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答えは風のなか

ぼくらのマスクの夏


 ろうに出て長電話をしていたお母さんは、話が終わると、スマホを手にリビングにもどってきた。
「どうだった?」
 戸口で待ちかまえていたぼくに、さびしそうに笑って、首を横にる。
「やっぱり……だめみたい」
 じょう西さいドルフィンズの保護ほご者会しゃかい連絡網れんらくもうで回ってきたニュースだった。
 ぼくの住んでいる市は少年野球がさかんで、市内に二十あるチームのチャンピオンを決める大会が、春と夏と秋の年間三度も開かれている。その春の大会が、三月からずっとえんされたすえ、六月半ばに差しかかった今日、正式に中止になったのだ。
 四月ごろから、みんな「無理だろうな」とは思っていた。五月頃には「夏の大会に集中するしかない」と気持ちもえていた。
 だから、予想どおり……ではあったけど、はっきり「中止」と言われてしまうと、やっぱりむ。
 ぼくはリビングのソファーにもどって、ダイビングするようにころがった。六年生になって最初の大会だったのに。あとはもう夏の大会しか残っていない。
「元気出せよ、ハルヒコ」
 お父さんが声をかけてきた。「残念だけど、今年は特別なんだから、しかたないって」
 言われなくてもわかっている。
 わかっていることを言われると、スネるつもりはなくても、自然と口がとがってしまい、まばたきの回数がえてくる。
 お母さんが電話の内容ないようをかいつまんで教えてくれた。春の大会が中止になった一番の理由は、スケジュールの問題だった。いまからグラウンドをいくつも予約するのは大変だし、八月には夏の大会もある。
「だったら、無理して春の大会をやるより、夏の大会と一緒いっしょにして、その代わり、六年生にとっては最後なんだから、夏の大会をげようっていう話になってるのよ」
「盛り上げるって?」
「いつもは一発勝負のトーナメントだけど、今年は特別に予選リーグをしよう、って。五チームずつ四組に分かれてリーグ戦をして、一位と二位のチームが決勝トーナメントを戦うわけ」
「ってことは?」
「たくさん試合ができるの。トーナメントだと負けたら終わるけど、リーグ戦だと、予選だけでも四試合できるでしょ」
 へえーっ、とぼくは起き上がった。試合の数がえれば出場する選手も増える――番号ばんごう13のぼくのような、ひかえの四、五番手にとっては、試合に出られる能性のうせいがグッと広がることになる。
 ちょっと元気になった。お母さんもぼくの気持ちをすぐに見抜みぬいて、「ピンチヒッターの出番あるかもね」と笑った。もしもそうなったら、公式戦では初めての打席だ。最後の大会でデビューというのは、六年生としてちょっとずかしくてくやしいけど、とにかく試合に出られるのはうれしい。四年生で入ってからずっと練習をがんばってきたのだから。
「まあ、とにかく――
 お父さんは真剣しんけんな顔になった。「夏の大会までに、少しでもじょうきょうが良くなってるのをいのるしかないよな」
 お母さんもほほみを消して、「せめて、このままでいてもらわないと、こまっちゃうわよ、ほんとに……」とため息をついた。
 ぼくもそれで、あらためて現実げんじつきびしさをみしめた。
 夏の大会が絶対ぜったいに開かれるとは、まだ決まったわけじゃない。春の大会のようにえんになったあげくに中止になるおそれだって、意外と、けっこう、かなり、そうとう、ある。
 お父さんはいきなりかべに向かってお辞儀じぎをして、かしわをパンパンと打った。
 壁には、昔から伝わる妖怪ようかいの絵がってある。お母さんがネットで見つけてプリントアウトしたのだ。
たのむぞ、ハルヒコの最後の大会なんだから、なんとか頼むぞ」
 お父さんは妖怪ようかいおがんだ。
 その妖怪には、悪い病気をはらってくれる力があるのだという。
 
 
 いま、世界は大変なことになっている。
 年が明けたころから新型しんがたのウイルスが世界中に広がって、何十万もの人がくなった。命が助かっても、長い間入院して苦しんだり、重いこうしょうが残ってしまったり……。
 ウイルスはしゃべるときに飛ぶつばせきやくしゃみから感染かんせんするので、出かけるときにはマスクが欠かせない。手でさわったものにウイルスがついていても感染する。だから建物や部屋の中をしょっちゅうしょうどくして、一日に何度も手をあらわなくてはならない。
 それでも感染かんせんは広がる一方だった。人が集まるのが一番あぶないので、さまざまなお店がえいぎょうできなくなり、スポーツや音楽などのイベントも次々に中止になった。外出はなるべくひかえるように言われ、お父さんの会社も出勤しゅっきんが半分にって、残りの日はたくで仕事をするようになった。
 ぼくたちの学校も、三学期の後半はずっと休校だった。卒業式も中止になり、六年生がみんなで校歌を合唱して『かんげいのことば』を言うはずだった四月の入学式は、校長先生のあいさつだけになってしまった。楽しみにしていた五月のしゅうがく旅行りょこうは中止、水泳のじゅぎょうも中止、クラス対抗たいこうの合唱大会も中止……春休み中に郵送ゆうそうされた年間行事予定表に×印を書きんでばかりだった。


 六月からやっと新学期のじゅぎょうが始まった。でも、登校するのは、出席番号の偶数ぐうすうすうに分かれて、一日おき。ぽつんぽつんと間隔かんかくを空けて席にすわらないと感染かんせんしてしまうのだ。
「それってムカつくよな」
 クラスで一番勉強のできるケンちゃんは、せっかく学校が再開さいかいしたのに、すごくおこっていた。
「だって、教室の人数を半分にして感染かんせんぼうするってのは、オレたちの中にウイルスをうつすやつがいるかもしれないからだろ?」
 くつむずかしかったのか、話を聞いていた友だちの半分はピンと来ていなかったけど、半分は「あ、そっか」という顔になった。ぼくもその一人だ。
「でも、熱があったりせきが出てたりしたら休まなきゃいけないんだし、みんな具合が悪くないから学校に来てるのに、ウイルスを持ってるかもしれないって……全然信じてないんだぞ、ひどいよ、オレたちみんな、犯人はんにんあつかいされてるんだぞ」
 うなずいた人数は、さっきよりった。「犯人はんにん」という言葉が大げさすぎたのかもしれない。でも、ぼくには、ケンちゃんがムカつく気持ちはよくわかった。
 もともとケンちゃんとは仲良しだった。学校だけではなく、城西ドルフィンズでもチームメイトだ。チームに入ったばかりのころは「中学や高校も同じ学校に行って、高校はこうえんを目指そうぜ」と話していたけど、六年生になったいまは、それは無理だな、とわかっている。
 ケンちゃんは番号ばんごう1のエースで、打順も三番をまかされていて、しかもキャプテンだけど、けつのぼくにはこうえんは無理だ。だいいち中学生になったら野球部ではなく、化学部に入るつもりだし。
 進路もちがう。ケンちゃんのお父さんはワインバーを三軒さんげん経営けいえいしている実業家だった。ケンちゃんは、お父さんの母校でもあるりつ大学だいがくぞくこうを目指して中学受験をする。ぼくは受験をしないので、地元の市立中学に進む。あと九ヶ月ほどでお別れになってしまうぼくたちだけど、このままだと、卒業までに最後の思い出はできるんだろうか……。

 その日、ウチに帰って、お母さんにケンちゃんの話をした。
 すると、お母さんはこまった顔でほほんで、「でも、もしも学校でみんなにウイルスがうつると大変だもんね」と言った。「人数を半分にするのも、みんなのためにしてることなんだから」
 ぼくたちにウイルスがうつらないように、学校はいろいろ考えてくれている。
 でも、ぼくたちは犯人はんにんあつかいもされている。
「なんか……よくわかんないけど」
 正直に言うと、お母さんも「そうね」とうなずいて、さびしそうに笑った。「お母さんにも、よくわかんない」
「えーっ……」
 そんなのこまる。ほうれると、急に心細くなって顔がゆがんだ。
「ごめんごめん、うそうそ、だいじょうぶ、お母さん、ちゃーんとわかってるから」
 お母さんはあわてて笑った。でも、なにがどんなふうにわかっているのかは教えてくれなかった。
 
 
 春の大会の中止が決まった翌朝よくあさ、教室に入るとすぐにケンちゃんがぼくの席まで来た。
「サイテーだよなあ、信じられないよ」
 ドルフィンズはベスト8がいままで最高の成績せいせきだったけど、去年の秋の大会――つまりぼくたちが最上級生になった初めての大会で、ベスト4に入った。ケンちゃんの投打にわたる大活躍だいかつやくのおかげで記録を更新こうしんしたのだ。
 春の大会も大いに期待されていた。
 実際じっさい、二月にシーズン開幕戦かいまくせんとなる練習試合をしたときには、去年の秋の大会で優勝ゆうしょうしたあさひおかヒルズとかくの戦いだった。最後の最後に競り負けてしまったときにはケンちゃんは目になみだかべるほどくやしがって、試合後に円陣えんじんを組んだチームのみんなの前で「春の大会では絶対ぜったいにリベンジするぞ!」と力強く宣言せんげんした。
 でも、春の大会は中止になってしまった。リベンジの機会は夏にされた。いつものケンちゃんなら、中止を決めたおとなたちにもんを言いながらも、「夏は絶対ぜったいにヒルズに勝ってゆうしょうするからな!」と気持ちを前に向けるはずなのに――
「だいじょうぶかなあ。夏、ほんとにできるかなあ」
 不安そうだった。負けずぎらいのケンちゃんがこんなに弱気になるのは、いままで見たことがなかった。
「だって、今年って、二月の終わりごろからいままで、なーんにもいいことないだろ。じょう最悪さいあくの一年だよ」
 たしかに、いいことはなにもなかった。友だちともほとんど遊べない。野球もできない。小学校最後の年がこんなふうになってしまうなんて、去年のクリスマスのころにはゆめにも思っていなかった。
いやなことばっかりだよ」
 ケンちゃんはぼそっと言った。「サイテーの世の中だよ、ニッポン」
 ぼくはだまってうなずいた。口に出して「わかるよ」と言うと、ケンちゃんの性格せいかくだと、かえってさらにはらを立ててしまうだろう。でも、気持ちはわかる。ぼくも、いまの世の中は、ちょっときらいだ。

 二月の練習試合の数日後、全国の小学校が休校になって、市内の少年野球チームもすべて活動をしゅくした。ケンちゃんは「自粛って自分の意志いしでやめるってことだから、強制きょうせいするのはおかしいだろ」と不満そうだったけど、みんなの反応はんのうにぶかった。「しゅく」という言葉じたい初めて聞いたヤツも多かったし、ぼくだって「粛」という漢字は書けないし。
 四月、ケンちゃんは「チームの練習はできなくてもじんトレーニングをやるのは自由だよな、そんなの本的人権ほんてきじんけんで、憲法けんぽうしょうされてるんだから」とむずかしいことを言って、家の近所でランニングを始めた。
 すると三日後、家の郵便ゆうびんけに両親ての手紙が投函とうかんされた。
 マスクなしで走りまわるのは近所きんじょ迷惑めいわくなので、すぐにやめさせてください、おたくは息子さんにどんな教育をしているのですか、おたくの息子さんのせいでウイルスに感染かんせんする人が出たら責任せきにんを取ってもらいますよ……。
 言葉づかいは気持ち悪いほど丁寧ていねいだったけど、差出人さしだしにんの名前はなかった。
もんがあるんだったら、オレに面と向かってちょくせつ言えばいいじゃないかよ。ひきょうだよ、こんなの絶対ぜったいに、ひきょうだよ」
 ケンちゃんの目は真っ赤だった。同じくやなみだでも、あさひおかヒルズに負けたときとは全然ちがう。リベンジをちかえないくやしさは、ケンちゃんの心の中のどこに、どんなふうにまってしまうのだろうか。

 五月には、あさひおかヒルズがさわぎを起こした。チームは活動かつどうしゅく中なのに、六年生のメンバーが練習をしていたことがわかったのだ。
 大型おおがたれんきゅう中にせんじきのグラウンドにキャンセルが出たのを知った六年生の一人が、「練習しようぜ」と仲間をさそった。みんな運動不足でうずうずしていたので、たちまち十数人が集まった。きょうごうの旭ヶ丘ヒルズには監督かんとくだけでなくコーチも二人いる。その一人――しゅを中心に見ている大学生のコーチに、六年生は「ノックをしてくれませんか?」とお願いした。コーチはまよいながらも、六年生のやる気にこたえてあげようと思って引き受けた。
 もちろん感染対策かんせんたいさくはしていた。練習中は大きな声を出さなかったし、ハイタッチやハグもしなかった。そもそも川敷せんじきのグラウンドは広いし、下級生がいないので人数も少ない。順番にノックを受けてボールを回すだけならだいじょうぶだろう、と考えたのだ。
 ところが、わらの遊歩道を散歩していた人がその光景を撮影さつえいしてSNSにアップしたことで、状況じょうきょうが大きく変わった。撮影した本人ははんするつもりはなかったのに、それを見た人が「おかしいじゃないか」「感染かんせんが広がったらどうするんだ」と言いだしたのだ。
 写真がどんどん拡散かくさんされて、チームのことも知れわたり、市のしょうねんきゅう連盟れんめいで大問題になってしまった。全チームの活動は「しゅく」ではなく「休止」になって、名前や大学までネットにさらされたコーチは「子どもたちを止めるどころか練習を手伝って、おとなとしての自覚に欠ける行動をとった」ということでチームを辞めさせられた。
 六年生はみんなで「悪いのはぼくたちだから、コーチをゆるしてあげてほしい」とうったえたけど、聞き入れてもらえなかったらしい。

「そのコーチって最高にいいひとだよ。ドルフィンズがスカウトすればいいのになあ」
 ケンちゃんはそう言っていたけど、ウチの両親の受け止め方はちがっていた。
にくまれ役になっても止めてやるのが、おとなの責任せきにんだ。大学生とはいっても、一人前のコーチなんだから」
 お父さんの言葉に、お母さんも「そうよねえ」とうなずいた。
「練習したメンバーの中に感染かんせんした子がいなかったから、まだよかったけど……もしも感染者が出てたら大変よ、その子の家族も、両親のつとさきも、みーんなうつってる能性のうせいがあるんだから」
 このウイルスは、感染かんせんしたら全員同じ症状しょうじょうが出るわけではない。重症じゅうしょうして命を落とす人がいる一方で、まったく症状の出ない人もいる。だからむずかしい。感染したかどうか自分ではわからないまま、じつはウイルスをまき散らしていることだってあるのだ。
 症状しょうじょうの出ない人は、若者わかものや子どもたちに多いらしい。だから、ほんとうは、ぼくも――もしかしたら、じつは、すでに……。
 のどのおくがイガイガしてきた。咳払せきばらいしたら、お母さんがいっしゅんピクッとかたちぢめた。
「まあ、とにかく、いまはじーっとしてるしかないよな。なるべくウチにこもって、人と会うのもさいしょうげんにして、うつさないように、うつされないように気をつけてらしましょう、ってことだ。いつかはワクチンもできるんだから、それまでの辛抱しんぼうだよ、なっ」
 お父さんはぼくに向かって言った。でもほんとうはお父さん自身に言い聞かせていたのだろう。
「ワクチンって、いつできるの?」
「ネットに出てたけど、実用化されてみんなに行きわたるのは、早くても来年らいねんっていう話だな」
 お父さんは「二年後だから……まあ、すぐだよ、もうちょっとだよ」と、ため息交じりに付け加えた。
 二年後の「いつか」、みんながワクチンを打てば、ぼくたちはもうウイルスに感染かんせんするのをおそれずにすむのだろう。
 でも、やりたいことがなにもできなかった小学六年生の「いま」は、二年後も「いま」のままだ。ぼくは中学二年生になっていて、小学六年生にもどってやり直すことはできない。タイムマシンがあれば……と想像そうぞうするほど、ぼくはもう子どもじゃない。
 
 
 六月に学校のじゅぎょうが始まったのに合わせて、城西ドルフィンズも活動を再開さいかいした。
 でも、なかなかペースを取りもどせない。三月からずっと全体練習ができなかったし、じんの練習も庭や玄関先げんかんさき素振すぶりをするていのものだったから、みんな、体がすっかりなまってしまったのだ。
 き指やぼくなどのケガをする選手も多い。ドルフィンズではそのていだったけど、別のチームではランニング中に肉離にくばなれを起こした選手や、ファウルチップが顔をちょくげきして鼻血を出した選手もいたらしい。
 ケンちゃんも調子を落としていた。二月ごろとはくらべものにならない。ピッチングではコントロールが悪くなった。むきになってからりを取りにいくせいだ。バッティングもあらくなった。一発長打をねらっておおりをり返しているうちに、すっかりフォームがみだれてしまったのだ。
 でも、それは練習不足だけの問題ではなかった。野球のテクニックというより、原因げんいんは別のところにあった。ぼくはそれをケンちゃん本人から聞かされた。
「ウチの会社、つぶれるかもしれない」
 お父さんが経営けいえいしている三軒さんげんのワインバーが、この春からずっと赤字続きなのだという。ウイルスの感染かんせんが広がるのをふせぐために、飲食店はさまざまな「しゅく」をしなくてはいけなくなった。えいぎょう時間をたんしゅくしたり、席数をらしたり、営業そのものをしばらく休んだり……。お客さんの数もがくんと減った。外食をしたりお酒を飲みに出かけたりする人がほとんどいなくなってしまったのだ。
「とりあえずけんを店じまいして、もともとのお店だけにするって言ってるんだけど、このままだと最後の一軒もちょっとわからなくて……銀行にけっこうお金も借りてるっていうし……」
 中学受験は、やめることにした。ケンちゃんが自分で決めた。
「だって、あの学校、すごくお金がかかるんだよ。金持ちのヤツばっかりだし、入ってからの友だち付き合いも面倒めんどうだから、地元でいいや、って」
 両親は「お金のほうはだいじょうぶだから、気をつかわなくてもいいから」と言ってくれた。でも、ケンちゃんの決心はるがない。
「父ちゃんも母ちゃんも、最後に残すお店、ほんとに大切にしてるんだよ。独立どくりつして初めて出したお店だから、自分の子どもみたいなものだって……ってことは、オレと兄弟だよな。店のオープンはオレが四つのときだったから、オレのほうが兄ちゃん。兄ちゃんだから、弟のピンチを助けてやるのって、とーぜんだよな」
 ケンちゃんはイバってむねった。ぼくを笑わせようとしたのだろう。でも、ちっとも笑えない。ぎゃくに、泣きそうになってしまった。
「ま、だから、中学でもオレら一緒いっしょだ。オレ、野球部のエース決定だな」
 またイバる。今度はぼくも、ちょっとだけ笑うことができた。
 でも、ケンちゃんの強がりも長くは続かない。
「ウチの父ちゃんも母ちゃんも、なーんにも悪いことしてないのになあ。一所懸命いっしょけんめいがんばって、借金しながらお店をやして、それで……コレかよ、なんなんだよ、マジかよ、神さまいねーのかよ、って……」
 だから、全力投球で暴投ぼうとうばかりする。
 ホームランねらいのおおりをして、いきおあまって打席でしりもちをついてしまう。
 活動再開かつどうさいかいの最初の練習試合で、監督かんとくはケンちゃんを先発ピッチャーからはずした。打順も三番から七番に下げた。
 ぼくは番号ばんごう13のまま、最終回に外野のしゅいただけだった。

 七月に入って暑い日が続くと、いくつものチームで、ねっ中症ちゅうしょうで具合が悪くなる選手が出た。それも練習中ではなく、帰り道に頭がクラクラしてすわんでしまうのだ。新聞にもった。練習で体温が上がったまま、マスクをつけて歩いたせいで、脱水だっすい症状しょうじょうを起こしてしまったのだという。
 マスクをつけずに歩いていると「ウイルスをうつすな」としかられるし、マスクをつけて歩くとねっ中症ちゅうしょうたおれてしまう。じゃあ、いったいどうすればいいわけ?
「野球なんてするな、練習で集まるな、っていうことなのよね……」
 お母さんはうんざりした顔で言った。
 七月半ば、ドルフィンズが練習に使っているグラウンドの近所の人から、チームのウェブサイトにクレームの投稿とうこうがあった。練習の前後に子どもたちが集まってさわいでいるのがけしからん、という。
「みんなマスクしてるのよ? それでもだめだって言うんだから、どうかしてるわよ。だいいち、何年も前からグラウンドを使ってて、クレームなんて一度もなかったのに、なんでいまさらそんなこと言いだすのよ」
 投稿者とうこうしゃの名前はわからない。ただ、文末には「近隣きんりん住民一同」とあった。もちろん、ほんとうに「一同」――ご近所がみんなそう思っているのかどうかはわからないけど、チームとしては無視むしするわけにもいかない。保護ほご者会しゃかいで話し合って、練習の前後は私語しご厳禁げんきん、練習の前には早く着きすぎない、練習が終わったらすみやかに解散かいさん、できれば保護ほごしゃが車で送りむかえ……ということになった。
 こんな苦労も、ワクチンができるまでのことなのだろうか。
 でも、そのころには、ぼくはいまよりもっと世の中がきらいになっているかもしれない。

 そして七月の終わり、最もおそれていたたいになった。夏の大会に参加するチームの中から、ウイルスの感染者かんせんしゃが出てしまったのだ。しかも、三チームも、いっぺんに。
 すでに予選リーグの組み分けちゅうせんは終わっていたけど、連盟れんめい健所けんじょや市役所とも相談して、夏の大会を中止することに決めた。
 春につづいて、夏も、ぼくたちはうばわれてしまった。あさひおかヒルズへのリベンジは果たせないまま――勝つか負けるか以前に、戦うことすらできずに、ぼくたちは引退いんたいする。
 春の大会のときと同じように、中止の決定は保護ほご者会しゃかい連絡網れんらくもうで知らされた。
 ろうで長電話をしたお母さんがリビングにもどってくるのも、戸口で待ちかまえていたぼくが返事を聞いてソファーにダイブするのも、そんなぼくにお父さんが声をかけてくるのも、まるで再現映像さいげんえいぞうのように、あの夜とまったく同じだった。
「残念だけど、しかたないな。ハルヒコのくやしさ、お父さんにもよくわかるよ。でも、自分ではどうしようもないことって、世の中にはあるんだ」
 口がとがる。まばたきの回数がえる。
「このくやしさ、いまはグッとみしめろ。なっ? それで、中学校に入ってから、そのぶんもっとがんばればいいんだ。いまはみんなまんの時間だ。まだまだ人生は長いんだから、楽しいこと、たくさんあるさ」
 人生は長くても、「いま」は、いましかないんだけど――
 でも、もういいや。
 がえりを打って、両親になかを向けた。
 
 
 翌朝よくあさ、ケンちゃんが自転車でたずねてきた。
 ケンちゃんも、もちろん、夏の大会が中止になったことは知っている。
 だからこそ――
「キャッチボールしようぜ」
 いきなりさそってきた。
「最後の最後にキャッチボールしたくなったから、付き合ってくれよ」
 ドルフィンズでも、夏の大会がなくなってしまった六年生のために、お別れのイベントを考えてくれるらしい。たぶん五年生との紅白戦こうはくせんか、OBの中学生との試合か、そのあたりだろう。六年生全員に出番があるはずで、ぼくもきっと打席に立てるだろう。でも、たとえヒットを打ったとしても、あんまりうれしくないだろうな、という気がする。
 だったら、それよりも――
「行くよ」
 ぼくがすぐに言うと、自分からさそったくせにケンちゃんは意外そうに「マジ?」とき返した。「いいの?」
「うん……どうせひまだし、やることないし」
「なにスネてるんだよ」
 笑われてしまった。ぼくとしては、けっこうなおに、本音を口にしたつもりだったのだけど。
 ケンちゃんに先に近所のわらに行ってもらって、急いで出かけるしたくをした。
 お母さんにいきさつを話すと、「ぼうとマスク、わすれないでね」と言われた。
「うん……わかってる」
「マスク、暑いかもしれないけど、はずしちゃだめよ」
 うなずいた。でも、みょう納得なっとくのいかない顔になっていたのだろう、お母さんは続けた。
「ウイルスのことを心配しすぎるのって、おかしいと思う、お母さんも。でもね、もともと体の具合が悪いひととか、おとしりとか、万が一うつったら大変なことになっちゃうひともいるんだから……それはわすれないで」
 わかってる。
「ハルヒコがいまウイルスに感染かんせんしてるって、決めつけてるわけじゃないのよ。でも、そういう能性のうせいだって、あるの。で、それがすごく心配なひともいるの。すごく心配なひとにとっては、若者わかものとか子どもを見るだけでも、うたがっちゃうわけ。いやだと思うけど、そういうひともいるの」
 わかってる、わかってる。
「マスクをつけてれば、そのひとたちも少しは安心するんだから、つけてあげなさい。そのひとたちもそうだし、ハルヒコたちのためにも、そのほうがいいでしょう?」
 わかってる、わかってる、わかってる……から、ぼくの口は自然ととがって、まばたきの回数もどんどんえていく。

 わらで待っていたケンちゃんは、マスクをつけていた。ちょっとホッとした。もしもケンちゃんがマスクをしていなくて、ぼくだけがマスク姿すがただったら、なんとなく――理由はうまく言えないけど、気まずくなるところだった。
 夏の大会が中止になったことにもんはいくらでもあるはずだけど、ケンちゃんは「よし、やろうぜ」とすぐにキャッチボールを始めた。
 最初はすぐ目の前で向き合ってボールをトスする。何往復なんおうふくかしたところで、ケンちゃんは言った。
「ウザいおっさんとかおばさんが来たら、チャリですぐにげようぜ」
 マスクをしたまま、もごもごとした声で言って、ならべてめてある自転車にあごをしゃくる。ぼくもマスクしに「わかった」とこたえて、キャッチボールを続ける。
 少しずつきょが広がった。一メートル、二メートル……五メートルぐらいになると、おたがいに投げる球に力がこもり、フォームも大きくなってきた。
 暑い。息苦しい。となりにはだれもいない。ケンちゃんともじゅうぶんに遠ざかっている。たとえどんなに大きなせきをしても、くしゃみをしても、さけび声をあげても、つばのしぶきがだれかにかかる心配はない。絶対ぜったいにない。
 あ、でも、ボールはどうなんだろう。しぶきが指について、その指でボールをさわって、投げて、グローブでって、また投げて……まずいかもしれない。
 でも、それは、ケンちゃんやぼくがウイルスに感染かんせんしていたら、という話だ。ぼくは熱もないし、せきも出ていないし、ケンちゃんも見たところ体調は全然悪くなさそうだ。
 でも、症状しょうじょうが出ないまま感染かんせんしているのなら、平熱でもせきがなくても関係ないことになる。
 でも、平熱で咳もないのに、感染しているかもしれないんだからと決めつけられるのは、やっぱりおかしいと思う。
 でも、ウイルスをうつされることがほんとうにこわいひとにとっては、だれのことも信じられずに、マスクをつけているかどうかだけが、せめてもの安心材料で……。
「でも」がいくつも重なる。どれだけ重なっても、最後に「だから」で話をまとめることができない。
 ケンちゃんはTシャツのそでで顔のあせぬぐい、うっとうしそうにマスクをはずした。
 きょはある。たっぷりある。ボールのことはちょっと心配だけど、ボールにれた指を口や鼻に持って行かないよう気をつけて、キャッチボールが終わったらすぐに手をあらえば、だいじょうぶ……だと、思う。
 暑い。息苦しい。マスクをはずしたケンちゃんは、見るからに楽になって、球の力もした。
 ぼくもマスクをはずした。口元にまっていた熱気がすうっと流れて、少しすずしくなった。ひもけていた耳も軽くなった。



 投げて、受ける。何往復なんおうふくかすると、口元や耳だけでなく、むねおくも軽くなってきた。
 そのときだった。
 向こうからおじいさんが来るのが見えた。まゆり上がっている。マスクなしのぼくたちにおこっているのだろうか。それが、もともとの顔つきなのだろうか。マスクをつけたおとなの人の顔は、みんな、おっかない。気のせいだろうか?
 ケンちゃんは、後ろから来るおじいさんのことに気づいていない。ぼくが教えないと、気づかないままだろう。
 でも、こんなにはなれているのに、マスクをしなくてはいけないの――
 最後の試合すらできなかったぼくたちが、お別れにキャッチボールをしているのは、悪いことなの――
 おじいさんが近づいてくる。つえをついている。体の具合があまりよくないのだろうか。万が一ウイルスに感染かんせんしたら、大変なことになってしまうのだろうか。
 ぼくの放った球を受けたケンちゃんは、気持ちよさそうにワインドアップで球を投げ返す。ぼくもその球を受ける。気持ちよかったかどうかなんて、考えるゆうはない。
 おじいさんが近づいてくる。おっかない顔で、つえをついて。
 マスクは半パンのポケットに入れてある。ダッシュでげ出すための自転車はすぐそばにめてある。
 おじいさんが近づいてくる。
 ボールを持ったまま投げ返さずにいるぼくに、ケンちゃんが両手をかかげて、早く投げろよ、とうながした。
 おじいさんが、近づいてくる。
 おじいさんが。
 近づいてくる。
 おじいさんが――

(第4回「ぼくらのマスクの夏」了。第5回につづく)

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著者略歴

  1. 重松 清

    1963年生まれ。早稲田大学教育学部卒。出版社勤務を経て執筆活動に入る。ライターとして幅広いジャンルで活躍し、1991年に『ビフォア・ラン』(ベストセラーズ/幻冬舎文庫)で作家デビュー。1999年『ナイフ』(新潮社)で坪田譲治文学賞、『エイジ』(朝日新聞社)で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』(新潮社)で直木賞、2010年『十字架』(講談社)で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』(新潮社)で毎日出版文化賞を受賞。
    著書に『流星ワゴン』(講談社)、『疾走』『とんび』『木曜日の子ども』(KADOKAWA)、『みんなのなやみ』(理論社/新潮文庫)、『その日のまえに』(文藝春秋)、『きみの友だち』『青い鳥』(新潮社)、『希望の地図』(幻冬舎)、『赤ヘル1975』(講談社)、『ひこばえ』(朝日新聞出版)など多数。2013年に『きみの町で』(ミロコマチコ氏との共著)を小社から刊行。

  2. ミロコマチコ

    画家・絵本作家。1981年大阪府生まれ。生きものの姿を伸びやかに描き、国内外で個展を開催。絵本『オオカミがとぶひ』(イースト・プレス)で第18回日本絵本賞大賞を受賞。『てつぞうはね』(ブロンズ新社)で第45回講談社出版文化賞絵本賞、『ぼくのふとんは うみでできている』(あかね書房)で第63回小学館児童出版文化賞をそれぞれ受賞。ブラティスラヴァ世界絵本原画ビエンナーレ(BIB)で、『オレときいろ』(WAVE出版)が金のりんご賞、『けもののにおいがしてきたぞ』(岩崎書店)で金牌を受賞。その他にも著書多数。第41回巌谷小波文芸賞受賞。
    展覧会『いきものの音がきこえる』が全国を巡回。本やCDジャケット、ポスターなどの装画も手がける。2016年春より『コレナンデ商会』(NHK Eテレ)のアートワークを手がけている。2013年に『きみの町で』(重松清氏との共著)を小社から刊行。
    http://www.mirocomachiko.com

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