タケオの遠回り(その2)
次の日の夕方、僕はウチに帰ったあと、一人で歩いて平和銀座に出かけた。ゆうべの両親の話を聞いて、どこの店にひどいチラシが貼ってあるのか確かめたかったのだ。
商店街はあいかわらず閑散としていた。ただし、のどかな雰囲気はすっかり消え失せてしまった。
どこを見ても、店先や電柱に貼られたチラシの〈絶対反対〉の文字が目に飛び込んでくる。事情を知っている人はもちろん、なにも知らない人にも商店街にたちこめる重苦しさが伝わって、とても買い物を楽しむ気分にはなれないだろう。
あんなビルの建設計画さえなければ、いままでどおり、さびれていても、温かい商店街でいられたはずなのに。
あの会社が金儲けを狙ったせいで――というのは、僕も思う。あの会社の社長が「あっち」の出身だろうと、そうでなかろうと。
でも、「もしも」の話を、ふと思った。
ビルに入る店はそのままでも、もしも計画を立てた会社が名門の大企業だったら、平和銀座のみんなは、いまみたいに〈絶対反対〉のチラシをこんなにべたべたと貼っただろうか。
重苦しさがさらに増す。
この商店街を少しずつ嫌いになっていることに、僕は自分でも気づいていた。
しばらく歩いて、僕の足は止まった。
探していたチラシがあった。
〈早く出て行け!〉
ここにだけは、あってほしくない。そう願っていた場所で見つけてしまった。
「あっち」から来た人たちの居場所を奪い去ろうとするチラシは、『やまちゃん』の店先に貼ってあったのだ。
おじさんは外からも見える厨房で揚げものをしていた。冬場でも揚げ場は暑いのだろう、肌着の丸首シャツ一枚で、タオルをねじり鉢巻きにして、黙々と菜箸を動かし、揚げ網を揺すって油切りをする。
揚げているのは『やまちゃんボール』だった。夕食前の書き入れ時に備えて、つくり置きしているのだろう。
揚げ網で油を切った『やまちゃんボール』をバットに移したおじさんは、仕事にひと息ついて顔を上げ、不意にこっちを見た。とっさに歩きだそうとしたけど、足がすくんで動かない。そっぽを向いて視線をかわすこともできなかった。
おじさんは僕に気づくと、よお、と笑った。僕はしかたなく、小さく会釈をした。そのまま立ち去ろうとしたけど、おじさんは挨拶だけではすまず、店の外に出てきた。
にこにこ笑っている。小太りで、丸顔で、髪がちょっと薄くて、細い垂れ目が笑うといっそう細くなり、眉毛ごとさらに垂れ下がって……僕とタケオはこっそり「マンガ顔」と呼んでいた。
そんな人なつっこいおじさんの顔を、いまはまともに見られない。
「ひさしぶりだなあ、元気だったか?」
おじさんは笑って言った。でも、僕はうつむいた顔を上げられない。必死に頬をゆるめて笑い返したけど、おじさんには見えなかったかもしれない。
「最近ずっと顔を見てなかったから、心配してたんだぞ。どうしたんだろう、病気にでもなっちゃったかなあ、って」
優しい人なのだ、おじさんはほんとうに。
「相棒の子も元気か?」
タケオのこと――。
「二人ともウチの前を通らなくなったから、おじさん、寂しかったんだぞお」
おどけて身をくねらせる真似をしたおじさんは、がははっと豪快に笑ってから、「ちょっと待ってろ」とショーケースの裏に回った。
明るい人で、陽気な人で、誰かに向かって「早く出て行け!」と言ったりするような人では決してない……はずだったのだ。
おじさんはバットに山盛りされた『やまちゃんボール』にトングを伸ばし、惣菜袋に一つ放り込んだ。僕がそれを見ているのを確かめると、いたずらっぽく目配せして、もう一つ。さらに、串に刺したウズラの卵のフライも、うやうやしい手つきで袋に入れてから、外に出てきた。
「おやつにしろよ。ひさしぶりだから、おまけ付きだ」
「……ありがとう」
受け取った惣菜袋は、ほんのりと温かかった。袋の口に封をするのにシールやテープを使わず、何重にも折り畳んで、そこを持ち手にするのが『やまちゃん』の流儀だ。
「野菜がないからお母さんにはナイショだし、おやつを食っても、晩ごはんはちゃんとしっかり食べるんだぞ」
おじさんは、いつもの台詞を、いつものように笑顔で言う。でも、おじさんは、もう、いつもの――いままでのおじさんではない。
「相棒の子もいればよかったのになあ。べつにケンカしたわけじゃないんだろ? 今度また一緒に商店街を通って帰ればいいし、遊びに来てもいいんだからな」
「……はい」
「ああそうだ、ボク、名前なんていうんだっけ。顔しか知らないからなあ」
一瞬、胸が跳ね上がりそうになった。
だいじょうぶ、オレ関係ないから、と自分に言い聞かせ、安心させて、苗字を口にした。
「……スギモト、です」
おじさんは「おっ、カッコいいな」と笑った。そんなの、誰にも言われたことがない。おじさんも適当に調子良く言っただけなのだろう。
それよりも――「相棒の子は?」と訊かれたらどうしよう。タケオの苗字を伝えて、もしもおじさんの表情が変わったら、僕はいったいどうすればいいのだろう。
胸がまた跳ね上がる。しかも、何度も。
そこにちょうど、お客さんがお弁当を買いに来た。
おじさんは「じゃあな、スギモトくん、しっかり勉強しろよ」と笑って、小走りに店に戻った。
僕はその背中に会釈して、惣菜袋の持ち手を強く握りしめた。
ほっとするのと同時に、後悔が湧き上がってきた。
どうして受け取ったのだろう。「こんなの欲しくない」と断ればよかったのに。受け取ったあとで放り投げてもよかったのに。いま、袋の上から『やまちゃんボール』を押しつぶして、捨てて帰ることだってできるのに。受け取ってしまった。お礼まで言ってしまった。
まだ間に合う。いまから捨てればいい。おじさんの見ていないところでこっそり捨てればいい。こんなもの、もらう理由がないし、食べても美味しくないし、とにかくタケオに申し訳ない。タケオはイカのすり身のぷりぷりした食感を気に入っていて、僕よりもずっと『やまちゃんボール』の大ファンで、だからこそ、こんなものをもらってはいけなかったのだ。
でも、なにもできないだろう。自分でもわかる。僕はこのまま惣菜袋を持って商店街を抜け、公園のベンチで『やまちゃんボール』とフライを食べるだろう。タケオがいれば半分ずつにできたけど、一人分のおやつとしては多すぎるので、晩ごはんのときは残さないようにがんばって食べるだろう。『やまちゃん』でおやつをもらったことや、店先にひどいチラシが貼ってあったことは、両親にもタケオにも話さないだろう。もしもタケオの苗字を教えたら、おじさんはどんな顔になって、どんなことを言ったのか。僕はこれからずっと、おとなになっても、それをときどき思いだして、いろいろなことを考えてしまうだろう。
『コジマ薬局』の前だった。白衣を着たおばさんが、店の中に置いたストーブを囲んで、客のおばあさんと話している。二人とも丸椅子に腰かけているので、のんびりと世間話をしているのだろう。
でも、ガラス張りの壁に貼られた風邪薬や胃薬のポスターの横には、ビルの社長が二つの名前を持っていることを暴き立てるチラシが貼ってあった。
さらにその隣には、こんな手書きの紙も――。
〈にわか雨でお困りの方、遠慮なく声をかけてください。傘をお貸しします〉
僕が小学校を卒業した一九七〇年代後半には社会問題になっていて、気管支喘息や花粉症の原因だと誤解までされて、とにかく徹底的に忌み嫌われていたのだが、十年ほどたって時代が平成になった頃には、繁殖の勢いはずいぶん衰えてしまった。
土が痩せた。ちょうど根を張る深さの土に栄養を蓄えてくれていたモグラやネズミが、開発や農薬の使用のために激減してしまうと、もうそれまでのようには勢いよく育つことができなくなったのだ。
他の植物の生長を邪魔する化学物質も、分泌されて土に染み込み、ある濃度を超えると、今度はセイタカアワダチソウ自身に障害を与えるようになる。つまり、人間が大騒ぎしようと放っておこうと、そもそもセイタカアワダチソウの天下は永遠に続くものではなかったのだ。
セイタカアワダチソウが勢いを失った河原では、再びススキが広がっている。僕のふるさとの河原もそうだ。
コスモス畑は平成の後半には市の観光の目玉に位置付けられて、どんどんスペースが広げられた。最近は市内や県内はもちろん、遠くの大都市圏からもお客さんがたくさん来るのだという。セイタカアワダチソウはいまも秋になると黄色い花をつけているが、もはや目くじらを立てて刈り取るほどの邪魔ものでもない。
「コスモスの赤紫色に、セイタカアワダチソウの黄色って、けっこうきれいなんですよ」
何年も一人暮らしを続けてきた母が、いまお世話になっている特別養護老人ホームの介護士さんは、そう言って屈託なく笑うのだ。
タケオは新しい遠回りのルートを探してきた。今度は途中で遊ぶ場所はない。代わりに、目の詰まったあみだくじみたいに、細い路地をジグザグに曲がるのだという。
「途中で、庭の柿がたくさん成ってる家があるんだよ」
でも、もちろん、その柿を採って食べるわけにはいかないし、この時季まで実が残っているのは渋柿なのかもしれない。
「あと、大きな犬を飼ってる家がある。すぐ吠えるけど、太い鎖で繋がれてるからだいじょうぶ」
怖いだけで、ちっとも面白くない。
「それと、あとは……あとは……」
タケオも言葉に詰まって、「とにかく行けばわかるよ、行こう」と言った。
細い路地なら、電柱や壁に貼ったチラシを目にしなくてすむ。
僕は笑ってうなずいて、一緒に歩きだす。
角を何度も曲がった。右折と左折を細かく繰り返したので、いまどっちの方角に向かっているのかわからなくなってしまった。
タケオは先に立ってずんずん進む。迷ったり記憶をたどったりというそぶりもなく、歩きつづける。
最初は複雑な道順をしっかり覚え込んでいることにびっくりしたけど、やがて、もしかしたら……と思いはじめた。タケオは思いつくまま、なんのあてもなく曲がっているだけなのかもしれない。
まあいいか、と僕はタケオの後を追って歩きつづけた。
また曲がった。
すると、道は袋小路になってしまった。
タケオは舌打ちして僕を振り向くと「悪い……」と謝った。「おかしいなあ、間違えちゃったかなあ、うっかりしちゃったよ」
やっぱりな、と確信した。他のみんなはともかく、僕とタケオなら、口調や表情で嘘かどうかはわかる。僕たちは幼なじみで、クラスで一番の仲良しで、あと半年足らずで中学生になるのだから、そろそろ「親友」にもなれるのだろう。
「べつにいいよ。さっき曲がったところまで戻ろう」
笑って言うと、タケオは「そうだな」と笑い返し、でも歩きだすことはなく、立ち止まったまま言った。
「言うの忘れてたけど、オレ、三学期から転校する。父ちゃんが転勤になったから、引っ越しなんだ」
引っ越す先は遠い街だった。僕たちの街よりずっと大きくて、この国で何番目という大都会だ。
急に言われて、僕はただ驚くだけでなにも言えなかった。
タケオは逆に、話す内容や順番を最初から決めていたみたいに、落ち着いて続けた。
「オレ、知ってたから」
「……なにが?」
「オレの名前とか、国籍とか、三組のヤツらみんなウワサでしゃべってただろ。わかるんだよ、そういうの、意外と」
タケオは「みんな」という言い方をした。「おまえら」や「ヒロシたち」ではなく、責めるような目付きでもなかった。勝手に気まずくなった僕が謝ろうとしたら、「いいんだよ、べつに怒ってるんじゃないから」と言って、さらに続けた。
「平和銀座で、どんな人がどんなことを言ってるのかも、わかってる」
全然あそこ平和じゃないよなあ、と付け加え、つまらなそうに笑い、ゆるんだ頬をすぐに引き締めて、言った。
「オレのほんとの名前、教えてやる」
口にした苗字は、あのビルのオーナーの社長のホンモノの苗字と同じだった。
僕は黙って小さくうなずいた。それ以外の反応はなにもできなかった。以前から思っていたとおり、僕は頭でも心でも、ほんとうはなにもわかっていなかったのかもしれない。
表情をなくした僕に、タケオは笑って「いいんだよ」と言って、歩きだした。
路地を歩きながら、話は続く。
タケオの父方の祖父母は、四十数年前に隣の国から海を渡ってきた。この国で出会い、結婚をして、タケオの父親が生まれた。
「だから、父ちゃんは、自分の国なのに『あっち』に行ったことがないんだ」
一方、母親は二十年ほど前――だから戦争が終わったあと、両親とともに隣の国から移り住んだ。
「だから、母ちゃんはいまでも『あっち』のことが懐かしくて、たまに帰りたがるよ」
そんな両親の子どもであるタケオは――。
「よくわかんないよ」
そう言ったあと、「全然わかんない」と強めて繰り返し、「だってオレ、『あっち』のことなんて知らないし、『あっち』の言葉もしゃべれないのに、国籍は『あっち』なんだもんなあ……」と笑った。
僕は笑い返せない。でも、黙ったままでいると胸に蓋をされて息苦しくなってしまいそうだったので、かろうじて、一つだけ訊いた。
「自分でも、前から知ってたの?」
「そんなことない。けっこう最近だよ。三年生のときになんとなく聞かされて、四年生のときにはもっと詳しく説明してもらって、ああ、そうなんだ、って……」
四つ角に来て、曲がった。
「まあ、ショックはショックだったけど、昔からときどき、じいちゃんやばあちゃんは知らない言葉でしゃべってたし、父ちゃんや母ちゃんもおとな同士のときは『あっち』の言葉が出てたから……食べるものとか、お正月の行事とか、いろんなことが、ああ、そういうことだったのか、って……」
タケオは淡々と話した。自然とその口調になったのか、そうやって話そうと自分で決めていたのかは、わからない。
四つ角を曲がる。
「言っとくけど、転校するのは、平和銀座の話とは関係ないから」
次の角を、また曲がる。
「平和銀座のビルと、オレんち、なんの関係もないから」
笑う。
その次の角を、曲がる。
「関係ないって言ったら、オレがどっちの国でも関係ないんじゃない? ヒロシには関係あるの?」
すぐには答えられなかった。
「……そんなの、ないよ」
それだけでは不安で、「あるわけないだろ」とも付け加えてしまった。よけいなことだった。すぐに悔やんだ。でも、もう遅い。
タケオは、ふうん、と言った。ほかにはなにも言わなかったし、表情も変わらない。
その瞬間、タケオがすごくおとなになったような気がした。
「オレ、中学になったら、名前を元に戻す」
角を曲がる。
「父ちゃんと母ちゃんは反対なんだけど、じいちゃんとばあちゃんは、元に戻すのをすごく喜んでくれた」
変えるのではなく、元に戻す、と言った。
そうなんだな。それはそうだよな。頭でも心でもなく、すとん、と腑に落ちた。
「悪いけど、転校するまでは、いまの名前だから。話、合わせてくれる?」
角を、また曲がる。
「ごめんな、こういうのヒロシにしか言えないから」
僕を特別な友だちとして認めてくれた。
でも、ヒロシはここまでだから――と、見限られ、切り捨てられてしまったのかもしれない、とも思った。
さらに角を曲がった。すると、細い路地の先に、広い通りが見えた。すぐにわかった。平和銀座だ。タケオも気づいたのだろう、ずんずん進んでいた足取りが微妙に揺らいだ。
もしもタケオが立ち止まったら、僕はすぐに「こっちじゃないだろ」と声をかけて、強引でもいいから引き返すつもりだった。それが僕にできる精一杯のことだと思うから。
でも、タケオは歩きつづけた。
一瞬だけ足取りが揺らいだことで、かえって覚悟を決めたのか、歩き方はどんどん力強くなって、路地から平和銀座に出たときには、まるで行進のように胸を張り、腕を振って、まっすぐに前を見据えて――その先には、『やまちゃん』があった。
『やまちゃん』の店先では、おじさんとおばさんが忙しそうに接客をしていた。
特におじさんは、惣菜をハカリに載せたり会計をしたりと手を休みなく動かしながら、「らっしゃい、らっしゃい、本日、かぼちゃと揚げものサービスデー、マカロニサラダも増量だよ!」と呼び込みまでする。
ほんとうに働き者で、元気で明るくて、子ども好きで……でも、おじさんが背にした壁には〈お買い得・かぼちゃそぼろ煮(挽き肉たっぷり)〉〈特売・かぼちゃ天ぷら〉〈大盛り無料・マカロニサラダ〉〈コロッケ本日5コにつき1コ追加〉の短冊と並んで、まだ〈早く出て行け!〉のチラシが貼ってある。
僕とタケオは店の前に差しかかった。おじさんが接客に気を取られているうちに通りすぎたい。僕の足取りは自然と速くなった。
ところが、タケオは店の正面で立ち止まった。顔も店のほうに――おじさんや、チラシに向けた。じっと見つめる。おじさんとチラシのどちらかは、わからない。ただ、黙って、顔をぴくりとも動かさずに見つめつづける。
僕は声をかけられず、タケオを残して立ち去ることもできず、その場にたたずむしかなかった。
おじさんが気づいた。仕事の手がふさがっているので、ショーケース越しに「おっ、ひさしぶりにコンビ復活だなあ」と声をかけてきた。
僕はぺこりと頭を下げた。挨拶は返した。あとはもう、そのまま歩きだせばいい。
でも、タケオは動かない。返事も会釈もせず、じっと見つめる。
なにを見ているのだろう。ほんとうに。おじさんなのか、チラシなのか、一緒に視界に収めているのか、じつはそのどちらでもないのか。わからない。僕はタケオではない。どんなにそばにいても、タケオが見ているものは僕にはわからないし、考えていることもわからない。タケオが二つの名前と、どんなふうに付き合ってきたのかも。これからどんなふうに付き合っていくのかも。
おじさんは「どうした?」と声をかけてきた。「お母ちゃんになにか買い物でも頼まれたのか?」
僕はあわてて首を横に振ったけど、タケオは反応すらしない。
おじさんはちょっと困った笑顔になって、目をぱちぱちと瞬いた。怪訝そうに、さらになにか言いかけたとき、ショーケースの前のおばあさんが量り売りの煮物を注文した。
おじさんはかがみこんで、ショーケースのバットから煮物を取り分ける。
この隙に立ち去ろう。僕はタケオに「行こうか」と声をかけた。
それでも、タケオはまだ動かない。おじさんに文句を言いたいのだろうか。チラシをはがしてほしい、と訴えたいのだろうか。でも、そんなことをしたら、タケオはかえって悲しい思いをしてしまいそうな気がする。
「なあ、そろそろ行かない?」
返事はない。横顔も動かない。
「……おじさんと、なにか話があるの?」
「ない」
初めて口を開いた。短く、ぴしゃりとした一言だった。
「だったら行こうよ」
僕はわざと怒った言い方をして、タケオの上着の袖を引っぱった。タケオは黙って僕の手を振り払う。
そのときだった。
「ああ、そうかあ、わかったぞ」
おじさんの上機嫌な声が聞こえた。煮物を容器に移して体を起こし、容器をハカリに載せながら「わかったわかった」と言って、含み笑いで僕たちを見る。
「おやつだろ?」
『やまちゃんボール』が欲しくて立ち去らないのだと、勘違いされた。
おじさんは「煮っころがし二百グラムちょうどね」と、ハカリから降ろした煮物を袋に入れて、おばあさんに渡す。
会計をしながら、「いやあ、悪い悪い」と、また僕たちに話しかける。「ごめんな、今日は忙しいし、サービスデーで売り切れになりそうだから、また今度だ。今度は今日のぶんも足してやるからな」
おじさんが「証人もたくさんいるからな」と笑うと、他のお客さんも笑って僕たちを見た。みんなにこにこして、優しそうで、でもみんなの背後には、あのチラシが見える。
おじさんはすぐに、次の接客にかかった。
タケオもようやく歩きだした。
僕も隣に並んで、言った。
「おじさん、勝手に誤解するんだもんなあ、ひどいよな」
タケオの返事はない。僕も最初からそうだろうなと思っていた。
僕たちは黙って、並んで、歩きつづけた。
すれ違う人も、自転車で追い越す人も、お店の人も、僕たちが『やまちゃん』の前に立っていたほんとうの理由を知らない。僕たちが平和銀座に来る前に交わしていた話も、誰も知らない。夢にも思っていないだろう。
『オモチャのヨシオカ』の前を通り過ぎるとき、店内から『赤鼻のトナカイ』のメロディーが流れてきた。おなじみの曲なのに、オルゴールの音色だったせいなのか、いつもとは印象が違って聞こえる。
「意外と寂しい曲なんだな」
僕はぽつりと言った。返事は期待していなかったけど、タケオは「オレも、そう思う」と応えてくれた。
「だよな、やっぱり寂しいよ」
タケオも同じ感想だったのが、うれしい。
タケオはうなずいて、言った。
「できないけど……やればよかった」
「え?」
「文句言って……負けるけど殴ってやればよかった……」
急に早足になったタケオを、僕は斜め後ろから追って歩く。商店街を抜けた。すずらん灯や店の灯りがなくなると、あたりはいっぺんに暗くなった。
タケオはうつむいて歩きながら、何度もハナを啜り上げて、上着の袖をときどき顔に当てた。
僕は斜め後ろを歩く。黙って歩きつづける。耳の奥では『赤鼻のトナカイ』が、いつまでも静かに鳴り響いていた。
二学期の終業式の日に挨拶をしたときも名前のことには触れなかったし、三学期になって届いた「新しい学校でも友だちができました」という近況のハガキにも、いつもの名前が書いてあった。僕も、タケオのもう一つの名前は教えなかった。クラスのみんなはもちろん、両親にも黙っていた。だから、タケオのもう一つの名前は誰にも知られないままで――じつを言うと、僕ももう、いまとなってはよく思いだせずにいるのだ。
遠回りは終業式の日まで続いた。平和銀座を通ったのはあの日の一度きりで、僕もタケオも、まるで記憶に消しゴムをかけたみたいに、あの日の話を蒸し返すことはなく、転校までの最後の日々を静かに過ごしたのだ。
タケオとは、その後は会う機会はなかった。高校を卒業する頃までは年賀状のやり取りが続いていたが、東京の大学に入った僕は忙しさに紛れて、年賀状を出さなかったり、もらっても返事をしなかったり、というありさまだった。それが何年か続いているうちに、タケオとのやり取りも途切れて、それっきりになってしまった。
最後の年の年賀状でも、タケオはいつもの名前だった。両親の反対に押し切られて名前を戻すのをあきらめたのか、自分で考えてそうしたのか、もしかしたら国籍をこの国に変更して、名前をそのまま使うことにしたのかもしれない。
名前がどうであれ、いまも元気でいてくれたらいい。
この国のことを嫌いになっていなければ、うれしい。
平和銀座のビル建設計画は、翌年の春になって中止された。反対運動が実ったというより、年明けからの不況で、市内の経済が大きな打撃を受けたことが大きい。
撤退を決めた社長は、二つの名前のうち片方を封印したまま、複数の企業を傘下に収め、「王国」とも呼ばれる企業グループをつくりあげた。だが、社長の出身をめぐる話は常に影のようにつきまとって、「王国」をめぐる事件や疑惑やスキャンダルが明るみに出るたびに、封印していたはずの名前も報じられた。一時は国政にも影響力を持っていた社長だったが、後継者に恵まれなかったせいで、晩年は「王国」を失い、十年ほど前にひっそりと世を去った。遺言に従って、墓は生まれ故郷である隣の国の農村につくられた、という。
平和銀座は、明るく健全な雰囲気を守ることはできた。でも、半年間の反対運動で、商店街の人間関係には微妙なしこりが残ってしまった。商店街を挙げてのイベントやセールも、その後は参加する店としない店が分かれるようになり、寄り合いの役員を決めるときも話し合いがもつれるようになったらしい。
中学生になった僕は、平和銀座を歩くことが減った。学校の場所が小学校とは違うので平和銀座が近道にならなくなったから、という理由が半分、残り半分は、『やまちゃん』のおじさんや『コジマ薬局』のおばさんのことが、やはり心のどこかにわだかまっていたから。
たまに店先を通ると、おじさんはあいかわらず元気で明るい。僕を見ると「おう、勉強してるか」と気さくに声をかけてくれるし、かつての僕とタケオと同じように『やまちゃんボール』をごちそうしてもらう小学生もいる。
『コジマ薬局』では、傘の貸し出しに加えて、靴ずれになったり指をケガしたりした人のために、ガーゼ付きの絆創膏を無料で一枚渡すサービスも始めた。
みんな親切で優しい。ビルの建設計画が撤回されたあとはチラシも消えた。
でも、にこにこと笑うあの人たちが、あんなチラシを貼っていたことは――どうしても、忘れられないのだ。
いまの平和銀座は、「かつて商店街だった一角」と呼んだほうがいい。四十数年の歳月が流れる間に、ほとんどの店が姿を消した。『やまちゃん』も『コジマ薬局』も建売の住宅になって、住んでいる人も変わった。
『やまちゃん』のおじさんは、僕が大学を卒業して東京で就職した年に亡くなった。いまの僕と変わらない五十代後半で、膵臓だったか腎臓だったかのガンで世を去ったのだ。その後はおばさんと息子さんががんばっていたが、数年後には店を畳んでしまった。
おじさんに訊きたかったことがある。伝えたかったこともある。タケオが転校していったあと、ずっと。
実際には訊けないし、言えない。わかっていた。中学生の僕も、高校生の僕も、大学生の僕も、まだ子どもだった。だからおじさんに声をかけられても、はにかんで会釈するだけだった。
でも、いまなら――。
おとな同士で話せるなら、訊きたいし、伝えたい。
もしもおじさんがタケオが二つの名前を持っているのを知ったら、その後も僕たちのことを変わらず可愛がってくれましたか?
それが、訊きたいこと。
伝えたいことも、タケオの話だ。
あいつは、おじさん特製の『やまちゃんボール』が大好きだったんです。僕よりも、ずっと。
おじさんはどんな顔になって、どんなふうに応えるだろうか。
(「タケオの遠回り」了。次回につづく)