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【試し読み】慣れろ、おちょくれ、踏み外せ――性と身体をめぐるクィアな対話(森山至貴×能町みね子)

はじめに/森山至貴

『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ ――性と身体をめぐるクィアな対話』(森山至貴・能町みね子著)では、社会学者の森山至貴さんと文筆家の能町みね子さんが「クィア」の思想やスピリットをめぐって、「性別」「恋愛」「結婚」「家族」「幸福」「未来」「アイデンティティ」といった、人生に直接的にかかわる概念を、具体的なトピックを足掛かりに、スリリングに紐解きながら、社会の普遍的な仕組みの不安定さを浮き彫りにしていきます。今回は、本書の「はじめに」を公開いたします。ぜひお読みください。(編集部)



はじめに


 クィア・スタディーズ、あるいはその根本にあるクィアな発想について、対談形式の本を作ってみませんか、と編集の仁科さんからお声がけをいただいたのは、新型コロナウイルスが猛威を振るっていた二〇二〇年の四月でした。一も二もなく、「作りたいです!」とお返事したのをよく覚えています。というのも、研究者としての私の文章はどうしたって硬いものになりがちで、話し言葉ならクィア・スタディーズについて、もっとざっくばらんで伝わりやすい言葉を使って説明することができる、と思ったからです。

 幸いなことに、能町みね子さんという素晴らしいお相手に恵まれ、企画は順調に滑り出した……のですが、私は対談を、というより対談形式の本を作るということの大変さをわかっていなかったことに気づきました。言葉が、出てこないのです。

 授業でも論文でも、じっくりたっぷりと準備し、そのなかから厳選したものを並べて提示することには、私はそれなりに慣れていると思っていました。しかしその「厳選」とは、実のところ、そうぎっしりと詰まってもいないタンスの、いくつかの引き出しを少しだけ開けて中身を見せる程度のことでしかなかったことに早々に気づかされたのです。編集の仁科さんや鈴木さん、そして何よりも能町さんの鋭い言葉の数々に応えるうちに、いつも開けている引き出しの中身はあっという間にすべて取り出してしまい、他の引き出しを引っ張り出して逆さにしてももう大したものは出てこない。困りました(あまりに困ったので、あとからの大幅な加筆をお許しいただいたほどです)。

 ということで、ここからお読みいただく6つの対話は、自由自在で核心を捉えた能町さんや編集のお二方のさまざまな言葉を受け止めようとする私の、七転八倒の記録でもあります。とはいえ、引き出しを全部開けて逆さにして振ってみせるのは、意外と悪いことでもなかったのかな、と思っています。おかげで私のタンスの引き出しの奥のほうに隠されていた迷いやためらい、矛盾までもが、余すところなくさらけ出されてしまったからです。逃げも隠れもしません、この本には、私にとってクィアとは何なのかの現時点での答えが、すべて詰まっています、と今は言いたい気分です。

 ……いや、これはいくらなんでも格好をつけすぎかもしれません。実際には、私がひとりで七転八倒している横で、能町さんは飄々
と、淡々と、金言としか呼びようのない言葉を次から次へと繰り出していた気もするのです。ただ、その数珠つなぎのような金言を引き出す触媒の役割を私が果たすことができていたなら、七転八倒した甲斐もあったのではないかな、と今は思っています。

 もっと欲張りなことを言えば、やはり私が能町さんと、能町さんが私と対話したことによってしか出てこなかった言葉が、この本の中に記されていればいいな、とも思っています。それこそが対談の面白みですからね。読者のみなさんにそういう言葉が少しでも届けられたらよいのですが。


 肝心の対話の内容について説明します。本書には、編集者のお二方の質問、そして能町さんと私の互いに対する手紙を出発点としてなされた、6つの対話が収められています。「LGBT」という言葉に回収されない性の多様性について語るところから始まり、能町さんも私も(あえてこうまとめるならば)「セクシュアル・マイノリティ当事者」であることに対する率直な心境の吐露とそこから見える景色を共有したうえで、好戦的であり、とどまるところをしらないクィアの懐疑と批判のスピリットを、具体的なトピックの間を縫いながら能町さんと私のふたりで味わっていく、という流れです。対談と執筆が新型コロナウイルスによる感染症の流行の時期と重なったこともあり、この話題についての会話が多く含まれているのも本書の特徴と言えると思います。

 「普通」や「みんな」という言葉に己を託したり託さなかったり、託せたり託せなかったりする読者のみなさんを、風通しのよい、というよりは強風吹きすさぶ場所へと連れて行ってしまおうというのが私たちの企みです。どうぞ、遠くまで吹き飛ばされてください。


 本書の編集にあたっては、仁科えいさんと鈴木久仁子さんのおふたりに大変お世話になりました。新型コロナウイルスの猛威をくぐり抜けながらおふたりと本を作り上げることができたこと、とてもうれしく思っています。佐藤亜沙美さんには、能町さんと私の対話に息づくグルーヴ感や、そこから滲み出す本書のスピリットを見事に表した装幀を手がけていただきました。みなさん、ありがとうございました。

 また、編集協力の小西優実さんには、トランスジェンダーにまつわる事項を中心にとくに私の発言に含まれるたくさんの問題点をご指摘いただきました。読みやすさを優先し、それらの点を私が最初から把握していたかのように改稿を加えることにしましたが、本書で私が「専門家」として語っていることに正しさが宿っているとすれば、その少なくない部分は小西さんの指摘に負っていることをここに告白しておきます。小西さん、ありがとうございました。もちろん、本書の記述に問題があるとすればその責任は著者ふたりにあることは言うまでもありません。

 そして何より対談のお相手をしていただいた能町さん、本当にありがとうございました。能町さんに開けていただいた引き出しに新しい知識や感覚が収まっていく対話の時間は、私にとってとてもクィアな快楽に満ちていました。私たち、けっこう面白い対話ができたと思いませんか?




二〇二三年五月 森山至貴

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  1. あさひてらす編集部

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