僕はもう一人じゃなくなった ――シャーキー・チェン(陳夏民)「逗點文創結社」代表
台湾の独立書店や出版社の“今”を取材した『本の未来を探す旅 台北』。今年2月、本に登場する若き出版人2人を台北から呼んで刊行記念トークを行ないました。前後には東京の出版社や本屋を2人と巡るプチツアーも。それで、東京で2人が見聞きした「本の仕事(書業)」にどんな印象を持ったのか、寄稿してもらいました。「小日子」のローラ・リュウさんに続いて今回は、台湾の「ひとり出版社」の先がけで本屋「讀字(ドゥーズー)書店」も開き、「台湾独立出版連盟」の顔でもあるシャーキー・チェンさんのエッセイです。 |
『本の未来を探す旅 台北』の中に登場するひとりとして、日本の読者のみなさんと台湾の出版について経験を共有できることは、台湾の出版人としてとても光栄に思っています。もっと幸運なことに、今回、東京で開催された本の刊行記念イベントにも参加できました。出版社のアレンジのおかげで、日本の出版人と交流するだけでなく、実際に出版社に行って見学もさせてもらいました。『本の未来を探す旅 台北』は自分が出版した本ではないですし、僕の出版社・逗點文創結社も中身の一部分しか占めてはいないんですが、この本はある次元において僕の未来の出版観に影響を与えたと思っています。
僕自身は哈日族(ハーヅーズゥ:日本オタク)ですが、30歳を過ぎて初めて東京に行くまで、日本にはあまり行ったことがありませんでした(今回のトーク出演依頼を含めて、日本に来るのは38歳の人生の中でわずか三回です)。初めて日本に来たとき、飛行機を降りてからの六時間で、僕はもう所持金の半分を使い終わっていたのをまだ覚えています。それは目に入る物のどれも欲しくなるからなのですが、一種の「郷愁(ノスタルジー)」が僕に強烈な購買欲をもたらしたということでもあります。小さい頃から僕は、日本の漫画に深く影響を受けてきました。『聖闘士星矢』に出てくる、自分の信念のためなら命をなげうってもかまわないという熱血の精神は、僕の頭の中に種子を蒔きました。大学時代には、日本のホラー映画(貞子!)や小説の数々(いちばん好きな日本の小説は片山恭一さんの『最後に咲く花』)も生活を鮮やかすぎるほどに彩ってくれました。そして、出版の世界に足を踏み入れたのちは、台湾にある日本の書店で見つけたいろんな文庫本が僕にたくさんのインスピレーションを与えてくれました。本当に哈日族ですよね。だから、日本のコンビニに入って初めて少年向けコミック誌――海をはるばると渡って台湾の本棚に陳列されたものではなく、東京のコンビニの棚に生き生きと並んでいる――を見つけたときには、欲望のままに思いっきり買い漁ってしまいました。
自分を卑下するわけではないんですが、幼少期から日本の出版文化に大きく影響を受けてきた自分が、細密に分業化されていて、産出される価値も膨大な日本の出版業界を前にして、はたして一体何をみなさんと共有できるというのでしょうか? 東京に来て自分の出版経験を伝えてほしいとお願いされたとき、僕の脳裏には「野人獻曝(平凡な人は平凡な物しか提供できない)」という四字熟語が浮かびました。けれど後から交流を振り返ってみると、台湾と日本、両国の出版人が対話をするだけでも、業界が長年抱える問題を軽減したり、双方の出版界に何かしらの前進をもたらしたりするかもしれない、そう気づいたんです。
トークイベントの前、綾女欣伸さん、内沼晋太郎さん、そして仁科えいさんのおかげで、僕と、僕の仲間『小日子(シャオヅーズ)』代表の劉冠吟(ローラ・リュウ)さんは、日本の出版人たちに会う機会を得ました。まずは、僕が台湾版の序文を書かせてもらった『“ひとり出版社”という働きかた』の著者、西山雅子さん。この一冊を通じて、日本には僕と同じような仲間たちがいることを知って、「独立出版人」(独立して出版活動を行なう個人)は決してこの地球上で孤独な存在ではない、ということを理解しました。それはとても素晴らしいことです。僕たちは下北沢で昼食をともにし、超おいしいカツ丼をほおばりながら台湾と日本の独立出版の現況について語り合いました。以前は見ず知らずだった僕たちが、たった一冊の本が結ぶ縁によって、出版という同じ職業への愛を分かち合えるなんて、思ってもみなかった。
かつ丼を待ちながら西山雅子さんの『“ひとり出版社”
その後、僕たちはタバブックスのオフィスに向かいました。途中タクシーに乗って移動したのですが(初めての体験! ドライバー独自の小宇宙を観察できるので台湾ではタクシーに乗るのが好きなんです。それまで日本で乗ったことはなかったけれど、今回何度か乗ってみて、台湾の雰囲気とはまったく違うことに気づきました。日本のタクシーはとてもアーバンで、ドライバーはきっちりと職務をこなしていて、絶対的静謐のようなものが漂っている。そのせいか、先に話し始めたほうが負けだという緊張感がありました。失恋時や雨の日は日本のタクシーにぴったりで、イヤホンで宇多田ヒカルの『FINAL DISTANCE』を聴けば、映画のワンシーンみたいに静かに涙を落とせます)、到着して二階へと階段を上りタバブックスのドアを開くと、前から知っているような感覚が湧きました。彼女たちのオフィスと同じように僕の逗點文創結社もアパートの二階にあって、住まいのような作業室だったからです。唯一の違いと言えば、彼女たちの空間のほうが心地よさではまさり、僕のはもっと実用的だというところ。(代表の)宮川真紀さんが、働く人や女性たちをテーマにした自分たちの出版物をずらっと机の上に並べると、どの本にもタバブックスの特徴が現れていて、それを目にした僕は思わず、最初から最後までこだわって、努力を貫き通す精神が逗點の本にもあるのかどうか、自問していました。
タバブックスとお別れしたあとは、河出書房新社に向かいました。タクシーを降りると、明るく晴れ渡っていた空はその色を暗く落とし、時は黄昏に近づいていました。(ビルに入ると)たしか八階の会議室から周囲の街の景色が見下ろせて、急いで建設中のオリンピック競技場を窓外の目の前にして、僕たちはお互いが向き合っている出版の苦境と挑戦について、議論を交わしました。その後、田中優子さんと仲宗根渚さんが親切に河出書房新社内を案内してくれたのですが、各階のそれぞれ異なる部署に足を踏みこむたびに、仕事中だった両目が上を向き、そこには歓迎の表情が滲んではいるものの、僕はやっぱり他人の生活に立ち入ってしまった気分になりました。ずっと小さな作業室で仕事をしている出版人一個人として、絶対的な自由を手に入れてはいるけれど、それと同時に社会の歯車を担う機会は奪われるし、他人と仕事をともにして任務をクリアする一体感を味わうこともできない。でも僕はときどき、そのような生活を望むのです。最後には河出書房新社のありとあらゆる出版物が機械式の回転書架に収納された地下室に行きました。僕とローラは子供が新世界を探検するように本棚のあいだを行ったり来たりして、ハンドルを回しては書架の位置を動かして遊び、とても楽しく笑っていました。後で思うに、130年の歴史を重ねた本の山を前にすれば、僕たちはたしかに小さな子供です。
河出書房新社を出ると、空はすっかり暗くなっていました。イベント会場へと向かい、ローラと一緒にメディアの取材を受ける。台湾でも普段から取材は受けていたのですが、少し緊張したのは意外でした。というのも取材中、僕たちのためにやって来たたくさんの人波がガラスの窓の向こうに見えたから。イベントでは『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』著者の花田菜々子さん、本屋B&Bを経営する内沼晋太郎さんと(ローラとともに)話し合い、僕たちみなが深く愛する書店、そして出版の世界が持続していけるよう、エネルギーの提供を試みました。その途中、耳には日本語が流れ込んできて、観客は僕の中国語を直接には理解していないはずなのに、まるでみなさんが僕を理解しているような気がしてきて、ふと自分がどうしてここにいるのかわからなくなりました。すべては現実を超えているようで、そのとき僕は小さい頃を思い出していたのです。
2月22日の刊行記念トークで、
小学生の僕は毎週騒いでお母さんにレンタルビデオ店に連れていってもらい、日本の特撮アニメ『仮面ライダー』を繰り返し借りていました。青春時代はもちろん、成人して大人になったあとも、挫折にぶち当たって自分が孤独だと思うときは毎回、自分が仮面ライダーだと、あるいは、子供のいない「子連れ狼」だと思うようにしていました。石ノ森章太郎が作った『仮面ライダー』や『サイボーグ009』といった作品には、人と人ではないのもののあいだでもがいている「半人半怪」のキャラクターたちが登場し、この宇宙で自分だけが孤独で同類がいないわけじゃないよ、と僕に教えてくれました。
あの寂しがり屋だった小学生が、石ノ森章太郎の作品に出会うことで創作を愛するようになり、出版の仕事にのめりこみ、一冊の本を通じて可能なかぎり世界に対する無限の感情を伝えようとするなんて、いったい誰が想像していたでしょう。しまいには自分の作った本の縁で石ノ森章太郎の祖国で話し、浅薄な文字ながらも石ノ森作品への深い敬愛を表すことになるなんて……。
もしも誰か一人の作った作品が、他の誰かの人生を少しでも変えることができるのだとしたら、こう思うのです。石ノ森章太郎の作品が僕の視界を拓いてくれたように、僕も誰かにとっての、ひとつの窓のようになれたらいいな、って。あの日一緒に会場にいたみなさんが、僕とローラの話をシェアしたことで、台湾の多元性と自由とを垣間見て、この美しい島々のクリエイティビティと生命力に注目しようと少しでも時間を割いてくれるのならうれしいです。そしてこの(台湾という)土地の人々に対して、さらなる友好の気持ちを抱いてくれたらいいなと思います。本によって、より多くの物語によって、僕たちは境界を飛び越えた先に出版と書店の未来を守ることができるし、両国の若い世代の斬新な考え方を確認・理解し、それを実践する機会が得られるのだと思います。
台湾に戻ってきて、相変わらずずっと一人で仕事しているんですが、ふいに日本で会った仲間たちのことが思い浮かび、あまり孤独を感じないようになりました。夜更けの静けさの中で、河出書房新社の地下にあった図書室を思い出し、あそこには実際どのくらいの本があって、そのうちどれくらいの本が読まれたんだろうか?なんて考えてしまいます。子供がいない僕にとっては、本こそが自分の子供です。この広大な世界の中で、はたして逗點の本はあの図書室にある本と同じように、長い歳月を経ても残り、大事にされ、温かな理解を受けることができるのでしょうか……。
(訳=仁科えい、綾女欣伸)
書籍情報 |
【中国語原文】
身為《本の未来を探す旅 台北 》書中受訪者一員,能夠與日本的讀者們分享台灣的出版經驗,是我身為台灣出版人的榮幸。更幸運的,是後來受邀到東京參加新書發表,同時在出版社安排之下,與其他出版人互動、交流,甚至有機會到其他出版社參觀。雖然不是我自己出版的書,逗點在其中也只占部分篇幅,但我深深認為,《本の未来を探す旅 台北 》在某種程度上影響了我未來的出版觀。
我自己是一個哈日族,卻鮮少去日本,直到三十多歲才第一次去了東京(連同這一次受邀演講,也僅是三十八歲人生當中的第三次)。我還記得,第一次到日本,下飛機的六個小時內,我就花光了身上一半的盤纏。一方面是東西太好買了,另一方面或許便是某種程度的「鄉愁」,引發了強烈的購買欲。從小,日本的漫畫深深影響了我,《聖鬥士星矢》當中為了理念可以不要命的熱血精神在我大腦埋下了種子。讀大學的時候,J-Horror恐怖片(「貞子!」)與各式小說(我最愛的是日本小說或許是片山恭一先生的《最後開的花》)也成為我生活當中的重要點綴。而在我踏入出版業之後,在台灣的日本書店所看見的各式文庫本,更是提供了我很多靈感。真的是哈日族啊。也難怪,當我走進便利店,第一次看見了少年漫畫雜誌——不是飄洋過海躺在書櫃上,而是活生生待在東京的便利商店架上——會忍不住大買特買了。
雖然不至於妄自菲薄,但從小受到日本出版文化深深影響的我,在分工精密、產值龐大的日本出版業面前,又有什麼可以分享呢?一開始獲知要到東京分享出版經驗,腦海當中跑出了「野人獻曝」這樣的中文成語,但在實際交流之後,才發現光是能夠讓台灣與日本兩邊的出版人產生對話,的確有可能得以鬆動長年以來的產業問題與包袱,讓兩個出版世界都能夠得到往前邁進的可能。
在活動之前,在綾女欣伸先生、內沼晋太郎先生,與仁科瀛女士的安排之下,我與我的同伴,《小日子》雜誌的負責人劉冠吟,有機會與日本的出版人見面。首先是《一個人大丈夫:微型出版的工作之道 》的作者西山雅子女士,我曾為她的著作台灣版撰寫序文。能夠透過這樣一本書,看見我的日本同行朋友們,理解身為獨立出版人在這個地球上其實並不孤單,實在是太好了。當我們一起在下北澤的餐廳用餐,一邊吃著超級美味的炸物飯,一邊聊著台灣與日本兩邊的獨立出版環境,很難相信素昧平生的我們,卻能夠因為一本書的緣分,而在一起分享對於出版這一項的熱愛。
之後我們一同前往tababooks的辦公室參觀,移動過程中,我們搭乘了計程車(第一次!在台灣,我喜歡搭計程車,因為觀察計程車司機和他獨具一格的小宇宙。但我不曾在日本搭過計程車,幾次搭下來,發現氣氛真的和台灣的不太一樣,很urban。司機專業,也比較拘謹,有一種絕對靜謐所以誰先說話就輸了的張力。失戀或是下雨天真的很適合搭乘日本的計程車,如果可以用耳機聽宇多田光的Final Distance,一邊安靜落淚,就像是電影場景了)。抵達tababooks之後,當我們踏上二樓樓梯,一打開門忽然有一種熟悉之感。與他們的辦公室相同,我的出版社commabooks也是在公寓的二樓,都是公寓式的工作室,唯一的差異在於他們稍微更舒適一些,而我的比較功能性一點。當宮川真紀女士把他們出版社的書一字在桌上排開,針對上班族與女性的出版品,每一本都呈現了tababooks的特色,我也忍不住自問:commabooks的書,是否也有著始終堅持著的、努力貫徹著的精神?
告別tababooks後,我們前往河出書房新社的辦公室,一下計程車,原本晴朗的天色已經慢慢轉暗,接近黃昏。記得是八樓的會議室,可以俯瞰周遭街道的場景,窗外是正在趕工建設中的奧運體育場,而我們在會議室內討論著彼此遇到的出版困境與挑戰。之後,田中優子與仲宗根渚女士熱情地招待我們參觀河出書房新社的辦公室,不同樓層分布著不同部門,每一次踏進去,那一雙雙從工作中抬起的眼睛,儘管流露著歡迎之意,但都讓我覺得自己意外闖入了他人的生活。對一個始終在小工作室獨自工作的出版人而言,雖然享受了絕對的自由,卻也同時被剝奪了在社會當中扮演一枚齒輪,與他人好好合作完成任務的團體感。偶爾,我很嚮往那樣的生活。最後,我們來到了地下室,那是一個有著機械式輪轉書架的圖書室,收納了河出書房新社的所有出版品。我與劉冠吟穿梭在書架之中,像是小孩子在探索新世界一般,親手操作輪盤、控制書架的位置,笑得很開心。事後回想,在130年歷史的書本堆裡,我們的確是小孩啊。
走出河出書房新社,天色已經晚了。前往活動現場,我與劉冠吟一起接受媒體專訪,雖然在台灣也經常受訪,但意外地有些緊張,因為隔著玻璃櫥窗看到的,是慢慢進場的人潮——真的有人為了我們而來呢。活動開始後,我們兩人與《出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと》作者史花田菜々子女士、本屋B&B負責人內沼晋太郎先生一起對談,試圖為我們深愛的書店、出版世界,提供持續運轉的能量。過程當中,我偶爾會有自己為何在此的困惑,耳邊日語輪轉,群眾們無法直接聽懂我的話,但他們似乎能夠理解我。這一切有點超現實。而我也在這樣的時刻,想起了兒時的我。
讀小學的時候,我每個禮拜都吵著要媽媽帶我去錄影帶店,租日本的特攝影片《假面騎士》。好一陣子,無論是青春期或還是個孩子,或甚至長大成人後每次遭逢挫敗而覺得自己隻身一人的時刻,我都覺得自己是假面騎士,是沒有孩子的帶子狼。石森章太郎創造出了《假面騎士》與《人造人009》等作品,那些卡在人與非人之間,半人半怪物的角色們,讓我不再覺得自己獨活於宇宙之中,沒有同類。
誰會料想得到,當初那一個無比寂寞的小學生,因為石森章太郎的作品,後來愛上創作,投入出版,想方設法以一本又一本的書,對世界表達無限情意,最後甚至有機會因為自己的出版品,而來到石森章太郎的故鄉演講,在這樣的場合,以淺薄的文字表現對石森章太郎作品的景仰......
如果一個人的作品,能夠稍微改變另一個人的人生,那麼,我也希望,如同石森章太郎的作品打開了我的眼界一般,我能夠化身為一扇窗。期待那天在場的大家,能夠因為我和劉冠吟女士的分享,而看見台灣的多元與自由,願意花費一點點時間來關注這一座美麗島嶼的勃發創意與生命力,甚至願意給與這塊土地上的人民更多友善的支持。透過書本,透過更多的故事,讓我們跨越邊界,一起守護出版與書店的未來,同時確認兩地年輕世代的創新思維,都能獲得理解,並且擁有實踐的機會。
回到台灣後,雖然一樣自己獨自工作,但偶爾我會想起在日本見過的那一些夥伴們,而覺得不太孤單。夜深人靜的時候,我會想起河出書房新社地下室的那一座圖書館,好奇裡頭收藏多少本書,而那些書本是否曾經被讀過?對沒有子女的我而言,書本或許是我的小孩,不知道在這浩瀚的世界裡面,逗點的書本能否像是那個圖書室的書一樣,在歲月輪轉之中,被留下來,被好好地珍惜,被溫柔地理解......