2. 絶対方向感覚と並行世界の銭湯◆町屋
旅人でありライターの岡田悠さんが『駅から徒歩138億年』という散歩の本を出し、先日、出版記念のインタビューに呼ばれて対談してきた。旅や散歩について語り合ったのだが、面白かったのは、岡田さんも私と同じ願いを抱えていたことだ。それは、
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という願望である。
知り合いに目隠しをしてもらい、どこか知らない場所に連れていってもらって、置き去りにされたい、と岡田さんは言い、それはまさに私も常々考えていたことだった。岡田さんは、わざと古いカーナビを使って散歩してたりして、道に迷うために古いカーナビをコレクションしているというから相当だ。そうまでして迷いたいのである。私は古いカーナビは集めないが、気持ちは痛いほどよくわかる。
いったいここはどこなんだ、という状況ほど面白そうなことはない。もちろん樹海の奥とか、南極の氷の上とか、犯罪者の巣窟みたいな場所に置き去りにされては困るが、なんでもない街角に捨て置かれ、地図もスマホもない、さあどうする、という状況を想像するとワクワクする。
旅好きな人間はみな、最終的に迷子脳へ到達するのかもしれない。それはきっと、未知なるものに出会いたいという普遍的な欲求であり、究極の好奇心なのだ。
しかし実際、知り合いに右も左もわからない場所に連れて行ってもらうのは極めて困難である。たとえ目隠しや耳栓をしたところで、何を使って移動したかは感覚でわかるし、現在地は、よほどの長時間でなければ移動時間などからおおよその見当がつく。仮に睡眠薬で眠らされて運ばれたとしても、森の中でもない限り、歩きだせば住所もすぐにわかってしまう。
迷子への道は厳しい。
スマホを見れば現在地でも最寄り駅でも一瞬でわかってしまう時代だ。AIがあっという間に最適解を見つけてくれる現代において、迷子は贅沢なのである。
そもそも行きたい場所に最短最速でたどりついてしまっては、ベルトコンベアでたちどころに的確なアドレスに配達される荷物と同じである。グーグルマップで目的地までの経路を検索する人は、まさにその瞬間、ポストに投函されたのと同じであり、その後はナビゲーションシステムの命じるまま正しく宛先に届けられるのである。ナビから見れば人間は配達物に見えているにちがいない。
そこに人間の尊厳はあるのか、という話だ。
このことから、配達物ではなくて人間であるためには、われわれは目的地にまっすぐたどりついてはいけないことがわかる。途中迷子になってこそ、人は人たりえるのである。
荒川区の町屋は、京成本線と地下鉄千代田線と都電荒川線の3路線が交わる町で、地図で見ると道路が碁盤の目状になっておらず、ごちゃごちゃしているのが魅力的だ。一度も行ったことがないので、迷子になる可能性があり、行ってみることにした。
道路がごちゃごちゃしたまちは、用がなくても行ってみることが重要である。
そんなまちをでたらめに歩いているうちに、なんだかわけのわからない場所に出て、
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と叫ぶ。それこそが至高と呼ぶにふさわしい体験と言える。
そんなわけで町屋を歩こうと思うが、ひとりではなんだから編集の大槻さんを誘って行くことにした。
大槻さんは、数年前から山登りを始め、どっぷりハマったと言い、体力には自信ありますと宣言するほど元気な女性で、私とは大違いである。私は20代で山登りを始め、30になる前にそそくさと撤退した経験がある。山は、登ってみると疲れることを発見したからだ。
そんな大槻さんと町屋駅に集合し、ふたりしてどこへ行くのかさっぱりわからないまま、テキトーに歩きはじめた。
なお、歩くにあたって、ふたつだけルールを決めた。
それは、
・地図を見ないこと
・交差点や分岐点では、面白そうと思った景色の道を選ぶこと
である。そのように無節操に歩いていれば、迷子になる可能性があり、できることならそのまま帰り道がわからなくなって満ち足りたい。
歩き出すとすぐに小学校があった。
第九峡田小学校と書いてあって、読めない。その読めない小学校の敷地をぐるっと回り込むように歩いていくと、柵に生徒が作った俳句がたくさん掲げられていた。
小学生の俳句は、言いたいことがそのまんまで面白い。
「夏休み 宿題のりょう 多すぎる」(四年生)
実にそのまんまだ。行間に滲む味わいとか、そういうのを目指さない潔さがある。
どれもよかったが、一番気に入ったのはこれ。
「夏の山 むしむししてて 帰りたい」(五年生)
共感した。ほんと山は登るのきついし、虫がいっぱいいるし、そのうえむしむししてた日には、私も帰りたい。異議はなかった。
歩いていると、車どころかバイクも入れなさそうな、狭い路地がいくつも見つかった。町屋は平坦な土地柄なのに、なぜこんなに道が錯綜しているのか謎だが、何であれ、そういう細道には迷わず突っ込む。軒と軒が重なるぐらい狭い道には、とりあえず入ってみるのが、大人の嗜みというものである。

大通りを一本入ると、先を見通せない狭い路地。

間取りが気になる家だ。
奥に抜けられるようだが、ここは道なのか、軒下なのか。
大槻さんも狭い道ほどあがると言って、喜んでいた。
「小さな家が込み入ってるまちが好きなんです」と楽しそうだ。「自分が育った町がそうだったんで」
なんでも家の鍵を忘れたときは、隣の家の壁を登って2階のベランダから自宅に侵入していたというから、さすが登山家である。
ただ、家と家の間の狭い路地を歩きながら、そこらじゅうに聞こえそうな大きな声で「この上がボロいところがいい味が出てます」だの「洗濯物がしぶいですねえ」と言うのは、ワイルドすぎてヒヤヒヤした。
左の二階、ベランダの床面が三角形になっており、ポイントが高い。

「四輪車この先通行不能」
事前に調べた印象では、町屋は道が碁盤の目のように縦横になっておらず、適度に曲がりくねっているので、面白そうな道を選んで進んでいくうちに、だんだん方角がわからなくなってくることを期待していたが、困ったことに、しばらく歩いても、どういうわけかさっぱり方角がわかる。途中で大槻さんに、
「町屋の駅はあっちの方角ですよね」
と確認すると、彼女も同じ方向を指さした。
「全然わかりますね」
私は昔から方向感覚がわりといいのだが、聞けば大槻さんも同じだそうで、そんなふたりなため、せっかくランダムに歩いているのに、迷っている感じがしないのである。これは今回の企画の本質にかかわる問題であった。
しかも面白そうなほうへ面白そうなほうへと曲がっていくと、さっき通った道に出てしまった。ぐるっと回っていたわけである。

遠くに駅前の大きなビルが見えてしまうのも問題だ。
どうやら狭い道が集まった面白そうなエリアがあり、惹かれる道を選んで歩くと同じ場所を回遊してしまうようだ。
「全然迷いませんね」
もっと方向感覚を失えたらいいのだが。道は曲がりくねっているのに、いったいなぜ方向がわかるのか。
『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』という本に、奇妙なことが書いてあった。
オーストラリア先住民の一部が使っているグーグ・イミディル語には方向を示す「右」「左」に相当する単語がなく、東西南北の4つの基本方位を使うというのだ。つまり「そっちへ少し動いてくれ」と言いたいとき、「少し北へ動いてくれ」などと言い、片方の足を示すときには「君の西の足」などと言う。西の足は、その人がどっちに向いて立っているかで変わってくる。
そのような言語を使うためには、いついかなるときも東西南北がわかっていなければならない。それがたとえ室内であろうと。
であるなら、グーグ・イミディル語を使う種族には、絶対方位感覚があると考えなければならないだろう。そしてその本には、こうも書いてあった。
《私たちが自分の前や右、左をどうしてわかるか説明できないのと同様に、彼らも基本方位がどうしてわかるか説明できない》と。
世界にはそんな人たちがいるのである。私には東西南北を瞬時に判断する能力はないが、今来た駅の方向を判断する能力はそれなりにあるようだ。
言語によって方向感覚が変わるとすれば、それは後天的なものだから、知らず知らずそのように訓練されてきたということになる。
きっと迷子になろうとするあまり、私はかえって元に居た場所を意識するようになったのではないか。
ともあれ、この方向感覚をもっと攪乱しないと、迷子になれない。
私はすっかり頭を抱えてしまった。

休業中と思しきたばこ屋。「たばこはこころの日曜日」という看板。
ほかにハサミ工房やプラモ屋、工務店などを見つけた。
そんなとき、まわりはどっちを向いても普通の住宅だというのに、突然、蕎麦屋があったので、蕎麦を食べた。食べたら、おいしかったのは実に結構なことだったが、食べ終えて会計を済ませ出ようとしたときのこと、お店の人がスタンプラリーの用紙をくれて、それに載っている地図をちらっと見た大槻さんが、不意に、
「あ、銭湯がある。銭湯に行きませんか」
と言い出したのである。
「銭湯?」
「銭湯大好きなんですよ。この近辺に3つも銭湯がありますよ。行きたいです」
「今から風呂に入るんですか」
私は銭湯には興味がないので、銭湯に立ち寄るなんて服を脱いだり着たり面倒そうだ、と思っていたら、
「今日入らなくてもいいので、見に行きたいです」
と言うので、当初のミッションと違う話にはなるが、それなら銭湯を見に行こうということになった。のっけから企画がグダグダになってきたが、こうやってコンセプトがブレブレになってさっぱり予定通りにいかないのは人間ならではである。
AIだとこうはいかない。ブレブレのAIがいたら困るからだ。こっちが聞いてることに全然答えようとせず、関係ない答えを返してくるようなAIは迷惑でしかない。逆に人間はときどき無責任なことを言ったり、目の前の困難から逃げたりするものであり、そのことによって自分がAIでないことが証明されるのである。
こうして人間であるわれわれは禁を破り、もらった地図をしげしげ眺めて銭湯のある場所を脳裏に刻みつけた。ミッションは変わったのだ。臨機応変は、AIにはない高度な能力である。
大槻さんの言う通り、地図にはたしかに銭湯マークが3つあった。これを今後、地図を見ないで3ヶ所すべてにたどり着きたい。

♨マークが3つある
いきなりの新たなミッションに、ワクワクするのを覚えた。芸能人が5人ぐらいでだらだら歩くテレビ番組のネタみたいで、ランダムに歩くより面白い気がする。迷子になれないのは、逆説的だが、行先がなかったからかもしれなかった。
そんなわけで、まずは今いる場所からずっと北の、路面電車の線路を超えた先の銭湯を目指し歩き出した。例によって方向感覚のいいわれわれには方向はすぐにわかったので、1ヶ所めは難なくつきそうだった。
大通りに面したY字路。自動販売機ぐらいの幅の商店だ。なかはどうなっているのだろう。
大槻さんは、このまちが気に入ったようで、住みたいぐらいだという。
「銭湯があるまちが好きなんです」
「家に風呂があっても銭湯行くんですか」
「はい。よくないですか、銭湯。ゆっくり足を伸ばせるし」
そんな話をしながら、このあたりかなと思った場所に到着したが、銭湯がなかった。それでも少し先に煙突のようなものが見え、
「あれです!」
と大槻さんが指をさし、行ってみたら工場だった。
「銭湯じゃないですね」
しばらく周辺を探したが、どうしても見つからないので、仕方なくまた禁を破って地図で確認する。もはや最初のミッションはすっかり跡形もないが、他にどうしようもない。
確認したところ、銭湯のあるはずの場所は更地になっていた。道理で見つからないはずだ。
「ショック。最近こういうパターン多いんですよ」
まちの銭湯は、あちこちでみるみる消えてなくなっているらしい。
ただ、銭湯を探す途中で、異様なものに出会うことができた。巨大なパイロン(三角コーン)である。人間の背丈ぐらいある。いや、もっとでかかったかもしれない。そんなものが工場の軒先に鎮座していた。
見た瞬間、バグだと思った。もしかしてわれわれは自分は人間だと思っていたが仮想空間にいるAIなのではないか?
後に調べたところ、そういうUMA(未確認生物)みたいなパイロンは実在するとのことだった。マラソンの折り返し地点などに棲息しているらしい。
巨大な三角コーン
気を取り直し、次の銭湯を目指す。あらかじめ地図であたりをつけ、そっちの方向へ歩き出した。
なんとなくこのあたりかなという一帯に来たが、またしても銭湯が見当たらない。ここもなくなったのかとあきらめかけていると、大槻さんが力強く断言した。
「いや、今度は絶対あります。銭湯が近い匂いがします。銭湯は匂いでわかるんですよ」
言われて私も注意深く空気を嗅いでみたが、よくわからない。
「どんな匂いなんですか」
「あったかくて、ちょっと焦げ臭いような、ランドリーみたいな匂いです」
何も匂わないが……。
と思ったら本当に銭湯が見つかった。
おお、大槻さんすごい。
昔ながらの瓦屋根の銭湯だ。
「ほら、あったでしょ」
と得意げな大槻さんだったが、扉に気になる紙が貼られていた。
〈しばらくの間休業します〉
「うわあ、ここもかあ」
事情はわからないが、ひっそりとした佇まいに、抜きさしならぬ気配が漂っており、休業と書いてあるものの、再開の予定はなく実質、廃業なのでは? と思わせた。

銭湯(休業中)
ニュースなどで、まれに銭湯が登場することがあり、そういう銭湯は活気があって、最近は人気が復活しているかのように錯覚していたが、実際はそんなのは少数で、ほとんどの銭湯は経営が厳しいにちがいない。自分のまわりには大槻さんのように銭湯好きな人が結構いるものの、それはあくまで趣味的に好きなのであり、毎日通っているわけではないから、売上にはそれほど寄与しない。どこの家にも風呂がある今、銭湯が存続しているほうが奇跡的なことに思える。
ふたたび気を取り直し、って気を取り直してばかりだが、残る最後の銭湯を目指して歩きはじめた。地図を開いて方向を頭に叩き込み、地図をしまう。
3つ目の銭湯は町屋駅に近かった。駅の方角は感覚でわかるので、そっちへどんどん歩いていくと、最初の頃に通った道に出た。簡単に元に戻ってきて、物足りない。全然迷わないではないか。
それに第3の銭湯周辺にたどりついても、またしても見つからない。
「また、なくなってるのかな」
と言うと、
「いや、匂います。銭湯の匂いします」
と大槻さんは明るい声で言い、言われてみるとたしかにランドリーのような匂いがする。なるほど、この匂いか。しかし匂いが濃いほうへ進んでいったものの、やはりずっとふつうの家しかない。
どこからか工事の音がしていて、ふと気になり、ここで地図を取り出して調べてみると、まさにその工事中の土地が、銭湯があるべき場所だった。
「ここもなくなってます」
「え、じゃあどうして匂いがするんでしょうか」
たしかに、匂いははっきりとする。銭湯のものとしか思えない匂いが。
これは残り香とでもいうのだろうか。あるいは匂いのもとになる何かがまだ壊されずに残っているのか。
私は宇宙空間にたゆたっていると言われるダークマターを思い出した。それは空間の大半を占めているにもかかわらずいったい何かわかっていない謎の物質で、一説では並行世界から漏れてきている何かではないかとも言われている。つまりこの匂いは、まだ銭湯が存在している並行世界から漏れてきているのかもしれない。
いずれにしても銭湯はなくなっていた。3軒あるといって喜んでいた大槻さんだが、1つは休業、残る2つは建物すらなくなっていたことになる。
「残念です」
銭湯が、あると思った場所に見つからずにうろうろしているとき、われわれは迷子になっていたと言えるかもしれないが、私が求めているのはそういうことではなかった。
それより、こんなにも簡単に失われてしまうのなら、私もひとつぐらい銭湯に入ってみたかったと思った。服を脱いだり着たりするのは面倒だが、こうなってしまった今、そこはたどりつけない異空間として魅惑的な場所に感じられる。たどり着けないと判明した途端に、そこに行きたい気持ちが盛り上がってきた。
そうして全然興味のなかった銭湯が、徐々に今回の散歩の理想の終着点として、むくむくと脳内で育ちはじめたのは、自分でも意外なことであった。
(第3回につづく)


