「母の日」~WOW to MOM!
青葉若葉が薫り輝く新時代が幕を開け、街角では母の日商戦も開幕です。母の日に登場するMotherの大文字略語MOMは上下にひっくり返すとWOWになります。
「お母さんすごい!」「いつもありがとう!」「大好き!」という想いは、時代が変わっても万国共通ですね。でも「母の日」の日にちや祝い方は各国様々でAwesome!です。
アメリカの「母の日」は、1861~1865年の南北戦争後ウエストバージニア州で「母の友情の日」(Mother's Friendship Day)を開き平和活動を行ったアン・リーブス・ジャービスの娘アンナが、1905年に他界した母の追悼式で白いカーネーションを配ったのがきっかけで多くの州で祝われるようになりました。アンナの懸命な働きかけにより1914年にウッドロウ・ウィルソン大統領が5月の第2日曜日を「母の日」の祝日に定めました。アンナが唱えた「母の日」は、「家に帰って母と過ごし、母のしてくれたことに感謝する日」で、「母の日」がお金儲けの商業的な日に変貌するのを必死で阻止する生涯を送ったそうです。
「母の日」創設を推進したアンナ・ジャービス(写真:Olairian/Wikimedia Commons)
私が通っていたアメリカの公立中学と高校では、母の日に学生ボランティアがハートのメッセージカードを添えた赤いカーネーション(白は故人向け)を売り歩き、その収益を福祉活動に充てていました。私も毎年校内でメッセージを書いて帰宅後すぐに母に贈っていました。近隣のドラッグストアには10メートル程の母の日専用棚があり、50センチ程の特大サイズから多種多様なメッセージカードが沢山並び売り切れ続出。「母の日」は教会へ行き、花やカードを贈る人が多く、ピクニックパーティーや、朝食を作ってお母さんのベッドに運ぶBreakfast in bedも定番で、家事を忘れてMomがWow!と口ずさむ工夫が今も喜ばれています。
日本では大正4年にアメリカの「母の日」が紹介され、終戦後の昭和24年に5月の第二日曜日が「母の日」になりました。同日に「母の日」を祝う国は、カナダ、デンマーク、ベルギー、イタリア、オーストラリア、ドイツ、フィンランド、トルコ、中国、ペルー等です。ペルーでは国民の約92パーセントが「母の日」を祝い、リマ(Lima)のEl Angel Cemetarioという霊廟(れいびょう:mausoleums)には亡くなった母、祖母、妻を偲んで墓前で多くの人が食事をとります。霊廟の高い位置にある墓石には専門業者がはしごを使って洗浄し “Feliz Dia Mama”(Happy Mother’s Day)と描かれたハートモチーフの風船や花を手向けてくれ、墓地全体が暖かい雰囲気に包まれます。
◆Presbitero Maestro Cemetery Lima
◆Unique Mother’s Day celebrations in Peru
エジプトやアラブ首長国連邦等の中近東諸国では、3月21日(春分の日)が「母の日」。イギリスやアイルランドは、イースターの2週間前の日曜日が「母の日(Mothering Sunday)」で、お母さんと聖母マリアに感謝しマザリングケーキ(Mothering cake;Simnel cake)を食します。変わった風習があるのは12月の3連続日曜日に「母の日(Mothering Sunday)」を祝うセルビア共和国。子供たちは朝一番に両親の寝室に忍び込み、眠っているお母さんを紐で縛りつけるのです。縛られたお母さんは子供たちにプレゼントをあげないと開放してもらえない決まりになっていて、家族が笑い合って楽しむ伝統があります。
さて、令和最初の「母の日」。手作りカードでMomにWow!を届けてみてはいかがでしょう。
今年作った「母の日」カード
育てた薔薇をブーケにして母に贈ります
今年の私のメッセージはThanks for being s‘awesome!
~Happy Mother’s Day!~