龍之介のラヴレター「僕は、文ちゃんが、好きだーっ!!」
「本おや」店主・坂上友紀さんによる、めくるめく文士の世界。室生犀星の次はド直球「かっこいい系文士」の芥川龍之介です!……が意外や意外、まさかあの芥川が!な文章から分け入って、かの「教科書的」イメージな文士像をくつがえしていきます〜。 |
お次にご紹介いたしますのは、「かっこいい系文士」の筆頭と言いたい、芥川龍之介でございますっ☆ ただし、最初に断っておきたいのは、ここでいう「かっこいい」はズバリ「外面のはなし」であるということ。見た目がかっこいい!と言っているのであります。では、内面は……?というと、相当言いたいことが山盛りですので、まずは「見た目のはなし」から始めてみたいと思います!
芥川龍之介のどこがかっこいいって、しょうゆ顔系のシュッとした感じと、整った目鼻立ちと、和服が似合ういかにも文士然とした佇まい!……と、目につくところをすべて褒めていく感じになってしまうのですが、なぜそんなにかっこいいと思うに至ったかには、私の個人的な好みをさておいても、納得がいくような理由もあるのです☆
「日本を代表する文学賞と言われて多くの人が連想するのは、「芥川龍之介賞」に「直木三十五賞」ではないかと思うのですが、この文学賞に冠された二人の文士は、実はとても顔立ちが似ておるのですっ! 実際、直木は文藝春秋に居るときに芥川に間違われたこともしばしば。なんなら、ドッペルゲンガー説もこの辺りに端を発しているんじゃない?と思うくらい、雰囲気が似ているのでありますが、その芥川賞と直木賞を創設した文藝春秋の創始者・菊池寛とどちらも仲が良く、かつ共に早くしてこの世を去ってしまった「二人の顔が似ている」という偶然に、何がしか運命めいたものを感じてしまうのは私だけでしょうか。
ちなみに芥川は「侏儒の言葉」の中で、「運命は偶然よりも必然である」と述べてもいるわけですが、もしかしてもしかしたら、(男色にも相当興味津々だった)菊池寛的に好きな顔立ちがこの系統で、だから二人の没後に文学賞を創設しちゃったとか?!(すみません! 実際のところは、当時において東と西の両横綱とも言える文士二人の死を悼んで、亡くなった後にも文藝誌『文藝春秋』が二人の名でもって賑わうように、といった感じです) とにもかくにも今や日本を代表する文学賞の元である「文士二人の顔」が、私の中で、イコール「(代表的な)文士の顔」→「文士」イコール「かっこいい」→「芥川龍之介(&直木三十五)って、とってもかっこいい!」というふうに結論づけられていったのでありました☆ そうすると、晩年の芥川のいささか鋭すぎる眼光までもが、これはこれでいい!的な……。
しかし、たとえば井伏鱒二や室生犀星に惹かれたときのように、内面から気になりだしたのではなく、まずは「見た目」に惹かれたために、その興味はどちらかといえば見ている瞬間「かっこいい!」と思うだけの一過性のもの。……だったのですが、俄然、芥川龍之介その人に興味が湧き、彼の作品を読み始めるきっかけとなった本に、あるとき出会ってしまったのでした! 何を隠そう、それはかの『失楽園』の著者・渡辺淳一が編集した『キッスキッスキッス』(小学館)だったのでございます☆
この本を初めて見たとき、「なんちゅうどえらいタイトル……! しかも、カバーの色味がまたこれ!(赤色とも真紅とも言い難い、赤系)」とかなりの衝撃を受け、すぐさまジャケ&タイトル買い。読む前から勝手に思うところがあったので、失礼な言い草ながら、なんならちょっと「いやいやいや!(このタイトルはないわ!)」みたいな気持ちで読み始めたわけですが、そんなことを考えていた自分の横っつらを引っぱたいてやりたーい!とすぐさま思ったくらいに内容は大変秀逸で、徹頭徹尾面白い(主に作家の)恋文集だったのであります!
ジャケ&タイトル買いしてよかったなー、としみじみ思う渡辺淳一編『キッスキッスキッス』(小学館)は、もともと雑誌『Domani』にて「ラブレターの研究」として連載。加筆修正のうえタイトルを変えて出版された模様ですが、連載当時の『Domani』読者さんたちの感想が知りたい今日この頃……。
いま「文士」という言葉をあえて使わなかったのは、この本に収められたうちの竹久夢二や柳原白蓮や高村光太郎は文士ではなく「作家」だと私は思うからで、さておきそういった人たちが恋人や伴侶に書いた手紙(たまに島村抱月から松井須磨子宛だったり、お滝からシーボルト宛だったりと、作家以外も。ちなみに、恋にとち狂った感は島村抱月が最強でした!)が19通。しかもトリを飾る恋文は、編集人である渡辺淳一自身が書いたものだったりしています……! 渡辺淳一の捨て身(?)の凄さに脱帽しつつ、偉大なる人たちの知られざる一面に衝撃を受けていたところに出てきたのが、「芥川龍之介から塚本文への手紙」だったのでございます!
塚本は龍之介の妻・文(ふみ)の旧姓です。収録された恋文は、二人が結婚する前の、芥川24歳、文16歳のときのもの(1916年=大正5年)。第三次、そして続く第四次『新思潮』(芥川が久米正雄らと創刊した同人誌。菊池寛も参加)により文壇に登場したその最初に「新技巧派」と名付けられた芥川らしからぬ(!?)直接的で朴訥な言葉にびっくりしたのです。以下、抜粋。
文ちやん。
僕は、まだこの海岸で、本をよんだり原稿を書いたりして、暮してゐます。(引用者略)が、うちへ帰つてからは、文ちやんに、かう云ふ手紙を書く機会がなくなると思ひますから、奮発して、一つ長いのを書きます。(中略)
文ちやんを貰ひたいと云ふ事を、僕が兄さん(筆者注:文の兄は芥川の府立三中時代の友達。生涯深い親交を結んでいた)に話してから、何年になるでせう。(こんな事を、文ちやんにあげる手紙に書いていいものかどうか、知りません。)貰ひたい理由は、たつた一つあるきりです。さうして、その理由は僕は、文ちやんが好きだと云ふ事です。勿論昔から、好きでした。今でも、好きです。その外に何も理由はありません。(中略)
(引用者略)僕がここにゐる間に、書く暇と、書く気とがあつたら、もう一度手紙を書いて下さい。「暇と気があつたら」です。書かなくつてもかまひません。が、書いて頂ければ、尚、うれしいだらうと思ひます。(引用者略)
芥川龍之介
(『キッスキッスキッス』より)
……「好きだ!」を連呼するこの手紙が、本当にあの芥川龍之介の手紙なん!? と疑ってしまったのは、私自身、初めて触れた「芥川作品」が、小学校の教科書に収録されていた「羅生門」、ないしはテレビの影絵芝居番組でやっていた読み聞かせ形式の「蜘蛛の糸」だったからです。
前者は『今昔物語集』に(元ネタがある芥川の小説のうちの、わりと多くが『今昔物語集』による)、後者は芥川が初めて児童向けに書いた作品ながら仏教に材を採っていて(仏教哲学者の鈴木大拙が日本語に訳したポール・ケーラスの『Karma(カルマ)』、日本語タイトルは『因果の小車』によるとされる)、この二作品から喚起されるイメージは、ざっくりとした言い方になりますが、「なんとなく古典的」「いかにも教科書的」なもの。ゆえに、私が子供のときに抱いていた「作家・芥川龍之介」のイメージとは、「善と悪」「因果応報」なんかについて考えさせる、「いささか教訓めいた物語を書く昔の人」だったのでありました。
……その芥川がーっ! 芥川がーっ!!! と、彼の書いた恋文に愕然としながらも、他もこんな感じなのかしら?と芥川の全集に収録された書簡集を紐解けば、
二人でいつまでもいつまでも話していたい気がします。
そうしてkissしてもいいでしょう。いやならばよします。
この頃、ボクは文ちやんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位、可愛い気がします。
嘘じゃありません。
文ちやんがボクを愛してくれるよりか二倍も三倍もボクの方が愛しているような気がします。
……のような、さらに甘々な文章にもぶち当たってしまい、やっぱりこれは芥川なのか!とさらなる衝撃に見舞われつつも、これらの文章がきっかけとなり、「見た目かっこいい&教科書に出てきた文豪」な通り一辺倒なイメージだった彼が、突如、バリーン!とその殻を破って「人間・芥川龍之介」として私の前にそびえ立つことになったのでございます☆(『キッスキッスキッス』よ、ありがとう!)