71歳パク・マンネの人生大逆転 editor's note
韓国のベストセラーが『71歳パク・マンネの人生大逆転』(パク・マンネ+キム・ユラ著、古谷未来訳)となって発売されました! ということで編集担当として少しエピソードを交えつつ紹介してみたいと思います。
原書のタイトルは『パク・マンネ、このまま死ぬわけにはいかない』(박막례, 이대로 죽을 순 없다)。書名だけでなく表紙もオリジナルと日本語版とではけっこう違います(翻訳書の場合、出版される国の市場に合わせて書名や装幀を変えることが許されます)。インパクトあるこの表紙が飛び込んできたのは昨年の夏、韓国・ソウルの教保文庫カンナム店にて。選書のお手伝いで立ち寄った書店で、同行していた「私的な書店」のジョン・ジヘさんに「こ、このおばあちゃんは誰ですか?!」と聞いたのがすべての始まりでした。「韓国ではとても有名なユーチューバーおばあちゃんです!」とジヘさん。速攻、本を買って帰り、版権の空き状況を調べました。
右が先日刊行したばかりの日本語版、
左が昨年5月刊行の原書(韓国語版)。
そのおばあちゃんとはーー世界にチャンネル登録者130万人。いまや韓国の“国民的おばあちゃん”とも言える存在になったパク・マンネさん(73歳)ですが、その半生は壮絶でした。農家の末娘(「マンネ」には韓国語で「末っ子」という意味がある)に生まれ、女だからとハングルも習えず家事手伝いに明け暮れて青春を素通り、20歳で結婚した夫は「クソ野郎」でひとりで3人の子育てに奔走。土方から花売りまで何でもやったけれど2回も詐欺に遭って人生どん底……な先にソウル郊外に小さな食堂を開いてからは40年間毎日夜明けの4時に厨房に立ってきました。
そんなマンネおばあちゃんに転機が訪れたのは71歳のとき。ある日、病院で認知症の恐れがあるとの診断を受け、孫娘のユラさんが駆けつけます。「おばあちゃん、オーストラリアに行こう!」
「私たちが行くところがどこだって?」
「ケアンズ」
「ケオンドゥ?」
「ケアンズ!」
「ケウォンド?」
「ケ・アン・ズ!」
「ケオンジ?」
笑。そこで撮った動画をYouTubeにアップするやいなや(最初は2人ともYouTubeが何なのかさえ知らなかった)いきなり100万回再生! その後のまさに「大逆転」な人生はぜひ本書をご覧になってのお楽しみ。(悪)口の達者なマンネおばあちゃんと“プロデューサー”孫娘の世界珍道中に花を添えるのは、ステーキを「けだもん臭い」と言ったり、スマホの撮影翻訳機能を「魔術師」と呼んだり、「オメ!」「オメオメ!」(オーマイガー的なやつ)を連発したりするおばあちゃんのアク強めな全羅道(チョルラド)なまりの発言なのですが、昨年末、全羅道の光州に自主滞在してまでそれらを活き活きと訳してくださった訳者の古谷未来さんによると、全羅道方言は日本語なら関西弁というより広島弁かな……ということでしたのでぜひ変換してみてください(笑)。本書の名場面集とも言えそうな動画はこちらです!(もう12月ですが笑)
Earth, Wind & Fireの「September」に乗ってノリノリなマンネおばあちゃん。
このTシャツほしい(と思ったら売り切れでした)。
実は韓国ではいま「シルバー・ユーチューバー」が人気なのだそうです。春木育美『韓国社会の現在』(中公新書、2020年)には「韓国で知らぬ者がいないほど有名な」マンネおばあちゃんも(同書中では「マクレ」さん)登場するのですが、たいていは孫がその撮影や編集を担うシルバー・ユーチューバーの存在は「若い世代とシニア世代をつなぐツールかつ接点となっている」というのです。
「祖父母と孫の合作だけに、シルバー・ユーチューバーのコンテンツには、おじいさんがK-popアイドルの歌やダンスを真似たり、おばあさんが若者風のメークやヨガ、ネイルアートにチャレンジしたりするといった、若者の流行りものを楽しむ内容が多い。〔中略〕
韓国は長幼の序が、日本以上に徹底している。本来、祖父母世代は家族の序列関係の最上位に位置する。高齢者が年齢の枠を超え自分たちのところまで降りてきて、若者文化にチャレンジするその姿は一見、滑稽にみえる。
一方、年齢序列の最上位にいる年長者が、自分たちの好きなもの、好きな世界を理解不能とか、くだらないとか決めつけることなく楽しもうとし、尊重しようとする姿を見ると、自分たちが世の中に受け入れられ、認められたような気持ちになるのだという」(同書、74ページ)
なるほど、韓国では20〜30代の女性が本書の読者層の中心だったのもうなずける話ですが、マンネさんの半生を知ると、同じ「シニア」でも男女の別の厳しさもあった(ある)韓国ではおじいちゃんとおばあちゃんとではその存在の意味合いが少し異なるのかなとも感じつつ、しかし祖母と孫娘との紐帯が本書のテーマのひとつでもあることはたしかで(日本で置き換えると誰でしょうか。瀬戸内寂聴さんと孫の年齢のような秘書さんかな?なんて考えたりもしたんですが違いますね)、だからこそ日本語版のカバーには孫のユラさんも登場してもらっています。
原書カバーの、バンダナ巻いてデニムのつなぎを着て腕まくり&力こぶを見せるポーズは、アメリカ発のフェミニズム・アイコン「ロージー・ザ・リベッター」をもとにしていると思われるのですが(今年3月、そのモデルとなったロザリンド・P・ウォルターさんが95歳で亡くなったというニュースがありました)、それとは別の解釈をして、日本語版としてこの本の装いをどうしていくか、デザイナーの沼本明希子さんと何度もやりとりを重ねた結果、こういう装幀になりました!(本の中身も日本版オリジナルとして素敵にデザインし直してくださいました)。デザインが固まったとき、当初は写真を組み合わせていたのですが、入稿直前に「写真の解像度が足りない!」と慌てて、芦野公平さんに装画をお願いしました。時間のないなか、マンネ&ユラ、2人のキャラクターが迸る見事な絵に仕上げてくださいました(中の2人のアイコンも)。
いろんな読み方ができる、というのは、一方的な情報の提供にとどまらない優れた本の特質だと僕は思うのですが、(そして自ら言うのもなんですが笑)本書も、おばあちゃんが孫娘の力を借りて男性社会を反転させていったフェミニズムのストーリーとして読むこともできれば、現代における祖母と孫との新たなつながりの話として受け取ることもできるし、年配の方に対しては「いまから新しくものごとを初めてもまったく遅くはないんですよ!」と勢いよく発破をかけ、若い方に対しては「こんな楽しい老後もあるんだから年を取るのは怖くないんだよ」と窓の曇りをやさしく拭うようなところもある。
韓国の本といえばいまや『82年生まれ、キム・ジヨン』をはじめハン・ガン、チョン・セランといった作家が放つ文学(いわゆるK文学)や、『死にたいけどトッポッキは食べたい』といった自己肯定を説くエッセイ本が大人気ですが、ここ数年何度も韓国に行ってその出版文化を目の当たりにするにつけ、そこに当然ながら広がる、本と、それを窓にして表れる文化の多様性の一端を紹介したいと思い、こうして本書を出版したという思いもあります。、「こういう本もあるんだ!」「こういうおばあちゃんがいるんだ!」。そんな『71歳パク・マンネの人生大逆転』が今後どんなふうに日本の方々に読まれていくのか、感想が楽しみです。
あ、最後に、鳥取出身の自分としては本の第3章をまるまる使って鳥取のエピソードが入っているのもご縁を感じられてうれしいです(「トトリ」は韓国語で「どんぐり」らしい)。日本の観光庁からの依頼でマンネおばあちゃんが日本に来ていたなんて! しかも、グラウンド・ゴルフ発祥の地&灯台で有名な(旧)泊村というレアな場所に!(頑張れば実家から自転車で行ける場所) いつかまた、マンネおばあちゃんが日本に来てくれることを願っています。
本書にも登場する鳥取のエピソードはこちら(日本語音声あり)。蟹取県ですから……。
最近はレシピ本『パクマンレシピ』も出版するなど(サブタイトルが「お腹いっぱいだと勘違いするな」なのはなぜ笑)、さらに活躍の場を盛大に広げているマンネおばあちゃんですが、最近の元気なお姿はYouTubeチャンネル「Korea Grandma」かインスタグラム「@korea_grandma」にて〜。