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「まとも」から抜け出すための対話

木ノ戸昌幸さん×稲垣えみ子さんトークレポート(3)「できない」世界の豊かさに気づく

稲垣 親の老いに直面してみて、自分は物事がスムーズに進まないということへの耐性が、ものすごく低いなって思ったんです。それがどれだけ母を傷つけただろうかって。効率的な社会に疑問を持っている自分が、どうしてもイライラを制御できなかった。いかに効率に縛られているかということですよね。日々やるべきことも多いなかで、さくさく進まないことを面白がっている木ノ戸さんはすごいなと思うんですが、イラついたりしないんですか?

木ノ戸 イライラしっぱなしですけどね(笑)。イライラしちゃいけないって思うのがまずダメなんじゃないでしょうか。つらいとかしんどいとか、一般的にマイナスなことって誰にも起こり得るじゃないですか。まずはそれを表明できることが大事なんじゃないかと思いますね。

稲垣 でも、相手が病気だったりして圧倒的な弱者だった場合、強い立場にいる人間がイライラすると、より不均等な関係性が強まって怯えてしまうというか、良くない効果を生むじゃないですか。

木ノ戸 そういう意味ではやっぱり、自分がイライラするだろうなっていう相手の行動を面白がってますね。例えば、ものを食べるのがめちゃくちゃ遅い人がいるとするじゃないですか。肉団子ひとつ食べるにも、いちいちスローモーションみたいな。そういう時には「俺、絶対こんなに遅く食べれないわ!」とか。逆を発想にすれば、「できない」ことじゃなくて、それは彼が「できてる」ことなんですよね。

稲垣 なるほど! 幼少のころからそういう視点をお持ちだったんですか?

木ノ戸 いや、スウィングを作って、おかしな人とたくさん接しはじめてからだと思いますね。彼らには、自分の普通ってものを常に裏返されます。例えばスウィングのXLさんという人は、最近まで「敷布団を敷いて寝る」っていう習慣がなかったんですよ。

稲垣 えっそのまま床に?

木ノ戸 はい。最新の健康法とかじゃなくて、単に彼の家は「そう」だったんですね。逆に言えば、敷布団なんてなくても別にいいんだってことが分かります。あるいは彼は今、歯がないんですよ。でも入れ歯なんかしてないんですが、肉もこんにゃくも何でも食べられる。僕たちは、歯がなくなったら入れ歯を入れなくちゃって思い込んでるけど、歯がなくなったら、歯茎で食べられるんです。

 
右がXLさん
右がXLさん。ややこしい京都市営バスの路線・系統を丸暗記しているという
特性を生かした「京都人力交通案内」の活動中。
 
 
稲垣 すごい。一種の進化ですよね。

木ノ戸 この事実、歯科業界が震憾すると思うんですよね(笑)。

稲垣 ないならないで、できるんですよね。最近ちょっと老眼が気になってきて、しばらくは友達のお古をかけていたんですが壊れてしまって、自分で買おうか迷ったんです。でも母の介護のときに考えたことを思い出して。人って歳をとると、機能的にどんどん衰えていくじゃないですか。回復もせず、できないことばかりが増えていく。親も悲しいし、私も悲しい。でも、できないことを悲しいと思うのも、ひとつの思い込みだったんじゃないかと思ったわけです。「できない世界」の良さが、きっとあるに違いない。だから老眼鏡は一生買わないって選択をしたんです。そしたら、夜によく縫い物をするんですが、針に糸がすんなりと通るんですよ。

木ノ戸 ……嘘ぉ。

稲垣 本当です。おそらく「心眼」というやつです。見ちゃいけない。目を凝らすんじゃなく「ぼんやり」見ると、スッと通る。

木ノ戸 それ、ほんとは通ってないんじゃないですか?(笑)

稲垣 いや、通ってる通ってる! 人間の能力って計り知れないですよね。老眼で「見えない」世界を受け入れると、自分の中に隠れていた新たな能力に気づくわけですよ。……って、真面目に聞いてます?

木ノ戸 聞いてます、聞いてます。

稲垣 「ない世界」はすごく広いです。今までは失われた能力も含めて、「ない」って絶望や敗北だと思ってきた。でも、「ない世界」って実はワイドなんだって実感すると、老後が輝いていくんですよ。「ない」ことってすごいって。みんな便利なものに囲まれているから、自分の能力に気づいてなかったり、それを眠らせているうちになくなっていたりする。でも便利なものに頼らずに「できないこと」に向き合ってみると、自分の秘めていた力が蘇ってくるのを実感できるので、老化はチャンスだなと。だから老眼鏡は買わなくてよかったです。
「できる/できない」って意外と、「お金を生む/生まない」で判断されていることが多い気がします。それもひとつの真実ですけど、それ以外の真実もたくさんあるということに気づかないから、転落を恐れて、無限の恐怖のなかで生きているのかなって。

木ノ戸 スタンダードから外れてしまう恐怖ですね。

稲垣 経済が上向きだったころは、世の流れに普通に乗っていけば人生うまくいっていたんですが、今、しんどい時代だからこそ、逆に「ない世界」の豊かさに気づけたのかなって。

木ノ戸 XLさんは、中学時代はいじめられていて、卒業後は左官屋に就職するんですが、そこでも同じ目に遭ってしまって。仕事を辞めて15年くらい、ひきこもってたんですね。

稲垣 15年間の後に出て行くってすごいことですよね。

木ノ戸 彼自身は元々人が好きだし、表現することも多分好きなんです。だから、スウィングに来て良くなったんじゃなく、そもそもの自分に還っている気がします。

稲垣 私、よく知っている人からは戦略家だって言われるんです。今の「ない生活」をはじめたのも、これからの日本でお金をたくさん持って幸せになるなんて、絶対無理だからです。いくらお金持ちでも、お金は使えばなくなっていくし、日本全体だって経済成長しているわけじゃないわけですから、「お金」という尺度で言えば、みんな貧乏になっていくわけですよ。そのなかでもなんとか貯め込んで、老後を生きていく戦略って、掛け率が低いっていうか、負けじゃんと思って。じゃあ「ある」よりも「ない」ほうが全然豊かだと発想を転換すれば、すべてが反転して急に大金持ちになれるんじゃないか、と。
 お金を貯め込もうと自分が1円得しても、その背後で誰かが1円損している。だから敵が増えるというか、まわりが不幸になるわけですけど、お金いらないと思った瞬間に、相手の取り分が増えて、回り回って幸せな人が増えていくというような……急に世界が変わるんですよね。

木ノ戸 我慢しながら頑張っていると、それを他人にも求めてしまう。おれも頑張ってるんだからお前も頑張れ、ってギスギスしていく。だから、ダメでもいいじゃないかって考えの人が増えていけば、楽になる人が増えていくんじゃないかなと思います。
 そろそろ時間みたいなので、何か質問ある方、いらっしゃいますか?
 
(会場からの質問①)
 時代が違っていたら、「ない」豊かさとか「ダメでもいい」という考えはあったでしょうか?

稲垣 私はちょうとバブル期が就職活動と重なっていたんですけど、あの時ってみんな、このままずっと右肩上がりだって思い込んでいたんですよね。それが崩壊して苦労したわけですけれども……。私自身、バブルに戻りたいとはまったく思わないです。個人的には、「ない」という鉱脈を見つけた今のほうがバブルですね。当時のほうが豊かだったとは思いません。

木ノ戸 僕は当時まだ中学生だったんですが、あのときに流れていたイメージは強烈でした。僕も大人になったら、マハラジャというところに行って踊んなくちゃいけないんだろうなって思ってましたね。苦手なのに。そういうプレッシャーを感じてました。

稲垣 バブル像がマハラジャだったんですね(笑)。私はマハラジャもジュリアナも行ったことないので、お立ち台で踊っている人の姿はテレビでしか見たことありません。あれを実際に体験した人ってほんの一握りだと思います。そんな世界にプレッシャーを感じて冷や汗かいてた人がいたっていうのが、驚きですね。

(会場からの質問①)
 「ない生活」のなかの、「食」について聞きたいです。

稲垣 お金を払えば良いものが食べられるってわけでもないのかなって思っていて。最近は、拾い食いというか……食べものを近所で「採取」してるんですよね。例えばこの季節だと道に山菜が生えてたり、梅の実が地面に転がっていたりするので、それを拾って漬けたり。ウチ、まわりがけっこうおしゃれ地帯なので、庭にハーブを植えているお家が多いんですけど、「側溝」にそこから派生したローズマリーやミントがたくさん生えてるんですよ! だからハーブを買う人の気が知れなくなって。だんだん慣れてくると、お、これ食える、って分かってくる(笑)。柔らかそうと思って食べてみて、あ、これはアブラナだね、とかね。視覚と味覚が一致してくる。野生動物だって食べられるものとそうでないものを見分けてるわけじゃないですか。だから人間だってそういう能力があるはずなんです。
 
木ノ戸 心眼ですね。おもしろいなあ。

稲垣 「ない生活」をするにあたって、心のよりどころがひとつありまして。滋賀県・高島市の針江区では、豊富な湧き水を家庭用水として使う「川端(かばた)」というシステムで生活しているんです。記者時代に見学させてもらったんですが、そこでは汚い水を下流に流しちゃいけないから、各家庭で鯉を飼ってるんですよね。鯉が鍋にこびりついたご飯粒とかを食べて、浄化してくれた水を流すしくみなんですが、その鯉がめちゃくちゃでかいんですよ。シーラカンスくらいのサイズに成長していて。それを見て、みんなが捨てるものを食べていれば、太るくらいに食べていけるんだって思ったんです。
 実際に私はおからや酒粕、果物や野菜の皮も全部食べてるんですよ。インターネットで調べれば、先人が試していて、大体は食べられる。食べものにお金をかける余地があまりないんです。

木ノ戸 逆に飽食なんですね。そんな逆の発想をしてみたら生き方が広がっていきそうです。

稲垣 やり方はたくさんあるんですよね。だからそんなに人生を恐れる必要ないなって思うんです。でもこんなふうに楽しく生活していても、しょっちゅう「いつまでそんな我慢してるの?」って、初対面の人に必ず聞かれるんです。いかに世間の「幸せ」が狭くて思い込みが強いか、実感しますね。

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著者略歴

  1. 木ノ戸昌幸

    1977年愛媛県生まれ。NPO法人スウィング理事長。立命館大学文学部卒。引きこもり支援NPO、演劇、遺跡発掘、社会福祉法人勤務等の活動・職業を経て、2006年にNPO法人スウィングを立ち上げ、「障害福祉」の枠を超えた創造的実践を展開中。今回が初の単著。

  2. 稲垣えみ子

    1965年愛知県生まれ。87年朝日新聞社入社。論説委員、編集委員を務め、原発事故後にはじめた「超節電生活」を綴ったアフロヘアの写真入りコラムが話題となる。2016年に早期退職し、現在は築50年の小さなワンルームマンションで、夫なし、子なし、定職なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしの「楽しく閉じていく人生」を模索中。近著に『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)など。

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