『幻滅と別れ話だけで終わらない ライフストーリーの紡ぎ方』(評者:はしもとさん/大学生協勤務)
手回しで開けた窓ガラス、風に流れる髪。
背中とお尻がやけどするくらいに熱くなった、布地じゃなくてビニール地のシート。
ダッシュボードの上には、セブンスターのソフトとライターが転がっている。
国道286号線、過ぎていく建物や看板。小さな音量のAMラジオ。
「青い空、すごくきれいだね」と、運転する母の声、横顔。
「お母さん急に倒れちゃって、救急車呼んで、入院することになったよ。」
寝入りばなに届いた、姉からのLINEに、どう返事をしたのかは、まるで思い出せないというのに、幼い頃のうだる夏の断片は、いまでも鮮やかに記憶しているだなんて知ったら、母はどう思うのだろう。
ありきたりな断片のひとつでも、色濃いものとなっていることの不思議。
その紐解きが、この本の中にあるなんて思いもしなかった。
精神科医でミュージシャンのきたやま先生は、二百年以上も前に描かれた浮世絵の、何百組もの母子像を調べると、特徴として、母子が同じことをしていたり、見ていたりする場面がとても多くあったそう。
その場面から母と子の内的・外的交流、構図から身体的・情緒的交流を見つけ、「こころ」と「こころ」の触れ合い、つながりを読み解いていく。
まさか、江戸時代の母子と、昭和の終わりごろに居た母子が重なって見えてくるなんて。
「すごくきれいだね」とつぶやいた母、それを聞いていた私の「こころ」が触れ合ったことで、色濃く残っているのかもしれない。
私も母になって、娘と手をつないで歩き、「月がきれいだねえ」とか「あれが富士山だよ」とつぶやき続けている。
いまでは逆に、「お母さん、これはナンテンの実なんだよ」と教えてくれもする。
もしかしたら、娘の断片のひとつに、どれかがなるのだろうか。
倒れた母は、意識が戻ってからしばらくの間、ばつが悪そうな顔をしていたそうだ。
「それがすごく子どもみたいで、なんだか逆転したみたい」と、姉が言う。
今度会えたときには、この本の話をしようと思う。
おんぼろなスズキの白いアルトが、だいすきだったことも一緒に。
『幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方』(きたやまおさむ+よしもとばなな 著)
はしもとさん
大学生協勤務。黒い靴に、赤い靴下を合わせて履くことがすきです。最近は、上間陽子さんの『海をあげる』を読み返しています。