朝日出版社ウェブマガジン

MENU

遊びのメタフィジックス ~子どもは二度バケツに砂を入れる~

 世界は遊びにあふれている。むろん子どもはよく遊ぶし、よく遊ぶ大人もいる。だが、そもそも遊びとは何なのか。なぜ、ただ走り回ることも、カフェでのおしゃべりも、遊びなのか。きっと私たちは何であれ遊ぶことができる。食事や散歩も遊びになるし、ゲームやスポーツでも遊べる。勉強や仕事さえ遊べる人もいるだろう。とはいえ、これらの遊びは遊びでしかないわけではない。それらは遊ぶこと以外の理由があって遊ばれるからである。たとえば、あり余る元気が子どもを走らせるのかもしれない。また、大人は気晴らしにカフェに行くのかもしれない。だが、世界には遊びでしかない遊びがある。それは遊ぶこと自体のために遊ばれる。遊びを探究するなら、これを哲学すべきである。なぜなら、これは遊びでしかないからである。たしかに子どもは遊んでしかいないことがある。でも、遊びでしかない遊びが遊ばれるとき、そこには何が起こっているのだろうか。どうしたら遊びでしかない遊びを遊べるのだろうか。

著者略歴

  1. 成田正人

    成田正人(なりた・まさと)
    1977年千葉県生まれ。ピュージェットサウンド大学卒業(Bachelor of Arts Honors in Philosophy)。日本大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程修了。博士(文学)。専門は帰納の問題と未来の時間論。東邦大学と日本大学で非常勤講師を務める傍ら、さくら哲学カフェを主催し市民との哲学対話を実践する。著書に『なぜこれまでからこれからがわかるのか―デイヴィッド・ヒュームと哲学する』(青土社)がある。

ジャンル

お知らせ

ランキング

閉じる