韓国の人気作家イ・スラさん スペシャルインタビュー(2)
家父長制など社会問題を語ること
(左)原書『家女長の時代』(イヤギジャンス)、(右)日本語版『29歳、今日から私が家長です。』(清水知佐子訳・CEメディアハウス)。スラさんはこの小説のドラマ脚本を執筆中。台湾版が出版され、英語、イタリア語版の出版も決まった。
『天気と顔』(ウィゴ)
――日本語版の2冊目の著書は『29歳、今日から私が家長です。』。ある家庭の娘が「家長」になるという、家父長制が主なテーマと言える小説ですね。『日刊イ・スラ』にも家父長制を題材にしている章がありますが、それを強く否定するような印象はありませんでした。
一方で、新聞に寄稿したコラムを集めた『天気と顔』(未邦訳)では、工場式畜産が及ぼす環境問題、労働搾取や少数者に対する差別などの社会問題を扱っていますし、選挙シーズンでは政治家を積極的に応援する姿も見られました。
こうした社会問題について話すとき、自分の態度をはっきりと決めて、意見を表明しないといけないのではないかと考えてしまうのですが、スラさんご自身はどうお考えですか?
家父長制は私ひとりで壊せるようなものではありません。家父長制の歴史は人類の歴史と共にあり、根深いのですから。私は家父長的な家族の中で育ちましたが、一概に全てを否定したくありませんでした。祖父からは嫌な部分だけでなく、良い部分も受け継いだので、この2つを善悪だけで片付けることはできないのです。それが愛の複雑なところではないでしょうか。当然、強く抵抗し、闘うべき社会問題は常にありますが、私は性格上、先頭に立って闘う人間にはなれないようです。闘争心が足りないからです。例えば、ケンカが得意な友達の背後で気を揉みながら、肩越しにその子達の強い対抗心に感嘆するだけの、後列に立っている生徒に近いと言えますね。
そんな優柔不断な私が声を上げなければならないような、差し迫った問題もあります。工場式畜産問題や気候危機、障害者の移動についての課題、配達員の労働環境など、全てを挙げればキリがない……。韓国の社会には不平等が蔓延しています。けれど、あらゆる問題に対して、すぐに自分の意見を述べるつもりはありません。知らないことがまだたくさんありますし、すでに様々な人の言葉が溢れている時代だからです。私はただ、これらの問題を自分なりにゆっくりと消化し、読者から関心を持ってもらえるような、心に残る文学作品を書いていきたいと思っています。
労働について
――デビュー作の短編小説『商人たち』はどんな作品ですか?
商人の娘として生まれた子どもが成長し、ヌードモデルになる物語です。3年間、ヌードモデルとして働いた経験を元にして書きました。
――執筆も労働であると、以前ご自身のことを「連載労働者」と紹介されていました。お母さんのボキさんは古着屋さんで働いていましたし、お父さんのウンイさんは大変多くの職業を経験されています。おじいさんは自動車部品の販売店で働いていたそうですね。家族の働く姿はスラさんにどのような影響がありましたか? もし、作家で食べていけなかったらと考えたことはありますか?
両親が多種多様な仕事に就くのを見てきました。大学を出ていない、ブルーカラーの共働き夫婦です。彼らの生活力、人生に対する耐性、楽観性、柔軟性など、私が受け継いだものはたくさんあります。その中でも、人を上下で区別しない目を持つことを学びました。良い職場に勤めているかどうか、学歴が高いか低いか、生まれつき運が良いのか悪いのか……。人を見るときに、そういった判断基準を全く適用させない大人たちの下で育ちました。
父から、一緒に白菜売りや壁紙を貼る仕事をしないかと提案されたこともあります。私が作家になる前のことです。今は運良く職業作家として生活ができていますが、本の売れ行きが悪くなったら、いつでも他の仕事に就こうと考えています。家族で集まっているときに、母と夫と一緒に餃子屋を開くのはどうだろうかと、想像してみることもあります。
――「やりたいこと」と「食べていくこと」のあいだで悩む人が多いと思います。メール連載「日刊イ・スラ」を始めるとき、会社勤めの安定した給料で学資ローンを返済しようと考えたことはありませんでしたか?
就職しようとは思いませんでした。なぜなら、大学は卒業しましたが、有名な大学ではなかったので就職に有利ではなく、特別な資格もなく、成績も良いわけではなかったので、就職市場で生き残れる力はほぼ皆無と判断したからです。なによりも、9時から18時までの会社員生活が嫌でした。みんなと同じ時間に出勤する生活を回避するために、様々な仕事でお金を稼ぎました。やってみてわかりましたが、会社勤めに負けず劣らず大変でしたね。
――「やりたいこと」があるのに行動に移せないという悩みをよく耳にします。それは自分が食べていけるだけの才能があるのかわからなかったり、食べていける保証や自信がなかったりするからだと思うのですが、スラさんならどうアドバイスしますか? 若ければやり直しがききますが、年齢を重ねるほど失敗を恐れて身動きが取れなくなります。
私は「諦めきれない気持ち」そのものが才能だと思っています。ずば抜けて上手くなくても諦めようとしない、何度やめたいと思ってもやめられないことが、誰にでもひとつはありますよね。「どうして、自分はこれをやめないんだろう? どうして、他のことをしている最中でもそのことばっかり考えてしまうんだろう?」。そう感じている「こと」をやり続けるべきではないでしょうか。私にとってそれが、「文章を書く」ことでした。それに、たとえ秀でた才能があったとしても、ほとんどの時間は無難な作品を書いているうちに過ぎていくものなのです。若かろうと、年を取っていようと、いつ始めたとしても、無難な作品を書き続ける自分に耐えなければならないのは変わらないのです。このような現実を絶望的に捉えすぎずに耐えられるのであれば、自分のやりたいこととお金を稼ぐことは最終的に一致してくるはずだと信じています。
今後の作品について
『とにかく、歌』(ウィゴ)
――『とにかく、歌』というエッセイを出されていますね。ご自身のYouTubeやSoundCloudでは、弟でミュージシャンのチャニさんと作った曲を発表されていますが、心にスっと入ってくるスラさんの透明感のある歌声と、温かい雰囲気がとても素敵です。ギターもウクレレも弾けることにも驚きました。以前はラジオ番組で朗読もされていましたし、文章、マンガ、歌と、まさにマルチアーティストといった印象です。様々なことに挑戦できる才能をお持ちですが、今後も私たちはスラさんの文章を読ませてもらえそうですか? これからやりたいことなどもあれば教えてください。
弟の影響で、気づいたら私も作曲をしていました。作った曲を歌うことが本当に好きです。仕事ではないからこそ、より一層好きなのだと思います。いま書いている『29歳、今日から私が家長です。』のドラマ脚本の仕事が終わったら絶対にやろうと思っているのは、自分の曲でアルバムを作ることです。みなさん、アルバムも期待していてほしいです。何年後になるかはわかりませんが。
目先の目標としては、『29歳、今日から私が家長です。』の脚本を完成させることです。その後は、本と脚本を交互に書きながら生きていければと思っています。また、韓国だけでなく、様々な国の読者にも会いたいですし、韓国から最も近い日本でももっとトークイベントをして、読者のみなさんにお会いしたいと思っています。そしてこれは、少しデリケートな願い事ではありますが、いつか母親になりたいです。ですが、目の前のやるべき仕事が山積みなので、どうなるかはわかりませんね。それから、佐野洋子さんのように老境に入っても書き続けていたいです。年齢を重ねるにつれて、私の体や視線、文章がどのように変化していくのか楽しみです。おばあさんになるまで生きていたいです。
エッセイ、小説、脚本など、さまざまなスタイルの文章で、人のおかしさ、愛しさを伝え続けるイ・スラさん。このインタビューが公開される頃には韓国で14冊目の新刊が発売されます。これからの活動がとても楽しみな作家です。
左はイ・スラさんが立ち上げた、「へオム出版社」のロゴ。へオムは泳ぐという意味。 |