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『完本 仏像のひみつ』のこと。

仏像のひみつ最終顚末 ウェブ版

 

 この本のもとになった本の一冊、『仏像のひみつ』は、わたしがかつて勤務していた東京国立博物館で二〇〇五年一月から三月に開催した、「親と子のギャラリー 仏像のひみつ」という小さな展覧会の内容を書籍化したものです。

 展覧会は、その三月末で博物館を退職するわたしが担当した最後の展示でした。こどもむけの仏像入門がたてまえでしたが、有名な仏像をとりあげてその由緒を語ったものではありません。むしろ無名の仏像を例にして、仏像の普遍的な見方・感じ方・考え方を伝えようとした、とでもいえばいいでしょうか。仏像の基本だけでなく、質感・体型の変化や、像内納入品・銘記など、むしろ専門家向けの話題も盛り込み、四つの「ひみつ」として、パネル解説や作品の一点解説では、言葉を惜しまず、なるべく平易に語ることにしたのです。

 

「親と子のギャラリー 仏像のひみつ」の様子。


 その語りくちには、実は「ひみつ」があります。この本の中では二度登場する文殊菩薩立像がありますが、この像は「親と子のギャラリー 仏像のひみつ」では展覧会場の冒頭に展示されて、展覧会の案内役として紹介されていました。つまり、展覧会場での解説は、すべてこの、こどもの姿のかわいらしい文殊菩薩像(スタッフは「モンジュくん」と呼んでいたような記憶もあります)の言葉だったのです。

 文殊菩薩像がわたしに憑依して、仏像のひみつを語りはじめました。その語りがずうっと続いて、わたしの一つの文体になるとは、展覧会がはじまったころには夢にも思いませんでしたが。

会場の冒頭に展示された、案内役のモンジュくん。


 ともあれ、「親と子のギャラリー 仏像のひみつ」は多くの年齢層の観覧者から思いがけない好評に迎えられました。それは、最終的に十万人を超えた入場者数でもわかりましたが、その数字以上に、会場に用意したアンケートや、そのころにわかに盛んになっていたインターネットのさまざまなサイト上にしめされた具体的な反応が、たしかな手ごたえとして感じられたことをおぼえています。ある方のブログには「この展示のキャプションをまとめたら〈伝説の仏像本〉ができる」という、予言めいた言葉もありました。

「〈伝説の仏像本〉ができる」という、その言葉はまさに予言でした。まもなく、いくつかの出版社から展示の内容を書籍化する企画が持ち込まれました。

 そのなかで、展示をお母様と一緒に見て、展示の図録がないのを残念がったお母様から「この図録をあなたがつくりなさい」と命じられたという、朝日出版社の編集者(当時)中村葵さんのお話はとくに印象に残るものでした。書籍は同社から出していただくことに決め、中村さんは「仏像のひみつ」の初代担当者になったのです。
 書籍の構成は展示にならい、「ひみつその1」から「ひみつその4」までの四つのひみつを章立てにしました。

 

 

 掲載図版も展示に使われた、けっして有名ではない仏像が中心です。専門用語を徹底的に排した解説の文章・文体も展示解説を踏襲しましたが、さらにふくらみをもたせることもできたと思います。

 「ひみつその3 仏像もやせたり太ったりする!」より。

 

 編集部がイラストに起用してくださった川口澄子さんは、仏像を描くのはほとんどはじめてだったと思うのですが、それだけに新鮮な視点で、「仏像のひみつ」に挑戦してくださいました。結果として、アートとしてのレベルもたいへん高く、ゆたかな仏像世界をみごとに、そして個性的に表現したイラストが誕生しました。

 おこがましくもはじめから「伝説の仏像本」と名のった本は、こうしてできあがったのです。

仏像の背はどこで測るかを示した絵。なかなか、この問題をこんなにクリアーにしめした絵はありません。

 

 『仏像のひみつ』が書店の店頭にならんだのは、二〇〇六年五月末のことでした。刊行後まもなく、柴門ふみさん(『週刊文春』)や南伸坊さん(『朝日新聞』)が書評を書いてくださったこともあり、一気に認知されることになりました。他の雑誌やラジオ・テレビなどのメディアにも多くとりあげられ、みるみるうちに読者の数は増え、おりからの仏像ブームの一翼をになうことにもなったのです。前任者から担当を引き継いだ編集部(当時)の河西恵里さんが、わたしのメディアへの出演や取材などに終始同行してくださったのも忘れられません。

 『仏像のひみつ』の刊行は、わたしが清泉女子大学の教員になって二年目の春だったのですが、三年目からは所属学科文化史学科の一年生全員が受講する「文化史学序説」のわたしの担当回で、正編をテキストに授業をするのを恒例としました。最終の二〇一九年度までの十三年、毎年くりかえしたことになります。「やわらかい仏像とカタイ仏像、あなたならどちらの仏像がつくりたいですか?」「どうして仏像はやせたり太ったりするのだと思いますか?」など、新入生が当惑するような課題にも回答していただきましたが、卒業生はおぼえていらっしゃるでしょうか?


 二代目担当者河西さんの企画で、二〇〇八年五月には『続 仏像のひみつ』と題する続編を出すこともできました。これがこの『完本 仏像のひみつ』のもとになった、もう一冊の本です。正編の方針・語り口を受けながら、正編より少し深いところ、あるいは周辺の仏像世界にもふみこんだ、ちょっとマニアックな感じもする、「ひみつその5」から「ひみつその8」までの四つのひみつです。ここでも川口澄子さんにイラストで苦心していただきました。マニアックな内容だけに、正編以上のご苦労があったかもしれません。

そうなのです。仏教が日本の神にかたちをあたえたのです。

 

 それから、十年以上のときが過ぎました。わたしは二〇二〇年の春に大学を退職しましたが、ちょうどそのころ、正編・続編を合わせた本の企画が生まれました。その本が今回の『完本 仏像のひみつ』です。朝日出版社編集部の「仏像のひみつ」四代目担当者の鈴木久仁子さんが相談にのってくださり、あらたに「ひみつその9」「ひみつその10」を書き足すことにしました。前者は正編・続編でも終始つきまとっていた、日本の仏像は外来文化であるという根源的な問題。後者はわたしの長年の研究テーマでもある仏像製作者=仏師の問題です。既存の文章との重複の処理など、むずかしいところもあったのですが、鈴木さんのきびしい点検と叱咤激励のおかげで、何とかしあげることができました。

 文殊菩薩像はとうとう十の「ひみつ」を語りつくしたことになるのです。

 

 「ひみつその10 仏像をつくるブッシのひみつ!」より。

 

 イラストの川口澄子さんは、今回もまた、著者のめんどうな注文や期待にみごとにこたえてくださいました。全編をとおしての仏像をめぐる問題の視覚化は、仏像を専門的に学ぶ人にもきっと有効だと思います。

 南伸坊さん、柴門ふみさんは正編の書評の一部を帯に再掲載することをお認めくださり、橋本麻里さんは今回の本の帯のためにあらたな文章をお寄せくださいました。ありがとうございました。

 編集部で主として図版関係の進行を担当してくださった大槻美和さん、正編・続編を継承しながら、コンパクトで美しい新デザインを創造してくださった有山達也さん・中本ちはるさんにも感謝申しあげます。

 正編・続編、また今回の付加部分の写真掲載についてご許可いただいた、仏像のご所蔵者、あるいは管理されている皆様、写真入手についてご配慮いただいた皆様にも、心からお礼申しあげます。

 正編『仏像のひみつ』のあとがき「仏像のひみつ顚末」では、本の中に登場してくれた仏像たちにもお礼をいいましたが、もちろんその気持ちは今回も変わりません。とくに、かつて東京国立博物館の彫刻倉庫の中でつきあった仏像たちにはなつかしさがいっぱいです。実はわたしは、この四月から、鎌倉市にある鎌倉国宝館という博物館にお世話になることになりました。この古い博物館の展示室や倉庫の中にもたくさんの仏像たちがいます。その仏像たちとも、これからあらたなつきあいをはじめたいと思っています。
 
 正編『仏像のひみつ』刊行の直前に、わたしの妻山本五月は交通事故で他界しました。校了の直前、「仏像のひみつ顚末」の最後に妻の死のことを書き足すことになったのは悲しい思い出ですが、お顔も存じあげない、たくさんの読者のみなさまからもお悔やみの言葉をいただいたのは、光栄このうえないことでした。

 正編執筆中からずっとそばにいたわが家の猫二匹のうち、年長のエオンは二〇一九年四月に寿命を閉じました。いまは仏像ならぬ仏の世界にいる妻とエオンに、この『完本 仏像のひみつ』をささげたいと思います。正編の原稿を書きはじめたころに生まれ、まもなくわが家にやってきた、もう一匹の猫ルリは今月で十六歳になりました。一緒にこの本のページを繰るのが楽しみです。

 最後に、目下のコロナ禍に苦しむ世界の人びとに仏菩薩の加護がありますように。

 二〇二一年五月 山本 勉

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著者略歴

  1. 山本 勉

    一九五三年、神奈川県生まれ。東京芸術大学美術学部卒業。同大学院博士後期課程中退。日本彫刻史専攻。二〇二一年四月より鎌倉国宝館長。清泉女子大学名誉教授。東京国立博物館名誉館員。主な著書に『日本彫刻史基礎資料集成』鎌倉時代造像銘記篇(共編著、中央公論美術出版)、『運慶・快慶と中世寺院』(編著、小学館)、『日本仏像史講義』(平凡社新書)、『運慶大全』(監修、小学館)、『新版 仏像 日本仏像史講義』(平凡社)、『塩船観音寺』(塩船観音寺)がある。

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