰宅するとすぐにシャワーを浴びるようになった。
 がいの大きな国では、人工呼吸器がりなくなっているらしい。
 ――救急病院では、高齢こうれいの入院患者の使っていた人工呼吸器を取りはずして、わかい患者に付けえるという事態になっています――
 外国のニュースだ。ウチの両親より少し年上の夫婦のインタビューだった。二人は、九十さいえたお父さんから人工呼吸器をはずすことを決め、まだおさない子どものいる母親に付け替えてあげたらしい。
 ――父がそれを望んだのです。自分はもうじゅうぶんに生きたのだから、あとは、これから生きなくてはならない人たちのじゃになってはいけない、と――
 人工呼吸器をはずしたお父さんは、すぐに息を引き取ってしまった。けれど、その人工呼吸器をゆずってもらった若い母親は、命の危機をだっして、順調に回復かいふくしているらしい。
 ――よかったです、ほんとうによかった、父もよろこんでいるにちがいありません――
 インタビューは、夫婦がなみだごえで言う、そんな言葉でめくくられていた。
 わたしには、正直言って、ピンと来なかった。マンガを読みながら、ちらちらとテレビに目をやっていただけだったし、やっぱり遠い国のお話だったから。
 でも、一緒いっしょに観ていたおばあちゃんは、ちゅうから画面をじっと見つめて、だまんで、番組が終わるとわたしに言った。
 「もしもおばあちゃんにウイルスがうつって具合が悪くなっても、ほっといてくれればいいからね」
 「ほっとく、って?」
 「人工呼吸器を使ったり、お薬をちゅうしゃしたりしなくていいから。そんなのもったいないわよ。このままだと病院のベッドもりなくなりそうっていうじゃない。じゃあ、これからの未来がある若い人にゆずってあげなきゃ」
 「でも、おばちゃんだって未来は――
 わたしが言いかけたのをさえぎって、「ないないない」と顔の前で手を横にったおばあちゃんは、「年寄りなんだから、もう未来なんてないのよ」とさびしそうに笑った。
 わたしたちの国では、いまはまだ、人工呼吸器や薬が足りないという話は出ていない。でも、このままだと、いつか足りなくなってしまうかもしれない。残り一つの人工呼吸器を二人で取り合いになって、その二人がお年寄りと子どもだったら……お年寄りのほうがわたしの知り合いで、子どものほうは赤の他人だったら……逆に、お年寄りはえんもゆかりもない人で、子どものほうが親友のユウコちゃんだったら……。
 なかがひやっとしたので、あわてて考えるのをやめた。
 
 
 おばあちゃんとのやり取りを伝えると、お父さんは「しょうがないなあ、おふくろも」とあきれ顔になった。「外に出られなくなって、よっぽどしんどいのかなあ」
 お母さんもうなずいて、「去年からずっと元気がなかったところに、これだものね……」とため息をついた。
 おばあちゃんだけではなく、ウイルスに感染してしまう不安に外出しゅくのストレスが加わって、体や心の具合が悪くなってしまった人がたくさんいるらしい。
 「お年寄りには未来がないっておばあちゃんは言ってたけど、そんなのちがうよね?」
 「もちろんよ。あるに決まってるでしょ」
 「だよね、そうだよね」
 「何歳なんさいだろうと、未来はちゃーんとあるの」
 「だよねーっ」
 お母さんの言葉で少し元気になった。
 でも、そこにお父さんがよけいな一言を付け加えてしまう。
 「短いけどな」
 さらに、もう一言――
 「バラ色っていうわけでもないけどな」
 お母さんとわたしににらまれたお父さんは、おどけてぶるいの真似まねをしたけど、すぐにまじめな顔に戻って「だって」と言った。
 「お年寄りの未来が、子どもたちよりも短いのは確かだろ? それに、としを取っていくのは、楽しいことばかりじゃなくて、病気になったり、体のあっちこっちがいたくなったり、いろんなことができなくなったりして……バラ色じゃないよ、やっぱり」
 お母さんはだまっていた。わたしも、なにも言えない。言い返したい気持ちはあっても、どう言えばいいかがわからない。
 「だから――
 お父さんはまじめな顔のまま、続けた。
 「おふくろが人工呼吸器とかを若い人にゆずりたいっていう気持ち、ほんのちょっとなんだけど、わからないでもないんだよなあ」
 ほんのちょっとだけだぞ、と念をして、ため息をついた。
 
 
 城山公園の桜はすっかり散り落ちて、ざくらになった。季節は春から初夏に移り変わる。学校もなんとか、一日おきの授業が始まった。でも、その年の初夏には、さわやかな心地よさは全然なかった。ウイルスに感染した人は、ついに世界中で数百万人に達してしまった。人工呼吸器が足りない。薬も足りない。お医者さんや看護師さんが着る防護服も、りょうようのマスクも足りない。病院のベッドそのものも……。
 目に見えないどんよりとした雲が、世界中におおいかぶさっているみたいだ。
 そんなある日、学校から帰ると、玄関げんかん靴箱くつばこの上におばあちゃんのさいがあった。いつもの置き場所だけど、その日は二つ折りの財布が広げられていた。代金引きえの通販つうはんはらいをしたあと、そのままにしてしまったのだろう。
 財布の内側はカードポケットになっている。クレジットカードや病院の診察券しんさつけんまったポケットに、健康保険証と一緒いっしょに真新しいメモがはさんであることに気づいた。
 なんだろうとのぞむと、〈救急車の方にお願い〉という一言が目に飛び込んできて、思わずメモを広げた。
 〈もしもわたしが重い病気かケガで、救急病院に運ばれた時点で会話のできないじょうたいになっていたら、人工呼吸器や特別にちょうなお薬は使わなくてけっこうです。未来のある若い人たちのために使ってあげてください〉
 メモの最後には、昨日の日付と署名しょめい、さらにハンコまでおしてあった。
 おばあちゃんは、本気なのだ。
 
 
 迷いながらも、メモを財布に戻した。もっと迷ったけど、両親にはだまっておくことにした。もっともっと迷って、おばあちゃんの部屋の前まで行って引き返すのを何度もり返したあげく、なにも見なかったことにしよう、と決めた。
 わりに、いままで以上におばあちゃんとたくさんおしゃべりするようになった。おばあちゃんの教えてくれたことや、やってくれたことに、きちんと「ありがとう」とお礼を言って、どんなときにも「すごーい」「さすが!」とほめるのをわすれない。
 「おばあちゃんの麦茶って、すごくおいしいっ」
 あきれ顔で「冷蔵れいぞうから出してコップに入れるだけなんだから、だれいでも同じでしょ」と言われても、ここで終わるわけにはいかない。
 「そんなことないよ。おばあちゃんのぎ方って、すごくいい。サイコー。スピード感があるっていうかさ、冷たいお茶が冷たいまんま、コップに入っていくんだよね」
 かなり強引だ。
 「あと、おばあちゃんって老眼ろうがんきょうがマジ似合うよね。シニアグラス美女って感じ」
 めちゃくちゃだなあ、と自分でも思う。
 でも、とにかく、自信を取りもどしてしかった。おばあちゃん、まだまだイケてるよ、と伝えたかった。
 未来を少しでもバラ色にしたくて、孫の結婚けっこんの話もしてみた。おばあちゃんの孫はわたしをふくめて四人いて、わたし以外の三人は社会人と大学生だから、そろそろ結婚も「あり」だし、ひ孫だって生まれるかもしれない。
 その話題のときには、さすがにおばあちゃんも前向きになってくれた。
 「そうだねえ、ほんとうに、みんなに幸せになってほしいよねえ」
 しみじみとした笑顔でうなずいた。
 でも、その笑顔のまま――
 「ミドリちゃんたちにウイルスがうつったら大変よ。もしも予防できる薬ができたら、おばあちゃんのぶんは最後の最後でいいから、先にあんたたちが注射してもらいなさいね」
 そういう話じゃないんだけどなあ……。
 
 
 毎日、さいのポケットを確かめた。メモはあいかわらずはさんだままだった。おばあちゃんの気持ちは変わっていないということだ。
 一週間後、わたしはついに勝負に出た。
 おばあちゃんのメモのはくに、こんなことを書いた。
 〈でも、できるだけベストをつくしてください。お願いします。 家族一同より〉
 お父さんやお母さんをんで悪かったかな。でも二人だって、きっとわたしと同じように思っているはずだ。
 最初は知らん顔をしてメモをポケットにもどすつもりだったけど、思い直した。メモを見た救急隊員やお医者さんが迷ってしまっては申しわけないし、こういうのは、やっぱり正々堂々せいせいどうどうとやりたい。
 財布とメモを持っておばあちゃんの部屋に向かった。
 「悪いけど、これ読んで」
 きょとんとするおばあちゃんに「だまって読んじゃって、ごめんなさい」と先回りしてあやまってから、メモをわたした。
 おばあちゃんもメモの正体にすぐに気づいて、ハッとした。わたしの書きみを読むと、さらにおどろいて、顔を上げる。
目が合った。にらんでいるように見えた。
 「わたしが書いたのは、正直な気持ちだから。勝手に書いたのはよくなかったけど、わたしは、本気で、そう思ってるから……」
 しかられてもしかたない。かくしていた。
 でも、おばあちゃんは叱らなかった。わたしをにらんでいたわけでもなかった。おばあちゃんはじっと見つめていたのだ。いろんな思いを込めて、わたしを。
 その目が赤くうるんできた。「ありがとう」と言って、ほほんでくれた。
 メモを丁寧ていねいたたんだ。財布に入れてあったときよりもさらに小さく、何度も折り畳んで、最後は小指のつめぐらいになったメモを手のひらにせて、おばあちゃんは言った。
 「ミドリちゃん、ありがとう。おばあちゃん、とってもうれしかったよ」
 お礼を言われて、わたしもうれしい。でも、なぜか急に悲しくもなってきた。
 「このメモは、もうてるね」
 「……いいの?」
 「うん、いい」
 ほほんでうなずいたあと、おばあちゃんは「でもね」と続けた。
 「もしも、ミドリちゃんとおばあちゃんが同じ病気になって、大切なお薬が残り一つしかなかったら、おばあちゃんは絶対に、ミドリちゃんにわたす」
 「えーっ? そんなの……」
 「いいの、そうしなきゃだめなの。おばあちゃんは、もう年寄りなんだから」
 「でも、お年寄りは大切にしなさいって、学校でも……」
 「若い人のほうが大切だし、子どものほうがもっと大切。そんなの決まってるでしょ。いい? 絶対に、絶対に、そうするから」
 笑顔でしゃべっていて、声もやさしいのに、わたしはどんどん悲しくなってきた。ほんとうにしかられているときよりも、いまのほうがずっと悲しい。
 わたしはうつむいて、つぶやくように言った。
 「……そんなの、『もしも』の話だから、言われたって知らない……わかんない……」
 自分の声を自分で聞くと、なみだが出そうになった。
 おばあちゃんも、それでやっとわれに返ったように話を止めた。
 「ごめんごめん、ヘンなこと言っちゃって」
 あわてて謝って、「もう、この話はこれでおしまい、はい、やーめた」と笑って、メモをゴミ箱にぽとんと落とした。
 
 
 おばあちゃんは言葉どおり、その日も、次の日からも――ずっと、何ヶ月も、何年も、「もしも」の話をし返すことはなかった。
 わたしも話の続きをたずねたり自分から切り出したりはしなかった。しゃべってしまうと、それがほんとうに起きてしまいそうな気がして、なんとなく、口にするのがこわかった。
 だから、おばあちゃんがなぜあのとき「もしも」の話をしたのか、わからずじまい――おばあちゃんはもう天国に行ってしまったから、答えは永遠えいえんにわからない。
 ただ、おばあちゃんは「もしも」の話をしてわたしを泣かせた次の日、ばんごはんに、寿司ずしをつくってくれた。お母さんに、自分から「明日の晩ごはんはひさしぶりにまかせてちょうだい」と言ったのだ。
 「今年はお花見できなかったけど、年に一度は特製とくせい巻き寿司を食べなきゃね」
 おばあちゃんごまんの巻き寿司は、やっぱりおいしい。お父さんやお母さんも「ひと味違あじちがうんだよなあ」「おのかげんがちょうどいいのよね」と口々にほめながら、いくつもおわりしていた。
 おばあちゃんは、そんなわたしたちを見て、「にこにこ」という音が聞こえてきそうなほどうれしそうに笑っていたっけ。
 
 
 世界中の人びとを苦しめたウイルスは、大流行した二年後にワクチンやりょうやくができたおかげで、こわがりすぎなくてもいい存在そんざいになった。
 いまはインフルエンザと同じように、ワクチンの予防接種せっしゅをして、たとえ感染してもじゅうしょうしないように気をつけていればだいじょうぶ。「あの年は大変だったよね」としょうじりに思い出を話せるようにもなった。なにしろ、もう十五年もたっているんだし。
 今年も、流行期の冬を前にクリニックで予防接種をすませた。
 予防接種の帰り道は、いつもおばあちゃんのことを思いだす。
 わたしたちの国では、さいわいなことに、大流行した年も人工呼吸器や医薬品はなんとか必要な分がわたった。
 でも、もしもりなくなっていたら――
 おばあちゃんがウイルスに感染して、あのメモをお医者さんが見たら――
 おばあちゃんがくなったあとも、そのことをよく考える。
 もしお医者さんが「どうします? おばあさんの希望どおりにしますか?」と両親やわたしにいたら、両親はどう答えただろう。
 そして、わたしは……。
 
 
 おばあちゃんは五年前、八十七さいで亡くなった。特別にちょうな薬やりょう機器ききのお世話になることなく、最後はねむるように息を引き取った。
 「天寿てんじゅをまっとうできて、よかった」とお母さんは言っていた。わたしもそう思う。おばあちゃんのメモのことは、本人が亡くなってから両親に話した。お父さんは「おふくろらしいよな……」とつぶやいて、少し目を赤くした。
 お父さんやお母さんなら、どうする? すごくとしを取ってから、あのウイルスみたいなこわい病気が流行はやって、人工呼吸器や薬がりなくなったら、おばあちゃんと同じメモを書く――
 じょうだんっぽく一度いてみようかな、と思いながらも、やっぱり訊けずにいる。
 「ねーっ、そんなのけないよねーっ」
 わたしは半年前に産まれたばかりの赤ちゃんをっこして言った。女の子だ。ハルナちゃん。おばあちゃんと会わせてあげたかった。
 今度の春には、家族そろって城山公園に出かけるつもりだ。ハルナにとっては初めてのお花見になる。「ひいおばあちゃん直伝じきでんの特製巻き寿司、つくってあげるね」と、お母さんはいまから張り切っている。
 

(第2回「おばあちゃんのメモ」了。第3回につづく)

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著者略歴

  1. 重松 清

    1963年生まれ。早稲田大学教育学部卒。出版社勤務を経て執筆活動に入る。ライターとして幅広いジャンルで活躍し、1991年に『ビフォア・ラン』(ベストセラーズ/幻冬舎文庫)で作家デビュー。1999年『ナイフ』(新潮社)で坪田譲治文学賞、『エイジ』(朝日新聞社)で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』(新潮社)で直木賞、2010年『十字架』(講談社)で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』(新潮社)で毎日出版文化賞を受賞。
    著書に『流星ワゴン』(講談社)、『疾走』『とんび』『木曜日の子ども』(KADOKAWA)、『みんなのなやみ』(理論社/新潮文庫)、『その日のまえに』(文藝春秋)、『きみの友だち』『青い鳥』(新潮社)、『希望の地図』(幻冬舎)、『赤ヘル1975』(講談社)、『ひこばえ』(朝日新聞出版)など多数。2013年に『きみの町で』(ミロコマチコ氏との共著)を小社から刊行。

  2. ミロコマチコ

    画家・絵本作家。1981年大阪府生まれ。生きものの姿を伸びやかに描き、国内外で個展を開催。絵本『オオカミがとぶひ』(イースト・プレス)で第18回日本絵本賞大賞を受賞。『てつぞうはね』(ブロンズ新社)で第45回講談社出版文化賞絵本賞、『ぼくのふとんは うみでできている』(あかね書房)で第63回小学館児童出版文化賞をそれぞれ受賞。ブラティスラヴァ世界絵本原画ビエンナーレ(BIB)で、『オレときいろ』(WAVE出版)が金のりんご賞、『けもののにおいがしてきたぞ』(岩崎書店)で金牌を受賞。その他にも著書多数。第41回巌谷小波文芸賞受賞。
    展覧会『いきものの音がきこえる』が全国を巡回。本やCDジャケット、ポスターなどの装画も手がける。2016年春より『コレナンデ商会』(NHK Eテレ)のアートワークを手がけている。2013年に『きみの町で』(重松清氏との共著)を小社から刊行。
    http://www.mirocomachiko.com

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