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続・銀河の片隅で科学夜話

位階と不整と文化系統

(1)

人は集団のなかでの序列に敏感である。社会組織には命令系統があって、組織が効率よく機能するためには、なかの二人の人間が出会ったとき、どちらが相手に命令を出せるかが(もしくはどちらも出せないかが)明確でなければならない。PTAや労働組合といった中間団体が、その必要性は分かっていても鬱陶うっとうしく感じられたりするのは、学校や会社といった組織の中の序列を乱し、不確定にするからだろう。

PTA会費で購入した祝祭用プレゼントを、教室で会員の子供だけに配布したいとPTA会長から申し出があったとき、教師はこれを断れるのだろうか。正規の組織規定のどこにもらないこの会長の意思の押し付けは、全ての生徒を公平に扱うという教師の倫理を真っ向否定する、剥き出しの権力のように感じられないだろうか。組織内序列の混乱と軋轢あつれきは、個人にはストレスをもたらし、組織に脆弱ぜいじゃくさをもたらすだろう。

英国ワーウィック大のサミュエル・ジョンソン博士は、この問題を「方向付きネットワーク理論」という数学的概念をつかって解析した。

たとえば今、7人からなる3階層の組織があるとする。メンバーを点(ノード)、指令系統を矢印付きの線(リンク)と見做せば、組織を図1のようなネットワークとして表現できる。図1(a)のような軍隊式組織では、各メンバーの階層的位置に不定性はない。そこで各人の「位階」を次のように定める。まず誰からも指令を受けない者に「位階1」を振る。そして指令を受ける者に、指令を出す者の位階に1を足した位階を順に振っていく。

ここで第2階層のメンバー間に指令関係が発生して、図1(b)のようなネットワーク構造がある状況を考えてみよう。2段目右のメンバーは、いまや位階1と位階2の両方から指令を受けているので、それらを平均して考えれば、その位階は2と3の間の (2+3)/2 = 2.5 と考えることができる。その下にいる2人のメンバーには位階数3.5を振ればよい。

 

図1

 

今度は図1(c)の例を考えよう。中段右には位階1と位階3の2人から指令を受けているので、とりあえず位階数に (2+4)/2 = 3 を振る。一方中段左を見ると、今定めた位階3と最上段の位階1の両方から矢印が来ているため、その位階はやはり (4+2)/2 = 3 となるだろう。しかし話はこれでは終わらない。最下段の者たちの位階は4と書き換えねばならず、その一つから指令を受ける中段右の位階は (2+5)/2 = 3.5 となる。するとそれが波及して中段左の位階は (2+4.5)/2 = 3.25 とせねばならず、その影響で最下段左2名は位階4.25となり…という具合に続いていく。これで全体の辻褄が合うまで計算を続けていくと、しまいに各人の位階は図1cに示したものとなる。

このようにして、複雑な指令系統を持つ組織にあっても、各人の命令系統上の位置付けを与えるのが「生態学せいたいがく位階いかい」または「ジョンソンの位階」である。

上の方法では位階の計算には、誰からも指令を受けない者が最低一人必要となる。しかしこれを一般化した「隣接行列とその転置行列の対称化」という数学的手法を用いることで、この制限を取り払って、あらゆる形態の方向付きネットワーク構造について、ジョンソン位階を定める線形方程式系を書き下すことができる。

ジョンソン位階が定められると、今度はそれを用いて、ネットワーク内の指令系統の混乱の尺度を表す「位階不整いかいふせい」という数を決めることができる。

命令系統に不定性のない場合、矢印の前後のノードの位階の差は1であるが、命令系統が入り組んでくると、それが1からずれてくる。そこで矢印前後の位階の差から1を引いたものの二乗平均を「位階不整」と定義する。これは命令系統に関するネットワーク全体としての方向性の欠如の指標である。組織の中の緊張関係の度合いの指標と考えることもできる。位階不整の最小値は0最大値は1である。それは単純なピラミッド型ネットワークで0となり、リンクの矢印が錯綜さくそうすればするほど1に近づく。

 

 

(2)

あなたは組織の部局長で、3人の部下を抱えているとしてみよう。それは図2(a)のネットワーク構造で表され、位階不整は0である。ついで図2(b)のネットワークで表されるような、2人の部下が何かと理由をつけて、仕事を残り1人に押し付けている状況を考える。一種のいじめである。虐めで悪くなった部局内の緊張関係が、ネットワークの位階不整 q = 0.1 で表せるという、もっともらしい想定をしてみよう。

  

図2

 

 

あなたは何をすべきだろうか。部局の運営にスムーズにするのに、組織の実情を認めて、虐められている1人を自分の監督から外して虐めている2人の管理下に置くことで、図2(c)のような位階不整0のネットワークに変えることが考えられる。倫理的には問題ありそうなこの種の組織運営が、会社や学校でよく見出される理由を、これはよく説明しているように思われる。

部下の間の虐めが双方向で行われ、部局が内乱状態だったらどうであろうか。図3(a)、(b)、(c)の位階不整を比較すると、できるだけ多くの部下へ直接の関与指導を行ってネットワークの位階不整を小さくし、組織の緊張をやわらげるべきだ、という結論になるだろう。諸部族の争いを収めてもらおうと、ヴァイキングを王に招聘しょうへいしたロシアの建国神話なども、このようにして納得できるかもしれない。

 

図3

 

 

 

(3)

ジョンソンが位階不整の概念を発見したのは、サヴァンナ地域の色々な場所の生態系を調査していた時だった。気候変動に対する生態系の耐性が、場所ごと異なる理由を探すうち、耐性の弱いものほど生態系の捕食関係が複雑に入り組んでいることを、彼は見出していた。これを定量化しようとして得たものが位階不整の概念だった。

人間界でも類似の現象を探していたジョンソンが発見したのが、不景気に対する各国の銀行ネットワークの頑強性であった。どの国でも中央銀行を頂点とする銀行間の資金の貸し借りのネットワークが存在する。このネットワークの構造から位階不整を計算して、それに対して各国での不景気時の補助的銀行員の解雇の比率を図示してみたのが図4である。アメリカを特異な例外として、位階不整と不況に対する脆弱性とのゆるい正の相関が見られたのである。

 

図4

https://www.rebuildingmacroeconomics.ac.uk/post/is-trophic-coherence-a-structural-source-of-economic-and-financial-stability

 

社長と同志の仲間たちで始めたヴェンチャー企業が、発展するにつれて組織が複雑になり、しまいに成熟した重い組織の大企業になって、安定とゆっくりとした衰退を生きる、などという典型的な企業史も、位階不整の概念を用いて定量的に調べることで新知見があるかもしれない。

 

 

(4)

ジョンソン位階の概念の力を示す最もよい例が、書籍の翻訳からつくった方向付きネットワークの解析である。ユネスコのデータベースで、二つの言語の間で翻訳された書物 200万冊を調べることができる。これを用いて描かれたネットワーク構造が図5である。ノードは言語で、その大きさが翻訳された言語の多寡たかを表している。矢印は翻訳された書籍で、その太さが表すのは冊数である。これを見ると英語、フランス語、スペイン語、ロシア語あたりが大きな翻訳源となっていて、中国語がそれに次ぐ小規模の源流になっているように見えて、我々多くの持つ普通の常識が裏書きされるようである。

 

 

図5 

 S. Ronen, B. Gonçalves, K. Z. Hu, A. Vespignani, S. Pinker, and C. A. Hidalgo, “Links that speak: The global language network and its association with global fame”, PNAS 111 (2015) E5616-E5622.

 

ジョンソンはこれに、彼の位階概念を加えてみることを考えた。それが図6である。リンクの太さが翻訳冊数に比例するのは同じだが、ノードの大きさはその言語で書かれて翻訳にかかった冊数に比例している。本質的な違いは、ノードの置かれた上下方向の位置である。それは左の目盛りに示された数の位階を表しており、(今までの例とは逆さまに)下に行くほどジョンソン位階でみた上位の言語、すなわち翻訳の流れの源流になった言語なのである

 

図6 

 R. S. MacKay , S. Johnson  and B. Sansom , “How directed is a directed network?”, R. Soc. Open Sci. 7 (2021) 201138 (24pp).

 

一目瞭然なのは、英語クラスターとロシア語クラスター、二つの書籍世界への分離である。フランス語、ドイツ語、スペイン語、日本語といった言語は小クラスターをなしているが、どれも英語書籍の「支配下」に置かれていることが見て取れる。対してロシア語は翻訳された書籍の絶対数こそ少ないが、独自のソースに発して、英語書籍からの翻訳は最小限で、ジョンソン位階でみても英語より上位にある。

二世界への分離以外にも、図を仔細に見ると興味深い点がたくさん見つかる。英語書籍世界の根源には、もちろんギリシャ=ローマの古典書籍があるが、それを近代に媒介したルネサンスの言語としてのイタリア語書籍の痕跡がはっきり見えている。日本語が、スペイン語やドイツ語、フランス語に比べて、比較的多くのロシア書籍の翻訳を持つことも特記に値する。さらにまたイディッシュ語書籍が、英語、ロシア語両世界ともに隠然たる影響を持つことも見て取れる。源流の一つとしてサンスクリット語書籍の現代への隠微で深遠な影響も無視できない。

冷戦の始まりから80年近く、恐らくはもっとずっと長い時間をかけて、世の中は「西側書籍世界」と「ロシア書籍世界」に分かれていたのだ。それぞれの中で育った二人は、世の中の多くの事象に対して別々のナラティヴを持っていて、相手のナラティヴは理解しづらい。場合によっては「あちらの世界の人」から発せられる物語の多くが、フェイク・ニュースに見えてしまうこともあるだろう。

お互いに最小限しか交わらない、違った書籍を読んで育った両世界の住人には、何が正義で何が邪悪か、何が正常で何が異常か、共有されている部分が思いのほか少ないのかもしれない。冷戦後40年近く続いた一極世界でのグローバル化、世界の統合は、両世界の思想や価値観の根本のところでの統合を生み出さなかったようである。そのような世界においては普遍的な正義の観念は成立しない。一方の正義と他方の正義の間の正邪を決めるのは、どちらが相手を屈服させられるかという「力」のみである。それは末法まっぽう阿修羅あしゅら世界に他ならない。

もしもこの国際的不和と暴力の時代の根源に、そのような深い断層があるとすれば、希望は一体どこにあるのだろうか。

 

 

 

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著者略歴

  1. 全卓樹

    京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第三の故郷。東京大学理学部物理学科卒、東京大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了、博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学。量子グラフ理論本舗/新奇量子ホロノミ理論本家。ジョージア大、メリランド大、法政大等を経て、現在高知工科大学理論物理学教授。
    http://researchmap.jp/T_Zen/

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