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【試し読み】慣れろ、おちょくれ、踏み外せ――性と身体をめぐるクィアな対話(森山至貴×能町みね子)

おわりに/能町みね子

 4通目の手紙から始まる第5章の次は、最終章の第6章「「出過ぎた真似」と「踏み外し」が世界を広げる ――「みんな」なんて疑ってやる」。こちらは「臨界ギリギリ」に見える性のあり方についてお話ししています。
 そして本書の締めくくりが、以下の能町みね子さんによる「おわりに」です(編集部)。



おわりに

 

 これを告白するのは恥ずかしいのですが、私は「本を読めない/極端に読むのが遅い」という理由でアカデミックな世界から離脱したことがコンプレックスになっています。そのため、多くの読書や分析からの広範な知識に裏打ちされた人たちには、仮にその人が明らかに私から見て間違ったことを言っていたとしても正面切って反論する勇気を持てません。私には、自分自身の体験から導き出したごく個人的なことしか語れないのではないか、という不安が常につきまとっています。

 本文中で私は「メディアウォッチャー」と呼ばれたりもしていますが、とんでもない話で、卑近な、手の届く範囲のものしか見ていないと自覚しています。私の語ることには、体験から来る真実味だけはあるでしょうが、一般化に至る説得力は持たないであろうと、そういう否定的な思いが昔から強くありました。この対談に際しても、正直に言えば私は事前に相当身構えており、私がふと思いついたことなんて、歴史を辿って研究している森山さんの前では何の力もないんじゃないかと不安ばかりでした。

 だから、森山さんとの対談にあたっても、森山さんが鮮やかに導き出してくれる説得力のある言葉に対し、話し慣れてもいない自分の言葉はあまりにフワフワと舞って吹き消えるようで、実は話している最中、非常に心許なかったです。実際、対談の書き起こしを最初に見たときは絶望に近い思いで、曖昧な間投詞だらけで全体を覆われた、何か言っているようで何も言っていない自分の言葉に愕然としてしまいました。

 しかし、森山さんの語りを受けるかたちで自分の語りの言葉を書き言葉として整えていくなかで、自分の思いは削り出された木像のようにじわじわとかたちとなって、こういうことが言いたかったのかと、自分自身で確かめるような気持ちになっていきました。だから、—(「はじめに」からの返答で、)おっしゃるとおり、私たち、けっこう面白い対話ができたんじゃないかな、と今は自負しています。

 この本を作るにあたってはもちろん何度もはじめから読み返し、かなり手を入れて書き直していますが、読み直すたびにワクワクし、満足感に浸っていました(さっきとはうってかわって自画自賛になり、これも恥ずかしいですが)。このテーマですから、どうしても社会に一石を投じる類の本だと思われて、少し腰を据えて読み進めなきゃいけないな、と思われそうですが、同時にワクワク感に満たされた本でもある、ということを感じてもらえたら幸せです。

 いや、ワクワクだけでも足りません。ヒヤヒヤするかもしれませんし、何か責められたような気分でイライラしたり、何様だコイツ、という思いでムカムカするかもしれません。逆に、全然言い足りてないぞ、と思うこともあるかもしれません。そのくらいのほうが普通じゃないかと思います。そのくらいでないと、私たちも語った甲斐がありません。

 ところで、この本を読んだ方は果たして気づいたでしょうか。冒頭で私たちが、セクシュアリティをとくに表明していないことを。実は、私自身も最初は気づいていませんでした。

 論文などの硬い文章ならいざ知らず、こういった、口語・対談という柔らかいかたちでクィアなどについて語るとき、あるいはセクシュアル・マイノリティの当事者が出てくる小説/映画/漫画などが紹介されるとき、おそらくこれまでほとんどの場合、登場人物のセクシュアリティが最初に明確になっていたと思います。つまり、ゲイである森山至貴とトランスジェンダーである能町みね子の対談、というふうに通り一遍の紹介をしたり、フィクションであれば「レズビアンの主人公が〜」とあらすじで簡単に書いてしまったり(文中、私が作品を紹介するときはこれをやってしまっていますが)。こうして先に人物を簡単な箱に収めると、読者は安心するってものです。「なるほど、Aさんはレズビアンなのだな、レズビアンだからこのようなことを考えるんだな」みたいに。

 私たちはこれを自然とやりませんでした。やるべきか?という話すら出ませんでした。

 もちろん、テーマがテーマですから、途中で自分自身の属性や指向などについては十分に語っています。しかし、このように「最初にまず自分たちを箱に入れない」という姿勢をごく普通に取れたことは、私にとって非常に気が楽でした。セクシュアルなことについてインタビューを受けたり、プライベートで何か聞かれたりするときに、この「通り一遍」を一度やらなければいけないことが地味だけどじわじわと効いてくる負担だった、ということに今さら気づきました。クィアな姿勢は人を楽にしますね。

 くそみたいな世のなかだけど、文学で、映画で、時にはバラエティでも、クィアな要素を持つ作品は少しずつ増えているような気がします。そんな萌芽が見えるたびに少しは明るい気持ちになろうというもの。本日もSNSには冷笑仮面が大挙しており、私たちはそんな冷笑軍に対して時にしっかりと激怒したり、また時には本気で潰してこようとする者をおちょくったりもしながら、やっていかなきゃいけません。慣れろよコノヤローと思いながら、軽やかにやっていくのだ。

 最後に、「はじめに」からの繰り返しになりますが、この対話と書籍にかかわってくださった皆様に心からの感謝を。図々しく踏み外していきましょうね。


二〇二三年五月 能町みね子


 2020年から対談が始まり、おふたりが率直に正直に語り尽くし、そのうえで全面的に改稿してくださった本書、ぜひ書店でお手にとってみてください(編集部)。

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  1. あさひてらす編集部

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