タケオの遠回り(その1)
最初は、コスモスを見たいからという理由だった。
僕たちの小学校の学区内には、広い河原のある川が流れている。その河原の一角がコスモス畑になっていて、花の盛りの時季はあたり一面が赤紫色に染め上げられて、とてもきれいなのだ。
「ヒロシ、見に行こう」
タケオに誘われた。
「まだ咲いてるかなあ」と僕は首をひねった。コスモスが咲きはじめるのは九月の初めで、いまはもう十月の下旬だった。
「だいじょうぶだよ、行こう行こう」
僕とタケオは六年三組のクラスメートの中でも一番の仲良しで、家が同じ方角にあるので、学校の帰り道はいつも一緒だった。
「じゃあ、一回ウチに帰ってから……」
「そうじゃなくて、帰りに行こう」
「寄り道?」
「うん、だってウチに帰ってまた出かけるのって、面倒くさいだろ」
「でも……」
河原に寄るのは、ずいぶん遠回りになってしまう。
学校を出て、タケオと別れる三叉路まで、ふだんは商店街を通って帰る。一年生の子もいる朝の集団登校では歩道のある別の道を使っているけど、帰りは商店街を通ったほうが近道なのだ。でも、河原を回ると、三角定規の二辺を歩くような格好になってしまう。十分足らずですむはずの道のりが、二十分……三十分以上かかるかもしれない。だったら一度ウチに帰ってから自転車で出かけたほうが早いし、楽だ。
「そうしない?」
時間がかかるのを説明してから、もう一度訊いてみた。
ところが、すぐに納得して、賛成するだろうと思っていたタケオは、急に不機嫌になって、「じゃあいいよ、オレ一人で行くから」と歩きだした。
「わかったわかった、付き合う」
あわてて追いかけた。びっくりした。ふだんのタケオはこんなに短気じゃないし、ワガママでもない。なにかオレ、怒らせるようなこと言ったっけ?
学校を出ると、タケオはあっさり機嫌を直して、むしろふだんより元気におしゃべりをした。いつもとは違う道を歩くのがすっかり気に入ったみたいで、「へえ、こんなところにパン屋さんがあったのか」「ここの公園、遊びやすそう」と声をあげた――もっとも、パン屋さんも公園も、学校帰りは初めてでも、自転車では、その前を何度も通りかかっていたのだけど。
河原のコスモスは、ピークの時季ほどではなかったけど、まだたっぷり咲いていた。
もっとも、コスモス畑として区切られた一角を除くと、あたりはセイタカアワダチソウの黄色い花が咲き誇っていた。セイタカアワダチソウは、「セイタカ」という名前どおりに背が高い植物だ。コスモス畑を管理する市役所は、畑の周囲をレンガ敷きにして、せっかくのコスモスの花がセイタカアワダチソウに隠されないように工夫していた。
「コスモス、きれいだよな。やっぱり来てよかっただろ?」
タケオはうれしそうに、ちょっと自慢するみたいに言った。
僕はうなずいて、「でも――」と言った。「セイタカアワダチソウ、邪魔だよな」
あの黄色い花がなければ、きっとコスモスの花の赤紫色は、もっと鮮やかに見えただろう。「知ってる?」と、僕は少し前にお父さんから聞いたばかりの話をタケオに伝えた。
セイタカアワダチソウは外来植物だった。明治時代にアメリカから持ちこまれた。とても生命力が強かったので、この国の気候風土にしっかり馴染んで繁殖した。
さらに、セイタカアワダチソウは、まわりの植物が育つのを邪魔する力を持っている。根っこから、他の植物の生長を邪魔する化学物質を分泌するのだ。だから、もとからある草花をどんどん追い払って、自分たちの縄張りを広げていく。河原や空き地、耕す人のいなくなった田畑は、そんなふうにして、いまではすっかりセイタカアワダチソウの天下になってしまったのだ。
「お父さんの子どもの頃は、この河原も、もっとススキが生えてたんだって。でも、セイタカアワダチソウが来たら、どんどん枯れていっちゃって……」
生存競争に負けたんだ、とお父さんは言っていた。動物でも植物でも、自然の世界は、僕たちが思っているよりもはるかに生きていくのが厳しいのだという。
「セイタカアワダチソウって、よそ者のくせに生意気だと思わない?」
理科の得意なタケオだから、絶対に興味を持つと思って話したのに、反応は鈍かった。しゃべっている僕ではなく、河原のほうを見たまま、「うん……」と相槌を打って、それっきりだった。
なにかヘンだ。絶対にヘンだ。いつものタケオとは違う。気になっても「どうしたんだよお」と軽くは訊けない、訊いたら本気で怒りだす、そんな雰囲気が横顔や背中から感じられる――それが、なによりも、いつものタケオとは違うところだった。
帰り道は予想以上に時間がかかって、三叉路に着くまでに四十分以上もかかってしまった。まあ、一日だけならいいか……と思っていたら、別れぎわにタケオは「明日もコスモスを見に行こう」と言った。
「じゃあ、明日はウチに帰ってから自転車で行こうよ」
今度もだめだった。タケオはまたムスッとした顔になって「帰りに寄る」と言い張ったのだ。「嫌だったら来なくていいよ」
「……べつに嫌じゃないけど、寄り道したら帰りが遅くなるし、自転車のほうが楽だろ」
「もういい、オレ一人で行くから」
怒って帰ってしまった。
どうしたんだろう。僕たちは幼稚園の頃からの付き合いだけど、いつものタケオはほんとうに、もっと明るくて、おおらかで、自分の意見を無理やり押し通すようなヤツじゃないのに……。
次の日の放課後、タケオはやっぱり「河原を回って帰ろう」と誘ってきた。迷ったけど付き合うことにした。コスモスはどうでもいい。タケオがどうして急に寄り道をするようになったのか、理由を探りたかった。
学校を出るとタケオは昨日と同じようにご機嫌になって、寄り道の途中で目にする建物や街路樹を「うおおっ、豪邸! 億万長者のウチじゃないの?」「イチョウの樹だろ、これ。ギンナン拾えるよ、すげーっ」と、大げさすぎるほどほめたたえた。
さらに、その次の日も――。
三日続けて付き合っても、タケオが河原にこだわる理由はわからないままだった。しかも、コスモス畑をあとにして土手道を歩いているときに「明日も行こうぜ」と誘われた。
三叉路で別れるときに、思いきって訊いてみた。タケオは「コスモスがきれいだから見たいんだよ」と言って、「文句あるのか?」とにらんできた。
さすがに僕もアタマに来て、にらみ返して言った。
「明日は用事があるから、行かない」
タケオは一瞬、途方に暮れた顔になった。なにか言いたそうに口が動いたようにも見えた。でも、声にはならない。代わりに「べつにいいよ」とだけ言って、ダッシュで帰ってしまった。
ちょっと待ってくれよ、どうしたんだよ、なにかあったのか――?
僕の訊きたかった言葉も声にはならずに、まるくなったタケオの背中が遠ざかっていくのを、ただ見送ることしかできなかった。
遠い昔の思い出話だ。
僕の幼なじみの少年と、子ども好きで気さくな惣菜屋さんについての話でもある。
僕とタケオがふだん学校帰りに通っている商店街のことだ。戦後間もない頃にできたから、もう二度と戦争はしたくないという思いを込めて「平和」と名付けられた。
「看板、って?」
「知らないの? ヒロシ、いつも平和銀座を通ってなかったっけ」
「うん……そうだけど、ちょっといま、別の道を通って帰ってるから」
マサヤは理由まで詮索することはなく、話を先に進めた。
平和銀座のお店は、まとまりのよいことで知られている。みんなでお金を出し合って空き店舗を事務所として借り上げ、しょっちゅう寄り合いを開いて、商店街全体のセールやお祭り、新聞広告などを決めるのだ。
その事務所に、新しい看板が掲げられた。
『明るく健全な平和銀座を守る会』
ワケがわからない。
明るく健全な――あらためて言われなくても、そうだと思う。
平和銀座を守る――ということは、いま、なにかのピンチなの?
きょとんとする僕に、マサヤは「じゃあ教えてやるよ」と言った。クラスで一番勉強のできるマサヤは、おとなの世界の話にもくわしい。
「でも、食器を運んだあとだな。廊下で大きな声でしゃべると、誰に聞かれるかわからないし」
「聞かれるとだめなの?」
「人によっては、けっこうまずいかも」
マサヤはそう言って足を止めた。
「念のために確認するけど、ヒロシの名前とか苗字って、ホンモノ?」
「……はあ?」
口をぽかんと開けた。もっとワケがわからなくなった。
でも、その反応がむしろ正解だったのか、マサヤは安心したみたいに笑って、「あとで教えてやるから」と歩きだした。
両親によると、平和銀座は僕が赤ん坊の頃まではけっこう栄えていたらしい。でも、小さな個人商店がほとんどなので、品揃えや安さでは大手のチェーン店に太刀打ちできない。駅前にデパートやアーケード街ができると、遠くから来るお客さんをあっけなく奪われてしまい、よく言えば地元密着型、正直に言えばさびれた商店街になってしまった。
実際、空き店舗を取り壊したあとの更地が、この一、二年で何ヶ所も増えた。学校帰りに通りかかっても、どの店もたいして繁盛しているようには見えない。
ただ、そのぶん雰囲気がのんびりしていて、お店の人たちもみんな親切で気さくだった。毎日学校帰りに通っていると、名前は知らなくても顔なじみになって、「おう、お帰り」と声をかけてくれる人がたくさんいる。『コジマ薬局』のおばさんには夕立のときに傘を借りたこともあるし、お弁当やおかずを売っている『やまちゃん』のおじさんは、ときどき僕とタケオを呼び止めて、「揚げすぎちゃったから、おやつにしろよ」と、イカのすり身を小さく丸めて揚げた名物料理の『やまちゃんボール』をごちそうしてくれる。
そんな平和銀座で、もうすぐ大がかりな工事が始まる。更地に挟まれたお店を買い取ってできた広い土地にビルが建つことになったのだ。
「でも、それで大騒ぎになったんだ。商店街はみんな猛反対して、市議会の議員さんに相談したりして」
教室のベランダからグラウンドを眺めながら、マサヤが言った。
「なんで反対するの?」
僕は首をひねって訊いた。「新しい店が増えるのはいいことじゃないの?」
「中身によるだろ」
「中身って?」
「そのビルに入るの、どんな店だと思う?」
「……本屋さん、とか」
個人的な願望を込めて言うと、マサヤは「そんなのだったら誰も反対なんかするわけないだろ」と苦笑して、答えを教えてくれた。
十八歳未満、立ち入り禁止――。
昼間よりも夜、それも遅い時間のほうがにぎわう――。
きれいな女の人を相手に酔っぱらいたい人や、勝負ごとで景品やお金を稼ぎたい人が通い詰める――。
新しく建つビルには、そういう店が何軒も入る。
「商店街のみんなが怒って反対してる理由、わかるだろ?」
「うん……」
「まあ、反対するのは自由だし、ウチの母ちゃんも学区の中にそんな店があるのは迷惑だって言ってたから、べつにいいんだけど」
『明るく健全な平和銀座を守る会』の看板のまわりには、〈絶対反対!〉〈風紀を乱すな!〉などと大きな文字で書かれたチラシも、事務所の外壁を覆い尽くすようにたくさん貼られていた。中には、ビルの建設計画を進めている会社がいかにいままで悪いことをしてきたかを書いたものまであった。
社長の名前もあった。
〈○○○こと、△△△社長は――〉
「名前が二つあるんだ。一つが、ふだん使ってるニセモノの名前で、もう一つが、みんなには秘密にしてるホンモノの名前」
マサヤのお母さんはそれを見て、びっくりしていたらしい。
「あの会社、あっちの人がやってるんだ……って」
あっち――。
隣の国のことだと、マサヤが教えてくれた。
この国には、隣の国から移り住んできた人が何十万人もいる。
「市内にも意外とたくさんいて、いろんな仕事をしてるんだ」
でも、その人たちの多くは、隣の国の言葉を使ったホンモノの名前を隠しているのだという。
「だから、なかなかわからないんだけど……けっこう身近なところにもいるんだって。みんな似たようなニセモノの苗字を使うから、慣れれば見分けられるって、父ちゃんが言ってた」
僕はなにも知らなかった。
だからすぐに「なんで?」と訊いた。「なんで名前を隠してるの?」
「差別されるからだよ」
「なんで?」
「だって――」
マサヤは言いかけた言葉を呑み込み、急にばたばたとしたそぶりになって、「あとは自分の父ちゃんとか母ちゃんに訊けよ」と早口に言った。「オレがしゃべったってこと、絶対に誰にも言うなよ、いいな!」
なぜ口止めするのかわからないまま、僕はマサヤの剣幕に気おされて、うなずくだけだった。
その日の放課後、タケオは僕を誘わず、一人で河原のほうに向かった。
僕も一人で帰った。平和銀座を通ると、ビル建設反対のチラシは事務所だけでなく、一軒一軒の店先や電柱にも貼ってあった。同じ言葉のチラシはどれも文字の形が揃っているので、コピーを取っているのだろう。
マサヤが言っていたとおり、社長の二つの名前を書いたチラシもある。それを見たとき、ランドセルを背負った肩がキュッとすぼまり、思わず「うそ……」と声が漏れそうになった。
社長がふだん使っている苗字は、タケオの苗字と同じだったのだ。
偶然だよな、と肩の力を抜いて笑った。だってタケオのお父さんは会社勤めだし、市内に親戚がいるという話も聞いたことないし。
でも、歩きだしてしばらくすると、昼休みにマサヤから聞いた言葉がよみがえった。
みんな似たようなニセモノの苗字を使うから――。
肩がまたこわばってきた。
次の日、僕はまたタケオに付き合って河原に回った。はっきりと仲直りしたわけじゃなくても、タケオが「オレ、またコスモス見て帰るけど」と言って、「じゃあオレも」と僕が応えれば、それで元通り――僕たちはずっと、そんなふうに友だち付き合いをしてきたのだ。
平和銀座のチラシの話は、僕からはなにも言わなかった。タケオも言わない。そもそも平和銀座の話題そのものを、まったく口にしなかった。
タケオは河原を通る道をすっかり気に入って、「ここ、いいよ」「やっぱり川は景色がきれいだよな」と何度も何度も繰り返す一方で、僕がわざと「平和銀座、先週から全然通ってないな」と口にすると、たちまち機嫌が悪くなってしまった。
だから、やっぱりそうなのかなあ、と思った。
タケオはチラシを見たくないのだ。
ということは、つまり……。
そこで考えるのをやめた。ドアをバタンと閉めるように、思いを巡らせるのを止めた。これ以上踏み込んではいけない。
マサヤが急に話を切り上げた気持ちも、なんとなくわかった。よけいなことまで話してしまった、と気づいたのだろう。やめればよかった、と悔やんで、怖くなったのだろう。
僕も怖くなった。失敗したあとで「いまのノーカン、ノーカン」と取り消すみたいに、最初からなにも聞かなかったことにしたい。
なぜそう思うのか。理由は、よくわからなかったけれど。
日曜日の夜のニュースだ。
この日もまた、都内の大通りでヘイトスピーチが撒き散らされた。濁った憎悪や澱んだ悪意が、休日の午後の青空をズタズタに切り裂いてしまう。
デモ隊で目立っているのは若者たちだったが、それはカメラの撮り方のせいかもしれない。悪びれもせずに隣の国の人たちを虫けら呼ばわりする若い連中の背後には、驚くほど多くの中高年の姿が映り込んでいた。
僕と同世代の人は何人参加しているのだろう。もしかしたら知り合いがいるかもしれない。絶対に、断じて、なにがあってもいない――とは言えないのが、悔しくて、哀しくて、情けなくて、怖い。
我が家の息子と娘は、すでに成人して社会に出た。この国と隣の国との歴史も、国民同士の感情も、隣の国からこの国に移り住んだ人たちの置かれた立場も、移り住むにあたっての事情の数々も、一般常識の範囲内ではあっても理解しているはずだ。
間違ってもヘイトスピーチをする側に回るような人間にはなっていない――と、信じている。
「子どもたちには見せたくないね、こういうの……」
妻がため息交じりに言うそばから、テレビカメラは、デモ隊を反対側の歩道から見つめる幼い女の子を映し出した。まだ小学校に上がる前だろうか。おびえた顔をして、お母さんの腰に抱きついていた。
「いまの子、もし隣の国の子だったらすごくかわいそうだし、そうじゃなくても、心の傷になっちゃうような気がする」
「うん……」
僕はうなずいたあと、心の中で続けた。
でも逆に、見せられたために、わかることもあるのかもしれない――。
四十数年前の、ランドセルを背負った僕が浮かぶ。なあ、そうだよな、と声をかけると、あの頃の僕は黙ってうなずいた。
半月ほどすると、河原のコスモスの花はさすがにほとんど枯れてしまって、「コスモスがきれいだから見に行こう」という遠回りの理由がキツくなってきた。
すると、タケオは「どんぐりがたくさん拾えるんだよ」と、途中に小さな雑木林がある別の道を見つけてきた。今度の道も、平和銀座を避けた遠回りだった。
「たまたまだよ、たまたま通って見つけたんだ」
何度も「たまたま」を強調していたからこそ、わかった。いったん帰宅したあと、一人で自転車に乗って出かけて、新しい道を探したのだろう。
さっそく二人で寄り道をして、雑木林でどんぐりをたくさん拾った。ミノムシも見つけた。
「どうだ? いいだろ、この道」
「うん、いいな」
「明日からもこっち通ろうぜ」
「うん……わかった」
このルートなら河原に寄るほどの時間はかからない。秋が深まって陽が暮れるのが早くなったので、助かる。僕も付き合いやすい――いや、たとえ川を渡ってしまうような、もっと長い距離の遠回りになったとしても、僕はタケオに付き合っただろう。
六年三組の教室では、タケオについてのウワサ話が、タケオのいないところで広がっていた。
平和銀座のトラブルは、もうみんなが知っている。ビルのオーナーの社長に名前が二つあることも、ニセモノの苗字がタケオの苗字と同じだというのも、ひそひそ声で教室中に伝わっていった。
でも、誰もタケオには直接訊かない。「もしかして、タケオ、もう一つ苗字があったりする?」「タケオって、ほんとは隣の国の出身なの?」――算数の授業でわからないところを質問するより、ずっと簡単なのに。
マサヤは「ヒロシが訊けばいいんだよ」と僕に押しつけてくる。「だって帰りはいつも一緒だし、他のヤツがいないときのほうがタケオも正直に言いやすいんじゃないか?」
正直に、という言葉にムッとした。タケオが嘘をつくかもしれないと疑っている。なんだよそれ、と文句をつけようとしたら、マサヤは先回りして話を続けた。
「まあ、でも、正直に言うと損するから、言わないかな……」
一人で答えを出して、「それはそうだよな、ふつう言わないよなあ」と一人で納得して、「訊くとかわいそうだもんな、タケオが」と笑った。
正直に言うと損する――。
訊くとかわいそう――。
息苦しくなった。胸の入り口に蓋をされたみたいだった。
この国と隣の国が昔どういう関係で、いまはどういう関係なのか、僕はまだしっかりとわかっているわけではない。
でも、それぞれの国の人たちが相手に対してどんな感情を抱いているかは、もう、なんとなく、わかる。
だから、最近タケオのことを考えると、息が苦しくなってしまう。
頭で知っていることに心が追いつかないせいなのか。それとも逆に、頭が理解できていないのに心が揺れ動いているからなのか。どっちなのだろう。
マサヤに言われるまでもなく、僕だって学校帰りに何度も訊こうとしたのだ。確かに二人きりのときだとタケオも話しやすいだろうし、なにより、僕たちはクラスで一番の仲良しなのだ。
でも、訊けない。「あのさ、タケオ……」と話しかけるところまではできても、「なに?」と振り向いて返されると、目をそらして、まったく違う話をしてしまう。
答えを知るのが怖い。
怖いと思うことがそもそも間違いなんだと、頭では知っているのに心が追いつかない。
どうして怖いと思ってしまうのだろう。説明できない。二つの国のことを僕はまだ知らなすぎる。頭では理解できていないのに、心は激しく揺れ動いて、止まらない。
こうなったら、いっそ、タケオが自分から言ってくれればいいのに。やつあたりめいたことを思って、ふと気づく。
もしもタケオが隣の国の出身なんだと打ち明けたら――。
僕はどんな顔をして、どんな返事をすればいいのだろう。
頭でも、心でも、わからない。
ビル建設をめぐるトラブルは、なかなか収まらなかった。商店街の始めた反対運動は、近所の町内会や小中学校のPTAまで巻き込んで広がっていった。
チラシが何種類もつくられて、街のあちこちに貼られたり配られたりした。ほとんどは生活環境を守ろうと訴えたり、子どもへの悪影響を心配したりする内容だったが、中にはひどいものもある。
十一月の半ばに郵便受けに入っていたチラシは、ビルのオーナーになる会社の社長が隣の国――「あっち」の出身だというのを、いかにも後ろめたい秘密を持っているように書いて、だからあの会社は悪いんだと決めつけていた。
会社から帰ってきた父がそれを郵便受けから取り出して、居間に入るなり怒った声で言った。
「反対運動は大事だけど、こういうやり方はだめだ、絶対に」
母は「貼り紙にはもっとひどいのもあるのよ」と言った。「今日PTAの見回りで見つけて、大変だったんだから」
僕はテレビに見入っているふりをしながら、両親の話に聞き耳を立てた。
母たちが見つけた貼り紙も、ひどい内容だった。社長の国籍と、ニセモノの名前を使っていることを、とんでもない悪事を暴き立てるように書いたうえに、太いペンで〈早く出て行け!〉と書き殴ってあったのだ。
「さすがにPTAでも問題になって、商店街の事務所に申し入れたのよ。こんなのを子どもたちが見たらどうするんですか、って」
すると、事務所の人も困り顔になって、内幕を教えてくれた。
商店街の何人かが、「あっち」に特に悪い感情を持っていて、事務所に無断でチラシをつくっている。そのチラシがとにかくひどい。ビルの計画に反対するという目的も忘れて、ひたすら「あっち」を罵り、社長だけでなく「あっち」から来た人すべてを誹謗中傷する。〈早く出て行け!〉どころか、危害を加えると脅したチラシまであるのだという。
「おい、そんなの脅迫だぞ。こっちのほうが警察に捕まるんじゃないか」
「事務所の人も困って、その人たちと話をしてみたんだって」
「どうだった?」
「……だめだった」
諭すどころか、反論された。
「あっち」の出身者が昔からいかに悪いことをしてきたか、自分たちがどれほど迷惑をかけられ、騙され、裏切られてきたか……。切々と訴える人もいたし、怒号でまくしたてた人もいた。話す途中で悔しさが募って号泣してしまった人までいたらしい。
「同じ商店街の身内でも、お互いに初めて聞く話ばかりだったみたい。戦争の前も、戦争中も、戦争に負けてからも、『あっち』とはいろいろあったから……言いたくなかったんだって。でも、商店街に乗り込んでくるんだったら、もう黙っていられない、って」
「いや、でも、その会社と直接揉めたわけじゃないんだろ?」
「うん、それはそうなんだけど」
「だったら関係ないだろ。どこの国だっていい人もいるし、悪いヤツもいる。ひとまとめになんかできるわけない」
「まあ、正論を言えばそうなんだけど……」
グループの一人は、「このまま甘い顔をしてつけあがらせると、商店街を乗っ取られるぞ」とまで言って、「あっち」の出身者を、セイタカアワダチソウに重ねた。もともと河原の主役だったススキが、外国からやって来たセイタカアワダチソウに追い払われてしまったように、平和銀座もこのままだと……。
母の話に、息が詰まりそうになった。タケオと初めて河原に寄り道をした日、僕もセイタカアワダチソウの話をしてしまった。タケオはなにも言わなかった。でも、胸の奥ではどんなことを思っていたのだろう。
結局、問題になったチラシは商店街総出で回収したり剥がしたりして、今度からは事務所が認めないチラシは公共の場所に貼らないことになった。
「でも、自分の店に貼るって言うのよ、そのグループは。自分の店の中なんだから文句ないだろう、って」
事務所の人たちも、それ以上は強く言えなかった。
「あそこの商店街、パッとしなかったけど、みんな仲が良かったじゃない。でも、今度のことでバラバラになっちゃって……事務所の中でも、そのグループに同情してる人もいるし、そうじゃない人もいるし、ビルの計画が取りやめになったとしても、ずーっとしこりが残っちゃうような気がするけど」
父は「こういうのは、いろんな価値観がぶつかり合うからな」と言いながらも、最後の最後に釘を刺すように付け加えた。
「でも、考え方はどうであっても、『出て行け』って言われたほうはつらいよ。自分が言われるほうになったら……って、少しは考えればいいのになあ……」
当時の父は十二歳だった。いまの僕と変わらない歳だ。五人きょうだいの二番目で、「あっち」から戻ってくる途中、末っ子の妹を栄養失調で亡くしてしまった。
その頃のことを、父はほとんど話さなかった。自分から切り出すことは決してなかったし、母や僕が訊いても、断片的にしか答えてくれない。食い下がって訊くと、「もう忘れた」で話を終えてしまう――七十歳で生涯を閉じるまで、ずっと、そうだった。
(「タケオの遠回り」その1、了。その2につづく)