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答えは風のなか

タケオの遠回り(その2)


 次の日の夕方、ぼくはウチに帰ったあと、一人で歩いてへいぎんに出かけた。ゆうべの両親の話を聞いて、どこの店にひどいチラシがってあるのかたしかめたかったのだ。
 商店街はあいかわらず閑散かんさんとしていた。ただし、のどかなふん囲気いきはすっかり消え失せてしまった。
 どこを見ても、店先や電柱に貼られたチラシの〈絶対ぜったい反対〉の文字が目に飛びんでくる。じょうを知っている人はもちろん、なにも知らない人にも商店街にたちこめる重苦しさが伝わって、とても買い物を楽しむ気分にはなれないだろう。
 あんなビルの建設けんせつ計画さえなければ、いままでどおり、さびれていても、温かい商店街でいられたはずなのに。
 あの会社が金儲かねもうけをねらったせいで――というのは、僕も思う。あの会社の社長が「あっち」の出身だろうと、そうでなかろうと。
 でも、「もしも」の話を、ふと思った。
 ビルに入る店はそのままでも、もしも計画を立てた会社が名門のだいぎょうだったら、平和銀座のみんなは、いまみたいに〈絶対反対〉のチラシをこんなにべたべたと貼っただろうか。
 重苦しさがさらにす。
 この商店街を少しずつきらいになっていることに、僕は自分でも気づいていた。
 しばらく歩いて、僕の足は止まった。
 さがしていたチラシがあった。
〈早く出て行け!〉
 ここにだけは、あってほしくない。そう願っていた場所で見つけてしまった。
「あっち」から来た人たちの居場いばしょうばい去ろうとするチラシは、『やまちゃん』の店先にってあったのだ。
 おじさんは外からも見えるちゅうぼうげものをしていた。冬場でも揚げ場は暑いのだろう、はだの丸首シャツ一まいで、タオルをねじりはちきにして、黙々もくもく菜箸さいばしを動かし、あみすって油切りをする。
 げているのは『やまちゃんボール』だった。夕食前の書き入れ時にそなえて、つくり置きしているのだろう。
 あみで油を切った『やまちゃんボール』をバットにうつしたおじさんは、仕事にひと息ついて顔を上げ、不意にこっちを見た。とっさに歩きだそうとしたけど、足がすくんで動かない。そっぽを向いてせんをかわすこともできなかった。
 おじさんはぼくに気づくと、よお、と笑った。僕はしかたなく、小さくしゃくをした。そのまま立ち去ろうとしたけど、おじさんは挨拶あいさつだけではすまず、店の外に出てきた。



 にこにこ笑っている。小太りで、丸顔で、かみがちょっとうすくて、細いれ目が笑うといっそう細くなり、まゆごとさらに垂れ下がって……僕とタケオはこっそり「マンガ顔」と呼んでいた。
 そんな人なつっこいおじさんの顔を、いまはまともに見られない。
「ひさしぶりだなあ、元気だったか?」
 おじさんは笑って言った。でも、僕はうつむいた顔を上げられない。必死にほおをゆるめて笑い返したけど、おじさんには見えなかったかもしれない。
「最近ずっと顔を見てなかったから、心配してたんだぞ。どうしたんだろう、病気にでもなっちゃったかなあ、って」
 やさしい人なのだ、おじさんはほんとうに。
相棒あいぼうの子も元気か?」
 タケオのこと――
「二人ともウチの前を通らなくなったから、おじさん、さびしかったんだぞお」
 おどけて身をくねらせる真似まねをしたおじさんは、がははっと豪快ごうかいに笑ってから、「ちょっと待ってろ」とショーケースのうらに回った。
 明るい人で、陽気な人で、だれかに向かって「早く出て行け!」と言ったりするような人では決してない……はずだったのだ。
 おじさんはバットに山りされた『やまちゃんボール』にトングをばし、惣菜そうざいぶくろに一つ放りんだ。ぼくがそれを見ているのをたしかめると、いたずらっぽく目配せして、もう一つ。さらに、くししたウズラのたまごのフライも、うやうやしい手つきでふくろに入れてから、外に出てきた。
「おやつにしろよ。ひさしぶりだから、おまけ付きだ」
「……ありがとう」
 受け取った惣菜そうざいぶくろは、ほんのりと温かかった。袋の口にふうをするのにシールやテープを使わず、何重にも折りたたんで、そこを持ち手にするのが『やまちゃん』のりゅうだ。
「野菜がないからお母さんにはナイショだし、おやつを食っても、ばんごはんはちゃんとしっかり食べるんだぞ」
 おじさんは、いつもの台詞せりふを、いつものように笑顔で言う。でも、おじさんは、もう、いつもの――いままでのおじさんではない。
相棒あいぼうの子もいればよかったのになあ。べつにケンカしたわけじゃないんだろ? 今度また一緒いっしょに商店街を通って帰ればいいし、遊びに来てもいいんだからな」
「……はい」
「ああそうだ、ボク、名前なんていうんだっけ。顔しか知らないからなあ」
 いっしゅんむねね上がりそうになった。
 だいじょうぶ、オレ関係ないから、と自分に言い聞かせ、安心させて、みょうを口にした。
「……スギモト、です」
 おじさんは「おっ、カッコいいな」と笑った。そんなの、だれにも言われたことがない。おじさんも適当てきとうに調子良く言っただけなのだろう。
 それよりも――相棒あいぼうの子は?」とかれたらどうしよう。タケオのみょうを伝えて、もしもおじさんの表情ひょうじょうが変わったら、ぼくはいったいどうすればいいのだろう。
 胸がまた跳ね上がる。しかも、何度も。
 そこにちょうど、お客さんがお弁当べんとうを買いに来た。
 おじさんは「じゃあな、スギモトくん、しっかり勉強しろよ」と笑って、小走りに店にもどった。
 僕はそのなかしゃくして、惣菜そうざいぶくろの持ち手を強くにぎりしめた。
 ほっとするのと同時に、後悔こうかいき上がってきた。
 どうして受け取ったのだろう。「こんなのしくない」とことわればよかったのに。受け取ったあとで放り投げてもよかったのに。いま、袋の上から『やまちゃんボール』をしつぶして、てて帰ることだってできるのに。受け取ってしまった。お礼まで言ってしまった。
 まだ間に合う。いまから捨てればいい。おじさんの見ていないところでこっそり捨てればいい。こんなもの、もらう理由がないし、食べても美味しくないし、とにかくタケオに申しわけない。タケオはイカのすり身のぷりぷりした食感を気に入っていて、僕よりもずっと『やまちゃんボール』の大ファンで、だからこそ、こんなものをもらってはいけなかったのだ。
 でも、なにもできないだろう。自分でもわかる。僕はこのまま惣菜そうざいぶくろを持って商店街をけ、公園のベンチで『やまちゃんボール』とフライを食べるだろう。タケオがいれば半分ずつにできたけど、一人分のおやつとしては多すぎるので、ばんごはんのときは残さないようにがんばって食べるだろう。『やまちゃん』でおやつをもらったことや、店先にひどいチラシがってあったことは、両親にもタケオにも話さないだろう。もしもタケオのみょうを教えたら、おじさんはどんな顔になって、どんなことを言ったのか。僕はこれからずっと、おとなになっても、それをときどき思いだして、いろいろなことを考えてしまうだろう。
 
 
 すべて、そのとおりになった。
 
 
『やまちゃん』から、とぼとぼとした足取りでまた歩きだした。むねいた惣菜そうざいぶくろぬくもりを持てあましながら何軒なんげんか進むと、ぼくの足はまた止まってしまった。
『コジマ薬局』の前だった。白衣を着たおばさんが、店の中に置いたストーブをかこんで、客のおばあさんと話している。二人ともまる椅子いすこしかけているので、のんびりと世間話をしているのだろう。
 でも、ガラスりのかべられた風邪かぜ薬や薬のポスターの横には、ビルの社長が二つの名前を持っていることをあばき立てるチラシがってあった。
 さらにそのとなりには、こんな手書きの紙も――
〈にわか雨でおこまりの方、遠慮えんりょなく声をかけてください。かさをおしします〉
 
 
 セイタカアワダチソウが、生態系せいたいけいかいする悪者あつかいされていた時代は、それほど長くはなかった。
 ぼくが小学校を卒業した一九七〇年代後半には社会問題になっていて、かん喘息ぜんそくふんしょう原因げんいんだとかいまでされて、とにかく徹底的てっていてききらわれていたのだが、十年ほどたって時代が平成になったころには、はんしょくいきおいはずいぶんおとろえてしまった。
 土がせた。ちょうど根をる深さの土に栄養をたくわえてくれていたモグラやネズミが、開発や農薬の使用のために激減げきげんしてしまうと、もうそれまでのようには勢いよく育つことができなくなったのだ。
 他の植物の生長をじゃする化学物質ぶっしつも、分泌ぶんぴつされて土にみ、あるのうえると、今度はセイタカアワダチソウ自身にしょうがいあたえるようになる。つまり、人間が大騒おおさわぎしようと放っておこうと、そもそもセイタカアワダチソウの天下は永遠えいえんに続くものではなかったのだ。
 セイタカアワダチソウがいきおいを失った河原かわらでは、ふたたびススキが広がっている。ぼくのふるさとの河原もそうだ。
 コスモス畑は平成の後半には市の観光の目玉に位置付けられて、どんどんスペースが広げられた。最近は市内や県内はもちろん、遠くのだい都市としけんからもお客さんがたくさん来るのだという。セイタカアワダチソウはいまも秋になると黄色い花をつけているが、もはや目くじらを立ててり取るほどのじゃものでもない。
「コスモスの赤むらさき色に、セイタカアワダチソウの黄色って、けっこうきれいなんですよ」
 何年も一人らしを続けてきた母が、いまお世話になっている特別養護老人ホームのかい護士ごしさんは、そう言って屈託くったくなく笑うのだ。
 
 
 十二月に入ると、陽がれるのはさらに早くなり、ぞう木林きばやしで遊んでいると明るいうちに家に帰り着けなくなってしまった。
 タケオは新しい遠回りのルートをさがしてきた。今度はちゅうで遊ぶ場所はない。代わりに、目のまったあみだくじみたいに、細い路地をジグザグに曲がるのだという。
ちゅうで、庭のかきがたくさん成ってる家があるんだよ」
 でも、もちろん、その柿をって食べるわけにはいかないし、この時季まで実が残っているのは渋柿しぶがきなのかもしれない。
「あと、大きな犬をってる家がある。すぐえるけど、太いくさりつながれてるからだいじょうぶ」
 こわいだけで、ちっとも面白くない。
「それと、あとは……あとは……」
 タケオも言葉にまって、「とにかく行けばわかるよ、行こう」と言った。
 細い路地なら、電柱やかべったチラシを目にしなくてすむ。
 ぼくは笑ってうなずいて、一緒いっしょに歩きだす。
 角を何度も曲がった。右折と左折を細かくり返したので、いまどっちの方角に向かっているのかわからなくなってしまった。
 タケオは先に立ってずんずん進む。まよったりおくをたどったりというそぶりもなく、歩きつづける。
 最初は複雑ふくざつな道順をしっかり覚えんでいることにびっくりしたけど、やがて、もしかしたら……と思いはじめた。タケオは思いつくまま、なんのあてもなく曲がっているだけなのかもしれない。
 まあいいか、と僕はタケオの後を追って歩きつづけた。
 また曲がった。
 すると、道はふくろこうになってしまった。
 タケオはしたちして僕をり向くと「悪い……」とあやまった。「おかしいなあ、ちがえちゃったかなあ、うっかりしちゃったよ」
 やっぱりな、と確信かくしんした。他のみんなはともかく、僕とタケオなら、口調や表情ひょうじょううそかどうかはわかる。僕たちはおさななじみで、クラスで一番の仲良しで、あと半年足らずで中学生になるのだから、そろそろ「親友」にもなれるのだろう。
「べつにいいよ。さっき曲がったところまでもどろう」
 笑って言うと、タケオは「そうだな」と笑い返し、でも歩きだすことはなく、立ち止まったまま言った。
「言うのわすれてたけど、オレ、三学期から転校する。父ちゃんが転勤てんきんになったから、引っしなんだ」
 引っ越す先は遠い街だった。ぼくたちの街よりずっと大きくて、この国で何番目という大都会だ。
 急に言われて、僕はただおどろくだけでなにも言えなかった。
 タケオはぎゃくに、話す内容ないようや順番を最初から決めていたみたいに、落ち着いて続けた。
「オレ、知ってたから」
「……なにが?」
「オレの名前とか、国籍こくせきとか、三組のヤツらみんなウワサでしゃべってただろ。わかるんだよ、そういうの、意外と」
 タケオは「みんな」という言い方をした。「おまえら」や「ヒロシたち」ではなく、めるような目付きでもなかった。勝手に気まずくなった僕があやまろうとしたら、「いいんだよ、べつにおこってるんじゃないから」と言って、さらに続けた。
へいぎんで、どんな人がどんなことを言ってるのかも、わかってる」
 全然あそこ平和じゃないよなあ、と付け加え、つまらなそうに笑い、ゆるんだほおをすぐに引きめて、言った。
「オレのほんとの名前、教えてやる」
 口にしたみょうは、あのビルのオーナーの社長のホンモノの苗字と同じだった。
 僕はだまって小さくうなずいた。それ以外の反応はんのうはなにもできなかった。以前から思っていたとおり、僕は頭でも心でも、ほんとうはなにもわかっていなかったのかもしれない。
 表情ひょうじょうをなくした僕に、タケオは笑って「いいんだよ」と言って、歩きだした。
 路地を歩きながら、話は続く。
 タケオの父方の祖父母そふぼは、四十数年前にとなりの国から海をわたってきた。この国で出会い、結婚けっこんをして、タケオの父親が生まれた。
「だから、父ちゃんは、自分の国なのに『あっち』に行ったことがないんだ」
 一方、母親は二十年ほど前――だから戦争が終わったあと、両親とともにとなりの国からうつり住んだ。
「だから、母ちゃんはいまでも『あっち』のことがなつかしくて、たまに帰りたがるよ」
 そんな両親の子どもであるタケオは――
「よくわかんないよ」
 そう言ったあと、「全然わかんない」と強めてり返し、「だってオレ、『あっち』のことなんて知らないし、『あっち』の言葉もしゃべれないのに、国籍こくせきは『あっち』なんだもんなあ……」と笑った。
 ぼくは笑い返せない。でも、だまったままでいるとむねふたをされて息苦しくなってしまいそうだったので、かろうじて、一つだけいた。
「自分でも、前から知ってたの?」
「そんなことない。けっこう最近だよ。三年生のときになんとなく聞かされて、四年生のときにはもっとくわしく説明してもらって、ああ、そうなんだ、って……」
 四つ角に来て、曲がった。
「まあ、ショックはショックだったけど、昔からときどき、じいちゃんやばあちゃんは知らない言葉でしゃべってたし、父ちゃんや母ちゃんもおとなどうのときは『あっち』の言葉が出てたから……食べるものとか、お正月の行事とか、いろんなことが、ああ、そういうことだったのか、って……」
 タケオは淡々たんたんと話した。自然とその口調になったのか、そうやって話そうと自分で決めていたのかは、わからない。
 四つ角を曲がる。
「言っとくけど、転校するのは、へいぎんの話とは関係ないから」
 次の角を、また曲がる。
「平和銀座のビルと、オレんち、なんの関係もないから」
 笑う。
 その次の角を、曲がる。
「関係ないって言ったら、オレがどっちの国でも関係ないんじゃない? ヒロシには関係あるの?」
 すぐには答えられなかった。
「……そんなの、ないよ」
 それだけでは不安で、「あるわけないだろ」とも付け加えてしまった。よけいなことだった。すぐにやんだ。でも、もうおそい。
 タケオは、ふうん、と言った。ほかにはなにも言わなかったし、表情ひょうじょうも変わらない。
 そのしゅんかん、タケオがすごくおとなになったような気がした。
「オレ、中学になったら、名前を元にもどす」
 角を曲がる。
「父ちゃんと母ちゃんは反対なんだけど、じいちゃんとばあちゃんは、元に戻すのをすごくよろこんでくれた」
 変えるのではなく、元に戻す、と言った。
 そうなんだな。それはそうだよな。頭でも心でもなく、すとん、とに落ちた。
「悪いけど、転校するまでは、いまの名前だから。話、合わせてくれる?」
 角を、また曲がる。
「ごめんな、こういうのヒロシにしか言えないから」
 ぼくを特別な友だちとしてみとめてくれた。
 でも、ヒロシはここまでだから――と、かぎられ、切りてられてしまったのかもしれない、とも思った。
 さらに角を曲がった。すると、細い路地の先に、広い通りが見えた。すぐにわかった。平和銀座だ。タケオも気づいたのだろう、ずんずん進んでいた足取りがみょうらいだ。
 もしもタケオが立ち止まったら、僕はすぐに「こっちじゃないだろ」と声をかけて、強引でもいいから引き返すつもりだった。それが僕にできる精一杯せいいっぱいのことだと思うから。
 でも、タケオは歩きつづけた。
 一瞬いっしゅんだけ足取りがらいだことで、かえってかくを決めたのか、歩き方はどんどん力強くなって、路地から平和銀座に出たときには、まるで行進のようにむねり、うでって、まっすぐに前を見据みすえて――その先には、『やまちゃん』があった。

『やまちゃん』の店先では、おじさんとおばさんがいそがしそうにせっきゃくをしていた。
 特におじさんは、惣菜そうざいをハカリにせたり会計をしたりと手を休みなく動かしながら、「らっしゃい、らっしゃい、本日、かぼちゃとげものサービスデー、マカロニサラダもぞうりょうだよ!」とみまでする。
 ほんとうに働き者で、元気で明るくて、子ども好きで……でも、おじさんがにしたかべには〈お買いどく・かぼちゃそぼろき肉たっぷり)〉〈特売・かぼちゃ天ぷら〉〈おおり無料・マカロニサラダ〉〈コロッケ本日5コにつき1コ追加〉の短冊たんざくならんで、まだ〈早く出て行け!〉のチラシがってある。
 ぼくとタケオは店の前に差しかかった。おじさんがせっきゃくに気を取られているうちに通りすぎたい。僕の足取りは自然と速くなった。
 ところが、タケオは店の正面で立ち止まった。顔も店のほうに――おじさんや、チラシに向けた。じっと見つめる。おじさんとチラシのどちらかは、わからない。ただ、だまって、顔をぴくりとも動かさずに見つめつづける。
 僕は声をかけられず、タケオを残して立ち去ることもできず、その場にたたずむしかなかった。
 おじさんが気づいた。仕事の手がふさがっているので、ショーケースしに「おっ、ひさしぶりにコンビ復活ふっかつだなあ」と声をかけてきた。
 僕はぺこりと頭を下げた。挨拶あいさつは返した。あとはもう、そのまま歩きだせばいい。
 でも、タケオは動かない。返事もしゃくもせず、じっと見つめる。
 なにを見ているのだろう。ほんとうに。おじさんなのか、チラシなのか、一緒いっしょかいおさめているのか、じつはそのどちらでもないのか。わからない。僕はタケオではない。どんなにそばにいても、タケオが見ているものは僕にはわからないし、考えていることもわからない。タケオが二つの名前と、どんなふうに付き合ってきたのかも。これからどんなふうに付き合っていくのかも。
 おじさんは「どうした?」と声をかけてきた。「お母ちゃんになにか買い物でもたのまれたのか?」
 ぼくはあわてて首を横にったけど、タケオは反応はんのうすらしない。
 おじさんはちょっとこまった笑顔になって、目をぱちぱちとまたたいた。げんそうに、さらになにか言いかけたとき、ショーケースの前のおばあさんが量り売りのものを注文した。
 おじさんはかがみこんで、ショーケースのバットから煮物を取り分ける。
 このすきに立ち去ろう。僕はタケオに「行こうか」と声をかけた。
 それでも、タケオはまだ動かない。おじさんにもんを言いたいのだろうか。チラシをはがしてほしい、とうったえたいのだろうか。でも、そんなことをしたら、タケオはかえって悲しい思いをしてしまいそうな気がする。
「なあ、そろそろ行かない?」
 返事はない。横顔も動かない。
「……おじさんと、なにか話があるの?」
「ない」
 初めて口を開いた。短く、ぴしゃりとした一言だった。
「だったら行こうよ」
 僕はわざとおこった言い方をして、タケオの上着のそでを引っぱった。タケオはだまって僕の手をはらう。
 そのときだった。
「ああ、そうかあ、わかったぞ」
 おじさんのじょうげんな声が聞こえた。ものよううつして体を起こし、容器をハカリにせながら「わかったわかった」と言って、ふくみ笑いで僕たちを見る。
「おやつだろ?」
『やまちゃんボール』がしくて立ち去らないのだと、勘違かんちがいされた。
 おじさんは「っころがし二百グラムちょうどね」と、ハカリからろした煮物をふくろに入れて、おばあさんにわたす。
 会計をしながら、「いやあ、悪い悪い」と、また僕たちに話しかける。「ごめんな、今日はいそがしいし、サービスデーで売り切れになりそうだから、また今度だ。今度は今日のぶんも足してやるからな」
 おじさんが「しょうにんもたくさんいるからな」と笑うと、他のお客さんも笑って僕たちを見た。みんなにこにこして、やさしそうで、でもみんなのはいには、あのチラシが見える。
 おじさんはすぐに、次のせっきゃくにかかった。
 タケオもようやく歩きだした。
 僕もとなりならんで、言った。
「おじさん、勝手にかいするんだもんなあ、ひどいよな」
 タケオの返事はない。僕も最初からそうだろうなと思っていた。

 ぼくたちはだまって、並んで、歩きつづけた。
 すれちがう人も、自転車で追いす人も、お店の人も、僕たちが『やまちゃん』の前に立っていたほんとうの理由を知らない。僕たちが平和銀座に来る前に交わしていた話も、だれも知らない。ゆめにも思っていないだろう。
『オモチャのヨシオカ』の前を通りぎるとき、店内から『赤鼻のトナカイ』のメロディーが流れてきた。おなじみの曲なのに、オルゴールの音色だったせいなのか、いつもとはいんしょうが違って聞こえる。
「意外とさびしい曲なんだな」
 僕はぽつりと言った。返事は期待していなかったけど、タケオは「オレも、そう思う」とこたえてくれた。
「だよな、やっぱり寂しいよ」
 タケオも同じ感想だったのが、うれしい。
 タケオはうなずいて、言った。
「できないけど……やればよかった」
「え?」
もん言って……負けるけどなぐってやればよかった……」
 急に早足になったタケオを、僕はななめ後ろから追って歩く。商店街をけた。すずらん灯や店の灯りがなくなると、あたりはいっぺんに暗くなった。
 タケオはうつむいて歩きながら、何度もハナをすすり上げて、上着のそでをときどき顔に当てた。
 僕は斜め後ろを歩く。だまって歩きつづける。耳のおくでは『赤鼻のトナカイ』が、いつまでも静かに鳴りひびいていた。
 
 
 タケオは、二つの名前のことをぼくにだけ打ち明けて、転校していった。
 二学期の終業式の日に挨拶あいさつをしたときも名前のことにはれなかったし、三学期になってとどいた「新しい学校でも友だちができました」というきんきょうのハガキにも、いつもの名前が書いてあった。僕も、タケオのもう一つの名前は教えなかった。クラスのみんなはもちろん、両親にもだまっていた。だから、タケオのもう一つの名前はだれにも知られないままで――じつを言うと、僕ももう、いまとなってはよく思いだせずにいるのだ。
 遠回りは終業式の日まで続いた。へいぎんを通ったのはあの日の一度きりで、僕もタケオも、まるでおくに消しゴムをかけたみたいに、あの日の話をし返すことはなく、転校までの最後の日々を静かにごしたのだ。
 タケオとは、その後は会う機会はなかった。高校を卒業するころまではねんじょうのやり取りが続いていたが、東京の大学に入った僕はいそがしさにまぎれて、年賀状を出さなかったり、もらっても返事をしなかったり、というありさまだった。それが何年か続いているうちに、タケオとのやり取りも途切とぎれて、それっきりになってしまった。
 最後の年の年賀状でも、タケオはいつもの名前だった。両親の反対にし切られて名前をもどすのをあきらめたのか、自分で考えてそうしたのか、もしかしたら国籍こくせきをこの国に変更へんこうして、名前をそのまま使うことにしたのかもしれない。
 名前がどうであれ、いまも元気でいてくれたらいい。
 この国のことをきらいになっていなければ、うれしい。

 へいぎんのビル建設けんせつ計画は、翌年よくねんの春になって中止された。反対運動が実ったというより、年明けからのきょうで、市内の経済けいざいが大きなげきを受けたことが大きい。
 撤退てったいを決めた社長は、二つの名前のうち片方かたほう封印ふういんしたまま、複数ふくすうぎょうさんおさめ、「王国」ともばれる企業グループをつくりあげた。だが、社長の出身をめぐる話はつねかげのようにつきまとって、「王国」をめぐるけんわくやスキャンダルが明るみに出るたびに、封印ふういんしていたはずの名前もほうじられた。一時は国政こくせいにもえいきょう力を持っていた社長だったが、後継者こうけいしゃめぐまれなかったせいで、晩年ばんねんは「王国」を失い、十年ほど前にひっそりと世を去った。遺言ゆいごんしたがって、はかは生まれきょうであるとなりの国の農村につくられた、という。
 平和銀座は、明るく健全なふん囲気いきを守ることはできた。でも、半年間の反対運動で、商店街の人間関係にはみょうなしこりが残ってしまった。商店街を挙げてのイベントやセールも、その後は参加する店としない店が分かれるようになり、り合いの役員を決めるときも話し合いがもつれるようになったらしい。

 中学生になったぼくは、平和銀座を歩くことがった。学校の場所が小学校とはちがうので平和銀座が近道にならなくなったから、という理由が半分、残り半分は、『やまちゃん』のおじさんや『コジマ薬局』のおばさんのことが、やはり心のどこかにわだかまっていたから。
 たまに店先を通ると、おじさんはあいかわらず元気で明るい。僕を見ると「おう、勉強してるか」と気さくに声をかけてくれるし、かつての僕とタケオと同じように『やまちゃんボール』をごちそうしてもらう小学生もいる。
『コジマ薬局』では、かさし出しに加えて、くつずれになったり指をケガしたりした人のために、ガーゼ付きの絆創膏ばんそうこうを無料で一まいわたすサービスも始めた。
 みんな親切でやさしい。ビルの建設けんせつ計画が撤回てっかいされたあとはチラシも消えた。
 でも、にこにこと笑うあの人たちが、あんなチラシをっていたことは――どうしても、わすれられないのだ。

 いまの平和銀座は、「かつて商店街だった一角」とんだほうがいい。四十数年の歳月さいげつが流れる間に、ほとんどの店が姿すがたを消した。『やまちゃん』も『コジマ薬局』も建売たてうりじゅうたくになって、住んでいる人も変わった。
『やまちゃん』のおじさんは、ぼくが大学を卒業して東京で就職しゅうしょくした年にくなった。いまの僕と変わらない五十代後半で、膵臓すいぞうだったか腎臓じんぞうだったかのガンで世を去ったのだ。その後はおばさんと息子さんががんばっていたが、数年後には店をたたんでしまった。
 おじさんにきたかったことがある。伝えたかったこともある。タケオが転校していったあと、ずっと。
 実際じっさいにはけないし、言えない。わかっていた。中学生の僕も、高校生の僕も、大学生の僕も、まだ子どもだった。だからおじさんに声をかけられても、はにかんでしゃくするだけだった。
 でも、いまなら――
 おとなどうで話せるなら、きたいし、伝えたい。

 もしもおじさんがタケオが二つの名前を持っているのを知ったら、その後も僕たちのことを変わらず可愛かわいがってくれましたか?

 それが、きたいこと。
 伝えたいことも、タケオの話だ。

 あいつは、おじさん特製とくせいの『やまちゃんボール』が大好きだったんです。僕よりも、ずっと。

 おじさんはどんな顔になって、どんなふうにこたえるだろうか。


(「タケオの遠回り」了。次回につづく)

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著者略歴

  1. 重松 清

    1963年生まれ。早稲田大学教育学部卒。出版社勤務を経て執筆活動に入る。ライターとして幅広いジャンルで活躍し、1991年に『ビフォア・ラン』(ベストセラーズ/幻冬舎文庫)で作家デビュー。1999年『ナイフ』(新潮社)で坪田譲治文学賞、『エイジ』(朝日新聞社)で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』(新潮社)で直木賞、2010年『十字架』(講談社)で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』(新潮社)で毎日出版文化賞を受賞。
    著書に『流星ワゴン』(講談社)、『疾走』『とんび』『木曜日の子ども』(KADOKAWA)、『みんなのなやみ』(理論社/新潮文庫)、『その日のまえに』(文藝春秋)、『きみの友だち』『青い鳥』(新潮社)、『希望の地図』(幻冬舎)、『赤ヘル1975』(講談社)、『ひこばえ』(朝日新聞出版)など多数。2013年に『きみの町で』(ミロコマチコ氏との共著)を小社から刊行。

  2. ミロコマチコ

    画家・絵本作家。1981年大阪府生まれ。生きものの姿を伸びやかに描き、国内外で個展を開催。絵本『オオカミがとぶひ』(イースト・プレス)で第18回日本絵本賞大賞を受賞。『てつぞうはね』(ブロンズ新社)で第45回講談社出版文化賞絵本賞、『ぼくのふとんは うみでできている』(あかね書房)で第63回小学館児童出版文化賞をそれぞれ受賞。ブラティスラヴァ世界絵本原画ビエンナーレ(BIB)で、『オレときいろ』(WAVE出版)が金のりんご賞、『けもののにおいがしてきたぞ』(岩崎書店)で金牌を受賞。その他にも著書多数。第41回巌谷小波文芸賞受賞。
    展覧会『いきものの音がきこえる』が全国を巡回。本やCDジャケット、ポスターなどの装画も手がける。2016年春より『コレナンデ商会』(NHK Eテレ)のアートワークを手がけている。2013年に『きみの町で』(重松清氏との共著)を小社から刊行。
    http://www.mirocomachiko.com

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