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にがてしりとり

第2回 デザインが得意な私は溜め置くことが苦手です 〜作品をまっすぐ伝えない、飛躍させて、ギューンってなったらいい〜

苦手なことが多い人生を送ってきたというエッセイストの古賀及子さんが、すごい特技を持つ人と、その人が苦手なことをつなげる「にがてしりとり」。今回は「英語」が得意な人の苦手=「デザイン」のプロに会いに行きました。(編集部) 


 前回の、ばりばりに英検等の英語の試験をやりこなし、英語とともに生きている齊藤輝さんのお話は、得意であることとはまず何に興味を持ち、何を好きになるかからして才能として始まることを教えてくれた。英語を得意とするということそのものの実際にも、触れることができた。

 そんな齊藤さんは、学生時代にデザインが得意な人に囲まれた結果、デザインで物事を人に伝えることに苦手意識を抱えていた。にがてしりとり、続いて召喚するのは、デザインのできる人だ。

 ご登場願ったのは、ブックデザイナーの佐藤亜沙美さんである。小説からエッセイ、人文書に絵本まで幅広く手がけており、現在は文芸誌『文藝』のアートディレクターでもある。

 私自身、『好きな食べ物がみつからない』という本で大変お世話になった。この本は、「好きな食べ物は何ですか?」と聞かれたときにどう答えるかを考えた本だ。この問いに私は人生をかけて悩み続けていたのだけど、280ページ書いてやっと納得のいく答えを出すことができた。何を根拠に好きな食べ物を回答するのか、実際に何を好きと宣言するのかを悩みまくる、がむしゃらでくだらない、でも切実な過程を筆圧をかけて書いた。

           

 「好きな食べ物がみつからない」というタイトルは、文字だけを読むととても平易だ。ああそうなんだ、で終わりかねない。そこを佐藤さんは、イラストレーターのおさつさんの装画でもって、発光して広範囲にまで展開するかのように困惑を現してくれた。タイトルの裏にある、本一冊かけて書いた迷いのあの筆圧が、開いた本の中の紙の一枚一枚に染み込むようだ。

 刷り上がった本を手にとったとき、この本の私は、私以上に惑っていると思った。

 でもまた次の瞬間にはっとして、いやそうではない、私が思う以上に、私自身が混乱の渦中にいたということなんだと解った。それを佐藤さんは写しとって表出させてくれたのだ。

装丁の仕事は、媒介に尽きる

 装丁は広い意味があるのですが、ことデザイナーとなると小さい頃から絵が圧倒的に上手くて、美大を出ていて、というイメージがあると思います。私はどちらでもなくて、どちらかというと絵は苦手意識があるのです。人選としてふさわしいか不安です ……。

 おっと、話を聞き始めるなり、思わぬ前提が提示された。いや、でも大丈夫。今日おたずねしたのは、絵が得意な人じゃなくって、デザインによって本の内容や本が持つ力を表現して、いろんな意味で、本そのものの存在を伝える能力者としての佐藤さんだからだ。

 エッセイの本だけを出してきた私の経験上、装丁家は編集者が決定する場合も、著者が希望を出す場合もどちらもあった。比率でいくと、編集者と著者で相談し、擦り合わさったところでお声がけすることが一番多い。装丁家は職人でありクリエイターだ。個々に特技があって、カラーもある。特色を発揮していただきたい方に、希望を込めて依頼する。その段階で、「この人だったら、この本、なんとかしてくれんだろ」という信任がある。

 では、佐藤さんはその信任をどう引き受けて、どう形にしてきたんだろう。簡単に言うと、佐藤さんは「何をやってる」んだろう。

 体感としては媒介者に尽きます。ブックデザインは作品があって成り立つお仕事なので。著者、編集者、読者の間に入れてもらっている感覚でしょうか。編集者が編んだものが世に出るときに編集者さんが思っていることをビジュアル化するとしたら、こうなんじゃないかっていう提案をしていく、媒介者として最適解を必死で探す、みたいな感じです。 

 媒介者! おお〜、なるほど。たしかに、デザインに覚えのない者にとって、デザインというのは本当に何をどうしていいか一切からない。本当にどうにもならないなといつも思う。ただ、わからないにもかかわらず、不思議と漠然とした、こんな感じになるといいな、こんなふうに表現したいな、という野望だけは(私は編集者ではなく著者だけれども)あるのだ。その望みを、佐藤さんは引き受けて吸い上げる。媒介して、表出させる。

媒介によって、化かす

 装丁家さんによっては作風のはっきりしたお仕事をされる方も多い。それぞれの風合いを望んで、仕事は集まる。佐藤さんのところには、どんな望みを背負った仕事がやってくるんだろう。

 私の場合は明確な方向性があるというよりは、相談から始まることが多くて。いわゆる既存の価値観を感じさせる「女性らしさ」とか、このジャンルはこう、みたいなデザインを避けたいというご依頼が多いかもしれません。既存のイメージに対抗するとしたら、どういうアウトプットになるのかを求められているのかなぁと今思いました。

 作品をまっすぐ受け取ってアウトプットするのではなくて、飛躍させて、ギューンってなったらいいな、という打ち合わせが多い気がします。

 たしかに、佐藤さんにご相談しましょうかというときの編集者さんと私の間には「どうしましょうね」「なんかこう、わかんないんですけども」「思いもよらない感じになりませんかね」。というような、飛躍の期待がある気がする。抵抗して、もっと遠くへ届かせられる人が佐藤さんだ。

 話を聞きに来た相手としてふさわしすぎる。むしろどストライクだ。

安易な答えに行かないために、ぐぐぐーっ

 ではどうやって、飛躍させて、ギューンってするんだろう。もう最初の最初から、私にはまったくやり方がわからない。

 “​​本屋さんに行くと、女性エッセイ棚とかビジネス棚とか、なんとなくコーナーによって「こんな感じ」というイメージを感じます。例えばですが、出産して子ども服売り場に行くと、とりわけ日本は、女の子の服は淡いピンクや紫が多めでハートやリボンの模様、男の子の服はブルーが多めで車の絵が多いな、みたいなばくっとしたイメージがありますよね。その「なんとなくこう」みたいなイメージが本当にこの作品にあっているのかな、と疑い続けるということをずっとやっている気がします。

 例えば古賀さんの作品があって、編集者さんから「想定される読者は20代から40代の女性が多めです」と聞いたとして、じゃあその方たちが好みそうな可愛らしいデザインで、といってしまいそうなところを、ちょっと待ってください、古賀さんの作品にはこういう面白みがあってですね、その「なんとなくこう」みたいなイメージにはめちゃうにはもったいないんじゃないですか、みたいなところを抽出して、作品と読者との間に余白ができるようなビジュアルを見つけようとする。できるかぎり安易な答えに行かないために、ぐぐぐーって。

 踏ん張るのである。ぐぐぐーと、流されないように、こらえるわけだ。佐藤さんがすごいのは、さまざまな作品について、これをつひとつやるところだろう。私がひとりの書き手として、私の実際の属性である「40代後半の女性」が書きそうにないことを書くというのをやる。心掛ける。それくらいだったら簡単だ。でも装丁家は一人の書き手の作品だけじゃない、次々いろんな書き手の、いろんな作品を手がける仕事である。佐藤さんは、作品の一つひとつに「ぐぐぐー」と、さまざまに踏ん張るのだ。難しいし、何より多分、すごくめんどくさい。

作品と読者の間の余白を、できるだけ大きく作る、安心してびっくりさせる

 あまのじゃくっていうことだと思います。デザイナーの仲條正義さんが「デザインってあっと驚かせることだよ」っておっしゃっていたんです。私もたくさんの本が出版されるなかで、なんとかあっと驚かせたい。作品と読者の間が空けば空くほど、その間を意味がジャンプするじゃないですか。驚かせることができるし、読者がいろんなことをその間に想像して楽しめる。だから、このジャンプの力を大きくしたいんです。

 できるだけ「なんとなくこう」にならないように、ビジュアルもですが、紙の知識とか、デザインプランを伝えるための言語で実現させたい。それがモチベーションになっているかもしれません。

 おお、能力を使う話が出てきた。技術と知識を、佐藤さんはデザインの上でこうしてぶん回しているのか。

 装丁家としての腕を鍛えることで、「安心してびっくりさせられる」という話もあり、興味深かった。

 塩梅もとても難しいなと思っていて、あっと驚かせすぎても不安にさせてしまう。本棚に差してお家に置いておきたい、この本と仲良くなりたいと思ってもらいたい。作品と読者の間の余白を空けながら、刺激と安心もバランスよく作り出せないかなと思って戦ってる感じですね。

強い敵が来て倒して、強い人が来て納品できて、
なんとか全身に筋肉がついてきた

 技術や知識をつける話が出たところで、どう腕を磨いたのか、やっているうちにどうやって上手くなっていくのか、得意になった過程をぜひ聞きたい。「うまくなりますか?」という質問に、佐藤さんはノータイムで「なります!」と答えた。ぱっと、部屋の照度が一段階上がった気がする。

 私はマッチョな価値観のなかで育った世代なので、どうしてもいまだに1万時間理論者ですね。手足が勝手に動くまで、とにかく筋トレすべき、サッカー選手が勝手に身体と一緒になるまでボールに触り続けて、それでやっとオリジナルなプレイができる、みたいな。それはもう時間しかないって気がします。

 よし! とガッツポーズした。というのも、私もこれにはすっかり同意だったから。ど根性理論は大変は大変だけれど、量が報われるわけで、希望のあることだと思う。

 私は美大出身でもないですし、優秀だったタイプでもないので、最初はもうポンコツもポンコツで。この仕事を始めてすぐの頃は、とにかく苦手そうなことばっかり振られて、ビジネス書とか苦手そうだけど、一度やってみたら?とか。苦手っていうことは好きと表裏一体だから、そこに自分の勝ち筋があるかもしれないよって。

 当時は苦しい苦しいって思いながらやっていたけど、でももしそこを通らなかったら、自分を俯瞰できなかったかもしれません。得意な部分の筋肉だけ使ってちゃダメだよみたいな感じで、ここの筋肉は強いけど、どこから強敵が来てもいいように、足もお尻も鍛えなさいよ、みたいな時期が6年ぐらいありました。強い敵が来て納品して、また強い人が来て納品できて、やっと、なんとか全身に筋肉がついてきた感じです。

 納品のごとに強くなる。クリエイターのまったく、これが現実なんじゃないか。苦手なことも経験して乗り越えて、それによって自己陶酔型にならずにすんだというのは、宝石のようにまばゆくかがやく貴重なハウツーだ。紙に書いて刷って駅前で配ろう。

あなたの場所、ここですよと依頼が教えてくれた

 今日は得意なこととしてのデザインのお話を聞きに来たのだけど、話を聞けば聞くほど感じたのは、当然だけれど、これが佐藤さんにとっていかんともしがたくビジネスだということだった。佐藤さんのスキルは、腕前も、考え方も、仕事として取り組むことによって全体が鍛えられ磨かれ抜かれている。

 私は、尖ったものを作りたい!と思って独立したんですけど、依頼をいただく度にポップなものが求められているデザイナーだっていうことに気づかされて、あなたの場所、ここですよと教えてもらいました。遠回りしたけどようやく居場所が見つかった気がしました。

 得意について、その居場所が見つかった、というのは仕事ならではだと思う。得意なことを発揮するとして、それが仕事としても機能するとき、どんな場所に立つかは重要だろう。

 その上で、さらに仕事であるからには、同じ場所で続けることが必要になる。得意を続ける。それはどういうことなのか。

 「なんとなくこう」なデザインに陥らないところで留まって、試行錯誤する度に体幹ができてきて。 傾向と対策に陥らないように、自己模倣で劣化コピーしていかないようにできるだけ毎回新しいことをとにかく取り入れることで、体内の新陳代謝をしている感じです。

 ううっ。ストイックさに、胸がつかえて前傾するほど。けれど佐藤さんの語りはすっきりほがらかで、それはきっと、そうでなくちゃ続けられない、やっていかれないことを、きっぱり理解しているからではないか。

いかに戦いを続けるか、手練れていかないか

 キャリアを重ねると、パターン化されてきてしまうんですよね。通りそうなプランは浮かぶのですが、そこからもうひと粘り、自分に負荷をかけられるか、自分との戦いですね。いかに戦いを続けるか、手練れていかないか。毎回新しいフォーマットを探してて、コスパが悪いよねって、よく言われます(笑)

 コスパは良いほうがいい、でも、悪いところからこそ生まれるものはあるんじゃないか、遠回りにも良さってあるだろう。そういう言説はわりあい一般的だと思う。でも、そのことをこんなに明らかにして携えて、クリアに話す人は少ない。ずっと崖っぷち、それが当たり前という働き方をする。なんだろう、純粋にむちゃくちゃクリエイティブだ。

苦手なことは、溜め置くこと、待つこと

 前回もそうだったのだけど、「にがてしりとり」と銘打ちながら、インタビューは得意の側の話がどうしても面白いのだった。単純に、得意とする人のさまが、私にとっては珍しいものとして輝くのだと思う。

 誰にも得意なことはあって、でもみんなそれを普通だと思って生きているから、誰かの得意はいつも隠れて見えないでいる。目の前で広げてもらったときのきらめきたるや、尋常でない。

 とはいえ、しりとりは次に繋げたい。佐藤さんの苦手なことも聞かねばなるめえ。苦手なことは何ですか。

 溜め置くこと。溜めることができないんですよね。常に循環していないと気持ちが悪い。スマホの画面にアプリの未読の数字がみっちり溜まっているのを見るとソワソワします。とても苦手で。私のスマホのアプリには赤丸が一個もないです。

 溜め置く……。なんだか意外な苦手が出た。苦手なこととして、聞いたことがない。でも、言われてみると、ぜんぜん気にしないという人がいる隣で、苦手な人はしっかり苦手とする種類のことかもしれない。

 スマホを起動させる。私のGmailのアプリには右上に赤い丸がぴっかりついていて、その数なんと「18051」である。桁が多すぎて、赤丸どころかほとんど長四角だ。佐藤さんをおびえさせないように、インタビュー中はこのことは黙っていました。

待てない自分しかいないんです

 時間も、溜める感じは苦手です。ボーッとするのが本当に苦手で、あと、待てません。5歳の子どもがいるんですが、一緒にいて、留まることが多発するわけですが、その度にこれ何の時間だろうと考えてしまう。とにかくせっかちなんです。仕事は、全く違うものが毎日来てくれるっていうのが嬉しくて。

 Gmailのことはさておき、せっかちだったら私も腕に覚えがある。寄り道や散歩が苦手で、いつも直行直帰だし、朝は目覚めるなりすぐ動き出す、喋るのも食べるのも早い。だから、「私もです!」と手をあげると、佐藤さんは、これがぜんぜん信じてくれないのだ! 私の日記の本を手にとって、こう言った。

 せっかちだったら、こんなに生活を溜めておけなくないですか? 放っておいたら生活は左から右に流れていくのに。

 ちぢみあがった。この人は本物だ。日記というのが、生活を溜める、せっかちとは逆の行為であるということを、これまで私は考えたことがなかった。せっかち、花道を通り本日をもって卒業である。

 子どもって、一緒に生活を駆け抜けてくれないんですよね。砂場とかにずっと留まる。滑り台も永遠に繰り返すじゃんって(笑)。それを夫に言うと「昨日と今日の滑り台は違ってたよ。さっきの滑り台と今の滑り台も違うよ」って。もうちょっと待てるようになりたいです。

 なお、佐藤さんのパートナーは作家の滝口悠生さんである。滝口さんの発言の、豊かさへの丁寧なまなざしたるや。しびれる。

 ここで思った。私も待ちたくないし、待つのが嫌いな側で、でもだからこそ、滝口さんのような人のさまに憧れてきた。余裕のある自分でいたいと願って、無理して頑張って、幼い子が階段を降りてくるのをにこにこしてじっと待つ日が確かにあったのだ。親らしさを召喚し、憑依させていたつもりだったのだけど、もしかして、佐藤さん、そういうのもないですか?

 それをなにかに昇華できれば眼差しも変わるのでしょうか……。夫みたいに文章で書けたら、待ってる自分も慈しめるけど、なにしろ留まれないものですから。なんとか留まるスキルを獲得したいです。

 いや、獲得はせんでいいです。と、とっさに言ってしまった。そういう人もいる、そっちのほうが絶対に、子どもも隣で生きてて面白い。でもとりあえず、その溜め置ける人の、待てる人の、心の持ちようは、私のほうで次回、しっかり誰かに聞いてきます。

 デザインの得意な人の苦手なことは、溜め置くこと、待つこと。それが得意な人って、どんな職業の人だろう。にがてしりとり、次回に続きます。

 

◎お話を伺った人
佐藤亜沙美(さとう・あさみ)
グラフィックデザイナー、ブックデザイナー。1982年福島県生まれ。2006〜2014年、祖父江慎氏率いるコズフィッシュ在籍。
2014年に独立しサトウサンカイを設立。最近担当した作品に、『学研の学習 はにわの大国宝展』、武田砂鉄『そんな気がする』(筑摩書房)、綿矢りさ『グレタ・ニンプ』(小学館)などがある。

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著者略歴

  1. 古賀及子

    1979年東京都生まれ、エッセイスト。2018年よりブログ、noteで日記の公開をはじめる。『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『好きな食べ物がみつからない』(ポプラ社)、『5秒日記』(ホーム社)、『忘れたこと、忘れないままのこと』(シカク出版)など。近刊は『暮らしの信じ方』(ダイヤモンド社)。

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