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優雅な貧乏生活

『鶉衣』その1 大極の氣二つに破れて/物忘れの翁

俳諧的生活とは?

前回は日本の古典文学の中から「優雅な貧乏生活」を送った人たちを紹介し、最後に松尾芭蕉ばしょうの「こもを着る生活」と「俳諧的生活」の話になりました。今回は前回の続き。芭蕉の提唱した「俳諧的生活」からお話をしていきたいと思います。

いままで松尾芭蕉の職業である「俳諧はいかい師」について何の説明もなく進めてきました。

学校では芭蕉のことを、俳句を作った人と習うこともありますが、俳句と俳諧とは違います。「俳句」は明治時代に正岡子規によって創られた新しい文芸形式であり、芭蕉の時代には俳句という言葉はまだありませんでした。俳句と俳諧との違いについては後日「実践編」の時に詳しくお話することにして、いまのところは、芭蕉は「俳諧」の人だと覚えておいてください。

「俳諧」という語は、もともとは「たわむれ」とか「おどけ」とかいう意味です(『日本国語大辞典』)。「俳」も「諧」も、もともとがユーモアという意味です(『字通』)。

もう少し詳しく説明すると「俳」はふたりでするお笑い。ボケとツッコミ、いまの漫才のようなものです。そして、「諧」はみなで神様たちを迎え、そして仲良く神々の来臨を祝うというのが原義で、みんなでのユーモアが「諧」です。「諧」にはまた「和」という意味もあるので、現代的にいえば「ジョークと和」、それが俳諧なのです。

「俳諧」という文芸はもともとお笑いの文芸でしたが、それを芸術にまで高めたのが松尾芭蕉でした。

 

『おもちや千種』第1集 巨泉画

 

芭蕉は、俳諧を文芸としてだけでなく、それを生き方にも敷衍ふえんしました。「俳諧的生活」を提案したのです。しかも、文芸としての俳諧よりも俳諧的生活の方が重要だと思っていた節もあります。

芭蕉が、ある弟子を破門しなければならなくなったとき、彼は弟子に、句をつくることはやめてもいいが俳諧はやめないように、と言います。俳諧的な生き方、俳諧的生活は続けなさいというのです。

俳諧的生活とは、世の中を「俳」と「諧」で読み直すという生き方です。世の中のあらゆることを「ジョークと和」で読み直して生きようというのが俳諧的生活なのです。

こう書くと「俳諧」はなんとなく気楽でいい加減なものだと思ってしまいます。むろん気楽なものですし、ユーモア溢れる楽しいものです。しかし、ただのお笑いではありません。どんなに貧窮しても、どんなに苦しくても、その中で「優雅」さと「自由」を手にし続けるための「武器」としての俳諧であり、それによって明るい未来をキープし続けるための「シミュレーション・ツール」としての俳諧なのです。

フィッツジェラルドは「優雅な復讐」といいました。復讐、そのようなやいばはらの中にんだ優雅さとユーモア、それが「俳諧的生活」です。

そして、蕉門と呼ばれる芭蕉一門の人たちはその生き方を継いでいきます。

そのひとりに横井也有よこいやゆうという人がいます。尾張おわり藩の武士であり、俳諧師でもあった人です。

松尾芭蕉は江戸の将軍でいえば五代将軍、徳川綱吉つなよしの時代の人。そしてこの横井也有は十代将軍、徳川家治いえはるの時代の人です。横井也有は俳諧的生活へのヒントをさまざま書き残し、それを『鶉衣うずらごろも』という本にまとめています。

今回と次回で、まずは『鶉衣うずらごろも』から横井也有の文章をいくつか紹介していきますが、これ以降の実践編の中でも『鶉衣うずらごろも』は紹介していくことになりますので、本連載のベースにはこの『鶉衣うずらごろも』と俳諧的生活が流れると思っていただければと思います。

 

大事にしていたものを壊してしまったら

では、まずひとつ紹介していこうと思いますが、本連載をお読みの方の中には、古文や、あるいは古文的な文章が苦手という方もいらっしゃいますので、本文では横井也有の文そのものではなく、私が読み換えて自由に書いていきます。也有の文そのものをお読みになりたいという方のために、末尾に原文を載せておきますので、どうぞそちらをご覧ください。

俳諧的生活を送るための第一歩は「俳諧的思考」法の獲得です。なにかが起きたときに、それをどう受け取るか、どのように考えるか、その思考方法を獲得することが俳諧的生活の第一歩なのです。この文章は、也有の俳諧的思考法がうかがえる文章です。

大事にしていたものを不注意で壊してしまうことって、よくあるでしょ。あ、みなさんはあまりありませんか。私はよくあります。

ショックです。それが高価なものであれば、そのショックは数日、数ヶ月、いや数年続くこともあります。そんなときこそ俳諧的思考、俳諧的読み替えです。

壊してしまったのは也有の知人で小塩という人。彼が壊したのは抹茶茶碗です。

大事な人から贈られた茶碗で、贈ってくれた人の心のこもった茶碗でした。春はあけぼの、秋は明月の夜に茗茶めいちゃててきっし、雪の降る寒い冬には熱燗で寒さをしのぎ、暑い夏には冷たい清水で暑さを忘れと、四六時中愛した茶碗でした。

そんな茶碗を落として割ってしまったのです。贈ってくれた人の心までも破壊してしまったような気持ちになります。

が、也有やゆうは書きます。

 

大極の氣二つに破れて陰陽となる。

 

割れていない茶碗は完全体なる「大極(太極)」です。それはそれで素晴らしい。しかし、それは『日本書紀』でいう「天と地がまだ分かれず、陰と陽も分かれていない(天地未剖、陰陽不分)」状態です。そのままでは世界は始まりません。

神話おいては、天地が分かれ、陰陽が分かれたことによって世界が生まれたように、茶碗は割れたことによって陰陽の二体となったのです。なんと目出度めでた

が、それだけではありません。也有は続けます。

 

その陰陽の又あふからに、夫婦いもせの契ともなれり。

 

きん継ぎという技法があります。割れた茶碗をうるしでつなげ、さらに金の粉などで装飾して仕上げる技法です。

割れた茶碗を金継ぎをする。すると、それは分かれた陰陽が再び会う事、すなわち夫婦や恋人のちぎりにも通じるというのです。

也有はさらに、壊れる前の茶碗を月にたとえ、「月だって満月ばかりを見るわけではないじゃないか」といい、茶碗が割れて金継ぎによってまたくっついたことは、月には満ち欠けがあるという自然の摂理を示し、「会うは別れの始め(会者定離えしゃじょうり)」といった仏さまだって、再びくっついた茶碗を見れば「こいつぁ参った」とおっしゃるに違いないというのです。

 

 

この文章には「俳諧的生活」・俳諧的思考法の基本があります。それは金子みすゞ的にいえば「みんなちがって、みんないい」ですし、もっとシンプルにいえば「どれでもいい」です。

割れていない状態の茶碗は「太極」であり「望月もちづき(満月)」でもあります。そして割れた茶碗は「陰陽の二極」となり、それがもう一度合わされば「夫婦いもせの契り」となる。そのどの状態でもいいのです。

これは「優雅な貧乏生活」をおくる際にも大切です。

「優雅な貧乏生活」というのは貧乏でなければならないというわけではありません。貧乏はもちろん素晴らしいのですが、時には裕福だっていい。それが前回ご紹介したイエスとは違うところです。食事も粗食がいいのですが、時には豪華な食事をしてもいい。

也有が人々を招いた際に「ご馳走がないのを謝る辞(謝無馳走辞)」という文章を書いたことがありました。彼は「今日はご馳走がなくてごめんね。でも、これが俳諧的なんです」と書いたあとに次のように付け加えます。

 

貧富は人によって違うものです。私はおいしい料理やめずらしいご馳走は嫌いではありませんから、もしお招きいただけるならば、よい魚やよい食べ物は特にいただきたいものです。

(原文)さるも貧富は等しからず。我をそなたへ招給はむに、膏梁珍味のきらひならねば、よき魚よき肴はかへても給はらむ。

 

いいですね。このどっちでもよさ。粗食もいいし、豪華なおいしい料理もいい。みんなちがって、みんないい。どっちらもOKです。

何かひとつに凝り固まるとつらくなります。せっかくの優雅な貧乏生活です。生活の中から「べき(should)」を減らしていくのが俳諧的思考法です。そうでなければ優雅ではなくなり、ただの貧乏になってしまいます。顔回へのコンプレックスをたしなめた孔子のように「楽しみ」と「好きなこと」、それが大事です。

いまの状態を楽しむために、何ができるかを「和とユーモア」で考える、それが俳諧的思考です。

 

『おもちや千種』第5集 巨泉画

 

さて、ここでひとつ提案を。

鶉衣うずらごろも』を読むときには、同じ状況だったら自分はどんな文を書くかと考えてみることをお勧めします。知人から「茶碗が壊れちゃったんだよね」と相談されたら、どう答えるか。友だち同士でそういう文章を書いて見せあうのもいいでしょう。ぜひ、やってみてください。

 

忘れんぼのおじいさん

もうひとつ、『鶉衣うずらごろも』の中から紹介をしましょう。

「物忘れのおきな」という人物の物語です。タイトルは「物忘翁伝」、岩波文庫では(上)の三〇に収められています。

最初に大雑把な内容を書いておきますと、前半にはこの翁(おじいさん)の物忘れの程度が書かれ、後半には物忘れの効能について書かれています。ふつうならば、ネガティブなことだと思われている物忘れ、それを也有は実はすばらしいことなのだと、ひとりのお爺さんの物語として描いています。

この「物忘翁伝」は文章の流れに沿って読んでみることにしましょう。まずは前半から。

書き出しはこうです。よろしければ声に出して読んでみてください。

 

わすれ草生ふる住よしのあたりに住みわびたる物わすれの翁あり。

 

いい書き出しですね。「わすれ草」と五音で始まる書き出しは、まるで俳句や和歌のような韻律があります。そして、『竹取物語』でも始まるかのような書き出しです。

忘れ草」とは、どんなにつらく憂鬱なことでも忘れさせてくれる草。奈良時代の『万葉集』から読まれているポエティックな草花です。昔の人は「忘れ草」と聞くと、何となくもの悲しさを感じました。日本は、草花にも固有な情緒があり、草花の名を聞くだけでもそれを感じていました。それが日本の詩的な伝統です。ここら辺も実践編で扱いますね。

そして、忘れ草の植生地といえば住吉。これも平安時代の清少納言や紀貫之きのつらゆき以来の伝統です。

こんな優雅な書き出しから始まるので、平安文学ならば、美しい女性か、あるいは光源氏や在原行平のような貴公子が登場するところです。

ところが、この文章は俳諧の文章、「俳文」なので、そんな素敵な方向にはいきません。そこには「物わすれの翁」がび住まいをしていました、ときます。

この文章を耳から聞いた人たちは、平安貴族の優雅なイメージを脳裏に浮かべていたのに「忘れんぼじいさん(物わすれの翁)」と言われて「なんだよ、それ!」と思ったでしょう。それが俳文です。さて、このおじいさんについての描写が続きます。

 

さるは健忘などいへる病の筋にはあらで、只身のおろかに生れつきて、物覚えのおろそかなるにぞありける。

 

「忘れんぼじいさん」と呼ばれるこのおじいさんの物忘れは、老人性の認知症が原因ではありません。また、健忘症などの病気が原因でもない。「身の愚かに生れつきて」というのもひどい言い方ですが、生まれつきの物忘れ。そんなおじいさんです。

それでもかつては一応の努力はしました。

 

昔は経学の道をもとひきゝ、作文和歌の席などにも、さそふ入あればまじらひけれど、きく事習ふ事のさすがに面白しと思ふ物から、夕べに覚えしことごとも、朝ぼらけにはこぎ行舟の跡なくて、身にも心にものこる事すくなし。

 

若い頃は、四書五経などの道をも学ぼうとした。漢詩や和歌をつくる会合などにも、人に誘われて参加した。で、話を聞いているときには「これは面白い!」と思うのですが、夕方に覚えた事も、朝になるとすっかり忘れている。身についたことも、心に残っている事も少ない。

ここの、夕方に覚えたことも「朝ぼらけにはこぎ行舟ゆくふねの跡なくて」という文章も面白いでしょ。

「こぎ行舟」。みなさんも学校の授業で思わずうつらうつらしていたときに「なに舟こいでいるんだ!」と叱られたこと、ありませんか。物わすれじいさんが、うつらうつらしている姿が目に浮かびます。そして、そんな風にひと晩眠ると、船が進んでいく跡が波に消えるように、すべて消え去ってしまう。これは『万葉集』の歌が元になっているのですが、元歌を知らなくても面白い文章です。

でも、このもの忘れじいさん、そのくらいではあきらめず、さらに努力をしています。

 

されば是を書付置かむと、しゐて硯ならし机によれば、春の日はてふ鳥に心うかれて過ぎ、秋の夜は虫なきていとねぶたし。

 

これはただ聞いているからダメなんだと、聞いた話を忘れないようにノートに書いておこうとします。当時は筆で書きますので、まずはすずりをすろうと机に向かって座る。すると、春の日は蝶や鳥に心が浮かれて気がついたら一行も書かないうちに時間が経ち、秋の夜といえば虫の音を聞いているうちに、なんだかとても眠たくなる。で、結局なにも書けない…って、これまた心当たりがあるでしょ。

「さあ、仕事をするぞ」とPCに向かう…と、着信音が鳴って何だろうと思ってツイッターをのぞく。と、自分が書いたことに対するリプが…。で、それを読んでいるうちに「新しいツイートがあります」なんて通知が来て、気がついたら時間が経っていた…なんて。

こんな風に無為にすごすうちに年を取ってしまった物わすれじいさん。

ドキッ!

 

かくてぞ老曾の森の草、かりそめの人のやくそくも、小指を結び手のひらにしるしても、行水の数かくはかなさ、人もわらひても罪ゆるしつべし。

 

もともと物わすれのじいさんは、年を取れば取るほどその傾向が強くなり、ちょっとした約束も忘れるようになったので、それを忘れないために小指を結んだり、手のひらに書いたりするのですが、行く水に数を書くようなはかなさで、すっかり忘れてしまうようになってしまった。そうなると人も頼りにしなくなる。

「人もわらひても罪ゆるしつべし(人も笑って罪を許してくれるだろう)」、って、周囲の人も「あいつはああいう奴だから」と当てにしなくなる。それはそれで幸せですね。

そんな物わすれじいさんです。

 

 『おもちや千種』第5集 巨泉画

 

物わすれのこぼれ幸

では、後半。ここから物わすれの効能が語られます。

人からまったく頼りにされなくなった、物わすれじいさん。「いやいや、だから良いのじゃよ」と語り始めます。

 

さればその翁のいへりける、身のとり所なきを思ふに、若きにかずまへられしほどは、人やりならずはづかしかりしが、つんぼうの雷にさはがず、座当の蛇におどろかざるこぼれ幸なきにもあらず。

 

ここで私が好きなのは「こぼれ幸」という言葉。もともとは「瓢箪ひょうたんから駒」、思いがけない僥倖ぎょうこうというような意味ですが、どんな悪い状況の中にも「幸」があると考える俳諧的生き方にぴったりな言葉です。

「若い仲間に入っていたときには、自分のせいだからとはいえ恥ずかしかった」

そう。向上心に溢れたポジティブな集団の中では、物わすれじいさんのような人は邪魔者にされます。「このグループ、息苦しいなぁ」と感じたら、そこから抜けるのが一番です。孔子も「道同じからざれば相為あいためはからず」といいました。そこから抜けると、すっと楽になることがあります。このおじいさん(といってもその頃は若者)もそうだったのでしょうね。

「つんぼうの雷にさはがず、座当の蛇におどろかざるこぼれ幸なきにもあらず」といいます。大きな音を立てて雷が鳴ると怖がって騒いだり、隠れたりする人がいます。でも、聴覚に障がいがある人は全然平気。蛇が道端にうねうねとうごめいているのを見たら、これまた大騒ぎして逃げる人がいます。しかし、視覚に障がいがある人には見えないので平気。

人から見ればあるいは欠落、あるいは障がいといわれることも、だからこその有利さがある。それを「こぼれ幸」といいます。むろん、物わすれにもあるのです。

さて、最初の「こぼれ幸」です。

 

よのつねきわたる茶のみがたりも、はじめ聞きける事の耳にのこらねば、世に板がへしといふ咄ありて、またかの例の大坂陣かと、若き人々はつきしろひて、小便にもたつが中にも、我は何がし僧正のほとゝぎすならねど、きくたびにめづらしければ、げにときくかひある翁かなと、かたる人は心ゆきても思ふべし。

 

このじいさんは物わすれのおかげで聞き上手なのです。これが最初の「こぼれ幸」です。

「板がえしのはなし」というものがあります。表と裏が次々と出て来る「板がえし」、別名パタパタというおもちゃのように、何度も何度も同じ内容を繰り返す、そんな話です。

親しい人ならば「その話、もう聞いたよ」と言えるけれども、相手が目上だったりするとそう言えないときもある。私ももう年寄りの仲間入りの年齢ですが、「板がえしのはなし」をしがちなのは年寄りでなので、なかなか「もう聞きました」は言えませんね。

そこで若者たちは「ああ、また例の大阪の陣の話がはじまった」と膝をつつきあって「ちょっと小便に」と立ったりする。でも、このじいさんだけは違う。何度聞いてもすぐに忘れてしまうので、聞くたびに新鮮に感じます。いつも珍らしい話を聞いたように感じて、感動する。話す方の人にしてみれば「本当に話す甲斐のある翁であるよ(きくかひある翁かな)」と、満足に思うのです。

これは『平家物語』にも登場する永縁ようえんという僧の、次の歌にも通じます。

 

聞くたびにめづらしければ時鳥いつも初音の心ちこそすれ

聞くたびにいつも新鮮な気持ちがして心ひかれるので
ほととぎすの声はいつも今年はじめて聞いた鳴き声(初音)のような気がする

 

すばらしいですね。いつも新鮮な気持ちを持ち続けることができる。それが「物わすれ」の「こぼれ幸」のひとつです。

さらに、もうひとつの「こぼれ幸」も紹介されます。

 

ましてつねづね手馴れ古せし文章物がたりの双紙も、去年見しことはことし覚えず、春よみしふみは秋たどたどしく、又もくりかへしみる時は、只あらたなる文にむかふ心地して、あかず幾たびも面白ければ、わづか両三帙の書籍ありて、心のたのしみさらに尽くる事なし。

 

このじいさんも本を読んだり、絵が付いている草紙を見たりもします。

が、去年に見たはずの物語の草紙も今年はほとんど覚えていない。春に読んだはずの本も、秋にはぼんやりとしか覚えていない。だからもう一度読んでみるけれども、全く覚えていないので、まるで新しい本を読んでいるようで何度読んでも面白い。だから、私の本棚には二三部の書物しかないけれども、心の楽しみは尽きることがない。

これって、ある程度の年齢になった人はみな「そうそう」と思うでしょう。私も、この頃は線を引かずに読んだ本は、読んだうちに入らない。どんどん忘れていく。残念ながら、このじいさんのようにほんの2、3冊あればOK!という境地にはなれませんが。

 

むかし炎天に腹をさらしたるおのこは、人にもおりおり物をとはれて、とりまがはしいひたがへじと、いかにかしましき心かしけん。今は中々うれしき物わすれかなとぞいひける。

 

昔、中国では七月七日に書物を虫干しするという風習がありました。ところが書物ではなく、自分のお腹をさらした人がいます。『世説新語』に出てくる郝隆かくりゅうという人です。通りかかった人が「何をしているんだ」と問えば、「俺の腹の中の書物を曝しているんだ」と答えた。「書物はすべて腹の中にある」と自分の知識を自慢しているのです。

そのため彼はいろいろな人から知識を試されたりすることもありました。ときにはうまく答えることができずに立ち往生をしてしまうこともあった。だからふだんから「いい間違いをしてはいけない。正しい答えをしなければいけない」とわずらわしかったに違いない。

この物わすれじいさんには、そんな質問をする人もいない。

これは「中々うれしき物わすれかな(かえってうれしい物忘れであることよ)」と思うのです。

 

猶かの翁が家の集に、何の本歌をかとりけるならむ、

  わすれてはうちなげかるゝ夕べかなと
  物覚えよき人はよみしか

 

さて、この物わすれじいさんの家の集にこんな歌がありました。

 

「わすれてはうちなげかる夕べかなと

  物覚えよき人はよみしか」

 

「ああ、この頃は、物わすれが多くて困る、俺も年か」と物覚えのいい人は夕べに嘆くことがあるだろう。でも、もともとわしは物わすれなので、そんなのまったく困らない、と。

最初から「物わすれ」のじいさんには、加齢による健忘症など怖くもなんともないのですね。

これでちょっと思い出したことがありました。私事ですがご寛恕かんじょを。

私の実家は、玄関から3歩で海岸です。子どもたちは5月の連休から泳ぎ始め、夏休みはむろん毎日泳ぐ。隣近所の人たちはみな漁師なので、周りの友人たちも生まれたときから漁師になるのが当たり前です。そんな環境で育ったので、子どもの頃から勉強というものをほとんどしたことがありませんでした。

高校に行きました。最初の試験。全員の生徒の名前と点数が貼り出されました。私の名前は、学年450人ほどいる生徒の後ろから2番目にありました。ちなみに最後の奴との点差は一点です。ショックでした。

が、実はこれがよかった、とあとで気づきました。

先生方は「あいつはバカだ」と思っているに違いない。だから、どんなバカな質問もできます。それに対する応えがわからなくても、繰り返し、繰り返し質問しても、どうせバカだと思われているから平気なのです。

これが、中途半端に成績がよかったりすると、「こんな質問をしたら笑われるのではないだろうか。バカだと思われるのではないだろうか」と思ってしまいます。そんな危惧きぐはまったくない。なんとも気楽です。

を始めた時もそうでした。

最初の頃は声がまったく出ませんでした。能の先生の奥さまは「あんな声で舞台ができるのかしら」と心配をしてくださっていたそうです。最初から劣等生です。だからこそ、厳しい稽古をしてもらえました。

1980年代に、当時は合格率4パーセントと言われていた中小企業診断士の試験を受けたこともありました。資格を取ることが目的ではなく、友人が会社を作るというので、ビジネスとはどういうものかを知るための受験でした。

週末だけの学校に登録したのですが、教室に行ってみるとそこにいたのは税理士とか銀行員とか、ふだんからビジネスや数字に親しんでいる人たちばかり。能楽師なんて私しかいません。場違いも場違い。「なぜ、お前がこんな所にいるんだ」と、まるで針のむしろに座っているような居心地の悪さを感じました。

そして最初の試験。その結果がこれまた後ろから2番目。先生から「この成績で合格をした人はひとりも知らない」と太鼓判を押されました。

が、そうなると気楽です。先生にも、そして同級生にも心おきなく質問ができる。わからないことを「わからない」と言える。おかげで1次試験も2次試験も一度で合格することができました。

それからは何かの勉強をはじめるときには、わざと「できない」というところから始めるようにしています。劣等生として始めるのです。

わからないことをわかっているふりをしない。また、ちょっとわかったと思っても、「本当はわかっていないのではないか」というスタンスで臨む。

自分の才能をひけらかし腹をさらした郝隆や「物覚えよき人」よりは、「物わすれの翁」の方がずっと幸せだし、人生そのものも楽しいのです。

ここでもひとつ提案をしますね。

「物わすれ」のような自分のネガティブな性格をひとつ選びます。たとえば私だったら「飽きっぽい」。そうしたら、この「こぼれ幸」は何かを考え、そして「すぐに飽きちゃう翁伝」を書いてみます。

これも最初から書こうとすると大変なので、友だちとわいわい話しながらするといいでしょう。

 

五七 賛補破茶碗辞(破れ茶碗を補うの辞を賛す)

大極たいきよくの気二つに破れて陰陽となる、その陰陽の又あふからに、夫婦いもせのちぎりともなれり。おもしろし、この茶碗のまどかに、望月もちづきくまなきのみかはと、一たびわれて有明の盈虚えいきよを示し、会者ゑしや定離じゃうりを打かへして、離れたるものゝ又あふたるぞ、仏もを折り給ふべき。さきこの事に文あらむ事を我に求む。われでん先生が言にきけり、さかんなる時一日に千里をはしる、老いては駑馬どばも先だつとか。まして駑馬の老いたるもの、何のいふ事をかしらむ。そもそもこれより北にあたつて護花関ごくわくわんあり。そこに一人の好事かうずあり、かしこに乞うて求むべし。あなかしこ、うたがふ事なかれ。只たのめたのめとあらたに告げて、我は火燵こたつの山にかくれぬ。
かくてかしこにその文成れり。はじめの茶碗のあやまちに懲りて、いかにもそつとたたいて見るに、果して金玉きんぎよくひびきあり。ああこの茶碗のわれずば此文あらじを、あざ丸の太刀たち蝉折せみをれの笛も、そのきずありて瑕ならず、継目つぎめをいたむ事なかるべし。嫦娥じゃうがが天上の薬はいさしらず、人間に石うるしといういふものなからむや。

 はなれたら継げはなれたらつげ幾度いくたび
  世中よのなかにあらむかぎりは

 

アンダーラインは能『船弁慶』のパロディになっています。
シテの舞のあとの謡
  シテ「ただ頼め。しめぢが原の。さしも草」
  地謡「我世の中に。あらん限りは

 

『おもちや千種』第3集 巨泉画

 

 <第7回につづく>

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著者略歴

  1. 安田登

    1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。 能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。 著書に『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』、シリーズ・コーヒーと一冊『イナンナの冥界下り』(ともにミシマ社)、 『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『あわいの時代の『論語』: ヒューマン2.0』(春秋社)など多数。100分de名著『平家物語』講師。
    https://twitter.com/eutonie

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