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続・銀河の片隅で科学夜話

赤い砂漠の妖精の環

 

アフリカ南西海岸、またの名を「骸骨がいこつ海岸」は死の世界である。ベンゲラ寒流による大気の安定で降雨がほとんどなく、海岸1300kmにわたって赤いナミブ砂漠が広がっている。風と霧の支配する沿岸には、打ち上げられた鯨の骨や難破船が散乱する。

内陸を150kmほど行くと草と低木がまばらに見えてくる。サヴァンナがはじまるのだ。その砂漠とサヴァンナとの境界に不思議な光景が広がっている。藁色、薄緑色の一面の草原あちこちに、赤茶けた土が円状に露出している。直径は2mから20mほど様々であるが、土の円環は見渡す限りに散らばっている。その様子はあたかも、無数に降り注いだ星屑ほしくずのクレーターのようだ。「妖精の環」というのが、このあたりで牧畜を営むヒンバ族の呼び名である。

 

Feenkreise im Marienflusstal (Namibia) by  Thorsten Becker

マリエンフルス渓谷(ナンビア)の「妖精の環」
by Thorsten Becker CC BY-SA 2.0

 

この奇妙な植生の謎の解明に20年以上心血を注いだ生物学者がいる。はるか彼方の北ドイツ、ハンブルク大学のノルベルト・ユルゲンス博士である。

ユルゲンスは毎年撮影した写真を比較して、妖精の環が年々少しずつ大きくなってゆくのをみつけた。大きくなった円環が時々消滅する一方、新しい小さな円環ができてくる。

妖精の環はこの乾燥地の生態系の鍵だ、とユルゲンスは語る。円環の中の土が赤茶けているのは、そこに多く含まれる水のためである。その水分のおかげで、年間雨量わずか 100mm ほどのこの乾燥地に多年草が生息しているのだ。いくつもの種からなる多年草は、露出部と接する円環の部分に特にたくさん、背丈が高いものが生えている。安定して存在する多年草は昆虫たちを、昆虫たちはトカゲやリス、そして鳥たちの生を支えている。妖精の環は目に楽しいだけではなく、この一帯の生態系に、一見貧弱な景観とは裏腹な意外な多様性を与えている、というのだ。

妖精の環はどうしてできたのか。ユルゲンス博士の答えは「スナシロアリ」であった。北から南まで1500km以上にわたる地点で1500以上の妖精の環の調査が行われた。ほぼ全てにおいて常に見出された昆虫は、砂地に棲まうスナシロアリ「プサモテルメス・アロケルス」一種のみであった。

スナシロアリは円環中の露出土の地下に巣を張っていた。そして幾度も円環上の草の根を食いちぎる現行犯の姿で観測された。スナシロアリが食べ残した草の残骸、そして活動の跡を示す小さな盛り土を計測することで、彼らがまるで意図を持ってのように、円環を外へ外へと拡げて行っている様子が浮かび上がる。円環の中の裸の土に偶然生えた草は、すぐに綺麗に掃除されてしまう。いくつかの円環の中ではスナシロアリを餌とする肉食のアリの軍団も観測された。襲われて数を減らし絶滅にひんしながらも、スナシロアリは粛々と草の根をかじって、円環を広げていく。

 

 

マリエンフルス渓谷(ナンビア)の「妖精の環」
by Stephan Getzin CC BY-SA 2.0

 

シロアリとアリは習性が少し類似していて、ともに複雑な社会を作る真社会性しんしゃかいせいの昆虫である。しかし系統からすると全く別の生物で、アリがハチの近縁種なのに対し、シロアリに近いのはゴキブリである。

一つのシロアリの巣には、全員の母である女王一人に加えて、彼女の定まった夫である王が一人いる。次世代を担う王女たち、王子たちを除けば、その他のシロアリは労働者または兵士である。アリとの大きな相違は「男女同権」と「より進んだカースト分化」である。王族だけでなく、労働者にも兵士にもメスとオス両方がいる。完全に不妊ふにん化されていてつがうことはできず、働きぶりに男女の区別はない。シロアリは草食であるため、労働シロアリは鋭いあごを持たず、特別の攻撃用の顎を持つ兵シロアリとの差は歴然としている。

シロアリの人生は単調に見える。労働シロアリはひたすらに植物のセルロースを噛み砕き、巣に持ちかえる。女王と王は、巣の最奥の部屋を決して出ることなく、ひたすら卵を産み続ける。兵シロアリは別の兵シロアリに出会うと匂いを確かめ、余所者だと分かった途端攻撃を始める。仲間の兵がすぐに駆けつけ加勢する。しかし余所者とは誰だろうか。

 

 * * *


兵士たちが戦うのは、近隣に巣を持つ別の王国の兵士たちである。人の目には見えなくとも、一つの妖精の環の地下には、一つのスナシロアリの王国がある。王国どうし領土を巡って絶えず争い続けているのである。円環と円環の間の草地は、兵シロアリたちの国運をかけた戦場である。たくさんの兵士を抱えた大きな王国は、小さな王国を打ち負かして滅ぼしてしまうだろう。そして最後に残るのは、軍事力の拮抗した、どれも同じくらいの大きさの王国だけだろう。それこそが、類似の多くの妖精の環で草原が埋め尽くされている理由である。そう論ずるのはプリンストン大の数理生物学者、コリーナ・タルニータ博士である。彼女は生命界におけるパターン形成研究の、若き第一人者である。

 

ナミブ=ナウクルフト国立公園の「妖精の環」の空撮写真 
by Olga Ernst & Hp.Baumeler CC BY-SA 4.0 

 

タルニータは妖精の環でいっぱいの草原の空撮写真から「ヴォロノイ図」を作ってみた。隣り合った二つの円環の中心から、等距離の点を集めた直線を引く。それは二つの王国の国境線をおおよそ表している。円環二つの全ての組み合わせでこの直線を引き、つなぎ合わせるとヴォロノイ図が完成する。こうして描いたスナシロアリの諸王国の地図を見て、各王国がいくつの隣の国に接しているかを、タルニータ博士は数えあげた。その数の平均はおよそ6であった。これは平面の「最密充填じゅうてん」、すなわちパチンコ玉を箱いっぱいに一段詰めた配置と同じである。シロアリたちの血みどろの戦いの結果、草原の資源は最も効率的に、諸王国のあいだで分割されるのである。

 

 

女王から末端労働者まで、王から前線の兵士まで、全員が王国の維持拡張のため、私を滅して生きるシロアリたち。近未来の人間を待つディストピア社会のような仕組みが、彼ら自身の大きさの何十万倍というスケールで、妖精の環の草原の不可思議な景観を作り上げている。自ら意図も意識もしない大義に捧げられたスナシロアリの灰色の人生。それはなんと哀しくなんと愛おしいのだろう。

 

* * *


南半球のナミビアの1月は夏である。40度を超える暑さ、湿気で重たい空気。湧き出す雲で暗くなった空。それは待ちに待った雨季の訪れである。大地にエネルギーを打ちつけてとどろく雷、数時間にわたる水甕みずがめくつがえしたような豪雨。突然に雨がおさまった青空に映える虹。

数日の雨が景色を一変させる。麦藁色は消えて草原が新緑で満たされる。ピンクや紫の野花が混じる。どこに隠れていたのか、黄色の花が大地の一角を埋め尽くす。さわやかな風が吹き渡り、熱帯の艶やかな花々が一斉に萌え出し、空気は強い香りでいっぱいになる。シマウマたちが、そしてエキゾティックな角のオリックスたちが、妖精の環の草を食んでいる。それはまさに地上の楽園である。

初めてナミビアを訪れ、この夢のような光景に遭遇して、青年科学者ノルベルト・ユルゲンスは言葉を失った。目には涙がにじんだ。そして彼の人生は定まった。

ナミビアの天国的な雨季は短い。すぐに始まる乾季に備えて、動物たちに休む間はない。そしてスナシロアリの巣にも喜ばしい雰囲気が訪れる。新しいはねの生えた王女シロアリたち、王子シロアリたちの結婚飛行がはじまるのである。隷属の哀しみも灰色のディストピアも単なる幻想だった。飛びたって空中で二匹づつ番いになったのち、草原のどこかに降り立ち、二人して新しい王国をはじめるのだ。おぼつかない足取りながら華やいで、彼女ら彼らが順次巣から出てくる。

飛び立て、王女たち王子たちよ! この奇跡の花園も、妖精の環も、あなた達のために用意されたのだから。

 

 

 ナマクアランドの春
by Stephanjvv CC BY-SA 3.0

 

 

 

 




 

 

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著者略歴

  1. 全卓樹

    京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第三の故郷。東京大学理学部物理学科卒、東京大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了、博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学。量子グラフ理論本舗/新奇量子ホロノミ理論本家。ジョージア大、メリランド大、法政大等を経て、現在高知工科大学理論物理学教授。
    http://researchmap.jp/T_Zen/

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