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一番身近な物体

第二回 脂は敵だから好き

体は生まれてから死ぬまで常にそこにある。でもそれが自分のものであるというのは、それほど自明なことではないのかもしれない――「一番身近な物体」としての体のあり方について、さまざまな当事者の語りを通して考えていく連載。第二回は、摂食障害とともに生きてきたヨウさんのお話です。「感じる」とは何なのか。人はどういうときに感じられなくなるのか。そしてどういう条件が整うと感じられるようになるのか。(編集部)

 

「おいしい」の喪失

 

 ヨウさんは、摂食障害とともに生きてきた方。一人暮らしをしていた大学生のときに症状が出始め、就職、結婚、子育てといったライフイベントの傍らで、摂食障害は常にそこにある存在でした。「今では症状は手放している」と語りますが、その波に揺られた期間は、四半世紀近くになると言います[1]

 ヨウさんの摂食障害は、「過食嘔吐」と呼ばれるタイプでした。ときに胃が苦しくなるほど大量の食べ物を食べ、その後、手を突っ込んだり下剤を使ったりして食べたものを吐き出す。繰り返すうちに自分の意志で制御できなくなり、食べ吐きがやめられなくなってしまう症状です。ヨウさんも、ひどいときには一日三回食べ吐きをしていたと言います。仕事を始めてからは、家に帰るまで待つことができず、帰りの車のなかで「ぶわーっと食べる」ことも。「パンとかイカリングとか(笑)べとべとするんですけど、運転しながら食べます。『あ〜あ、昼間はかっこいい顔しているのに、本当はだめなんだよなあ、なんてダメなんだ』っていう気分でした」。

 ヨウさんは過食嘔吐でしたが、摂食障害には他にもさまざまなタイプがあります。まず、食べる量を極端に制限する「拒食」タイプ。医学的には「神経性やせ症」とも呼ばれます。これとは逆に、「過食」タイプの人もいます。食べる量を調節できずに大量に食べてしまうのです。さらに、この二つの症状の複合タイプ、つまり時期によって過食と拒食を繰り返す人もいれば、ヨウさんのように過食でありながら「嘔吐」という手段を用いて食べた分をキャンセルしようとする人もいます。

 過食嘔吐の特徴のひとつは、外から気づかれにくい、ということです。シンプルな拒食や過食であれば、体型の変化があるので、それ自体が症状のサインになります。しかし過食嘔吐の場合には、うまくやれば体型を一定に保つことができる。また社会的にも、友達といるときなど人前ではもりもり食べ、あとでこっそりトイレで吐く、といったこともできます。でも、だからこそ、ヨウさん曰く「こじらせてしまった」。特に一人暮らしだと、家族にも自分からSOSを出さないと気づいてもらえません。嘔吐のほかに、食べ物を大量に噛んで飲み込まずに吐き出す「チューイング」という症状を持っている人も、同様に気づかれにくい摂食障害であると言えます。

 ヨウさんの四半世紀にわたる波乗りの経験と、現在までの回復の過程は、「感じる」とは何なのかということについて、本質的なことを教えてくれているように感じます。人はどういうときに、感じられなくなるのか。そしてどういう条件が整うと、感じられるようになるのか。

 そもそも「感じるとは何か」は、摂食障害のどまんなかにある問いです[2]。このことは、同じ「摂取」の問題である、アルコール依存症と比べてみればよく分かります。

 確かに、どちらも物質を体内に取り込むことに関する障害である点は共通しています。同じ行動が反復的に現れ、意志の力ではどうにも制御できない点も似ています。若い女性の場合には特に、アルコール依存症と摂食障害の二つの症状を重複しやすいという点も、両者の関連を示唆しています[3]

 しかし、アルコールの場合は、「断つ」ことが可能です。つまり、アルコールを全く摂取しない生活を回復のゴールにできる。

 ところが、摂食障害の場合には、「断つ」ことはできません。アルコールの摂取量はゼロにできても、食べ物の摂取量はゼロにはできない。食べることを絶ってしまったら、言うまでもなく死んでしまいます。

 となると、摂食障害の場合には「ちょうどよく食べる」ことが回復のゴールになってきます。0か1の世界ではない。いったいどこが「ちょうどよいところ」なのか? 有/無の違いは明快ですが、食べ物という自分を誘惑してくる相手を前に、程度の問題を解くのは非常にやっかいです。曖昧なところに線を引かなくてはなりません。

 その線引きができるようになるためには、「ああ、おいしかった」や「もう満足」といった、自分の体の状態を「感じる」ことが不可欠です。しかもこの「おいしい」や「満足」は、単なる食べる量や栄養の多寡という問題ではなく、誰と、どのような状況で食べるか、といった社会的な側面も関わっています。

 先述したように、摂食障害にはさまざまなタイプがありますが、その多くに共通している特徴は、「おいしい」という感覚の喪失です。ダイエットをしようとしてカロリーを気にしていると、「おにぎりを食べる」が「157カロリーを摂取する」という数字の加算になってしまう。前回のnaoさんの言い方を借りるなら「体で食べる」ではなく「頭で食べる」ようになってしまうのです。それが常態化していくと、やがて「おいしい」がなくなり、「満足」も感じられなくなっていきます。

 そのことを象徴するのが、摂食障害の当事者が「食べる」という行為を表すために使う動詞でしょう。つまり、しばしば「食べる」以外の動詞が使われるのです。

 代表的なのは「入れる」です。つまり、食べることが、味わいや楽しさといった感性的な価値から切り離されて、物理的な作業のように扱われているのです。しかも、入れる先である自分の内臓が、体の一部というよりカバンのような対象物として扱われている。まさに体が「身近な物体」になっているのです。ヨウさんは、そこから出す作業についても、「吐く」ではなく「排出」という言葉を使っていました。

 しかし裏を返せば、このことは、ものを食べて「おいしい」という感覚があることは、決して自明なものではない、ということを意味しています。「おいしい」は、場合によっては完全に失うということがありうるような、非常にもろいものなのです。おそらくちょっとしたこと、何かのバランスがわずかに狂っただけで、私たちの「感じる」は、するりと逃げていってしまう。そして、それは容易には取り戻せないほど遠くに行ってしまうものなのです。

 

海ほたるみたいに帰ってこれちゃう

 

 ヨウさんの摂食障害のきっかけは、多くの当時者と同じようにダイエットでした。

 ヨウさんが大学生のころ、ちょうど料理研究家・鈴木その子が流行していました。著書『やせたい人は食べなさい』(1980)で提唱された、炭水化物をとり、油脂を避けるダイエット法。ヨウさんのまわりにも、実践している人がたくさんいました。

 でも、当時一緒にやっていた友達はさっさと抜けてしまった。一方、ヨウさんはそれをこじらせて、四半世紀以上、症状を共にすることになった。やめることができなくなってしまったのです。

 その分かれ道にあったのが、先にもあげたとおり「嘔吐」でした。

 ヨウさんにとって、嘔吐という手段は最初から想定していたものではありませんでした。むしろ「やったらできちゃった」。思いがけず手にしてしまった鍵によって、その後の食べ物との付き合い方が大きく変化していったのです。

 吐くことができるということは、「胃まではセーフ」ということです。胃に入れるだけなら、自分の裁量で、いくらでもなかったことにできる。つまり、「飲み込んだけど、吸収しない」が可能になる。通常の「食べる」であれば、「飲み込む」はそのまま一直線に「吸収する」を意味します。しかし嘔吐という選択肢があれば、この二つのプロセスを切り離し、時間的な猶予を得ることができる。ヨウさんにとって、胃という袋は、「飲み込む」と「吸収する」のあいだに一種のモラトリアムを作りだす器官だと言うことができます。

 この「胃まではセーフ」の構造を、ヨウさんは「海ほたる」というユニークな比喩で表現しています。ここでの海ほたるとは、東京湾アクアラインの途中にあるパーキングエリアのこと。人工島の上に作られており、川崎あるいは木更津方面からやってきた人が車を止め、買い物や観光を楽しみながらしばらく滞在することができるようになっています。

 なぜ胃が海ほたるなのか? ヨウさんはその理由をこう説明します。ポイントは、海ほたるでは、高速道路でありながらUターンができることです。「さいきん思ったんですけど、高速道路みたいな引き返せない一方通行の道ってあるじゃないですか。その入り口で車を通さない方が拒食で、途中まで行けるんだけど無理矢理逆走しようとして、私みたいに逆走がうまくいっちゃうと、アクアラインの海ほたるみたいにUターンして帰ってこれちゃう(笑)。過食の方は、逆走はきらいだったりにがてだったり、どんどん食べられて、向こうまでいけちゃう。でもあるとき、通しすぎちゃった車をいったん止める必要にせまられて、過食と拒食を繰り返したりするのかなって」。

 後にふれるように、ヨウさんは二〇〇五年から自助グループの活動に関わっており、そのため、ヨウさんとは違うタイプの当事者の症状についても話を聞く機会が頻繁にあります。それらを「高速道路」という一方通行が原則の通路のモデルで整理するならば、拒食はそもそも車を入れない人、過食は車をどんどん通せる人、そしてヨウさんのような過食嘔吐の人は、海ほたるでUターンして帰ってこれちゃう人、ということになる。川崎方面から来て、そのまま木更津まで進む(吸収)こともできるし、引き返して川崎まで戻る(嘔吐)こともできる。本来は一方通行である道であるにもかかわらず、逆方向に進む可能性がまだ残されているのが海ほたる=胃だということになります。

 なるほど、と納得する反面、あまり聞いたことのないイメージに、私はちょっと混乱してしまいました。インタビューをしていると、その人の体に対するイメージが豊かな比喩で語られる場面にはよく出会います。たとえば「体が緊張しないように、果汁100パーセントのゼリーのようにぷるぷるさせておく」といった具合にです。その多くはご自身の体と付き合う中で得た実感を比喩にしたものです。

 一方で、ヨウさんの海ほたるの比喩は、どこか解剖学的です。食道があり、胃があり、その先で腸につながっていく一本道。この内臓の配置とその役割について語っているのです。もちろん私も「胃がもたれる」「お腹がいっぱい」といった仕方で自分の内臓の存在を自覚することはあります。しかしそのときの「胃」は食道の先にある器官としてではなく、「みぞおちのあたり」のような単なる位置として理解されています。これに比べると、ヨウさんは、目に見えない身体内部の諸臓器とその関係について、きわめて具体的なイメージを持っていると言えます。

 これは、ヨウさんがふだんから、胃とそこにつながる管に対して強い意識を持っているからこそ出てくるイメージでしょう。海ほたるにいまどんな車が何台くらい停車しているか。あとどれくらい時間が経つと、Uターンに間に合わなくなるのか。そこには、胃を常にモニターするような意識が見られます。

 このことは、同じ摂食障害でも拒食タイプだったカナブンさんの体に対するイメージと比べると違いが際立ちます[4]。カナブンさんには、海ほたるやそれに類する内臓のイメージはありません。なぜなら、彼女には「吐いたら大丈夫、という考えはなかった」から。口に入れた時点で、食べ物からエキスが出てそれが吸収されてしまうと考えていたのです。「胃まではセーフ」のヨウさんとは異なり、カナブンさんにとっては「口からがもう自分の許容範囲外」でした。つまり胃ではなく口のところに、「料金所」があった。

 だからこそ、カナブンさんは「食べたら瞬時にボンと太るイメージ」に取り憑かれていました。食べ物を口に入れた直後に、肩のあたりがふわふわとふくらんでいく感じがしていたのです。本人も思い込みだと分かっているのですが、あまりにありありとうかぶイメージに、焦りを感じてしまう。相対的に下がるのは、内臓のリアルな存在感です。「口に入れた食べ物はどこに行くのか」と聞いても、カナブンさん曰く「考えたことがなかった」。拒食タイプのカナブンさんの場合、口に入れる瞬間に対する意識が強いあまり、そこから先の内臓のイメージが不在なのです。

 「口に入れたらボン」のカナブンさんと、「海ほたるで引き返す」のヨウさん。カナブンさんのイメージはふわふわしていて実体がなく、他方でヨウさんのイメージは解剖学的な内臓の存在感に満ちています。興味深いことに、同じ摂食障害でも、「食」や「吸収」に対する理解の違いによって、スポットライトが当たる場所が変わり、それゆえイメージされる体の範囲やその質が異なるのです。スポットライトが当たらない場所は、意識の外、暗闇に沈んでいるのも特徴です。

 

 きまりに乗っ取られる

 

 さて、こうした体に対するイメージの違いにも表れているように、摂食障害当事者の食の特徴は、「きまり」によって厳格に律せられていることです。「胃まではセーフ」「口に入れた時点でアウト」など、きまりは人によって異なり、それに応じて多様で個性的な食べ方が生まれています。

 きまりは、「どこまでなら食べ物を入れてよいか」という空間的な線引きについてだけではありません。食べてよい食品や食べてはいけない食品、あるいは量についても、人によって細分化された多様なきまりが存在しています。

 典型的なのは「脂」でしょう。多くの当事者と同じように、ヨウさんにとっても、脂は「敵」でした。症状を手放した今ですら、脂を避ける癖は抜けないとヨウさんは言います。

 たとえば焼きそばを作るとき。肉と野菜をフライパンの別のところで炒め、その二つを混ぜないのです。そして自分は肉に触れてないほうの野菜をとる。豚汁を作るときも、先に野菜を煮て、自分の分をとって、それから家族の分の肉を入れる。ご主人が料理してくれたときなどは、少なめだけど肉も食べられますが、自分で料理するときには、そういう「面倒臭いところ」が残っているとヨウさんは言います。

 きまりは食以外にも及びました。たとえば掃除。「二〇代、三〇代のころは毎日朝と夜に掃除機かけてダスキンで全部ホコリをはらわないといけなかったですし、何かしら自分で自分に対するきまりがある。相手に対してはそれほどでもないとは思うんですけどね」。きまりが自分に対するきまりである、ということは重要でしょう。「〇〇せねばならない」という規範を何重にも設定することによって、自分で自分を拘束する。規範に従うという点だけに注目すれば「真面目」「しっかり者」「努力家」とも見えますが、きまりに従うこと自体が目的化し、「部屋を清潔に保つため」といった本来の目的が見失われていくと、どこか「きまりに乗っ取られている」ようにも見えます。

 掃除に加え、衣服についてもきまりがありました。ひとつはベルト。「一〇代から三〇代の症状がひどいときに、デニムとかを履くと太いベルトをしないと気が済まなかった」。ヨウさんは、茶色と黒のベルトを持っていて、一年中それをしていたと言います。もうひとつはガードル。こちらは現在でも手放すことができていないきまりです。「今、はずれるといいなと思っているのは、お腹から腿まであるガードルをいまだに履き続けていて(笑)、それがやめられたら本当に自由になるのになあ」。

 注意しなければならないのは、過食嘔吐タイプのヨウさんの場合、食に対するきまりは常に両義的な意味を持つということです。「胃から先はダメ」は、見方を変えれば「胃まではセーフ」でもある。「飲み込む」と「吸収する」を切り離すモラトリアムがあるからこそ、忌避すべき対象であったとしても胃までは入れることが可能になります。

 この両義性が、「忌避すべきだからこそ入れる」という倒錯的な状況を生み出します。脂に関しても、過食嘔吐していた頃のヨウさんは、むしろ積極的に胃に入れていたと言います。「脂は敵ですよね。脂は敵だから逆に好きなんですよね。過食の材料にはなるんです」。冒頭で引用したように、車の中で真っ先に食べていたのも、イカリングのような脂っこいものでした。だめだなあと思いながら、そうせずには生きて行けなかった。「症状がなければ立っていられないような感じだったんです。外に対して、いい格好していられなかった」。naoさんと同じように、ヨウさんにとっても、摂食障害は症状であると同時に生きるためのコーピング(対処法)でした。

 過食嘔吐というと、「食べ過ぎたからその分吐く」というイメージがあります。つまり、食べたという事実をなかったことにする、という「キャンセル」としての嘔吐です。しかし、ヨウさんの話を聞くと、ことはそれほど単純でないことに気づかされます。つまり「敵だから好き」、つまり「禁止されているから食べる」という側面もある。食べたから吐くのではなく、吐くことを前提に食べるのです。

 つまり、掃除が「部屋を清潔にする」という本来の目的から切り離されていったように、過食嘔吐も、吐くことを前提に食べるという側面が強まるにつれ、「ダイエットするため」という本来の目的から切り離されていくのです。たしかにきっかけはダイエットだったかもしれない。でも、過食嘔吐という行為の反復のなかで、それがルーティンと化し、目的の在処が逸脱していくのです。

 もちろん「太らないこと」は前提として保証されている必要があります。でも、そこにあるのは「入れて出す」というルーティンに乗っ取られた状態です。その「止められなさ」は、天気予報で明日雨だとわかると、次の日の分まで買い出しに行ってしまうほどだった。ヨウさんは言います。「体のほうが止まらなくなってた感じですもんね。頭はやめたいんだけど、体は買い出しに行っちゃう」。

 乗っ取られた体で買い出しに行くと、世界の見え方も変わってきます。ヨウさん曰く「スーパーに入っても、消化するものと消化しないものというふうにしか目に映らない」。つまり、食べ物を見ても、それが「パン」や「キャベツ」である以前に、「消化用の食べ物」か「過食用の食べ物」にしか見えなくなってしまうのです。お金に関しても、ヨウさんは「家の財布と過食用の財布を分けたり」していた。「合理的ではない」「面倒くさい」とヨウさんは語ります。

 

 「やめる」ではなく「さぼる」

 

 そんな「乗っ取られ」状態にあったヨウさんはどんなふうにして症状を手放し、現在のような状態にまで回復していったのでしょうか。

 最初にあったのは意外な変化でした。過食嘔吐をやめるのではなく、むしろそれを積極的に行うようになったのです。そのときの変化をヨウさんはこう語ります。

 

泣きながらやってる時期もあるんですけど、回復を重ねていくとき、その入り口のときには、楽しめるようになるんです。(…)「今日は家に誰もいないから、過食嘔吐し放題だ!」みたいな感じです(笑)。ニコニコして「今日はやるぞ!」って。

 

 過食嘔吐し放題だ!とはずいぶん晴れやかな宣言です。そう、回復の入り口にあったのは、過食嘔吐をやめようとする努力や強い意志ではなく、それが楽しめるようになるという気持ちや目線の変化だったのです。それまで過食嘔吐は「やってはいけないこと」「恥ずべきこと」でした。自己嫌悪に陥り、泣きながらやる日もあった。ところがそれが、「喜ばしいこと」「没頭したいこと」に変わった。思う存分楽しみたいポジティブな出来事に変化したのです。

 興味深いのは、この変化を語るときに、ヨウさんが過食嘔吐後ではなく過食嘔吐前の気持ちについて語っていることです。つまり、「楽しかった」だけではなく「楽しみ」な気持ちについて語っている。「今日はやるぞ」という表現も、行為前の期待感を表しています。

 このことが意味するのは、過食嘔吐に対する意味の変化が、「ネガティブ→ポジティブ」という価値的な変化のみならず、「行為後→行為前」という時間的な焦点の変化をも伴っている、ということでしょう。つまり、二つの変化をまとめて言うなら、「行為後の自己嫌悪」から「行為前の期待」へ、という変化が起こっている。前者においては、行為自体がルーティン化しており、むしろ行為前のヨウさんは「止められない」という時間を生きていました。ところが後者になると、行為前に余裕ができ、ルールではなく出来事を予見する際のわくわく感が生まれています。

 以前の状態と比較すると、この期待そのものが大きな「中断」であることに気付かされます。前回の連載で、naoさんが「切れ目ないメロディをずっと奏でている」状態に陥っていたことについて検討しました。ずっと働いている状態を止めることができず、疲労を感じられなくなった果てに、naoさんの体は強制的に停止しました。ここでヨウさんに起こっているのも、形は違いますが、それまで自分を乗っ取っていた連続性からの離脱です。過食嘔吐という同じ行為が、「ルーティンの反復」ではなく、「あらたな出来事の始まり」に感じられている。「期待」はそこに生まれる感情であると言えます。

 ここに「感じるとは何か」を考えるうえでの大きなヒントがあるように思います。自分で定めたルールを離れることは、一方で「〇〇せねばならない」という規範を棚上げすると同時に、ルーティン化した行為の連続を中断することでもあります。それはとりもなおさず、今から始める行為の一回性を認識するということに他なりません。ヨウさんが「今日はやるぞ!」と前向きになるとき、変な言い方になりますが、そこには「今日の過食嘔吐のかけがえのなさ」があるように思います。

 人が何かを感じられるとき、そこには必ず新しさの知覚があります。表面的には昨日も一昨日もやってきたことかもしれないけれど、今日のこの一回には、昨日や一昨日とは違う何かがある。その差分が「感じる」になります。「〇〇せねばならない」の規範性と連続性を離れること。それが可能になったときに初めて、未知の可能性に出会うこととしての「感じる」がやってきます。

 さて「過食嘔吐し放題だ!」を経験したヨウさんは、「過食じゃなくても面白いことがほかにでてきた」。そして過食嘔吐することが「面倒くさくなってきた」と言います。「食べ物を買ってくるところから始めなくちゃいけなくて、それが面倒臭くなったんですね(笑)。『あ〜、今日はもう面倒くさいな、もういいかな〜』って」。強い意志によって「やめる」というより、面倒くさくなって「さぼる」。そんなところから、ヨウさんは、ルーティンから一歩また一歩と離れていきます。

 同時に、食事の社会的な側面も目に入ってきます。消化するもの/消化しないものという二分法でしか見ていなかった食べ物が、楽しかった食事の記憶に支えられて、「食べても吐かない可能性」が広がっていくのです。

 

あとはすごく仲のいいお友達とランチに、もちろん私が食べられるランチなのであんまり脂っこくないものなんですけど、一緒に行ったんです。通常なら家に帰って速攻出しちゃうんですけど、すごく楽しかったので、それを出して嘔吐で終わらせたくないという気持ちが出て、「ああ、別に吐かなくても済んだな」って。そんなことが重なって、だんだんその感覚が離れていって、「まいっかな、まいいや」みたいな感じになっていきました。

 

 「出して嘔吐で終わらせたくない」という気持ちは、まさに友人とのランチの一回性、かけがえのなさを表しています。そこに「感じる」が生まれている。そして、それが「食べたら吐かなければならない」という命令の外側にある選択肢、つまり「吐かずに済む」という可能性の発見につながっていくのです。ヨウさんの経験が教えてくれるのは、きまりから自由になるために必要なのは、それに従おうとする衝動を否定する意志の強さではない、ということです。必要なのはむしろ、きまりの外側にあるものに気づく出会いの経験なのです。

 

 原因さがしと回復のプロセスは違う

 

 このように考えていくと、そもそも回復とは何なのか、という疑問にぶちあたります。

 西洋医学においては、病態から回復するためには、病気の原因をつきとめ、それを取り除くことが治療の主になります。もしがんが見つかったら、外科手術によって病巣や臓器を切除したり、放射線治療によってがんを小さくしたりする。そうした治療が一般的に行われています。

 しかし、ヨウさんの話を聞いていると、回復のプロセスと原因の除去は必ずしもイコールではない、すくなくとも全てではない、という気がしてきます。

 というのも、ヨウさんは、前項であげたものに加え、一見すると食とは全く関係なさそうなエピソードも、「症状が変わったきっかけ」としてあげているからです。具体的には、以下の二つのエピソードをヨウさんは話してくださいました。

 まず、転職をしたこと。もともとは古美術を扱う美術館で働いていましたが、引っ越しによってそこをやめざるを得なくなりました。新たに見つけた職場は、おなじ美術系でもコンテンポラリーアートを扱うギャラリーでした。古美術の場合は価値の評価がある程度定まっているけれど、コンテンポラリーアートだと「これが作品なの?」と思えるような作品も展示される。ヨウさんは「すごく新鮮なギャップがあった」と言います。

 二つめは、生まれてきた子供に難病があったこと。ヨウさんの娘さんは、メビウス症候群という日本に千人くらいしかいない病気をもって生まれてきました。顔面神経麻痺と外転神経麻痺があるため、表情がありません。さらに四肢形成不全があり、右足が不完全でした。ヨウさん自身も苦労をかかえるなかでの子育てでしたが、彼女を産み育てていくうちに、「『ああ、いいじゃん、この子自分で飲み食いできるし、足はないけど歩けるし、すごいじゃん』みたいに思うようになった」。娘さんの右足が北海道の礼文島の形に似ていたので、家族で礼文島に旅行に行った、とも教えてくれました。

 この二つのエピソードを通して、ヨウさんは、「『ま、いいか』という視野が広がった」と語ります。コンテンポラリーアートも、娘さんの存在も、「美術はこういうものだ」「健やかとはこういうものだ」という誰もが持っている思い込みの外側へと、ヨウさんを連れ出すものでした。ヨウさん曰く、それまで「木を見て森を見ず的な感じ」だったのが、「『え、これでもいいのか』とか『こんなことするの⁈』みたいな考え方を体感として知った」。回復のきっかけは、それまで自分が目を向けていなかったもの、いわば死角にこそ存在するのです。 

 「偶然によるところが多い」、と振り返ってヨウさんは言います。こうすれば回復するという分かりやすい筋道はなく、人によって違う、千差万別の回復がある。もちろん、偶然といってもよき支援者の出会いや、その偶然をつかみとるヨウさんの好奇心や柔軟さがそこにあったことも見逃してはなりません。その上で、回復があくまで「やってくる」ものであって、体を支配して制御する先にたどり着くものではない、という視点は大きな示唆を含んでいるように思います。

 だからこそ、自分を固めてしまわないことが重要なのではないか、とヨウさんは言います。「こういう子が摂食障害になりやすい」とか「母親との関係がうまくいかないことが摂食障害の原因だ」といった言説を当事者が耳にすると、それを間に受けて、自分もそうなんだと思い込んでしまう。

 ヨウさんが、自助グループの運営に関して、「仲間化しない」ことを心がけているのもこのためです。「自助グループに来て、言いたいことを言って、それっきりでもいいですし、使えるんだったら使うツールみたいな感じですね」。「ちょっとつながるだけで、切れちゃってもいいかなと思います。いろんな自分を使い分けているし、それが当然だと思うので」。

 実は、自助グループとは違いますが、ヨウさんも自分を固めてしまっていた時期があると言います。カウンセリングをたくさん受け、原因さがしに奔走していたのです。「父親の関係がこうで、とかあのときの言葉がこうで、と思い出すたびに固めちゃっていくんですよね。そうすると、摂食障害もそれが原因だったのかと思っている時期が長くなって」。

 でも、原因だと思っていたお父さんが亡くなり、ヨウさん自身も新しい家族を得て子供を二回産んでも、症状は止まらなかった。父親との関係ですべてが決まっていたわけじゃなかった、とヨウさんは言います。「一〇代まですごした家族だけが原因ではない、というのが、こじらせてみてわかりました」。

 自分が抱えている困難の原因を知ることは、ひとつのナラティブを手に入れることに他なりません。それはその人を安心させたり、自分と向き合う手がかりになったりするでしょう。あるいは、その病気や症状が社会的に問題になっている場合には、対策を講じる上でのヒントとなるかもしれません。

 しかし、ひとりの人間の回復を考えるうえで、その原因とされたものを敵とみなし、そこからの影響をなくすことに注力することは、場合によっては必要だとしても、それがそのまま回復の道につながるとはかぎりません。「自分はこういう人間だ」と思いこんでいる人間像の外側、「自分はこうあってもいい」に出会うことが回復なのだとしたら、ナラティブを固定することは、場合によっては逆効果にもなりえます。回復が、単にその症状を獲得する前の自分に戻る一種のタイムトラベルでないのだとしたら、それは「自分でありながら自分でないような自分」を再定義するという未来の開かれた前向きな営みであるはずだからです。

 

 

[1] ヨウさんへのインタビューの全文は、こちらで公開しています。

[2] 医療人類学者の磯野真穂は、医学における摂食障害に対するアプローチが、あまりに要素還元主義的であったために、「食べる」という体験そのものを捉え損なってきたことを指摘している。「現行の医療モデルで到達できない領域とは、ふつうに食べられない人々の食についての体験である。現行のモデルは個人の病理を探るという現代医学においては標準的な考えをベースとし、個人を心と身体の二領域に分け、それぞれの中に異常を探し出そうとする」(『なぜふつうに食べられないのか』春秋社、2015、5頁)。こうした問題意識から、磯野は、当事者の経験に基づいて分析するというアプローチをとっている。「感じることの回復」という点で力点は異なるが、本稿はこうした磯野のアプローチに示唆を得ている。

[3] 厚生労働省サイトによれば、女性患者の11%に摂食障害が重複し、20歳代では72%に摂食障害、とりわけ神経性過食症が認められたとされている。ただし1990年代に発表された数字であり、現代では状況が変化している可能性がある。

[4] カナブンさんへのインタビューの全文は、こちらで公開しています。

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著者略歴

  1. 伊藤亜紗

    東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。専門は美学、現代アート。主な著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)〔のちに『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)〕、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社メチエ)、『きみの体は何者か』(ちくまQブックス)、『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』(文藝春秋)、『感性でよむ西洋美術』(NHK出版)など多数。

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