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一番身近な物体

『体の居場所をつくる』プロローグ公開

伊藤亜紗さんが約2年間連載してきた『一番身近な物体』。本連載に加筆、書下ろしの一章を加え、『体の居場所をつくる』というタイトルで書籍化します。今回は、本書のプロローグを公開いたします(編集部)。

 

プロローグ

 

 子供のころ、家で犬を飼っていました。カプチーノの泡みたいに茶色まじりの白い毛をした、鼻の長い中型の雑種犬でした。
 性格的には、少し神経質だったのかもしれません。よく目にしたのは、寝るときにポジションがなかなか決まらなくて困っている姿でした。
 同じ場所をぐるぐる回りながら、匂いをかいでみたり、爪でひっかいてみたり。ここだという位置が見つかると、ようやくそこに腰を下ろして丸くなります。長いしっぽに鼻先をうずめ、寝る態勢に入ったかに見えます。
 ところが、今度は前足の位置がしっくりきません。喉がつっぱるのか鼻の位置を右にずらしてはまた左に戻したり、前足を折り曲げてはまた伸ばしたり。そこからまた果てしない微調整が始まります。
 ときどき犬は「ふんっ」とため息をつき、三角の目でチラッとこちらを見上げます。
 そのまましばらくじっとして、眠りがやってくるのを待ちます。でもたいていは我慢の限界が来て、最初からやり直しになります。「立ち上がってぐるぐる」からの流れを四-五回ループして、ようやく眠りに落ちるのでした。

 その様子を見て、「犬もそうなのかあ」と子供ながらに感心したことを覚えています。
 自分の体を、どこに、どのように置くのか。居心地がよい/悪いという感覚は、「しっくりくる」とか「決まる」としか言えないような、曖昧な感覚です。「おいしい」とか「楽しい」に比べたら、ぼんやりしていて、とらえどころのない感覚かもしれない。
 でもそれが整わないと、体の緊張を解き、安らぐこともできないのです。人も犬も、単に眠いから眠るのではなく、居心地がいいから眠くなるのにちがいありません。


 居心地のよさ(Comfortable)とは、ひとことで言えば、「体と環境のフィット感」ということになるでしょう。
 ただし、ここで言う「環境」のニュアンスは多義的です。寝る場所が決まらない犬にとっての環境はもっぱら物理的なものですが、社会的な意味での環境が体とフィットしていないせいで、居心地が悪くなることもあります。
 たとえば、盲導犬に対する理解が乏しいレストランに入ったとき。全盲の友人に聞いた話ですが、法律で保障されているからと交渉してお店に入ることができたとしても、なんとなく嫌がられていることは犬も察知すると言います。肩身の狭い思いをして、飼い主の足元で小さくなっているかもしれません。
 人の世界でも同じようなことがあります。たとえば、一九六〇年代から七〇年代のアメリカでは、アフリカ系アメリカ人たちが、「ブラック・イズ・ビューティフル」という運動を繰り広げました。白人中心の価値基準に照らして「醜い」とみなされ、自分たちもその呪縛に囚われていた人びとが、いや、そうではない、自分たちには自分たちならではの美しさがあるのだ、と立ち上がったのです。アフロヘアはその象徴でしたし、芸術分野でもさまざまな文学や絵画、音楽が生み出されました。
 ブラック・イズ・ビューティフル運動にたずさわった人びとが書いたものを読むと、自分たちの運動のゴールは、「社会における居心地をよくすること」だと書かれています。確かに、「天に拳を突き上げる」的な社会運動の闘争的なイメージからすると、「居心地のよさ」がゴールになるというのはちょっと拍子抜けするような感じかもしれません。
 でも、当時の(そして今も)アフリカ系アメリカ人たちは、ただ黒い皮膚につつまれているだけで、暴力をふるわれ、場合によっては殺される可能性を意識しながら生活せねばなりませんでした。安心して街に出ることもできない。「居心地のよさ」の獲得は切実です。
 物理的な意味にせよ、社会的な意味にせよ、環境と自分の体がフィットしていないとき、私たちは、体の居場所をつくるためにさまざまな工夫をします。
 工夫の中には、先述のブラック・イズ・ビューティフル運動のように、集団で行うものもあるでしょう。彼らは、人々の美意識や価値観に介入することで、自分たちに向けられるまなざしを変え、そうすることで黒い体の居場所を社会の中につくろうとしました。
 他方で、もっとパーソナルな工夫もあります。
 集団で行う運動が外向きの発信力やスローガンを重視する傾向があるのに対し、パーソナルな工夫は、絶えざる試行錯誤の中にあります。自分の体をここに置いてみたらどうだろう。こう働きかけてみたらどうだろう。そう、あの眠れない犬のように、ああでもないこうでもないとさまざまな可能性を探索するのです。


 本書は、そんな居場所をつくる十一のパーソナルな工夫を集めたものです。
 工夫が必要な理由は、人によってさまざまです。摂食障害、ナルコレプシー、ALS(筋萎縮性側索硬化症)などの障害や病気の当事者もいれば、そもそも明確な診断がつかなかったり、診断がついても治療の道がない人、あるいは人種的マイノリティである人などがいます。また、社会的に与えられた病名は同じでも、具体的な経験や工夫の内容が違う人たちも含まれています。
 十一人の方との出会い方も、それぞれ異なっています。ご本人から連絡をいただいた場合もあれば、こちらから声をかけた方、さらには病にかかる前からたまたま知り合いだった方もいます。
 本書はそれぞれの方への聞き取りにもとづいて書かれています。その方法もさまざまで、直接お会いして話を聞いた方もいれば、オンラインでお話を聞いた方、メールでの往復書簡でやりとりした方もいらっしゃいます。
 どれもあくまでパーソナルな工夫ですので、普遍性はないかもしれません。症状を言語化するときの言葉選びにもその人の工夫があらわれますから、病気や障害の説明も、その人ならではのものです。決して、それぞれの病気や障害についての客観的な説明ではありません。
 ですが、文学の手前で寸止めするようなこの「N = 1の科学」には、思ってもみなかったような知恵に至る扉が、あちこちに隠れているように思います。N = 1の科学は、実践の中にあるからこそ、頭で理解した「あたりまえ」をすっとばす、生きることの複雑さと愉快さのようなものがつまっています。

 

 居場所をつくること。それは言い換えれば、環境と体の関係を、あれこれと解釈し直し、仮説を立て、根気よく結び直すことに他なりません。
 台風が来るたびに寝込んでしまうならば、天気と自分が一体化していると考えてみたらどうだろう。人種的マイノリティとして居心地の悪さを感じているならば、小説の登場人物と一緒に自分のルーツをめぐる想像上の旅をしてみたらどうか。
 それは、科学や制度がまだ到達していない場所を歩き、安全だと言われている王道の外側をこつこつと開拓していく、タフで、想像力に富んだ営みです。
 そして、彼ら彼女らが見出す思いがけない工夫に出会うと、思うことがあります。それは、工夫を重ねて「居場所をつくる」というやり方は、私たちが慣れ親しんだ「問題-解決」という思考パターンに対する、強烈なオルタナティブなのではないか、ということです。問題の所在を明らかにし、原因を見つけて、たたく。でも、そのやり方は、本当にそれほど有効なのだろうか?
 まず、何が問題かを記述することなどできるのか。原因が特定できたとして、それを悪者とみなして排除できるケースのほうがレアなのではないか。そもそも問題の原因を特定することと、解決に至る道筋は実は関係がないのではないか。いや、そもそも解決を目指すことが問題なのではないのか。
 体を持て余しているからといって、それを私の生の外部に追い出すことはできません。体を悪者にすることはできない。ならば、どんなに困った奴でも、それを居ていいものにするための工夫が必要です。
 シロアリのように、といったら失礼かもしれません。彼ら彼女らの試行錯誤は、少しずつ、でも確かに、私たちの凝り固まった思考の型を喰み、分解しているように思えてならないのです。

 個人的なことを記せば、こうしたパーソナルな経験に照準を合わせることは、私の研究者としてのライフワークのひとつになっています。本として出版したものとしては、『記憶する体』(春秋社、二〇一九年)が本書の直系の先輩であり、個人ウェブサイトにも十年以上にわたって語りのアーカイブを構築し続けています。
 本書に記したことは、それぞれの方から聞いたお話を、私なりに解釈し、まとめたものです。ゆえに、決してご本人の経験を代弁したものではありません。
 願わくば、私がここに記した言葉も、ご本人にとって何らかの「居場所」になるとよいなと思っています。
 もちろん、それを受け取って、さらに居場所として使ってみるかどうかは、ご本人の自由です。
 でも、他者だからこそ向けられる鏡というものもあるように思います。本書を構成する各章は、そんな信念のもと、それぞれの人に向けた、私からの贈り物として書かれています。

 

*         

 

 

2年間、連載『一番身近な物体』をお読みくださり、どうもありがとうございました。

本書に登場する11名と伊藤さんのやり取り、そこから見えてくるものは、とびきりユーモラスで驚きに満ちています。出てくる言葉は、ときに文学のようにファンタジックで、また、そこにはその方の何十年分かの人生が結晶のように凝縮されています。伊藤さんはそれに耳をかたむけ、共に悩み、場合によっては混沌とした状況をすすむ手すりになるような言葉を探す作業に伴走されています。

連載原稿には何度も「圧倒される」という言葉が出てくるのですが、毎回原稿をいただくたび、ひとりひとりの探索の過程に、まさに圧倒され続けた2年間でした。

書籍『体の居場所をつくる』の刊行は2026年2月21日です。 

みなさまに、全国の書店さんで本書をお手に取っていただけます日を楽しみにしております(編集部)。

 装丁:鈴木成一デザイン室/装画・本文絵:資延美葵

判型:四六判正寸/312ページ/本体価格1,900円

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著者略歴

  1. 伊藤亜紗

    東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。専門は美学、現代アート。主な著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)〔のちに『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)〕、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社メチエ)、『きみの体は何者か』(ちくまQブックス)、『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』(文藝春秋)、『感性でよむ西洋美術』(NHK出版)など多数。

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