「竜宮城」と龍の不思議
なぜ竜宮城のお話に龍が出てこないか問題
誰もが小さい時に読んだ本の中に『浦島太郎』があると思う。
亀の背中にのった太郎が海の中へ潜り、乙姫様に会うという物語。
この物語で「竜宮城」は誰もが知っている言葉になり、なんとなくイメージできるのが、海の底に広がる美しいお城だろう。
昨今のゲームでも、竜宮城をモチーフにしたものは多数ある。
しかしちょっと考えてみてほしい。
「竜宮城」というのに龍が主人公ではないことを。なんなら龍の存在さえ出てこないではないか。
そこで歴史を紐解くと、竜(龍)宮城は、「龍の宮」、「龍の都」、「水晶宮」、「水府」など呼称こそ異なるものの、中国や日本の伝説に出てくる「海の神様のお宮」のことだとわかる。
日本では仏教や陰陽道にも竜宮は登場しているのだ。
そして竜宮の「姿のない神」として龍神様が存在していると、私は考えている。
浦島太郎伝説を詠んだ『万葉集』の中では、竜宮が「海神の神の宮(わたつみのかみのみや)」と表現されている。
「わたつみ」とは「海の神霊」の意味で、それこそが龍神様だったのでは、と推測できる。
こればかりはエビデンスがあるわけではないので、あくまでも私的な解釈なのだけれど。
ちなみに私は竜宮をテーマにしたことはないが、水の中を優雅に泳ぐ龍を描いたという意味では、この絵がその世界観に近いかもしれない。
竜宮城伝説がある神社、和多都美神社
竜宮城のモチーフになったと言われる神社は日本にいくつか点在しているが、テレビでもとりあげられ、『古事記』や『日本書紀』にも書かれているということで有名なのが、長崎・対馬の和多都美(わたづみ)神社。
まさに『万葉集』の「海神の神の宮」と同じ名前の神社である。
この神社には、『浦島太郎』の原型としてこんな伝説が残っている。
和多都美を訪れた山幸彦という神様が、竜宮で美しい豊玉姫と出会って結婚する。
豊玉姫から、けっして見てはいけないと言われたのに、出産の場面を見てしまった山幸彦。
そこには白い大蛇になった豊玉姫がいた――。
どちらかというと『鶴の恩返し』の原型のようにも感じるストーリー。
和多都美神社ではこうした伝承にもとづき、山幸彦と豊玉姫をお祀りしている。
対馬は、鎌倉時代、モンゴル帝国による蒙古襲来で最初の戦いが起こった場所でもあるらしい。
私はゲームに疎いので詳しくは知らないが、大ヒットゲーム「ゴースト・オブ・ツシマ」の聖地としても有名な場所。
私は熊本出身で、福岡に長いこと住んでいたので、対馬ももちろん訪れたことがある。
私が行くと必ず嵐になるという、嵐か大雨を呼ぶ女なのだが、初めて行った対馬は大嵐。
2度目も大雨だった。
しかし、雨にけぶるあの神社の佇まいは、一見の価値あり。
私には「龍がうようよいる感覚」が対馬のイメージ。
あの、もわっとする自然の神様がいる感覚は、ぜひ体感してほしい。
龍神様は、海の神様か山の神様か問題
前回のコラムで少し触れたが、欧米でアートショウを開催する時にはまず、「私はあなたに、日本の龍と欧米の龍の違いを説明しなくてはなりません」とスピーチをする。
話によく盛り込むのは、「昔、龍神様は雨をもたらす恵みの神様として、とても大切にされていた」ということ。
「龍は水の神様である」というのは中国古来からの言い伝えというより、日本の農耕民族の中で生まれた信仰のようだ。
事実、当時農民たちが一番願っていたのは「豊作」。水不足は大変な事態だった。
だからこそ、「雨を降らせてください」と神社で祈る農民たちがたくさんいて、龍神様が出てきて恵みの雨をたくさん降らせたという伝説はあちこちに存在する。
実際、私も龍神様を描く時に「水」を意識している。
水が流れるかのようなタッチ、届ける愛が溢れ出るイメージ。
脳内には常に水龍がいる、と言っても過言ではない。
とはいえ、龍神様は同じところにはいない。
時に空だったり、時に水の中だったり。神社の境内からひょこっと顔を出されたりする。
海の神様であるか、または山の神様であるかはどちらでもよく、「人々に幸せと豊かさをもたらす」のが古来からずっと愛され、拝まれてきた龍神様の姿なのではないだろうか。
ちなみに私は「龍神様がついている」と表現されることがあるが、イベント先でもほぼ必ず、大雨か嵐になることが多い。
アートショウで大雨が降るたびに「MARIさんが来るんだもの、仕方ないね。土砂降りだね」と、今では言われるくらいだ。
恵みの雨で大歓迎、これこそ龍神様の歓迎方法なのだろう。
ありがたく、これからも大雨を呼ぶ画家として生きていく。
そういえば、先月開催した、恒例の表参道アートショウは珍しく晴れていた。