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日刊イ・スラ 私たちのあいだの話  特別記事

「あなたがいるから深いです」

つい先日発売された、『日刊イ・スラ 私たちのあいだの話』(原田里美/宮里綾羽訳)。「特別記事」第二弾は、本書に収められた41編のエッセイの中から、祖父の誕生日のことを描いた「あなたがいるから深いです」を公開します。

 

あ な た が い る か ら 深 い で す 
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 逆立ちをしながら祖父のことを考えた。祖父もよく逆立ちをする。無垢材のフローリングの上で頑丈な体を逆さにしたまま大きく息をする、祖父の姿が目に浮かんでくる。
 数日前、彼の八十歳の傘寿のお祝いが近づいていることに気づいて、電話をかけた。プレゼントに何が欲しいのか、ぜひ必要なものを買ってあげたいと言うと、祖父は無駄にお金を使うなと遠慮した。儀礼的な遠慮だ。私はあらためて尋ねた。
「書道の道具で必要な物は? 毎日書いてるでしょ」
「それなら筆がいい」
「どんな筆?」
「仁寺洞(インサドン)の楽園(ナグウォン)商店街の近くに書元書藝百貨店という店がある。そこに14号の書道筆が置いてあるから、弾力があるのを一本買ってきてくれ」
「わかった」
「必ず書元書藝百貨店に行って買うんだぞ。種類も多いし安いんだ。地図を描いてショートメールで送るか?」
「いいよ。大丈夫」
「雲峴宮(ウニョングン)へ行く途中にある、楽園商店街を正面にして右側にその店がある」
「ネイバーの地図で検索するから平気。他に欲しいものはないの?」
「どうせ行くなら、金粉もひとつ買ってきてくれ」
「金粉って、何?」
「何ってことはないだろ、金粉だよ」
「金粉で何するの?」
「墨に混ぜて書けばおまえ、どんだけいいかわかるか? キラキラして格好いいんだ」
「そうなんだ。知らなかった。そしたら筆と金粉を買ってくるね」
「孫娘がお金をたくさん稼ぐから、お願いばっかりしちゃうなぁ」
「わたし、そんなにお金ないよ。借金返済したらいくらも残らない」
「そうだったのか」
「でも、おじいちゃんのプレゼントを買うお金はあるよ」
 電話を切って、私はホミ画材店へ行った。書藝百貨店なんかに行くのが面倒だったから。麻浦区だっていろんなジャンルの美術用品の店が立ち並ぶ街だから、あえて仁寺洞まで出向かなくてもいいと思った。
 けれど、ホミ画材店には14号の書道筆がなかった。近所の画材店も同じだった。結局、祖父が詳しく説明してくれた書元書藝百貨店に探しにいくはめになった。春風が冷たく厳しい日だった。「百貨店」が名前負けするほど小さな店だったので、入口を見つけるまでかなり時間がかかった。人通りのない商店街の傍らには木蓮の木が一本立っていた。
 静かな廊下を進みドアを開けると、数百本の筆が天井から吊り下げられていた。その下には首巻きを巻いたおばあさん、おじいさんたちがいた。ご年配が首に巻いているマフラーはなぜか「首巻き」と言ってしまう。子供の頃、祖母がそれをぐるっと巻きながらきまって首巻きと言っていたからだ。私の祖父母くらいの人たちがそこにいた。休日に書道道具を買いに来た人たち。おしゃべりをしに来た人たち。インスタントコーヒーやヨーグルトを飲みながら天気の話をする人たち。
 その中に、聡明そうなおばあさんが一人、カウンターで番をしていた。社長だった。彼女と相談しながら筆を選んだ。アマチュア用の筆は一万五千ウォン、プロ用の筆は二万五千ウォン。祖父の自負心が頭をよぎり、私はプロ用の筆を買った。金粉は二種類あった。暗い金色と明るい金色。祖父が使うなら明るい金色のほうがいいだろうと社長が意見をくれたので、そっちを選んだ。
 金粉と大きな筆が入った袋に手紙を入れて、リボンで結んだ。それを持って踏十里へ向かった。傘寿のお祝いだから家族が十四人も集まっていた。祖父、祖母、母、父、私、弟、叔父、叔母、同い年の従兄弟が二人、一番下の叔父、一番下の叔母、幼い従姉妹が二人……この大所帯がみんなで一緒に焼肉屋に行ったのだった。私はヴィーガンの生活を送っていたが、祖父に菜食だとかアニマルライツだとかの話をするのは疲れるから、黙って焼肉屋について行った。店内はとても騒がしかったが、こちらの大家族も負けてはいなかった。
 私たちは食事中、とりとめもない話だけをした。誰か一人でも本当に言いたいことを口に出し始めたら、この家族は崩壊するだろう。妻たちと夫たち、舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)とのあいだに何度も争いが勃発して、行き着く先は離婚と勘当だ。今までの年月の中で、お互いにたくさん傷つけ合いながら生きてきたのだから。それは、今日八十歳を迎えた祖父も同じだった。
 でも今日は、彼の人生を祝う日だった。みんなが少しずつ本音に背を向けた結果、食事は順調だった。正確には、女たちが我慢しているおかげで事なきを得ていた。私と同年代の従兄弟たちは、冗談を言いつつ牛カルビを五人分も食べた。母親たちと父親たちが座るテーブルにもカルビが何皿も追加された。静かにご飯と味噌汁だけを食べる私の口元に、祖父は炭火焼きカルビを運んでくれたが、胃の調子が悪いと言って断った。祖父にあえて言わないことは他にもたくさんあった。ヌードモデルを何年もやっていたこと、タバコを吸っていること、常に恋人がいたこと、自由韓国党を滑稽だと思っていることなど。隣にいる祖父の横顔を見た。昔よりずいぶんと老けていた。八十歳なのだから、それもそのはずだった。ところが、ひとつだけ衝撃的なことがあった。祖父の髪の毛が真っ黒になっていたのだ。
「おじいちゃん、白髪はどうしたの? 染めたの?」
 祖父は、私がそう聞いてくるのを待っていたかのように、意気揚々と答えた。
「何カ月か前から、黒い髪の毛がどっさり生えてきたんだ」
「ありえない」
「本当だって。ばあちゃんに聞いてみろ」
「おばあちゃん、本当?」
 祖母は野菜で巻いた肉を口に入れながらうなずいた。祖父のその自慢話を何度も証明させられるうちに、面倒になった様子だった。
「そんな現象ありえる?」
 私が聞くと、従兄弟たちは肩をすくめた。祖父は「これはすべて規則的な運動と食習慣のおかげだ」と言った。いくらなんでも、真っ白だった頭が八十歳になってまた黒くなるなんて。聞いたことのない現象だった。もう一度見ると、彼の黒髪はカチカチに固まったまま垂直に立っていた。ムースをたっぷりつけて立てていたのだ。祖父は本当に、はっきりとアピールしたかったのだろう。
 食事を終えたあとはまた踏十里の家に戻り、餅ケーキを出した。十四人がそれぞれ調子の外れたお祝いの歌を歌った。「愛する私たちのおじいちゃん〜お誕生日おめでとう〜」。 ロウソクの火は七歳のいとこ、つまり祖父の孫娘がふっと吹いて消した。家でロウソクの火を吹き消すのはいつでも幼い子供たちの役目だった。子供たちだけがその仕事に胸をときめかせるから。歌い終わってロウソクも消して気まずい空気が流れだすと、私は祖父にプレゼントを渡した。筆と金粉と手紙が入った袋だ。「ありがとう」と祖父は言った。
 私の次に、七歳のいとこが祖父に紙を一枚渡した。今朝書いた手紙だと言った。とてもくねくねした字で、こんな文章が書いてあった。
「おじいちゃんがいるから深いです(キポヨ)」
 それを見て祖父が笑った。
「『うれしいです(キッポヨ)』と間違えて書いたな!」
 家族たちも大笑いして、幼いいとこは恥ずかしいのか足を何度もくねらせた。その姿がスラの幼い頃によく似ている、と祖父は言った。私も小さいとき、恥ずかしくなるといつも足をくねらせたそうだ。私は幼いいとこを抱きしめた。「うれしい」という言葉を「深い」と書き間違えたその子からは、赤ちゃんの匂いがした。私も、祖父がいるから深いんだと、愛も、憎しみも、憐れみも、楽しみも、それぞれに深いんだと、いつか未来でその子に話してあげたかった。


『日刊イ・スラ 私たちのあいだの話』221~227ページより

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著者略歴

  1. イ・スラ

    1992年、韓国・ソウル生まれ。「日刊イ・スラ」の発行人であり、ヘオム出版社の代表。雑誌ライター、ヌードモデル、文章教室の講師として働きながら、2013年に短編小説「商人たち」でデビュー。作家活動を始める。2018年2月、学資ローンの250万円を返済するために毎日1本、文章をメールで送るセルフ連載プロジェクト「日刊イ・スラ」を開始。たちまち大きな反響を呼び、半年分の連載をまとめて同年10月に刊行された『日刊イ・スラ 随筆集』(へオム出版社)は600ページ近い分量にもかかわらずベストセラーとなる(2018年の全国独立書店が選ぶ「今年の本」に選出)。「日刊イ・スラ」はその後もシーズンを重ね(現在は休載中)、随筆集『心身鍛錬』、インタビュー集『清らかな尊敬』、書評集『あなたはまた生まれるために待っている』など、これまでに9冊の本を出版。エッセイ、インタビュー、書評、コラム、漫画など、ジャンルを越えて執筆する。今も週に一度、10代の若者に文章を教えていて、イベントでは歌も歌う。毎朝の日課は、逆立ち。

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