『吹け、吹け、冬の風』と『オフィーリア』〈2〉
構成や構図という視点から、名画を眺めてみよう!という本、『絵を見る技術』。その刊行記念イベントが、今年4月、麹町アカデミア(場所:PARK6六本木ヒルズ)の主催で行われました。 本の中身を一歩進める内容に、会場は大盛り上がり。 今回は、イベントの前半パートを再編集してお届けします。 |
『吹け、吹け、冬の風』の構図を読み解く
それでは、この絵の秘密に迫っていきます。
この絵のタイトル、『吹け、吹け、冬の風』というのは、シェイクスピアの『お気に召すまま』の第二幕第七場、劇中劇の中で歌われている歌です。
Blow, blow, thou winter wind,
Thou are not so unkind
As man's ingratitude;
Thy tooth is not so keen,
Because thou are not seen,
Although they breath are rude.
Heigh-ho, sing, heigh-ho! unto the green holly
Most friendship is feigning, most loving mere folly,
Then heigh-hom the holly!
This life is most jolly.吹け、吹け、冬の風、
恩を知らない人ほどに、
お前の心はむごくない。
姿を見せないお前ゆえ、
息づかいこそはげしいが、
歯はそれほどに刺しはせぬ。
ヘイ、ホウ、ヘイ、ホウと歌え、青い柊(ひいらぎ)に!
友情などはにせもので、恋をするのはばかなこと。
さ、ヘイ、ホウ、柊よ。
この世はほんに楽しいものよ。――ウィリアム・シェイクスピア『お気に召すまま』、大山敏子訳、旺文社文庫(グーテンベルク21収録)
こういう歌が元になっていて、この絵も明らかに冬です。木がなびいていて風が吹いていて、雪が降り積もっていて。手前の女性もショールを着ていて、寒そうにうずくまっています。よく見ると赤ちゃんを抱えています。
これを踏まえて、前節の、線が集中していたところを見てみましょう。線が集まっているということはすごく重要だというでしたが、よく見ると、うっすら人影があるのが分かるでしょうか。男が去っていくところです。そして犬がそちらに向かって吠えている。
ここで絵の背景を少し説明すると、この絵が描かれた19世紀末は産業革命が進展し、地方の社会構造も大きく変化しました。
ミレイはこの絵を描いた頃、スコットランドのパースの近くに滞在していましたが、当時のスコットランドでは出稼ぎに行く人が多かったそうです。この場面が表すのはまさに、冬、乳飲み子を抱えた妻を残して、出稼ぎに町に出ていく夫と思われます。ミレイはこうした光景を目にするか、聞き及んでいたのでしょう。『吹け、吹け、冬の風』というタイトルの由来となった、いくら冬の風が厳しくたって人間ほどじゃないさ、という趣旨の歌が、彼らを取り巻く状況を、ぴったり表していて、しかも、当時の人々の心情に寄り添ったテーマと言えます。
『絵を見る技術』の中でミレイの『マリアナ』を扱った際にも触れましたが(p.184)、ミレイは美術改革運動「ラファエル前派」の創立メンバーの一人。同時代のアカデミズム絵画に反発し、「ラファエロ以前」に戻ることを目指したのですが、それは同時に、産業革命によって変わってしまった社会に対するアンチテーゼでもありました。ミレイは結局アカデミー会員として活躍したのですが、晩年のこの絵で、ラファエル前派の当初のテーマに回帰したとも言えるのです。
念のために補足すると、この解釈が絶対、ということではありません。人によっては、当時、末期がんだったミレイが自分を投影したと考える人もいますし、単に、女性を捨てた男性を描いた絵である可能性も捨てきれません。そのあたりの多義性も絵画の魅力です。
以上のようなことは絵の解説を読めば分かるかもしれません。
でも、絵の構成が分かった上で知ると、なるほど、と、より深く納得するのではないでしょうか。
いろいろなものが描かれているこの絵の中で、特にコントラストが高く、最初に目につくのは、手前でうずくまっている若い女性です。影になっていて表情は見えませんが、寒そうで、暗く沈んで、
この男性は
こういう絵の見方が、ちょっと分かってきたでしょうか。
『オフィーリア』も、画面全体を見てほしい
さて、「分散型」の絵におけるリーディングラインの役割のお話をしましたが、では、「集中型」の絵なら、どうでしょうか。『オフィーリア』を改めて見てみましょう。
この絵は集中型の絵なので、どこを見たらいいか分かるから安心だな、オフィーリアを見ればいいんでしょ、と思うと思うんですが、そこにも問題がありまして……。
集中型の絵の場合、パッと目に入る大事なところ、この絵だったらオフィーリアの顔、それだけを見て終わる、ということが往々にしてあるんです。
それでは、せっかく画家が、長い時間をかけて、腕を凝らして描いているのにもったいない。画家は、画面全体を隅々まで、できるだけ長く見てほしいと思って描いているのですから。ところが、そういうことを知らないと、このオフィーリアのまわりに色々な植物が植わっていることとか、左端には実はコマドリがとまっているのですが、こうしたことを、みんな見逃して通り過ぎてしまう、ということになってしまいます。
で、そうなってしまうことを避けるためにも、リーディングラインが使われるのです。
『オフィーリア』のリーディングラインを確認しましょう。
こんなふうになっています。中央のオフィーリアを取り囲むように、ぐるっとリーディングラインが配されている。
→縦の草の流れに従って上へ
→枝をたどって右へ
→白い花がはらはらと落ちていてオフィーリアに視線が戻る
こんなふうに画面を一周する道が作られていて、それをたどっていくと、途中でコマドリがいるなぁ、花があるなぁ、と気がつく、という仕掛けになっています。
そもそもですが、水際を示す黒い線で女性を囲んでいるんですね。そして、その彼女は点々と花輪で飾られている。主人公とか、見る人の意識を集中させたいものを目立たせたいときって、こういうふうに、リーディングラインで囲い込むことで強調できます。明暗のコントラストに加えて、縁取りがしてあるのだから、とても目立ちます。
これはよく使われる手で、例えば、ボッティチェリの『春』では、中央のヴィーナスの周辺の木々が、アーチ状に彼女を囲って際立たせています。
ボッティチェリの『春』 1482年頃、ウフィツィ美術館 |
最初に見た『レカミエ夫人』も、背後の柱、赤い布、椅子の背などで、四角く囲まれていることが見えてきたでしょうか?
これらも、同じように絵の主役を一層際立たせるために、囲みのテクニックを用いているのです。
こういうふうに、目立たせるところを際立たせつつも、画面全体を見てもらうためにリーディングラインが使われていることが分かったかと思います。
背景を見ることの楽しみを知ろう
では、もうちょっと細かく、背景を見ることの、意味的なところも考えてみましょう。
実はジョン・エヴァレット・ミレイは、絵の登場人物と絵の背景を連動させることで知られた画家です。
例えば、同じミレイの『聖ステファノ』では、石打ちで死んだ殉教者の痛みや苦しみを、背景の植物のトゲトゲした質感で連動させています。見る人も、チクチクするような思いを抱くことで、絵の主人公に共感しやすくなります。
ジョン・エヴァレット・ミレイ『聖ステファノ』 1895年、テート・ギャラリー蔵 |
『オフィーリア』の場合は、水にふわっと浮かんだドレスのカーブが、まわりの草花のやわらかいカーブと呼応していて、優雅な雰囲気を作っています。
そして、その背景の中に、コマドリがいるんですね。これは小さいサイズの画面で見ていると気がつかなかったと思いますが。
こまどりの写真:Tokumi Ohsaka CC0 1.0
この絵はシェイクスピアの『ハムレット』の中で、オフィーリアという女性が心を病んだ末、川に落ち、沈みながらも歌を歌いつづけて、そのまま死んでいくという場面を描いています。このコマドリはよく歌う鳥であるということで、オフィーリアと呼応させているわけです。
また、さきほど、白黒にしたものを見たときに、コントラストが高く、オフィーリアと同じくらい目立っていたものとして、白い花がオフィーリアにはらはらと降りかかっている、ということがありました。
下に行くに従って垂れて、水にいくつか落ちている。咲き誇っていた花もあっという間に萎れて、枯れてなくなるわけです。オフィーリアという若い女性はお花が咲いている状態なのですけれども、今にも、もう死ぬんだな、ということを象徴させているのです。まわりの緑の植物も若々しさを示している。その中に白い花で、死を暗示的に表現しているということです。
ということで、集中型の絵でも分散型の絵でも、画家というのは絵全体を見てほしいと思って描いているので、ぜひ見てください。
こんなふうに、リーディングラインに沿って背景を眺めていると、絵の主題をより深く楽しむ発見があるはずです。目立つところから初めて、絵の全体を見てくださいね、というお話でした。
ここまでで、だいたい、第一章と第二章で扱ったことを話しましたが、本の中では、もっと詳しく書いています。
こういうふうに見ていくと、絵ってよくできているなぁ、と思うと思うんですね。見ているだけでわかることがけっこうある、ということ、分かっていただけたでしょうか……。あ、
どうもありがとうございます。
〈了〉
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