韓国の人気作家イ・スラさん スペシャルインタビュー(1)
2021年に『日刊イ・スラ 私たちのあいだの話』(朝日出版社)、2024年には『29歳、今日から私が家長です。』(CEメディアハウス)が出版された韓国の作家イ・スラさん。著書は13冊、Instagramのフォロワーは11万人超、トークイベントのチケットは数分で完売するほど人気の作家です。
韓国でスラさんがブレイクしたきっかけは、2018年にスタートしたメール連載「日刊イ・スラ」でした。スラさんが「文学直売」と表現したこの連載は、月に約1000円で1日1編のエッセイをメール配信するプロジェクトです。媒体からの執筆依頼を待つのではなく、自分で書き、直接読者に売って収入を得るために始めたそうです。そのメール連載を本にまとめたのが『日刊イ・スラ 随筆集』と『心身鍛錬』で、これらの本を制作、刊行するために自ら出版社を立ち上げ、家族で運営するようになりました。
前例のない道を切り開くイ・スラさんに、自身の作品をベースに、創作についてインタビューしました。(インタビュー・文/原田里美)
書きはじめたきっかけ
(左)『あなたは生まれ変わるのを待っている』(へオム出版社)、(右)『勤勉な愛』(文学トンネ)。
――『勤勉な愛』(未邦訳)は、イ・スラさんが講師を務める文章教室での、子どもたちとの交流を描いた本ですね。「書く」「文章」という単語を見るとイ・スラさんの名前が頭に浮かんできます。日記を書くのが好きだったそうですが、幼い頃の夢は作家になることだったのでしょうか?
小学生の頃から作家になりたいと思っていました。幸運なことに、10歳の私の文章を真摯に見てくださる担任の先生に出会えたからです。日本で同じ習慣があるかわかりませんが、韓国の小学校では、日記を書いて提出するのも宿題のひとつでした。その担任の先生は、私の日記を添削しながら、いつもとっても大きな声で笑ってくれたんです。文章の下に、丁寧なコメントと質問も書き添えてくれました。このインタビューで、私に興味と愛情を持って質問してくださるみたいに。そういう読者の存在があったからこそ、自然と文章を書きたくなったのでしょう。
本との関係
――書評集『あなたは生まれ変わるのを待っている』(未邦訳)も出されています。スラさんの著書には引用も多いですし、読書家という印象があります(自宅の本棚も圧巻!)。
「書くこと」は「読むことの極致」ではないかと思います。たくさん読んでいるうちに、いつの間にか書くようになっていた、という作家は少なくないようです。読む人より書く人の方が多いと言われている時代ではありますが、悲観的に考えてはいません。書いていくのであれば、読まないわけにはいかないと思います。白紙を前に新しい作品を書こうとするたびに、自分自身の限界を目の当たりにするからです。ですから私もあらゆるジャンルの本を読んで自分の世界を広げてきましたし、たくさん読もうと意識的に努力しています。
――たくさんお読みになった中で、このような作品を書きたいと目標にするような、影響を受けた作品はありますか? 佐野洋子さんの文章がお好きだそうですが、どういったところに惹かれますか?
「こんな作品を書きたい」と思わせてくれた作家が多すぎて、1人や2人を選ぶのは難しいですね。本当に多くの作家から影響を受けてきたと感じています。最も好きなエッセイストを3人挙げるなら、その中に佐野洋子さんは入るでしょう。特にユーモアのセンスが大好きです。それに、書いていることは率直で自然体ですが威厳も感じられて、常に意外性があるところにも惹かれています。佐野洋子さんのように、笑いの中に悲しみがあり、生と死が並列であるような文章を書きたいと、少しでも近づけるように努力しています。
『日刊イ・スラ 私たちのあいだの話』誕生まで
(左)『心身鍛錬』、(中央)『日刊イ・スラ随筆集』(どちらもへオム出版社)から41篇を集めた日本語版『日刊イ・スラ 私たちのあいだの話』(原田里美、宮里綾羽訳・朝日出版社)
――イ・スラさんの代名詞とも言える『日刊イ・スラ』についてお聞きします。
「月・火・水・木・金曜日は連載して、週末は休みます。購読料は1カ月で1万ウォン(約1,000円)、20編送ります。1編が500ウォンなので、おでん1串よりは安いですが、それ以上に満足していただけるように努力します」。この宣伝文句でメール連載を始められましたね。最初は購読者が30人くらいで、収益は月に3万円と見込んでいたそうですが、結果的にどうでしたか? 読者が少なかったらどうしよう、など不安はありませんでしたか?
おそらく、韓国の文学界では前例のない試みだったと思います。上手くいくかどうかはわかりませんでしたが、購読者が30人でも楽しんで連載するつもりでいました。収益が3万円だったとしても、地面を掘ったらそのお金が出てくるわけじゃないですから。良い副業だと思って、感謝の気持ちで取り組もうと心に決めていました。
――この連載はたちまち話題になり、購読者数が増えていったそうですね。文章が面白くて広まったのだと思いますが、ご自身の文章の何が人を惹きつけた(ている)と思いますか?
私の文章は読みやすいんだと思います。もちろん、読みやすさだけが良い文学というわけではないですし、読者としての私は、忍耐力を必要とする読書を楽しむタイプですが、作家としての私は、できるだけ簡潔で読みやすい文章を書くように心がけています。というよりも、読みやすさにとどまらず、読みながら軽やかさを感じられるような、リズミカルでユーモアのある文章を追い求めてきました。メール連載「日刊イ・スラ」の成功は、「文学直売」という目新しさからくる話題性だけではなく、そうした文章力も理由のひとつだと考えています。
一方で、7年経って振り返ってみると、連載を始めた当初は「若さならではの勢い」があったと思います。今でも十分若くはありますが……。あの頃はもっと若かったですし、恋愛真っ盛りでしたね。仕事をして失敗もしながら、一人暮らしに孤軍奮闘する女性の姿を、連載初期のエッセイには熱く詰め込んでいました。そうした瑞々しい若さと勇気が、人々を引き寄せたのかもしれません。
――文章の魅力だけでなく、インパクトのある広告イメージに、ヘアスタイルやファッション、自己プロデュースに長けている方だと思いました。InstagramやYouTubeの使い方も効果的です。マーケティングの戦略は事前に計画があったのでしょうか。
マーケティングやブランディングについて考えたことはないかもしれません。お金を節約するために、すべて自力で解決していました。私の感性と時代の感受性が合致したのは、すごく幸運だったと思います。ヘアスタイルやファッションですか……。いわゆる一般的な美人として生まれてこなかった私の身体を、「個性派」の方面で昇華させようと、試行錯誤のチャレンジをしてきました。もちろん、お金があまりかからない方法で。
韓国にはこんなことわざがあります。「クソか味噌かは食べてみないとわからない」。私は手当たり次第、片っ端から食べてみることで、自分のやり方を見つけてきました。そうしているうちに、自分ならではの個性が、少しずつ見えてくるようになったのです。
メール連載「日刊イ・スラ」の初期の頃の広告。スラさん自ら作成し、Instagramにアップしていた。レトロなデザインが興味をひく。
3年ぶりに「日刊イ・スラ」が配信されたときの広告。Instagramにはスライド広告(左)は5パターン作成された。
右は3Dアニメーションバージョン。アーティストは子供のころにスラさんの文章教室に通っていたキム・オンユさん。『勤勉な愛』にも登場する。動画バージョンもあり。
母親のボキさんとのこと
『わたしは泣くたびにママの顔になる』(2025年、かんき出版より邦訳刊行予定)
――『日刊イ・スラ』にもたくさん登場したお母さまのボキさんですが、スラさんは『日刊イ・スラ 随筆集』と同時期にイラストエッセイ『わたしは泣くたびにママの顔になる』を出版されています。母親であるボキさんと娘のスラさんの関係が描かれていますね。せつなさとユーモアが入り混ざった読みやすいエッセイです。イラストも描けるなんて驚きました。2018年は「日刊イ・スラ」の連載もされていたと思いますが、どこかにイラストも発表していたのでしょうか。このイラストエッセイの出版までの経緯を教えてください。
『わたしは泣くたびにママの顔になる』が出版されたのは2018年ですが、2010年に実家を出て自立してから、様々な仕事をしました。カフェの店員、雑誌のライター、ヌードモデル、文章教室の講師……。それから、ウェブトゥーン作家(デジタルコミックのマンガ)です。文章を書く作家としては2013年にデビューしたのですが、思っていたほど執筆の依頼がなく、お金を稼ぐのが大変でした。そんなとき、文章で稼ぐのは難しいけれど、マンガなら少しは稼げるらしいという話を聞いて、ウェブトゥーンを描くことにしました。
絵の描き方を学んだことがなかったので、まずはきれいに円を描くことから始めました。それから好きな日本のマンガを買ってきて、丸ごと模写をしながら1年ほど絵の練習をしていました。そうして習作を描いてみたところ、2015年にウェブトゥーンのサイトで連載がスタートすることになったのです。
デビュー作は『イ・スラのショートカット』というラブコメで、そんなに過激な内容を描いたつもりはありませんでしたが、19歳未満閲覧禁止となりました。女性の乳首や男性器などを遠慮なく登場させていたからでしょうね。後で恥ずかしくなってプラットフォームとの契約を解除し、サイトから全て削除してしまいました。
同じ頃に描いた別の作品が『わたしは泣くたびにママの顔になる』です。文章を書くのは好きだったのですが、絵を描くのは面倒だなと思い始めていました。文章で伝えればいいものを、なぜわざわざマンガにしなければならないのか?と。だからこの作品はできるだけ適当に描いたつもりだったのですが、それが後に出版されることになるなんて……。数年経って、出版社「文学トンネ」の編集者、イ・ヨンシルさんが「この作品は大傑作です」と言ってくださり、出版することになりました。タイトルは編集者がつけてくれました。
インタビュー集について
(左)『創作と冗談』、(中央)『新しい心で』、(右)『清らかな尊敬』。作家、映画監督、ミュージシャンなどクリエイターへの
インタビュー集と、病院清掃員やビルの管理人など、姿は見えにくいが、人々の日常を支えてくれる仕事人へのインタビュー集。
――家族や友人を「見て」「聞いて」「書く」のが「イ・スラ」という作家の特徴です。人の声に耳を傾ける人。人に興味を持っていなければできないことだと思います。著書を読んでいると、スラさんご自身に目を向けているようでありながら、実はその視線はいつも他者に向けられています。『清らかな尊敬』『創作と冗談』『新しい心で』と、インタビュー集を3冊も出されていて、文学のひとつのジャンルとしてインタビューを大切にしているのがわかります。
スラさんが人にマイクを向けるようになったきっかけはありますか? また、インタビューすることがご自身のエッセイや小説の書き方、作風に影響を与えていますか?
とても大事な質問ですね。「ご自身に目を向けているようでありながら、実はその視線はいつも他者に向けられてい」るという部分です。これは私が心がけていることなのです。私がインタビューというジャンルをとても大切にしていることを理解してくださっていて、本当に嬉しいです。インタビューを読むのも、インタビューをするのも好きです。どちらかというと、インタビューされるよりも、自分がインタビュアーである方がやりやすいのですが、それは人に質問をして、話に耳を傾けることに慣れているからだと思います。雑誌のライターをしていたとき、インタビュアーとしての経験をたくさん積んだからでしょう。
ですが、私がマイクを他者に向けたい理由は、他にもあります。知らないこと、わからないことがたくさんあるからです。人の話をもせず、問うこともないようでは、作家はおしまいだと思っています。そして、私に寄せられる関心を「資本」として、他者の話を他の大切な人々とも分かち合いたいのです。
後半は次週公開!