『吹け、吹け、冬の風』と『オフィーリア』〈1〉
構成や構図という視点から、名画を眺めてみよう!という本、『絵を見る技術』。その刊行記念イベントが、今年4月、麹町アカデミア(場所:PARK6〔六本木ヒルズ〕)の主催で行われました。 本の中身を一歩進める内容に、会場は大盛り上がり。 今回は、イベントの前半パートを再編集してお届けします。 |
なぜ、絵を見る技術?
こんにちは。秋田麻早子と言います。
私はもともとアメリカで美術史を専攻したのですが、美術史と言っても、専門はメソポタミア美術なんです。でもあまりメソポタミアって人気がなくて……(笑)。そこであるとき、「絵の見方」って習わないよね、ということに気づいて、それをテーマにしました。
「絵を見る」と言うとき、いろいろな見方があると思うのですが、大きく分けると二つの派閥に分かれています。一つは「自由に見てください」というもの。自分で見て感じることが大事、ということですね。もう一つは、「背景情報を知らないと、絵は分からないんだ」という見方。絵の社会的・歴史的な背景、いわゆるコンテクストや、図像学的な意味を知らないと、絵を見たことにならないよ、ということです。
だけど、「自由に見る」って、簡単なようで難しい。「自由に見てね」と言われても、普通はどこを見てどう楽しんだらいいのか分からないものです。
そして、一方、「背景情報を知らなきゃ」となると、今度はすごく勉強しないといけなくなってくる。紀元前8000年からの絵画の歴史をぜんぶ押さえるなんて、美術史家にだって難しいのに、なかなか無理があります。
そこで、この二つの絵の見方のあいだで、どんな絵にも使える「見るための枠組み」はないのかな、と考えて書いたのが、『絵を見る技術』という本です。絵って、誰でも、見ただけでわかることが割とたくさんあるんです。だから、絵って、難しいもの、
見ただけで分かること
では、「見ただけで分かること」ってどういうことかというと、ここに二枚の絵があります。
アンリ・マティス『ルーマニアのブラウス』 |
フランソワ・ジェラール『レカミエ夫人の肖像』 |
右の絵はうまいけど、左の絵はなんだか下手だ、ということは、誰でも見ただけでわかることだと思います。「私、絵心がありません」という人だって、この違いはパッと判断できる。この二枚の違いを言い換えると、「リアルに描いているかどうか」です。右の絵は比較的リアルですが、左の絵はリアルではない。あるいは、「デッサン力があるかどうか」「写実的に書いているかどうか」と言ってもいいかもしれません。この点については、皆さん、見ただけで判断できると思います。
ところがもう一つ、絵というのはデッサンだけでなく、デザインという側面もあるんです。絵をどう構成するか。これも見ただけで分かることです。
実は、どちらの絵にも共通しているのは、デザイン的に成功した絵だということ。左の絵は、写実的に描かれているわけではないので、一見すると
気づいたでしょうか。この二枚はかなり似通った要素を持っています。
・女性は手を前に出し、体を斜めに傾けている
・女性の背景は赤く、白い服を着ている
それでは、「デザイン的に成功している」ということは、どうしたら分かるんでしょうか。
この点を、今回書いた『絵を見る技術』という本の中で説明しています。ちょっと本の構成を説明させてもらうと、全部で六章に分かれていて、各章で以下のことを扱っています。
1:絵の主役はどこだ?
2:目の動かし方が違う?
3:バランスがいいってどういうこと?
4:配色
5:構図に意味があった!
6:部分と全体の統合
要するに、絵の構成とか構図、もっと簡単に言えば、絵のデザイン的な側面を見ていこう、という本です。
今回は、同じ画家の二枚の絵を比較しながら、第一章と第二章の内容を中心にやっていきたいと思います。基本的に見て分かることだけをたずねていくので、一緒に見ていきましょう。
どちらのほうを見てしまう?
まず一枚目です。見たときの印象を覚えておいてください。
ジョン・エヴァレット・ミレイ『吹け、吹け、冬の風』 |
どうでしょうか。どことなく寂しげで、ぼんやりした雰囲気の絵です。
この絵を美術館で見たとしましょう。この絵の前に人だかりができることは……まず、なさそうですね。ふうん、冬の風景を描いた絵かしら、まぁ、うまいんじゃない?と、一通り見て、通り過ぎてしまいそうです。
では、次の絵を見てみましょう。
この絵だったら、人だかりができるんじゃないでしょうか。
ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』 |
これは、19世紀後半に活躍したイギリスのジョン・エヴァレット・ミレイという画家の出世作で、『オフィーリア』というタイトルの絵です。
テート・ギャラリーの目玉の一つ。なるほど、目玉なのも頷ける、と思うのではありませんか。パッと目を惹かれる絵です。私も小さい頃からこの絵が好きで、でも、どうしてだろう?とずっと思ってきました。
一方、最初に見た風景画は、同じ画家の晩年の作品で、『吹け、吹け、冬の風』(1892年)という題が付いています。このタイトルの意味については後で説明しますが、まぁ、言ってしまえば、それほどパッとしない絵のように見える。この絵を見て、「いちばん好き」と言う人は、そんなにいないんじゃないかと思います。こういう絵を見たときに、よく感想として聞くのが、どこを見たらいいのか分からない、いつ見終わったか分からない、これで見たと言えるのだろうか、という悩みです。
どうして『オフィーリア』のほうはじーっと見ちゃうのに、『吹け、吹け、冬の風』のほうは「どこを見たらいいんだろう?」と感じてしまうのでしょうか。
そして、こうした「一見地味な絵」は、どこをどう見て楽しんだらいいんでしょうか。
今回は、この点に絞ってお話ししたいと思います。実は、この地味な絵は、本には収録せずに残しておいた隠し玉。見方が分かってくると、きっと「よくできた絵だな」と驚いてもらえるはずです。
集中した絵と分散した絵
まず、大前提があります。絵には二種類あって、一箇所に興味が集中した絵と、全体に興味が分散した絵があるんです。あらゆる絵はこれらを両極としたグラデーションのどこかにあります。
(左)ディエゴ・ベラスケス『道化師パブロ・デ・バリャドリード』1632年頃、プラド美術館蔵
(右)ヤーコプ・ファン・ロイスダール『ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車』1670年頃、アムステルダム国立美術館蔵
左の絵はベラスケスの肖像画ですが、こういう絵では一箇所に興味・関心を集中させることがテーマとして必要ですよね。その場合、一箇所の主役だけに、この絵なら中央の道化師に、視線が行くように描いてあります。これは「集中型」の絵だと言えます。
一方、右の絵はロイスダールの風景画ですが、こうした絵では、絵のあちこちを見てほしいし、絵の全体の雰囲気を味わってほしいわけです。風車だとか、船だとか、雲だとか、同じくらいの重要さを持ったものがいろいろ描き込んでありますね。これは「分散型」の絵です。
どちらがより優れているか、ということではなくて、目的によって「集中」と「分散」の度合いが変わる、ということです。美術館に行ったときでも、「この絵って、集中と分散、どっち寄りの絵なんだろう?」という視点を一つ置くだけで、ちょっと絵が分かってくると思います。
さて、その観点で見ると、先ほどの二枚はどっちでしょう?
そう、お分かりですね。
どちらかと言うと、左の絵は中央の女性に関心が「集中」しているのに対し、右の絵は全体に興味を引くものが散っている絵です。そうすると、右の絵では、人はどこを見たらいいか分からないから、なんとなく「見た気がしないな」と思ってしまうわけです。
白黒にしてみると分かること
集中型か分散型か、ということは、絵を白黒にすると分かりやすくなります。
『オフィーリア』を白黒にしたものを見てみましょう。
こうしてみると、顔と手の部分だけ浮き上がって見えませんか?
「集中型の絵」というのはどうなっているかというと、白黒にしたときに明暗のコントラストが激しい箇所が一点、はっきりとあるんです。人間の目というのはエッジを検出するので、コントラストが高いところを見る。だからこの絵でも、遠目で見てもパッと顔が目に入ってくる。それは顔というものが元々目を引くからということもありますが、もう一つは、暗い背景の中で顔が白く浮かび上がっていて、コントラストが高いからです。だから、あそこを見ればいいんだ、とみんな思って、ああ見たな、という満足感を持って帰るわけです。
この絵は主役の女性オフィーリアに意識が集まるように作ってある「集中型」の絵だ、ということが分かりました。けれど、明暗ということで言うと、白い花も目立っていますね。この花はけっこう重要なのですが、この点については後で説明したいと思います。
一方、『吹け、吹け、冬の風』のほうはどうでしょう。明暗のコントラストが高いところ、どこでしょうか。あ、あそこかな?と考えてみてください。
けっこうありますよね。右手前の女性とか、その後ろに立っている大きな木とか、
ですから、皆さんも美術館に行って、「どこを見ればいいのかわからない絵」に出会ったら、その理由はこういうふうに、一箇所だけが目立つ絵ではないから、というケースがけっこう多くあります。そういうものだと分かったら、少し不安が
では、そういう分散型の絵はどう見たらいいのか、ということをここから話します。
リーディングラインって、なに?
こうした絵を見るときの鍵になるものとして、「リーディングライン」というものがあります。この言葉は写真をやる方はけっこう聞いたことがあるのではないかと思いますが、画面の中の線(リーディングライン)をうまく使って画面内の流れを構成するという技法があって、写真ばかりでなく、絵でももちろん使われる技法です。
例えばこの絵を見てみましょう。
岸田劉生『道路と土手と塀(切通之写生)』 大正4(1915)年、東京国立近代美術館蔵 |
これはリーディングラインのお手本のような絵なので持ってきました。絵の中で線状に見えるもの、ラインに見えるものを示してみましょう。
そうするとこんなふうになっています。
真ん中にぎゅーっと線が集まっていることが分かるでしょうか。このような、視線を誘導する役割を持つ線を、広い意味で「リーディングライン」と言います。
人間の目は線を追う習性があるので、知らず知らずのうちに線に沿って目が行きます。マンガなどでもこの効果は多用されていて、例えば集中線が描いてあったりすると、そこは「注目!」ということを意味しますよね。この絵は、そういった視線の効果をうまく利用して描かれているのです。
そして、このリーディングラインは、必ずしもはっきりした直線になっていなくても、点々でも構いません。
『道路と土手と塀(切通之写生)』の雲のところを見てください。
この雲が、ここに、このように置いてあるのにはちゃんと意味がありまして、あんなところやこんなところにないのはなぜかというと、リーディングラインを作って、真ん中に目を行かせるように配置されているからです。けれども、あからさまにやると不自然なので、自然に見える範囲で、シューッと中央に集まるようになっているということです。
この観点から、『吹け、吹け、冬の風』を見てみましょう。
この絵には線の働きをするものがいっぱいあります。さきほども言ったように、必ずしも実線ではなくてもいい。点々でもいいし、大きなものが段々小さくなっていくとか、あとはグラデーションになっているとか、そういうことによっても、視線をある方向に誘導することができます。絵というものはそういう効果を活かして描かれています。
この絵のリーディングラインはどうなっているか。分かりやすく示すとこうなります。
ここで見えるものは、誰が見ても明らかなことですよね。
・左手前の枯れ草から奥へ、点々とつながる足跡
・両側から中央奥へ向かう草生や石垣、木々、海岸線
・ほのかに明るくなった山際
・暗いグレーからクリーム色へとグラデーションがかかった空
このように線状になっているものを集めてみると、一箇所に線が集まっているということに気づくわけなんです。
中央のあたりに線が集まっているなあ、ということに気づいたら、この絵の謎解きが始まるときです。
なんでこんなふうにしているんだろう?と、次に考えなきゃいけないんですね。
<後半に続く>
●本のご案内● 絶賛発売中! |
★ウェッジ・インフィニティにて、秋田麻早子さんのインタビューが公開されています。
ビジネスパーソンが「アート」を求める理由