四通目の手紙:森山さんへ 能町みね子より
「「わからない」って言いたいだけじゃん」という短い章の次は、第3章「いい加減、そろそろ慣れてくれないかなーーマイノリティとマジョリティのあいだ」。「実は、テレビドラマや映画で、セクシュアル・マイノリティが出てくるのを観るのがとても苦手で」というおふたりが、各種メディアで見聞きし、感じてきたことから対話していきます。「マイノリティだからこそ素晴らしい」的な発想、「強者と弱者」をめぐるねじれ、「受け入れる」という言葉についてなどなど。
次の「それは「論」ではありません」という間奏章では「行き過ぎ」「極論」という言葉の問題、そして「TERF(トランス排除的なラディカルフェミニスト)」について。第4章は「制度を疑い、乗りこなせーー「結婚」をおちょくり、「家族像」を書き換える」。
第5章「そんな未来はいらないし、私の不幸は私が決めるーー流動する身体、異性愛的ではない未来」は、次の能町さんの手紙から始まります(編集部)。
こういった対話をするにあたって、心のなかに引っかかり続けていること
私はトランスジェンダーに分類されると思うのですが、こういった私のような者がLGBTやクィアについて考えるとき、矛盾をはらんでいると思える部分があります。
トランスにもいろいろなタイプがいると思いますが、私の場合は、女性として世間に「埋没」したい、つまり、かつて男性として暮らしていたということをいちいち明かさず、それがバレることもなく、ストレートのシスジェンダーとして……言わば「普通の女」として見られることを望むトランスです。私が特殊なわけではなく、おそらく大多数のトランスは埋没したいものであろうと思います。すなわち、マジョリティの「女」として暮らし(「女」自体がマイノリティだということはちょっと置いといて)、「自分がセクシュアル・マイノリティ(あるいはクィア)の当事者でなくなりたい」と志向することが、そもそものトランス女性の性質として含まれているということに矛盾を感じているのです。
つまり、トランスが自分の志向に沿って行動すると、ジェンダーフリー的な思想とは正反対のほうに突っ走っていくわけです。
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自分自身についても矛盾を感じると話す能町さんに、「私には、それが矛盾じゃない可能性も十分にあると思います。それを矛盾に見せるものは、もしかしたら何か別の規範なんじゃないでしょうか」とお返事する森山さん。そこから「身体」について、「心は女(男)、体は男(女)」という言い方について、そして対話からたどり着いた「お仕着せの幸福よりも私だけの不幸を」とはーー。クローン人間にも話題が及ぶスリリングな章、ぜひ本書でお読みください。(編集部)。