朝日出版社ウェブマガジン

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答えは風のなか

テツヤ先生の合言葉


 テツヤ先生はり切っていた。
 朝の会が始まる前からろうで待機していて、チャイムが鳴るのと同時に六年二組の教室に入った。
「今日から二週間、みなさんと一緒いっしょにがんばっていきます」
 きょうだんから教室を見わたして、「二週間なんて、あっという間だと思います」と続けた。
 声にみょうさびしさがにじんでしまい、おっと、いけない、と咳払せきばらいした。
 六年二組のクラス担任たんにんのナナコ先生が、しばらくかいきゅうを取ることになった。田舎いなかで一人らしをしているお母さんがたおれてしまったのだ。ナナコ先生にとってもクラスの子どもたちにとっても思いがけないアクシデント――なにしろ、いまは一月。小学校生活のめくくりなのだから。
 ナナコ先生は引きぎのときに「向こうが落ち着いたら、休暇をちゅうで切り上げるつもりです」と念をしていたし、子どもたちだって、卒業前の大事な時期に急に担任の先生がいなくなったら不安でしかたないだろう。一日でも早くナナコ先生に帰ってきてほしいはずだ。
 それでも、テツヤ先生はむねって言った。
「短いお付き合いですが、少しでもみなさんの思い出に残るよう、一所懸命いっしょけんめいがんばります。これから、よろしくお願いします!」
 おじぎをすると、クラスのみんなは拍手はくしゅこたえてくれた。
 テツヤ先生は先生になって一年目なので、まだクラスを持ったことはない。いままではベテランのホソカワ先生が担任たんにんする三年一組の副担任として、クラスのまとめ方を勉強してきた。今回のピンチヒッターは、卒業試験のようなものなのだ。
「それで、ぼくが担任をする二週間で、皆さんに一つ、お願いしたいことがあります」
 教室がざわつくなか、テツヤ先生は小さな紙を配った。
「ぼくはいつも思っています。人間って、ゆめや目標に向かってがんばってるときが一番美しくてカッコいいんじゃないか、って。皆さんにも、それをぜひぼくに見せてほしいんです。二週間で、こんなことをやってみよう、こういう目標を立ててみよう……というのを、この紙に書いてください」
 女子の一人が手を挙げて、「勉強のことだけですか?」と質問しつもんした。
「いや、なんでもOKだよ。遊びでもスポーツでも家のお手伝いでも、なんでもいいからね」
 男子の一人が「目標を達成できなかったら?」とき、別の男子が「ばつゲームやろうよ」と続けると、教室は「えーっ」「いいじゃん、やろうよ」「そんなのヤだあ」……と、急にさわがしくなった。
 テツヤ先生は手振てぶりで教室を静かにさせると、「罰なんてないよ」と苦笑交じりに言った。「たとえ達成できなくても、目標に向かってがんばることが大事なんだ」
  記入を終えた紙をかいしゅうすると、テツヤ先生は「あと、クラスの合言葉を決めたいと思います」と言った。「その前に、ぼくの自己じこしょうかいを聞いてください」
 子どものころから学校の先生にあこがれていた。大学生時代にはじゅくこうのアルバイトにはげむ一方で、子どもたちと野外遊びをするサークルでも活動していた。就職しゅうしょく活動も、当然ながら、教員採用さいよう試験一本にしぼっていたのだが――
「残念ながら、最初の年は試験に落っこちてしまいました」
 かたを落とし、しょんぼりとうなだれるおしばに、男子の元気のいい子たちが笑った。
「でも、ぼくは、先生になることをあきらめませんでした。たった一度の失敗でゆめてるのなんて、くやしいじゃないですか」
 うつむいたまま、話を続ける。真剣しんけんな口調に、笑っていた子も静かになった。
「ぼくは大学を卒業したあとも就職しゅうしょくしませんでした。じゅくの先生のアルバイトを続けながら、がんばって勉強しました。すると――
 顔をパッと上げて、満面の笑みになった。
「二年目の採用さいよう試験で合格ごうかくしたんです!」
 両手でガッツポーズをつくる。クラスのみんなからも歓声かんせいがあがった。
「だから、ぼくは思うんです。あきらめてはいけない。あきらめなければ、ゆめが……絶対ぜったいにかなう、とは言いません。どんなにがんばっても夢がかなわないことはあります、はっきり言って」
 その言葉に、数人がうなずいた。
「でも、あきらめなければ、その夢がかなう能性のうせいはあります。たとえ0.00001パーセントでも、ゼロではないんです。そうだよね?」
 今度は、もっと多くの子どもがうなずいた。
「あきらめてしまうと、ゼロです。可能性はまったくなくなってしまいます。これもそうだよね? ちょっと考えればわかるよね?」
 全員がうなずいた。
「だったら、あきらめちゃダメだ。簡単かんたんにあきらめてしまうのは、弱虫やひきょう者のやることだと、ぼくは思うんだ」
「弱虫」「ひきょう者」のところで何人かがひるんだ様子を見せたが、それは最初からみだ。少しぐらいキツい言葉をつかわないと子どもたちにはなかなか伝わらない。
 テツヤ先生はあらためて教室を見回して、「六年二組は、あきらめきん!」と力強く言った。さらに黒板に大きく〈あきらめ禁止〉とも書いた。
「これをクラスの合言葉にして、二週間がんばっていこう。ちょっとみんなで声を合わせて読んでみよう」
 いち、にい、さんっ、ときゅうを合わせた。
「あきらめ、禁止!」
 みんなの声が――
 ちがった。
 口を動かさなかった子がいた。男子と女子が半々で、合計六人。さっき「ゆめがかなわないことだってある」と言ったときにうなずいたメンバーだった。六人とも、こまった顔をしていた。ほうれているようにも、はらを立てているようにも見えた。
 ちょうどチャイムが鳴って、朝の会が終わった。テツヤ先生はきょうたくったせき表で六人の名前だけチェックして、きょうだんりた。
 思わず首をひねってしまう。
 なにかオレ、ちがったこと言ったかなあ、そんなことないはずだけどなあ……。
 黒板をり向いた。日直の子が〈あきらめきん〉の文字を消そうとするのを、「ちょっと待ってて」と止めて、あらためて合言葉を見つめた。
 うん、だいじょうぶ、間違ってない、あきらめたらおしまいなんだ、これ、すごく大事なことなんだから……。
 
 
 テツヤ先生は、昼休みのしょく員室いんしつで、深々とため息をついた。椅子いすに体をあずけて天井を見上げると、「まいったなあ……」というつぶやきも口かられた。
「どうした? さっきから元気ないな」
 となりの席のホソカワ先生が声をかけてきた。
「いえ、べつに……」
 最初はごまかすつもりだったが、ホソカワ先生には、四月に新卒でちゃくにんして以来ずっとお世話になっている。三年一組の副担任ふくたんにんをしていたときも、教わることばかりだった。
「三年生と六年生じゃあ、全然ちがうだろ」
 ホソカワ先生はベテランらしく、すべてお見通しのような笑顔で言った。ふつうなら校長や教頭になっているはずのとしなのに、出世にはを向け、定年までげんひとすじでいく、と決めている。
「おとなになると歳が三つ上だろうが下だろうがたいして変わらないけど、小学生はまったく別だからな。はっきり言って、違う種類の生き物みたいなものだ」
 テツヤ先生は「ですね」と苦笑した。たしかにそうだ。三年生のたけれていたせいで、六年生の、特に女子の背の高さにはまどってしまう。
 だが、いまのため息の理由は、六年生がおとなびているから、ではない。むしろぎゃく――予想だにしていなかったおさなさに、戸惑っているのだ。
 ホソカワ先生には相談してもいいか、と思い直して、じょうを打ち明けた。
 六年二組の子どもたちに、この二週間でがんばる目標を書いてもらった。朝の会のあとの休み時間に、その内容ないようをざっと確認かくにんしたら、「これはどうなのか」と言いたい回答がいくつか見つかったのだ。
「こういうのですけど……ちょっと見てもらっていいですか」
 ていしゅつされた用紙の中から、「問題あり」の二まいを選んでホソカワ先生にわたした。
 一枚目は〈かぜをひかない〉――男子のユウタくんが書いた。
 二枚目は〈かみをもっとばす〉――女子のマナさんが書いた。
「……どう思います?」
「どう、って?」
「だって、二つとも目標としてはちょっとアレじゃないですか?」
 ほかの子が書いた紙も見せた。
〈部屋のそうじを毎日する〉〈イヌの散歩をさぼらない〉〈算数の文章題を毎日一つずつやる〉〈中学に入ってこまらないように、英語の単語を一日五つおぼえる〉〈うでたてふせ毎日30回!〉〈牛乳ぎゅうにゅうを必ず飲む〉〈妹といっしょに遊んでやる〉〈しゅうだん登校で一年生の子と手をつないであげる〉……。
「みんな、ちゃんと目標になってますよね。それを達成するためにがんばるわけだから」
 だが、ユウタくんとマナさんの書いたことは、ちょっとちがう。
「かぜをひかないのは、もちろん健康のためには大切なんですけど、それを目標にするっていうのは違うんじゃないかなあ、って」
 ホソカワ先生は、「なるほど」と一言だけこたえてうなずいた。
「マナさんのもそうですよね。かみの毛は、べつに目標にしなくても勝手にびるわけなんですから……」
 二人が書いた紙を見たとき、正直に言って、ムッとした。こっちがピンチヒッターの新米しんまいきょうだからバカにしたのか、と思ったのだ。
 だが、じゅぎょう中のたいは、二人ともまじめだった。二時間目の算数ではマナさんに、三時間目の国語ではユウタくんに、それぞれ質問しつもんして答えてもらった。どちらも正解せいかい。特にマナさんに出した問いは、かなりむずかしかった。「わかりません」「考え中です」と言われるのをかくしていたのだが、マナさんは自信たっぷりに黒板に向かうと、正しい式と答えをさらさらと書いたのだ。ユウタくんも「えーと、あの、えーと……」が少し多かったが、そのぶん一所懸命いっしょけんめいに考えて答えようとする思いが伝わってきて、好感が持てた。
 そんな二人が、どうして、こんな――
「はっきり言って、どっちも目標としては失格しっかくだと思うんです。だって、かみびるのも風邪かぜをひかないのも、努力する必要なんてないじゃないですか。がんばらなくても自然とできることなんて、目標じゃないでしょう」
 自分の言葉を聞きながら、そうだよな、オレちがったこと言ってないよな、とたしかめた。
 話し終えて、ホソカワ先生に「どうですか?」といた。
  ホソカワ先生はうでみをして、けんにしわをせた。「うーん……」とのどおくを鳴らして、しばらく考えむ。すぐに同意してもらえるものだと思い込んでいたテツヤ先生は、困惑こんわくして「目標じゃないですよね、これ」と念をしてたずねた。
 すると、ホソカワ先生は「どうなんだろうなあ」と言った。腕組みをしたまま、眉間のしわはさらに深くなった。
「……どう、って?」
「二人とも、三年生と四年生のときにクラス担任たんにんだったから、よく知ってるんだ。こういうときにふざけたり、反抗はんこうしたりするような子じゃない」
「ええ、わかります。だから、目標を立てるという意味を、ちょっとちがえてるだけだと思うから、それを教えてあげて、書き直してもらうつもりなんですけど……」
「いや、ちょっと待ったほうがいい」
「そうですか?」
「間違えてるかどうか、こっちの思い込みだけで簡単かんたんには決められないぞ」
「……はあ」
「目標を立てたあとは、どうするんだ?」
 明日から朝の会で紙を配って、昨日の行動をり返って書いてもらう。目標を達成するためにがんばったかどうか。そうすることで、一日一日の積み重ねが目標達成につながるんだというのが実感できるはずだ。
「目標を立てると、それだけで満足してしまう子どももいるじゃないですか。そうじゃなくて、ここからがスタートなんだよ、と教えたいんです」
 テツヤ先生はきっぱりと、まよいなく言った。
 先週、六年二組の担任たんにんになることが決まってから、ずっと考えてきたのだ。たった二週間の付き合いだとしても、子どもたちに「あの先生に大切なことを教わったんだな」と思っていてほしい。なにを教えよう、なにを伝えよう、なにを子どもたちのむねきざもう……。そうやって選びいたのが、目標に向かってがんばることと、あきらめないことだったのだ。
 もっとも、「そうか、なるほどな」とうなずくホソカワ先生の反応はんのうは、意外とうすかった。ひょうけしたテツヤ先生が「なにかまだ足りませんか?」とくと、「いや、そんなことない」と答えたが、その言い方にも、みょうえ切らなさがのぞいた。
「まあ、しばらくやってみて、様子を見ればいいさ」
「はい……」
 無理やり話を終わらされた気がしないでもなかったが、ホソカワ先生の、なんでもお見通しの笑顔と向き合うと、それ以上は言えなくなってしまった。
「どっちにしても、子どもの決めた目標は、どんなものでも最大限さいだいげんそんちょうしないとな。いい目標と悪い目標を、おとなが勝手に分けちゃダメだ。それだけはわすれないでくれ」
 最後の一言は、少し口調が強かった。なんだかしかられているような気分になって、テツヤ先生の返事の声もしずんでしまった。
 
 
 次の日の朝の会で、クラス全員に、昨日のり返りを書いてもらった。
 しょく員室いんしつもどったテツヤ先生が真っ先にチェックしたのは、やはりあの二人の紙――
ばんごはん・ごはんのおかわり2回した。サラダも完食しました。朝ごはん・「めんえきが上がるよ」とママが言ったのでヨーグルトも食べた。おふろのあとはすぐにパジャマを着た。かしつきもつけた。家を出るときの体温は36.2度。せきはありません。鼻もつまっていません〉
 ユウタくんは、びっくりするほど細かく書いていた。出がけに体温を計っているのもおどろきだったし、免疫めんえき湿しつにも気をつかっているのには、驚きを通りしてぜんとした。
 そこまで健康に気をつかうというのは、体にどこか悪いところがあるのか――
 いや、しかし、引きぎのときにはナナコ先生にはなにも言われていないし、教室で見るユウタくんは元気いっぱいで、小太りの体はピチピチとしている。念のためにじん調ちょうひょうのファイルを確認かくにんしてみたが、過去かこに大きな病気やケガをした記録はなく、アレルギーのらんも〈なし〉だった。
 ぎゃくに、皆勤かいきんしょうねらって、卒業まで学校を休みたくないから……ということだろうか。しかし、出席しゅっせき簿たしかめると、一学期と二学期にすでに合計三日、風邪かぜをひいて休んでいた。そもそも皆勤賞の能性のうせいは消えているのだ。
 一方、マナさんも、よくわからない。
〈一番長いところが31センチになったけど、まだ全部じゃないので、たりません。わかめスープを飲みました。ひっぱりすぎるとけてしまって、元も子もなくなるので、注意しています。ママが「すいみん時間が長いと、かみが早くびる」と教えてくれたので、ゆうべは9時にました〉
 マナさんは髪を三つみにしている。ほどくとかたまでかかりそうだ。三つ編みはよく似合にあっている。ただ、たけとのバランスから見ると、これ以上長く伸ばすよりも、むしろ全体をそろえて、少しだけ切ったほうがいいような気もする。
 

 だが、り返りの文面では、もっと伸ばしたい様子だった。しかも、少しでも早く。三十一センチという長さには、なにかこだわりでもあるのか。「元も子もなくなる」というのはどういうことなのだろう。よくわからない。じん調ちょうひょうを見ても、とりたてて髪の毛につながるようなじゅつはなかった。
 ホソカワ先生に「どうだった?」とかれた。「なにかヒントでも見つかったか?」
「いえ、全然わからなくて……」
 振り返りの紙を見せた。
「二人ともたしかに、目標に向かってがんばってるみたいなんです」
「そうだな、がんばってるな」
「いいかげんなことを書いたわけじゃないと思うんですよ」
「うん、オレもそう思う」
「でも、『風邪かぜをひかない』とか『かみの毛をばす』とか……なんなんでしょうね、いったい」
 ○か×かで分けるなら、×にはできない。けれど、すんなりと○をつけられるかと問われれば、「うーん……」とこまってしまう。
 正直に打ち明けると、ホソカワ先生は「困るのは困るか?」と笑っていた。「いまの、日本語としておかしい言い方かもしれないけど、わかるよな?」
「はい……」
「困りたくないよな、だれだって」
「ええ、まあ……そうですね」
 ホソカワ先生に打ち明けなかったことが、一つある。昼休みにユウタくんとマナさんと話し合って、二人の立てた目標を別のものに変えてもらおう、と思っていた。風邪かぜをひかないのもかみの毛をばすのも、本人ががんばるのならそれでいい。ただ、学校にていしゅつするのは、やはりちがう目標――五十メートル走で九秒を切るとか、図書室で毎日一さつ借りるとか、努力がもっとはっきり見えるもののほうがいい。
 だが、ホソカワ先生は、そんなむねの内を見抜みぬいたかのように、さっきよりさらに笑みを深めて言った。
こまりたくないのは、きみの都合だ。子どもにはなんの関係もない」
――え?」
「困ればいいじゃないか」
 笑みが消えた。声のひびきも、ぴしゃりと、しかりつけるようなものになった。
「自分が困りたくないから、子どもの決めたことや考えたことをていする……そんなのは、よくないと思うぞ」
 いえ、そんなことはちっとも思ってません、と言い返したくても、言えない。まさに図星だった。
 返す言葉にまったテツヤ先生に、また笑顔にもどったホソカワ先生は、椅子いすから立ち上がりながら言った。
「まあ、困るのも仕事のうちだ。しっかり困ればいいんだ」
 なっ、とテツヤ先生のかたを軽くたたくのと同時に、じゅぎょうが始まるチャイムが鳴った。ホソカワ先生はテツヤ先生の返事を待たずに「さあ、授業授業、がんばるぞー」と、まわりのどうりょうを笑わせながら席をはなれた。
 時計をたしかめたわけではない。チャイムのタイミングが体にんでいるのだろう。これがベテランの底力というやつなのか。テツヤ先生はすっかり圧倒あっとうされてしまい、ホソカワ先生の後ろ姿すがたに無言で一礼するしかなかった。
 
 
 二日目のじゅぎょうは、とどこおりなく進んでいった。ナナコ先生にくらべると、テツヤ先生の授業の進め方はずいぶんぎごちなかったはずだが、何日も前から睡眠すいみん時間をぎりぎりまでけずってじゅんした甲斐かいあって無事に終えられた。話の合間にはさむジョークも、ときどきスベってしまったものの、りつは悪くなかった。
 ただし、ちょっと気になることがある。
 元気のない子がいる。授業を受けていても心ここにあらずというか、ほうれたような顔をしている。せんが合いそうになると、げるようにうつむいてしまう。
 一人だけではない。三人――昨日の「あきらめきん!」の合言葉にこたえなかった子ばかりだった。
 どうして――
 そのもんへの答えは、思わぬところからもたらされた。
 放課後、子どもたちが教室を出たのをとどけてからしょく員室いんしつもどると、つくえの上に伝言メモが何枚なんまいも置いてあった。
きゅう電話がしいとのこと〉
〈本日中に連絡れんらくがなければ、校長先生とちょくせつ話したいよし
〈TEL クレーム? 応対おうたいの言葉づかい注意(録音の能性のうせいあり)〉
 それぞれ別口の電話だったが、どれも六年二組の保護ほごしゃから――三人とも、授業中に元気がなかった子の親だったのだ。
 
 
 不意打ちをくった。
 タイミングもそうだし、めてくる方角も想像そうぞうすらしていなかった。
 電話をかけてきた三人のうち二人は、中学受験をする子の母親だった。ヒトミさんとコウスケくん。ヒトミさんはミッションけいの大学のぞく中学が第一ぼうで、コウスケくんはちゅうけんどころの男子校を目指していた。
 ところが、二人とも思うように成績せいせきが上がらず、冬休みの模試もしの結果が出た年明け早々に家族やじゅくの先生と話し合って、望校ぼうこうのランクを下げることにした。その矢先に、テツヤ先生が「あきらめきん!」をクラスの合言葉にしてしまったのだ。
「せっかく本人も納得なっとくして志望校を変えたのに、いまさらそんなことを勝手に言われてもこまるんですよ! 子どもを責任せきにんな言葉でまよわせないでください!」
 ヒトミさんの母親は、甲高かんだかい声でまくしたてた。
 そうか、とおくればせながら気づいた。タイミングが悪かったな、ともやんだ。
 この時期はりつ中学の出願期間で、受験生は志望校を最終的に決めなくてはならない。ゆめあこがれをあきらめざるをえない子どもや親も、たくさんいるはずなのだ。
 コウスケくんの母親は、口調こそヒトミさんの母親より冷静だったが、話の中身は深刻しんこくだった。コウスケくんはテツヤ先生が言った「弱虫」と「ひきょう者」をひどく気にして、いったん自分で決めた志望校変更へんこうに急に自信をなくしてしまった。そして今朝になって「やっぱり最初の志望校を受ける」と言いだしたのだ。
「本人は、たとえ落ちても後悔こうかいしない、中学は公立に行って高校受験でがんばるって言うんですけど……そんなの、先のことなんてわからないじゃないですか。もし、あとでり返ってみて、あのとき志望校を変えていればよかった、となったら……先生、責任せきにん取ってもらえるんですか?」
 そんなことを言われても――
 正直、困惑こんわくよりも、あきれた。そろって「責任」という言葉を口にした二人に、「きょうにそこまで背負せおわせないでください」と言い返したかった。
 それでも、ここで話がもつれてしまうと、ナナコ先生に迷惑めいわくがかかる。ひたすらてい姿せいで、丁寧ていねいに、「あきらめきん!」の真意を説明した。あくまでも「簡単かんたんに」あきらめてしまうことをいさめたつもりだったのだ。親子やじゅくの先生と一緒いっしょに話し合ったのなら、それは決して「簡単に」あきらめてしまったわけではない……。
「じゃあ、それ、教室でちゃんと言ってください。説明不足ですよ」
 ヒトミさんの母親に言われて、「わかりました、明日、必ず」と約束させられた。
 コウスケくんの母親は、「弱虫」と「ひきょう者」にこだわって、「明日、みんなの前で取り消してください」と言った。「あと、謝罪しゃざいもしてもらえますか」
「……謝罪ですか」
「だって、先生が子どもたちの人格じんかくていするのは、パワハラやアカハラになるんじゃないですか?」
 さまざまなハラスメント――パワーハラスメント、アカデミックハラスメント、そしてセクシャルハラスメントについては、さんざんけんしゅうを受けてきた。男子を「くん」、女子を「さん」でぶことすら、きびしい人なら「性的せいてき少数者への配慮はいりょが足りない」となんしてくるご時世なのだ。
 たしかに「弱虫」や「ひきょう者」はキツすぎたかもしれない。反省する。だが、それを人格否定とまで言われると、いくらなんでも大げさな……いや、反論はんろんはしないほうがいいだろう……。
 二人の言いぶんをすべて受けれた。全面降伏こうふくせざるをえない。
 三本目のクレームの電話の主は、ヤストくんの父親だった。
「子どもの話に親が出るのはみっともないとは思うんだけど、ちょっとね、どうしても一言言っておかないと気がすまないんで」
 けんごしだった。まだわかいテツヤ先生相手に、最初からたけだかに出て、ずけずけと続ける。
「息子に聞いたら、先生、来週までのピンチヒッターなんだってね」
「ええ……」
「どうせすぐにいなくなるから、いいかげんなことを子どもにんだわけ?」
「いや、あの……いいかげんって……」
「あきらめるなとか、あきらめたら能性のうせいがゼロになるとか、世の中、そんな単純たんじゅんなものじゃないんだよ。自分で決められるんだったら、だれも苦労しないんだ。それくらいわからないのか」
 ヤストくんは、地元のサッカーチームに入っていた。Jリーグのクラブの下部かぶしきで、小学生たいしょうのジュニアから中学生のジュニアユース、さらに高校生のユースと、年齢別ねんれいべつにカテゴリーが分かれている。ただし、上のカテゴリーに進めるのは、しょう来性らいせいみとめられたメンバーだけ――ヤストくんは、先週おこなわれたセレクションで合格ごうかくになった。残念ながら、ジュニアユースへのしょうかくがかなわなかったのだ。
「自分であきらめたわけじゃない。本人はやる気満々なんだよ。でも、チームがダメだって決めたら、したがうしかないだろ? それがルールなんだから」
「……はい」
「まあ、親の目で見ても、あまり上手くなかったから、昇格は正直しんどいと思ってた。ジュニアユースになると練習もキツくなるし、試合もえるし、学校の勉強も大変になるから、かえって、いい潮時しおどきだったんだ。いつまでもだらだらとゆめを見させるより、スパッと切りえさせてやるのも大事だ。チームとしての親心だよ、それも」
 ヤストくん自身、さばさばと現実げんじつを受けれていた。「中学ではサッカー部もいいけど水泳をやろうかな、バスケも面白そうだし」などと両親にも話していたらしい。
むずかしいことなんて考えてないんだよ。もっとたんじゅんで、ケロッとして、ジュニアユースに上がれなかったのはくやしいし、残念だけど、しょうがないよね……それだけだったんだよ、先週は」
 そこに、テツヤ先生があらわれた。
「よけいなことを言われたわけだ。あきらめるなとか、夢をかなえる可能性をてるなとか……どうせえらそうに言ってたんだろうな、そうだろう?」
「いえ……そんなつもりは……」
「まあいいや。とにかく、あんたによけいなことを言われて、息子はショックを受けたんだよ。ああ、もう、オレは夢をかなえる可能性がゼロになったんだ、って……やっぱりサッカーが大好きなのに、もうジュニアの仲間たちと一緒いっしょにプレイすることはできないんだ、って……いままで感じてなかったせつ感を味わわされて、落ちんで……」
 学校から帰ってきても、ずっと元気がなかった。しょんぼりとして、しょくよくもない。心配した両親がたずねると、ぽつりぽつりと合言葉のことを話しだして、ちゅうなみだぐんでしまったのだという。
「ほんとに、よけいなことをしてくれたものだよ。先生のはしくれだったら、自分の一言が子どもの心にどんなきずを負わせるかぐらいは自覚してもらわないと」
「傷」とまで言われなくてはならないのか――
「新人だとかピンチヒッターだとか、言いわけはやめてくれよな。あんたが半人前だろうとなんだろうと、子どもから見れば、先生は先生なんだ。一言一言が重いんだよ。その重み、あんた、ちゃんとわかってるのか?」
 わかっているつもりだった。
 だからこそ、子どもたちのむねにいつまでも残るメッセージをあたえたかった。
 だが、それは、空回りをえて、「傷」を与えてしまうようなものだったのか――
 今度もまた、ひらあやまりするしかなかった。
 電話口で謝る相手は父親でも、ほんとうはヤストくん本人に「ごめんな」を伝えたかった。ヤストくんだけではない。ヒトミさんにも、コウスケくんにも。
 じゅ業中ぎょうちゅうの三人の顔がかぶ。キツかったんだろうな、とみとめる。たしかに、よけいなことを言ってしまったのかもしれない。責任せきにんだっただろうか。配慮はいりょが足りなかっただろうか。でも、オレ、そんなつもりは毛頭なくて、ただみんなに大切なことを伝えたかっただけなんだけど……言いわけは、やめよう……。
 

 
 
 ひたすらあやまった甲斐かいあって、クレームが校長や教育委員会にまでおよたいけられたものの、ぐったりとつかれきってしまった。電話を終えたあとも、椅子いすから立ち上がる気力がわかない。
 そこにホソカワ先生が外からもどってきた。
 この学校では、毎日『さよなら当番』という持ち回りの仕事がある。下校時間に数人の先生が校門わきに立って、学校をひきあげる子どもたちに「また明日!」「早早起きで明日も元気でね!」と声をかけるのだ。
 発案者はホソカワ先生だった。たんにお別れのあいさつをするだけでなく、子どもたちの様子を見て、今日一日が楽しかったかどうかを確認かくにんする。中には先生にしかられたり友だちとケンカしたりした子もいる。前もって担任たんにんの先生から「今日はこんなことがあった」と聞かされていれば、特に気を配って、なぐさめやはげましのフォローをするし、ぎゃくに下校時の様子がおかしいと気づくと、担任たんにんの先生に報告ほうこくしておく。そうやって、子どもたちのちょっとした変化ものがさないようにしているのだ。
 ホソカワ先生は、テツヤ先生てにクレームの電話が来ていることも知っていた。
「さっき、出がけに伝言メモをちらっと見たんだけど、もう、そっちのほうは――
「……対応たいおうずみです」
「なんとかなったのか?」
「ええ……まあ、いちおう」
 明らかに元気のない受け答えだったが、ホソカワ先生は細かくはかずに、「まあ、こういうのも経験けいけんだ」と笑った。
 ですね、とテツヤ先生がうなずくと、「それより、いいこと教えてやろうか」と、いたずらっぽい口調と表情ひょうじょうで言った。
 ユウタくんとマナさんのこと――
「二人の立てた目標、オレもちょっと気になったから、訊いてみたんだよ」
 最初にユウタくんが校門に姿すがたを見せたので、ちょっとちょっと、とまねいた。クラス担任たんにんからはずれて二年たっていても、ユウタくんがなおびかけにおうじたというのが、ホソカワ先生の人望というものだろう。
「びっくりしたよ、そういうことだったのかあーっ、てな」
 ユウタくんが風邪かぜをひきたくない理由は、ひいおばあちゃんのためだった。
 九十さいえたひいおばあちゃんは、年末から体の具合が悪くて入院している。ひいおばあちゃんに可愛かわいがられていたユウタくんは今度の日曜日にお見舞みまいに行きたいのだが、病院には「発熱やせきのある人は面会禁止」というルールがある。
「だから、風邪をひかないことが、あの子の目標になったんだ。風邪をひかないように、いろんなことに気をつけて、がんばろう、って……立派りっぱな目標だよな、これ」
 テツヤ先生は「ええ……そうですね」とうなずいた。
「きみの考えてた目標とはだいぶちがうかもしれないけど、オレは、いい目標だと思う」
「はい……」
 たしかにまどいはある。なーんだ、とひょうけした思いもないわけではない。
 それでも、なぞけると、自然とほおがゆるむ。そうか、そうだったのか、なるほどなあ、と首をかしげながら納得なっとくする。
 ホソカワ先生は、マナさんにも目標を立てた理由やいきさつをたずねていた。
「あの子、ヘア・ドネーションを考えてるんだ」
「ヘア・ドネーションって……がん患者かんじゃの子どもにウィッグをおくるんでしたっけ?」
「そうそう、それだ」
 こうがんざい放射線ほうしゃせんによるがんりょうは広くおこなわれているが、その副作用の脱毛だつもうかみの毛を失ってしまった子も数多い。ヘア・ドネーションは、髪をなくしてしまった子どもたちにウィッグ、つまりカツラを贈る活動だった。
「あの子、そういえば四年生のころから、ナイチンゲールとかシュバイツァーの伝記をよく読んでたんだ。あと、お母さんが長期入院の子どもと家族をえんするNPOのメンバーで、そのえいきょうもあるんだと思うけど、五年生になってから、小学校を卒業するときにはヘア・ドネーションをしよう、って決めたらしい」
 ただし、それにはじょうけんがある。
 髪の毛の長さが、最低でも三十一センチは必要なのだ。
「今朝、きみに見せてもらったり返りの紙にも書いてあったよな。三十一センチの話」
「ええ……」
「卒業までに、なんとかその長さまでばしたいらしい」
 卒業式には、友だちにもなじみのある三つみで出席する。春休みのうちにヘア・ドネーションの窓口まどぐちになっている容院よういんかみを切って、四月からの中学校生活は、心機一転、ショートヘアで始めたい。だから、いま、髪の長さが気になってしかたないのだという。
たしかに、これも、まっとうな目標だよな。きみだってていできないだろう?」
「ええ……もちろん」
 否定など、とんでもない。むしろめたたえたいほどだ。
 そして、マナさんに対してもユウタくんに対しても、努力しなくてもできる目標なんて……と思ってしまった自分が、いまさらながら、ずかしくてたまらない。
 だまんでしまったテツヤ先生に、ホソカワ先生は言った。
「子どもってのは、なんでもななめ上だよ。とんでもない受け止め方をしたり、ありえないような発想で答えたりする。予想できないし、無理に予想しても、絶対ぜったいうらられる」
 テツヤ先生は無言のまま、うなずいた。
「子どもと付き合うっていうのは、そういうことだ」
 さらにまた、うなずく。
 ホソカワ先生はそれ以上はもうなにも言わず、手早く事務じむ仕事を片づけると、「じゃあお先に」とひきあげた。最後に、テツヤ先生のかたを、ぽん、とたたく。テツヤ先生は、だまって、ただうなずくしかできなかった。
 
 
 マナさんは卒業式の翌日よくじつかみをばっさり切った。マナさんの髪でつくったウィッグを使った子は、きっと、大変なとうびょう生活に少しでもいろどりをることができただろう。
 ユウタくんは、ひいおばあちゃんが五月にくなるまで、何度も何度もお見舞みまいに出かけた。風邪かぜをひいて面会が中止になることは一度もなかった。そのおかげで、ねむるようにおだやかにったひいおばあちゃんとのお別れを、すっきりした思いでむかえられた。
 ヒトミさんとコウスケくんは、一時は望校ぼうこうを元にもどすかどうかまよったものの、結局、両親のアドバイスどおりに安全けんの学校を受験して、みごとに合格ごうかくした。「もしもしょ貫徹かんてつで、あきらめずに第一志望の学校を受験していたら、どうだっただろう」と考えることは、入学してしばらくのころまでは、ときどきあった。わずかな後悔こうかいも、ないわけではなかった。それでも、入学した学校で友だちができて、勉強や部活がいそがしくなると、もう、そんな「もしも」は、ごく自然に頭の中から消え去ってしまった。
 ヤストくんは中学校で陸上部に入った。最初はサッカーできたえたきゃくりょくを活かせる短距たんきょ走に取り組んでいたが、もんの先生がちょうやく才能さいのう見抜みぬいて、走りはばびに転向させた。すると、めきめきと頭角をあらわして、三年生の秋の大会では県の三位にまで入った。
 さらに歳月さいげつが流れ、みんな、おとなになった。それぞれの人生を、それぞれのペースで一所懸命いっしょけんめいに生きている。
 小学校の卒業ぎわの二週間だけピンチヒッターで担任たんにんをしたわかい先生のことは、五人とも覚えている。けれど、名前はわすれた。顔もぼんやりとしかかばない。その先生の一言で落ちんだりまよったり、目標を紙に書いてていしゅつしたりしたことは、もうだれも、言われなければ思いだせない。
 
 
「……卒業から三十年後の同窓会どうそうかいで、みんなほとんど覚えていないと知ったときには、さすがにガクッとなったんだ」
 テツヤ校長が苦笑交じりに言うと、ろうならんで歩くオオタ先生は「えーっ、そうなんですか。ひどいなあ」と、まともに受けて顔をしかめた。
 やれやれ、とテツヤ校長は別のニュアンスの苦笑いをかべる。まじめな新人だ。特に今日はきんちょうもして、軽く受け流すゆうなどないのだろう。
「まあ、でも、そういうものなんだよ。小学生と付き合うっていうのは」
「はあ……」
「同じことをオレも先輩せんぱいに言われたんだ」
 先輩――ホソカワ先生は、定年をむかえるまでげんのヒラきょうをまっとうした。十数年前にくなったときには、引退いんたいしてもうだいぶたっているというのに、昔の教え子がたくさん参列した。その人数以上に、だれの目も真っ赤にうるんでいたことにおどろき、感動して、尊敬そんけいの念を新たにする一方で、自分が死んだらどうだろう、と苦い思いをみしめたものだった。
 いまのテツヤ校長は、出会ったころのホソカワ先生よりも年上になった。現場ひとすじのヒラ教師をまっとうするわけにはいかなかったものの、理想とする教師の姿すがたは、やはり、ホソカワ先生だった。
 だからこそ――
「子どもの発想や受け止め方は、オレたちの考えることのななめ上をいくからな」
 ホソカワ先生に言われたことを、何十年ぶりにり返す。
「たくさんこまればいい」
 笑って、これもまた、繰り返す。
 オオタ先生は「はい……」とうなずいた。どこまで本気でわかっているかはあやしいものだったが、最初はそういうものだろう。ここからなのだ、すべては。
 オオタ先生は、今日から六年生のクラスを担任たんにんする。もともとのクラス担任が急病で入院したので、別の学年の副担任としてクラス運営うんえいを勉強していたかれを、ピンチヒッターとして抜擢ばってきしたのだ――かつての自分のように。
 しょくいん会議では「だいじょうぶですか?」という意見も出た。それを「なにかあったらわたしが校長として責任せきにんをとりますから」とし切ったのは、四十年近く前の自分自身とオオタ先生とを重ね合わせたからだった。
「まあ、なんでも経験けいけんだから、しっかりがんばって」
 六年一組の教室の前で、言った。校長として付きうのはここまで。教室に入ったら、オオタ先生が一人で仕切らなくてはならない。
 心細そうな顔になったオオタ先生に、だいじょうぶだいじょうぶ、と笑ってうなずき、さあ入って、と手振てぶりでしめした。
 オオタ先生もこわばった顔でうなずき、意を決して、ドアを開けた。
 ざわついていた教室が静かになる。
みなさん、おはようございます」
 オオタ先生の声がろうにもひびく。
 がんばれよ、とテツヤ校長は無言でエールをおくって、歩きだした。


(了。『答えは風のなか』は2021年秋以降の刊行を予定しています)

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著者略歴

  1. 重松 清

    1963年生まれ。早稲田大学教育学部卒。出版社勤務を経て執筆活動に入る。ライターとして幅広いジャンルで活躍し、1991年に『ビフォア・ラン』(ベストセラーズ/幻冬舎文庫)で作家デビュー。1999年『ナイフ』(新潮社)で坪田譲治文学賞、『エイジ』(朝日新聞社)で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』(新潮社)で直木賞、2010年『十字架』(講談社)で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』(新潮社)で毎日出版文化賞を受賞。
    著書に『流星ワゴン』(講談社)、『疾走』『とんび』『木曜日の子ども』(KADOKAWA)、『みんなのなやみ』(理論社/新潮文庫)、『その日のまえに』(文藝春秋)、『きみの友だち』『青い鳥』(新潮社)、『希望の地図』(幻冬舎)、『赤ヘル1975』(講談社)、『ひこばえ』(朝日新聞出版)など多数。2013年に『きみの町で』(ミロコマチコ氏との共著)を小社から刊行。

  2. ミロコマチコ

    画家・絵本作家。1981年大阪府生まれ。生きものの姿を伸びやかに描き、国内外で個展を開催。絵本『オオカミがとぶひ』(イースト・プレス)で第18回日本絵本賞大賞を受賞。『てつぞうはね』(ブロンズ新社)で第45回講談社出版文化賞絵本賞、『ぼくのふとんは うみでできている』(あかね書房)で第63回小学館児童出版文化賞をそれぞれ受賞。ブラティスラヴァ世界絵本原画ビエンナーレ(BIB)で、『オレときいろ』(WAVE出版)が金のりんご賞、『けもののにおいがしてきたぞ』(岩崎書店)で金牌を受賞。その他にも著書多数。第41回巌谷小波文芸賞受賞。
    展覧会『いきものの音がきこえる』が全国を巡回。本やCDジャケット、ポスターなどの装画も手がける。2016年春より『コレナンデ商会』(NHK Eテレ)のアートワークを手がけている。2013年に『きみの町で』(重松清氏との共著)を小社から刊行。
    http://www.mirocomachiko.com

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