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にがてしりとり

第3回 待つことが得意な私はカラオケが苦手です〜時間がもったいないとか、あんまり思わないかもしれないです〜

苦手なことが多い人生を送ってきたというエッセイストの古賀及子さんが、すごい特技を持つ人と、その人が苦手なことをつなげる「にがてしりとり」。今回は「デザイン」が得意な人の苦手→「待つこと」のプロのお話を聞きました。(編集部)


 デザインの得意な人としてご登場願ったブックデザイナーの佐藤亜沙美さんは、仕事としてデザインと対峙し続けることで、能力を、得意であることを、きれきれに研ぎ澄ませていた。いかに手練れずに戦い続けるか。どこまで得意になっても、それが得意の終わりではないことを教えてくれた。

 そんな佐藤さんの苦手なことは、溜め置くこと、待つこと。「常に循環していないと気持ちが悪い」とのことで、せっかちなんだそうだ。私もゆったりした行動が苦手で、長年せっかちを自称し続けてきた。けれど佐藤さんは、毎日日記を書く(私は日記が好きで、日記の本を出版したのがきっかけでエッセイストになりました)ことは生活を溜めることであって、せっかちであったらそれは難しいと言うのだ。思いもよらず、自分がせっかちらしくない特性の持ち主だったと気づかされ、かなわないなとおののいた。

 となると、次は溜め置くこと、待つことが得意な人に話を聞きたい。それってどんな人だろうと考えるヒントも、ご自身のお子さんの行動を待つことができないという佐藤さんのお話にあった。

 思えば、子育ては待ちの連続だ。ご飯を食べるのを待つ、寝付くのを待つ、靴を履くのを待つ、滑り台に飽きるのを待つ……。子どもと過ごすことで、一日のあちこちに待つ時間が発生する。とくに小さな子どもを育てる間は、常に物も時間も滞留している感覚がある。

 そもそも、子どもを育てること自体が待つことだとも、ほんの少し思うのだ。私にも二人の子どもがいる。一人は大学生、もう一人は高校生で、二人とも十代後半だ。彼らが小さな頃、あまりに手一杯で息切れして、「ああ、早く大きくならないかなあ」と何度も感じた。私は十数年、成長を待ったとも言えるんじゃないか。

 それで、続いては保育士さんにお話を聞くのはどうだろうと考えた。小さな時間をこまごまと待つ意味でも、経年による成長を見守る意味でも、保育士さんは職業的に子どもを待っている。

 ご登場願ったのは、佐藤さんに、こんなに求心力がある人はいない、ぜひとご紹介いただいた保育士の よしのさんだ。

 高校卒業後、乳児院のボランティア、障害者の就労継続支援B型事業所での支援員、さらにはキャバクラ勤務も経て、保育園で保育補助などの仕事をしながら勉強をし、保育士資格を取得。現在は保育園で保育士として働いている。「そんなたいした話できるかなあ」と言いながら、にこにこやって来てくれた。

「よっちゃんって呼んでください!」とほがらかに言う。おおらかなオーラがいきなりすさまじい。吸い込まれる!

待っているつもりなく、「待ってるね」と子どもに言っている

 “待つ=保育士っていう、その着眼点が面白いなって思ったんですよ。日々保育園で働いていると、確かに「待ってるね」ってよく使うなって思って。例えば、今トイレに行きましょうっていう時間がそんなにキチキチじゃないけどあるんですよね。この時間にトイレに行って、その後にお昼ご飯食べてとかって。で、やっぱり、2歳とかの子が、みんなすっとは来ないじゃないですか。そういうときに、無理やり連れて行くんじゃなくて、待ってるからねって言いますね。靴履けるの待ってるね、とかも。

 うんうん、やっぱりそうだ。保育士さんは、待っている。ここまでは、想定通りである。ただし、よっちゃんはこう続ける。

 “でも、自分で「待ってるなあ」っていう意識はなかったです。

 なるほど! そりゃあそうか! 待つのが得意な人を連れてくるぞと腕まくりしたけれど、今回ばかりはちょっと私の都合が良すぎたかもしれない。

 ただ、待っているつもりがないけれど「待ってるね」と日々子どもたちに声をかけるのは、むしろすごいことだと思う。話を聞いていくと、待つ、ということの謎が解けていくようだった。

待つことを、積極的にやっている?

 その大きな手がかりが、意外にも「せっかち」と「おせっかい」だ。よっちゃんは、保育士として子どもたちを日々待っている。でも同時に、せっかちで世話焼きでもあるというのだ。

 “せっかちですよ! 焼肉とか行ったら一生ひっくり返してる。 焼けるのが待てないんです。焼ける前にひっくり返しちゃうから、結局全然焼けないの。

 だいたい、おせっかいなんです、私。観光地とかでも、写真をグループで交互に撮り合ってる人がいたら、もうほっとけないの。撮りますよー!とか言っちゃう。私、人見知りしないから、誰とでも平気でどんどん喋るんですね。本当に十代の時からそんなんで。後で、あの人たち大丈夫だったかなって気になるのが嫌だから。その人のためじゃなくて、自分のためにおせっかいをやってる。”

 なるほど……。せっかちで、おせっかい。人のことを(それに肉のことも)ほうっておけない……。

 ここでいきなり、ひらめいた。よっちゃんは、子どもたちのことを待っているけれど、その間、世話を焼いていて、ぼーっとしているわけじゃないってことなんじゃないか。そもそも勤務中である。ぼーっとしているわけはない。

 子どもたちのことを、ほっとけない、世話を焼きたい、だからこそ、待っている。そんな予感がする。……のだけど、ほっとけないから待つということが、どういうことなのかが見えてこない。あのう、待ってる間ってどんなことを考えるんですか?

 “どう動くかなって、見てます。うん、そうですね、見てる。声をかけるタイミングを見計らったり、どういう声かけをすればこの子は動くかなとかっていうのも見てるかもしれないですね。もちろん、ひとりじゃなくて、周りの他の子たちの安全も配慮しつつ。見てますね。

 そうだ。見てるんだ。見守っているんだ。待ってるけど、それはものすごく能動的だ。

ぼーっとしない「待つ」がある

 待つことが闇雲に時間をやりすごすことではないとは、ちょっと忘れていたことだった。

 例えば子どもが靴を履くのを待つと、その後の、玄関を開けて、外に出て、目的地に向かうという流れが止まってしまう。だから、ぼーっと待ってなんていられないと思っていた。でも、ぼーっとしない「待つ」だってあるんだ。

 “待ち合わせで友達が遅れても、私は全然待てるんですよ。そういうときは、その辺うろうろしたり、ちょっとあそこの喫茶店入ってみようかなとか、お店にどんなのあるかなとか、見て回るのが好きだから、1時間でも待ってられるし、あんまりそういうので怒ったことないかもしれないです。

 確かに私も、大人との待ち合わせだったらいくらでも待てる。子どもの行動だけが待てなかった。

 子どもを待つことは、子どもの隣でじっと待つことで、大人を待つのは、よっちゃんも言うように、自分に自由があって、あちこちうろうろできるから。

 でもよっちゃんは、子どもも、大人を待つのと同じように待てる。せっかちで世話焼きのよっちゃんは、自分に自由がある状態で、子どもを見守って待っている。

 もしかしてと思い、時間が経つことが怖くないですか? と聞いてみた。効率的に物事を進めたいという焦りがない、時間に執着がないようにも感じたからだ。

 “時間が経つこと……そうですね、怖くないかもしれない。私、年をとるのも怖くないんです。みんな同じだけ1日24時間持ってて、1年に1回年取るのはみんな一緒じゃない? みたいな感じで。だらだらっていうか、ゆっくりした時間も好きだから、ああ今日一日家から出なかった、でもそういう日もあるよね、充電できたな、みたいな感じ。もったいないとかあんまり思わないかもしれないですね。

 時間が過ぎ去って無くなっていくのは、一般的には恐ろしいことだと思う。そこの恐怖度が低いということが、つまり優しさのことのように、よっちゃんのお話を聞いていると感じる。

よく見て、信頼関係を作って、それぞれの待ち方を探す

 約束に遅れた大人を待つのではない、保育園で子どもたちを待つような、ぴったり隣で待つことについて、もう少し話を聞いてみたい。よっちゃんは、保育園で働く前に、就労継続支援B型事業所で障害を持つ方の支援員をしていた。

 “知的障害を持つ若い女の人を担当したことがあって、嵐が好きな人だったんですね。そのときは、お弁当のカップみたいな、フルーツを入れるようなカップが100個ぐらい袋に入ってて、それを5個ずつに分ける仕事をしてたんですよ。5個、数がわかりやすいようにテーブルに1 、2 、3 、4、5って書いたテープを貼ったんだけど。それだとつまんなくなって寝ちゃう。

 どうやったら効率を上げられるかなって思って。それでテープを貼り直して、嵐のメンバーの名前を1人ずつテープに書いていってって言ったの。そしたらすぐに5人書いて、で始めたら、パパパってできるようになって、めちゃくちゃ効率が上がって。

 そういう、こうしたらいいんじゃないかなっていうのがピタッと合ったときが嬉しいですよね。嵐が解散しちゃって、あの人、今どうしてるかな。

 支援員の頃は、隣で見てその人を知って、特性に応じて待ち方や働きかけ方を考えることで、サポートを受ける側の人と力を合わせてきたそうだ。この考え方は、保育園で子どもを待つことにもそのまま繋がる気がする。

 “相手を知っていることが大事だから、何回も会ってる人とか会ってる子どもだと、うまい声かけができたりするけど、全く知らないとできないんですよね。

 最近、新しい園に勤めはじめて担任になったんですけど、まだあんまり声はかけてないです。今は、信頼関係を作るべきだと思ってて、見てます。様子を見ながら、ダメなこととか、あとは一緒に何々しようとか、そういう話はできるけど、メリハリをつけたいときの声かけというか、しっかり伝えていくことはまだです。クラスの子たちに、この人がいたら楽しいなって思ってもらって安心して園に来てもらうっていうのが、今は一番だと思ってます。

 様子を見る、見守ることをして、その子を深く理解する。それから、どう待つかを考えるわけだ。

 “例えば、靴を履くのにもすごいのんびりマイペースな子がいて、その子が電車が好きだってことがわかっていたとしたら、じゃあこの靴を車庫に入れてきて、とかそういう言い方ができるじゃないですか。

 保育士さんという仕事が、待つことが得意な仕事だということに、ここでやっぱり戻ってきたなと思う。ううっ、やっぱりすごいな……と、私などは手のひらで胸を押さえて感動してしまうばかりだけど、でも、保育園と家はぜんぜん違うから、とよっちゃんは言うのだ。

 親としても、園と家の違いは実感してきた。家での時間はいつも迫っていて、待っているわけにいかないことが多い。子どもは、保育園の先生の前では頑張れても、親の前では甘えることもある。親として、その甘えは受け入れたい。いろいろと、事情がある。

 それを踏まえてなお私は、子育て中に待てなかったなと思うのだ。塗り絵の色を塗るとか、折り紙を折るとか、それくらいの遊びすら待てなかった。たっぷり時間がある週末でも、だ。待てなくて、つい急かしてしまって、ああ余計なことを言っちゃったなと、私は結局、となりでふてくされて、すんとしてまっすぐ横になってマンガを読んだり、スマホを見たりしていたのだ。

時間を失うのが怖いし、意味がないのも恐ろしい私たち大人は

 “なんかね、子どもって意味ないことしないんですって。縁石歩くのもバランス感覚を鍛えるためにやってたりとか。脚の上に乗ったりしません? 太ももの上に。あれも、バランス感覚を鍛えるためにやってたり、ジャンプしてるときも、刺激を求めてたりっていうのがあるんですって。

 それを知ってからだと、塗り絵をするときになかなか塗らずに色鉛筆を並べてても、あ、色の違いを見てるのかなとか、折り紙をゆっくりやってても、折ったらどうなるのかなって考えてるのかなとか想像できて、あんまりイライラしないんじゃないかな。意味があることをやってるから(笑)。

 滑り台を何回もやるのとかも筋トレになるしね。階段上がって下がってってするのも、体を使って遊んでいる、大きくなるためにやってるんだと思ったらいいんじゃないかな。

 なんだかすっかり見透かされてしまって、私はキャッとなって照れた。私は意味がないのが怖かったんである。時間を失うのが怖いし、意味がないのも恐ろしい。子どもの、時間や意味から解き放たれた活動が脅威だったのかもしれない。

 だから、ここには意味があると思えばよかったのかと、まず気づかされたし、それによっちゃんが説明してくれた意味がどれも、本当にちゃんと意味なのがすごい。子どもは、案外なにかを求めて時間をすごしている。

 “あとは、子どもって今何をしていいか、わからなくなっちゃうときがあるんですよね。大人にとっては玄関に行ったら靴を履くのは当たり前だけど、子供にとってはそうじゃない。だから周囲を見まわすとか、靴自体に興味を持って眺めちゃうとか、別のことをしちゃう。そういうときは、靴を履きに来たんだよって、うまく思い出させてあげられたらいいですよね。

 よっちゃんは、自分が子どもの頃からすでに子どもが好きで、小学生の頃に同居していたお母さんの知人の赤ちゃんの面倒を見たり、年の離れた妹さんのことも大好きでお世話をしてきたんだそうだ。根底にある、ご自身が言う「おせっかい」の力を、人生をかけてこんなにポジティブに発揮し続けられるものか。

 お話を聞いていて、人に待ってもらえるということが、こんなにも希望に満ちた嬉しいことなのだなとも思わされた。よっちゃんと一緒にいると、ずっと励まされる。どんどん元気になっていく。

 私はたがが外れて、よっちゃんに「クーラーが壊れて買い替えなくちゃいけなくなって」と、ぜんぜん関係のない話までしはじめて、するとよっちゃんは「クーラーって来年すごく値上がりするそうじゃないですか、だから今年でよかったですよ」と励ましてくれた。クーラーが壊れて買い替えなくちゃいけない人が一番励まされる声かけの方法を、よく知っているな。

カラオケが苦手です、緊張しちゃって震えちゃう

 そんなよっちゃんの、苦手の話も聞いてみたい。苦手なことってありますか。

 “いっぱいあるんだけど、カラオケが苦手。歌えないの。緊張しちゃって震えちゃうの。聞くのは好きだから、スナックとか行ったりするんだけど。

 従妹とこの間、苦手なことってなんだろうねって話してて、私がカラオケって言ったら、「いやカラオケは、苦手とかじゃなくて嫌いやん」って。子供のときからダメなんですよ。小学校に行くか行かないかくらいの頃、家族でカラオケに行ったときに曲を入れたんだけど、歌えなかったの。もう声が出なくて。そのときに、あ、私は、カラオケ、ダメだって思った。歳が上がってもダメだったな。カラオケは、歌わなくていいなら行きたいってずっと言ってた。聞くのは好きなんです。

 決定的で、まったくクリアな苦手が出てきた。ここまでの話を聞くに、よっちゃんは人見知りをせず、おしゃべりも好きで、それに何よりパワフルだ。カラオケが歌えないのはすごく意外でもある。

 “学校で歌のテストとかあるじゃないですか。私、丸々1曲歌わなかった。だから評価の項目の「参加」と「姿勢」だけ点数が付いたんです。立ってるだけ。

 合唱だったらまあできるけど、でも苦手意識があるから、とにかく歌うのはあんまり好きじゃないかも。保育園で子どもと一緒に手遊び歌とか歌うじゃないですか。ああいうのはできるんですけどね……。ピアノを弾くのを担当して、歌は違う先生にやってもらってたこともありました。

 人前に出ることが恥ずかしいのではないそうだ。保育園のクリスマス会の司会は引き受けていたそうだし、詩の朗読をしてって言われたら「全然読めますよ! あははは!」と笑う。マクドナルドでアルバイトをしていた頃は、よく「スマイルください」と言われて、ちゃんと笑って返した。歌だけが歌えない。とにかく、きっぱり嫌なんだそうだ。キャバクラの面接でも、「カラオケはやりません」と宣言していたそう。いくらでも喋れるから、まったく支障はなかったらしい。

 こうして苦手なことのお話を聞いてると、“なぜ”カラオケが苦手かということではないんだろうなと伝わってくる。いかんともしがたいことが、人にはある。

 苦手とはそういうものかもしれない。「なんでですか」と聞くようなことじゃない、尊厳の話の気配がある。 

  よっちゃんの神聖な苦手を、次につなげたい。カラオケが好きな人、得意な人はそれはもうたくさんいるだろう。得意なだけじゃなく、人前で歌うことについてじっくり考えてきた人に話を聞きに行ってみたい。

 待つことが得意な人の苦手はカラオケだった。にがてしりとりは続きます。カラオケは、よっちゃんほどではないけれど、私はもちろん、苦手です。

 

◎お話を伺った人

よっちゃん
保育士。1990年大阪府生まれ。高校卒業後、乳児院でのボランティア、就労継続支援B型事業所での支援員、キャバクラ勤務などを経て、現在は保育園で保育士として働いている。特技は、誰にでも話しかけられることと、なんでも楽しめること。子どもを楽しませるにはまず自分が楽しむ!がモットー。

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著者略歴

  1. 古賀及子

    1979年東京都生まれ、エッセイスト。2018年よりブログ、noteで日記の公開をはじめる。『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『好きな食べ物がみつからない』(ポプラ社)、『5秒日記』(ホーム社)、『忘れたこと、忘れないままのこと』(シカク出版)など。近刊は『暮らしの信じ方』(ダイヤモンド社)。

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