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本屋さんのブックレビュー ~私の棚のイチオシ!

『まともがゆれる』(評者:吉祥寺ブックス ルーエ/花本武さん)

 私は42歳だ。42年間、もがいて生きた。もう42年くらい生きたいとおもっているし、あわよくばさらに長く生きて、世界最高齢まで達し、ギネスブックにレコードされたい。葛飾北斎はあの時代にしては、かなり長生きした。死の床で、おれはもっと長らえたらもっと凄い絵描けるぞ、みたいなことを言った。実際、そうだったに違いない。
 
 死ぬときに自分も周囲も苦しいおもいをするだろうか。人生の最期につらく終わる、ということがすごく理不尽だ、と最近よくかんがえている。死をコントロールするのは、とても難しい。
 
 いや、まてよと、生と死は表裏一体だ、生きることが存分にできたなら、最後の最後まで自由でいられたなら、それは死を凌駕するんじゃないか。
 
 うん。じゃあ「自由」ってなんなんだ。自由である。とはどういう状態なんだ。自由は絶えずおびやかされているとおもう。世間の常識とか自らの固定観念、過去の経験則や身近な人間の忠告。そして社会の圧力。自由であるためには、絶えず自由を希求するモチベーションを保つ必要があると感じる。
 
 なんかそんなの面倒くさい…。自由を求めるあまり、緊張を強いてしまうという泥沼感がある。なんなんだよ、どうしたらいいのか。
 
 木ノ戸昌幸さんの『まともがゆれる』に一筋の光明がある。木ノ戸さんのプロフィールを見ると、私と同年の生まれであることがわかった。いくつかの職を転じて、もがいた末に京都で障害者福祉NPOスウィングを運営している。
 
 この本にはスウィングの活動や障害者たちの作品がたくさん紹介されている。一点一点に私はいちいちゆさぶられる。自由であろうとする、ことからも自由なんだもの。自由であらなくちゃ!なんていう観念がスコーン!とかっとばされる。
 
 障害者の表現がアートのジャンルに取り込まれると色褪せる。そういう危惧をものともしない凄まじい強度。創作者に障害があるかどうかなんて、どうだっていい。やってくれるじゃないか、こっちだってつまらない健常者に甘んじる気はない。スコーン!とやるよ、スコーン!と。
 
 『まともがゆれる』の副題は、「常識をやめる「スウィング」の実験」。この本は実験中の経過報告という位置付けになるのだろう。私は実験の成功を切に願うものだ。スウィングという組織が豊になることではない。社会全体がスウィング的な自由を謳歌できる場になることが成功だ。


『まともがゆれる』(木ノ戸昌幸 著)


花本武さん
1977年東京生まれ。吉祥寺ブックス ルーエ勤務。
目標は、「多様性を全力で肯定する棚を作り、世界を更新していくこと」

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