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続・銀河の片隅で科学夜話

フォンターナの月


フランチェスコ・フォンターナは17世紀を生きたナポリの法律家である。彼はナポリ王国の法廷に勤めながら、法律の中には世界の真実を見いだせないと感じていた。ボローニャ人ガリレオの天界における数々の新発見と、それがもたらした異端審問いたんしんもんの話を聞き及んで、フォンターナは星の世界の探索をこころざした。自らみがいたレンズで当時最高性能の望遠鏡を作り上げた彼は、法務のかたわら数年にわたる観測の末、月表面の詳細な地図を作り上げた。そしてそれを美しい装丁とともに、著書「新しい天界と地界の観測」として出版した。そこには他にも、彼が初めて発見した木星のしま様や火星のあざ、さらにまた金星の満ち欠けの様子が、今の基準で見ても正確な銅版画で描かれていた。

 

 Francesco Fontana, Novae coelestium, terrestriumque rerum observationes 1646



しかしフォンターナの天文学者としての名を高めた最大の発見は「金星の月」である。それは1645年のことであった。三日月型の金星の、1/8ほどの大きさの衛星が、金星本体のまわりを動きまわる様子を、彼の書の図版に見いだすことができる。フォンターナの衛星はその後も100年以上の間、カッシーニやラグランジュといった多くの著名な天文学者に追認され、「ネイト」の公称を与えられた。たおれた兵士を守る古代エジプトの戦の女神の名である。17世紀おわりにはネイトの軌道要素も確定した。それによると直径は金星の1/4、公転周期は11日、公転半径は金星半径の67倍で、公転面は黄道面に対し64度傾いている。

話があやしくなったのが1760年代である。当時の天体観測の第一人者ハーシェルが、何度も試みた末、金星の月ネイトを一度も見つけられないと訴えていた。多くの追認の試みが行われた。1761年に5人の観測家による18例のネイト観測があったものが、1764年には2名による8例に減り、1768年にはコペンハーゲンでの報告1例だけとなった。その後ネイトの観測記録は途絶えた。

1887年、ベルギー科学アカデミーが記録の調査に乗り出し、詳細な報告書を作成した。それによると、これまでの観測記録はほぼ全て、金星近くの恒星こうせいの見間違いで説明できるのだという。現在では金星に衛星は存在しないと確定している。

 

 

* * *


この話には不思議な続きがある。今はもう存在しないとしても、大昔の金星には月があったかもしれないというのだ。地球とほぼ同じ大きさで、軌道もそう違わない金星である。地球を含むほとんどの惑星に月があるのに、なぜ金星にはないのか、考えてみれば不思議ではないか。

一つのロマンティックな可能性が、水星が実は金星の衛星だったという説である。太陽の強い引力を受けて、金星からどんどん離れて、しまいに引きがされたというのである。ヴァン・フランダーン、ハリントン両博士は、徹底的な多体問題たたいもんだいシミュレーションを行い、水星の金星衛星起源説を排除できないという報告を、1976年に行っている。しかし天文学者の間でこの説への支持は多くない。主要な難点は、水星が金星よりだいぶ高密度で、両者の金属組成そせいが異なるという事実である。


より有力視されている説は、昔あった衛星ネイトが金星に衝突したというものだ。この説の強みは、金星の特殊な自転を説明できることである。地球を含む太陽系のほぼ全ての天体が、自転も公転も同一方向にまわっているのに対し、金星の自転だけが逆方向なのだ。そして自転速度は非常に遅く、公転周期より少し長い242日、ほぼ止まって自転がないと言いたいほどである。2006年にネイト=金星衝突説を唱えたアレミ、スティーヴンソン両博士によると、これを説明できるシナリオは、次のものだけだという。まず第三の天体が金星本体に衝突して、金星の自転が逆回りになる。自転とネイトの公転が逆向きなため、潮汐力ちょうせきりょくはネイトを徐々に金星に近づける。両者の衝突合体で角運動量が相殺そうさいされて、金星の自転がほぼ止まってしまう。そのような衝突の証拠は金星表面にクレーターや融解の跡として残るはずで、現在計画中の日本=EU合同探査「ベピ・コロンボ」などの、今後の金星の探索が進めば、説の正否がはっきりしてくるだろう。

しかし一体、フォンターナは何を見たのだろうか。望遠鏡をのぞき込んでタイムスリップしたのか。太古の月影が金星をかすめる姿が、真実を求め続けたフォンタナの魂に、何十億年の時を経て幻視されたのだろうか。

1656年、イタリア諸邦の他の街と同様に、ナポリの街を黒死病が襲った。7月、フランチェスコ・フォンターナは病に斃れた。享年きょうねん54歳。時を置かず彼の妻が、そして子供たち全員が犠牲となった。フォンターナ一家の墓所の所在は知られていない。

 

 

 

 

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著者略歴

  1. 全卓樹

    京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第三の故郷。東京大学理学部物理学科卒、東京大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了、博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学。量子グラフ理論本舗/新奇量子ホロノミ理論本家。ジョージア大、メリランド大、法政大等を経て、現在高知工科大学理論物理学教授。
    http://researchmap.jp/T_Zen/

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