3. 超絶迷路の島、豊島
いい迷路ができるのには、それなりの理由があるようで、そのひとつが漁村だ。
漁村が迷路化しやすいことは、迷路好き界では有名な事実で、そんな界があるのかといえば、ないこともないのであって、それもおいおい触れるが、ともかく漁村がいいとなれば、日本は漁村だらけだから、海辺を旅すればそのうちいい迷路に出会うことになる。
その仮説が正しいとするなら、瀬戸内海などは迷路の宝庫と考えていい。
広島県の呉から瀬戸内海に点在する安芸灘諸島を経由し、愛媛県の岡村島までを7つの橋で結ぶ「安芸灘とびしま海道」と呼ばれるルートがあり、その中央部に位置する豊島の小野浦集落がものすごい迷路であることが知られている(私に)。
瀬戸内海の島々を結ぶ道路としては「瀬戸内しまなみ海道」が有名だが、この「とびしま海道」はそれに比べると、あまり知られていない。ただ、終点岡村島から、さらに橋を繋いでいけば「しまなみ海道」を形成する大三島までは5キロほどの距離である。その5キロの間に3つの島が飛び石状に存在するので、大三島まで橋をかければ「しまなみ海道」に繋がって、長大な海上道路ができることになり、なんとはなしに面白そうである。というか、地図を見る限り、そのつもりでここまで道路を伸ばしてきたとしか思えないのだが、今のところ岡村島が終点になっていて、私は住民でもないのに、地図を見ながらじれったい思いをしている。

あまりにじれったいので、以前、この「とびしま海道」を自転車でサイクリングしたことがある。先っぽの岡村島まで行って、そこから隣の島を眺めて、じれったさを再確認してきたのだが、そのときたまたま豊島に立ち寄ったら、小野浦のあまりの迷路っぷりに驚愕した。当時は海道を走破することが目的だったので、あまり時間をとらずに帰ってきたが、小野浦の迷路は一度じっくり歩いてみたい場所として、強く印象に残った。
この小野浦集落を再訪しようと思う。再訪して迷路空間に思う存分浸りたい。
計画を練っていたところ、大槻さんが賛同してくれ、いっしょに行くことになった。
呉に集合し、駅前でレンタカーを借りて「とびしま海道」を東へ向かった。最初に渡る安芸灘大橋は、有料道路になっていた。橋を渡りはじめると、薄緑色の瀬戸内の海が左右にどーんと広がって、都会のせせこましい景色ばかり見て暮らしているわれわれは、もうそれだけで心が晴れやかになった。
今回、事前に現地に連絡し、案内をお願いしてある。というのも、以前、飛騨金山の「筋骨めぐり」をした際、ガイドをお願いしたら非常によかったからである。
よかったどころではない。ガイドなしでは到底楽しめなかったと言っても過言じゃない。「筋骨」と呼ばれる迷路状の路地は、あまりに狭くて部外者には私道と公道の区別がつかず、もし個人で観光したなら、とても立ち入れないような道が多かった。普段の私は、できればガイドツアーなどには参加せず、自力で散策したいタイプだが、そういう場所は現地の人に案内してもらうか、もし散策ツアーでもあるなら、それに参加したほうが、自力ではたどり着けない場所へ踏み込めて、面白い場所を見落とさずに済むことを学んだ。
その点で、小野浦は、断然ガイドを頼んだほうがいいタイプの迷路だ。
ちょうどここには「豊浜まちづくりセンター」があって、そこの大下さんという男性が案内してくれることになった。
ちなみに、大下さんから、あらかじめ聞いていた情報で、お好み焼きの「まりちゃん」という店がおいしいとのことだったので、そこでお昼を食べてから「豊浜まちづくりセンター」に行くことにした。
ところがこの「まりちゃん」が曲者だった。海沿いの道から一筋入ったところにあるんだけれども、路地の入口には表示もないので、事前に情報がなかったら、とても見つけられなかった。入る路地がめちゃめちゃ狭い。事前に聞いていても、この道は違うんじゃないかと思ったほどで、狭いし、わかりにくくて、本当に素晴らしい。

こんなわかりにくい場所でよく商売が成り立つものだと思ったら、お昼時の店内が、あっという間に人でいっぱいになったのも驚きだった。道ではほとんど人を見かけないのに、突然ごった返す店内を見て、怪談か! とツッコミたくなった。
同時に、これはちょっとした洗礼でもあった。つまり人通りの少ない集落にも人がたくさん棲息していることがわかったからである。
迷路散策では、集落の中を勝手にうろつくことに後ろめたさを感じなくもない。そのため、人の姿が見えないほうが緊張しなくて済む気がしているけれど、姿は見えなくても実は人はたくさんいて、おそらく闖入者は見られている。誰も見ていないと思って気を抜いてはいけない。そのことをあらためて心に刻んだ瞬間であった。
その意味でも、今回現地の人に案内してもらうことにしたのは正解だ。現地の人に連れられて歩くことで、私が決して公序良俗に反する怪しい者ではなく清廉潔白な紳士であることが、全方位的に伝わるからである。
昼食の後、「豊浜まちづくりセンター」を訪ねて、大下さんにお会いした。市の職員である大下さんのほか、地域おこし協力隊でこの地に赴任している赤嶺夫妻も同席され、迷路な道を歩きたいというだけでやってきた酔狂な観光客を大勢でもてなしてくださるとは、大変恐縮であり、身に余る光栄と言うべきであった。
私は集落が迷路であるということしか知らずにやってきたが、豊島は世界でも珍しいアビ漁という伝統漁法で栄えた島だそうで、最初に「あび資料展示室」に案内され、アビ漁の説明を受けた。
アビ漁は、渡り鳥であるアビという水鳥がイカナゴを獲ろうとして海面に集まると、イカナゴが群れをなして海深く潜ろうとする習性を利用し、それを狙って集まってくるマダイを一本釣りで釣る漁だそうである。アビ漁というからアビを獲るのかと思いきや獲るのはマダイなのだった。残念ながら近年はイカナゴが減ってアビが来なくなり、昭和62年以降、途絶えているとのこと。
だがそれより私が気になったのは、漁師が住む家船のほうだった。豊島は船に住んで漁をして暮らした人たちの拠点だったという。夫婦で船の上で暮らしながら、はるか対馬あたりまでも漁に出ていたらしい。今ではそんな人もいなくなったそうだが、実はその存在が集落の迷路化に関係あったかもしれない。

大下さんによれば、家船の主は、陸にも家を持っていたが、ほとんど海上で暮らしていたので、船に金をかけても家には金をかけなかった。そのせいで家が狭くても日当たりが悪くても気にする人は少なかったそうである。実際、小野浦の集落は小さな家が密集して、日当たりなど気にしていない雰囲気がある。そんな家はもしかしたら家船の漁師の家だったりしたのかもしれない。
豊島は昭和30年頃に人口のピークを迎え、7000人ほどの人口があったが、その後は5年ごとに1000人減っていくような具合で、現在は1000人程度、高齢化も進み、65才以上が75%を占めるのだそうだ。その意味ではこの集落がいつまで存続できるか心配なところだが、近年旅行会社がこの集落を瀬戸内の島旅ツアーに組み入れたところ、多くの観光客が訪れるようになり、なかでも北海道の観光客に好評だそうである。北海道にはこんな密集した迷路集落がなく、みな驚くのだという。
なるほど北海道は土地がたっぷりあるから、こんな集落が発達することはないのだろう。昨年は2000人が訪れたそうだ。
今では「小野浦迷路探検マップ」まで作成され、迷路であることを観光の売りにするに至っている。飛騨金山もそうだったが、地元がそれを自覚的に売りにしているところは、こちらも観光しやすくてありがたい。何度も言うように、迷路の町を歩くことは、他人の家に土足で踏みこむような後ろめたさが伴う行為だからである。
ひと通り島の説明を受けたあと、さっそく大下さん、赤嶺さん夫妻が、集落を案内してくれた。「豊浜まちづくりセンター」のある豊浜支所の裏から迷路は始まっている。
漁村が迷路化しやすい理由のひとつに、島に平地が少ないことが挙げられるが、ここも海からすぐに陸地が立ち上がっている。室原神社の脇をゆるやかに上っていくと、左手にいくつも路地が現れ、どれも狭くてワクワクした。家は2階建てが多く、木造だったりコンクリート造だったりいろいろだ。

隣の大崎下島には御手洗という集落があり、江戸時代中期から幕末にかけて形成された伝統的建造物群保存地区として日本遺産に認定されている。観光客にはいかにも伝統的な家屋が集合しているそちらのほうが受けがいいが、そんな御手洗に対しこの小野浦は、さまざまな時代の建物がランダムに建っていて、文化財に指定されるような統一感には欠けている。
「でも、ナマコ壁やら船材で建てた家やら、瓦が立派な家やら、いろんな時代の建物が混じり合っていて、それが逆に面白いんです」
と大下さんは語る。
たしかに何でもありの景観は、突拍子のないものに出会いそうな予感がして楽しい。

迷路の町は全国各地にあるが、小野浦は密集度としては全国屈指のレベルだ。たとえば神奈川県の横須賀市を歩いたときは、住宅地の道路が入り組んでいて、非常に迷路度が高かったが、道は道然としてあった。しかし、ここでは果してそれが道なのか、家と家のすき間なのか、わからないことが往々にしてある。これまでに訪ねた場所でいうと、大分県の杖立温泉や、岐阜県の飛騨金山、和歌山県の雑賀崎がそんな感じだった。逆に都市部の迷路でここまで密集している場所は今のところ出会ったことがない。おそらく都市部でそのような場所があったらすぐに再開発されてしまうのだろう。
家の軒と隣の家の軒とか空中で重なって、空が見えないぐらい狭いすき間を大下さんはすいすい歩いていく。

思わず「ほんとにこれ道なんですか?」と訊いてしまった。そのぐらい家同士のすき間と通路の区別がつかないのだ。
すると大下さんがいいことを教えてくれた。
「下水が流れているところにコンクリートで道を作っているので、マンホールがあったら道だと思えば、だいたい合ってます」
つまり暗渠である。暗渠があれば道だと思っていいらしい。といっても個人宅内にも下水道はあるから、厳密にはそうと言い切れない。目安として覚えておく。
民俗学者の宮本常一がこの島を訪れたときのことが、『私の日本地図 6 瀬戸内海II 芸予の海』に記されている。それによると、路地脇の溝に水道を引いた塩ビパイプが何本も通っているのを見て、一本にまとめれば効率もよさそうなのに各家がばらばらに水を引いているところにこの島の気質がうかがえるとコメントしている。そんなパイプが今も各所に残っていた。パイプや配管は、迷路感を演出してくれるアイテムで、気分が一層盛り上がる。
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私はずっと気になっていたことを大下さんに訊いてみた。
「勝手に歩いていて、白い目で見られたり、怪しまれたり、怒られたりしないんでしょうか」
すると、大丈夫、と力強い返事が返ってきた。漁師はいろいろな港に行くので、漁師町はよそ者に寛容なのだそうだ。逆に農村では、同じことをしても怪しまれるという。そういうものらしい。おかげで少しだけ気が楽になった。
路地は折れ曲がりながら続いていく。集落の奥深くへ誘われていくと、不意に井戸が現れた。この後わかることになるが、集落内には井戸がたくさんある。比較的雨の少ない瀬戸内海地方ではどこでも井戸や溜池が多く見られるようだ。


少し広い道に出たと思ったら、またすぐ路地の入口に出会う。そしてとても公道とは思えないような狭いすき間へ、大下さんはずんずん踏み込んでいく。

さっきも訊いたばかりなのに、ついまた「これほんとに道なんですか?」と訊いてしまう。そのたびに大下さんが「道です」と答えるのが、お約束のようになっていった。
「これ道なんですか?」
「道です」
「これも道ですか?」
「道です」
「さすがにこれは道じゃないですよね」
「道です」
そのぐらい道と思えないところばかりなのだった。
たとえば、個人宅の前の、グレーチングが嵌まった、私道ですらないのではないかと思うような小さい溝。

案内なしでは絶対に通れない。どう見ても勝手に通ったらダメ感が漂っている場所なのだが、大下さんはずんずん歩いていく。
または、コンクリートで固めた軒下の基礎部分。片側は段差があって、隣の家の裏になっている。敷地と敷地の境界に過ぎないように見えるが、これも道なのである。

基礎部分を歩いていくと、少し高低差のある隣の家の同じような基礎部分との間に板が渡してあって、そこが人が通るための橋であることがわかったりする。基礎が狭くて人が横向きにならないと通れなそうなところにも板で張り出しを作って、歩きやすくしてあったり。それらはすべて明らかに道として整備されているのだった。

まれにそんな細い通路にベンチのようなものが置かれていたりして驚く。
素晴らしい迷路だ。
道は無数にあり、まちづくり協議会がつくった「小野浦迷路探検マップ」でもそのすべてをカバーしきれていないほどである。
不意に銭湯があらわれた。今ではもう廃業したそうだが、建物はそのまま残っている。そしてここが廃業したおかげで、各家庭が独自に風呂を立て始めたため、それがまた家と家の間の空隙を埋めることになって、集落はますます密集度合いを増していったのだそうだ。銭湯が廃業すると、町はさらに込み入っていくのである。

こうも込み入ってくると、住民は家の中が暗くて大変なのではないかと思ったら、そのせいもあって路傍に出て、のんびり過ごす人が多いと聞いた。よその漁村に比べて道に出ている元気なお年寄りが多いのが、小野浦の特徴だそうだ。

編集の大槻さんは、建物の2階に注目していて、1階と2階の向きがずれていたり、いびつな形のベランダがあったりすると、
「あそこ、いいですねえ」
なんて言って、目を輝かせている。そういうところに惹かれるのは、この人も相当迷路好きの素養がある証拠だ。
路地が錯綜した小野浦の集落は、三角形や台形の敷地が少なくなく、その敷地にめいっぱい建てられた住宅も当然そのようないびつな形状をしているので、結果として妙な形のべランダや、歪んで見える軒、ギザギザした通路など、図形的に複雑な景観ができている。大槻さんはそのなかでも妙な形のベランダを見つけては興奮しているのだった。そこから侵入しようと考えているのかもしれない。子どもの頃家の鍵を忘れたときは、隣家の壁を登って2階から自室に侵入していたぐらいだ。彼女の眼にはベランダが玄関に見えていてもおかしくない。

その後も狭い路地を行ったり来たり、地図を参照しながら歩いていたつもりだが、ついに自分がどこにいるかわからなくなった。

迷路好きにとって、この、自分がどこにいるかわからないときほど、気分が盛り上がることはない。
案内してくれている大下さんでさえ、たまに道を間違えるようで、ときどき「あれ?」とか「こっちだったか」とかひとりごとを呟いているのが聞こえる。それどころか確信を持って歩いていたのに行き止まりだったりして、地域おこし協力隊の赤嶺さんも、「夜歩くと、ほんとに迷います」と言うのだった。そう聞くとぜひ夜に歩いてみたくなる。

少しずつ道を登っていき、やがて小学校に出た。幼稚園が併設されているが、すでにどちらも廃校になっていて、人の気配はない。コンクリートもまだ新しそうに見えるが、5年ごとに1000人減ったというぐらいだから、瞬く間に児童がいなくなってしまったのだ。
そういう状況を知ると、この町がこの先もずっと存在するのかどうか、心配になってくる。江戸時代からあるような古い町並みであれば文化財にでもなって未来に残るかもしれないが、新旧の建物が混在するこのような町は、そこまでの価値は認められない可能性がある。
私にはこの路地だけで十分に価値があるように思うが、一般の人にとってはどうか。文化遺産として認めてくれるだろうか。
それでも敢えてここを選んで移り住んでくる人もいなくはない。赤嶺夫妻も、全国40の都道府県を旅して回った結果、ここが一番いいと思ったと言うぐらいだし、「小野浦迷路探検マップ」を描いたイラストレーターさんも、広島から越してきて、この町にアトリエ兼ショップを開いている。
そのイラストレーターおりでさんを訪ねて話を聞くと、2017年に旦那さんといっしょにここに越してきたそうで、同世代の女性が少ないことを嘆いてはいたものの、ここでの暮らしが気に入っているとのことだった。

国土地理院の地図。細かい道は示されていない。
「小野浦迷路探検マップ」は、国土地理院の地図を参照しつつ描いたという。国土地理院の地図を見ても路地などほとんど載っていないから、自分の足で確かめながら描くしかなかったそうだ。
地図には〈かわいい階段のある通り〉、〈カラフルな家〉、〈赤いドアがかわいい納屋〉などランドマークになりそうな場所が記されていて、散歩心を刺激してくる。猫のあしあとマークがところどころにあって、それは実際にコンクリートの路面に猫のあしあとが残っている場所。コンクリートが乾く前に猫が通ったのだろう。そんなところまでチェックするところに迷路愛を感じる。
路地が多いと、どんどん虫の目になって、細部に面白みを感じるようになるのはよくわかる。私もどこか迷路な町にじっくり滞在して、地図の製作を請け負ってみたくなった。
どのぐらい歩いたかわからないが、さんざん歩いても、まだ歩き足りない気分だった。こういうところに来ると、すべての路地をひととおり丁寧に歩いてみたくなるけれども、たった1日の滞在では到底無理だ。
小野浦は今まで訪ねたなかでも超S級の迷路だった。


