グニャグニャでいてやろう
人間の体が動くとはどういうことか。新井英夫さんへのインタビューは、この「きほんのき」について深く深く考えさせられる時間でした。
インタビューのためにいただいた時間は一時間。新井さんは、二年前にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されました。ALSは、運動神経系の障害により徐々に全身の筋力が失われていく難病です。インタビューの時点で、立ち上がって歩くことが難しくなっており、移動には電動車椅子を使用していました。
新井さんは、病気になる前からずっと、そして現在に至るまで、野口体操の実践者として活動してきました。野口体操とは、東京藝術大学の先生だった野口三千三(みちぞう)が考案した体操のこと。野口は戦中の一時期に東京体育専門学校(現・筑波大学)の教授として兵士たちの身体能力を鍛える仕事をしていたのですが、戦後にとりくんだのは、筋力を高めるのとは真逆の、ひたすら体の力を抜き自然に従うメソッドでした。体操といってもラジオ体操のようなそれではなく、野口の言うそれは「自分自身のからだの動きを手がかりにして、人間とは何かを探検する営み」[1]のこと。新井さんはこれを直接野口から学び、それから数十年にわたって、ワークショップなどを通じてこれを実践してきました。そんなみずからを、新井さんは「体奏家」と称しています。
無知を承知で告白すれば、最初に新井さんがALSに罹患したと聞いたとき、まず思い浮かんだのは「それは野口体操の体に近づいたということなのか?」という疑問でした。なぜなら、野口体操は筋肉に頼って動くことを否定するメソッドであり、他方でALSは文字通り筋肉を使うことができなくなる病気だからです。
もちろん、この連想が残酷なものであり、ご本人に正面からぶつけるにはあまりに失礼なものであることは理解していました。しかしこれまでの研究で、障害や病を得た人が、それ以前に行っていた仕事や活動で得たスキルを転用して、その障害や病とともに生きていく姿を、何度も見てきました。だとすれば、この偶然にしては近すぎるように見える一致に、新井さんが何を見出しているのかを知りたいと思いました。
結論から言うと、まず大前提として、新井さんは「やっぱり筋肉はあったほうがいい」と笑います。ワークショップの場面では、今でも新井さんは「筋肉を手放す」ように参加者に促していますが、それはあくまで感覚レベルの話。やっぱり物理的に筋肉がなくなってしまうのは大変なことです。
しかし同時に、新井さんは、文字通り筋肉を手放しつつある体で、野口体操のメソッドの延長線上に、私たちが考えたこともないような「動く」のオルタナティブを実験・実践してもいます。骨格で重さを支え、神経で筋肉を動かすのとはまったく違う「動く」の可能性を探索すること。新井さんは、ある意味では必要に迫られて、野口体操のその先を開拓します。それがどのようなものなのか、新井さんの言葉に従って見ていきたいと思います。[2]
誤診でも誰も損しない
新井さんが体の異常を感じたのは二〇二一年の夏のことでした。ジョギングをしていて足があがりにくい、階段をちょっと昇っただけで疲れる、といった違和感を感じていたのです。でもそのときは、「ちょっと疲れているのかな?」と思ってごまかしながら生活をしていました。
しかしそのまま症状が取れず、気になって最初に病院に行ったのは同じ年の一二月。そこで血液検査を受けたところ、CK(クレアチンキナーゼ)値が通常の一〇倍くらい飛び抜けて高く出ていたそうです。CK値はフルマラソンを走った翌日に上がるような数値で、体内で筋肉が急速に壊れていることを表しています。紹介状を書いてもらって大学病院にかかりますが、そこでも病名はすぐには分かりませんでした。
ALSは、「この数値が高かったら(あるいは低かったら)ALS」のような明確なバイオマーカーがない病気です。つまり決め手がない。その診断は、新井さん曰く「ババ抜きのようなもの」。症状から推測される病気の可能性を消去法でどんどん引いていって、最後にどれも該当するものがなかったらALS、という形になるそうです。ということは、たくさん検査をしなければならないということでもある。新井さんは二〇二二年三月に二週間の検査入院をします。
検査入院を経て、医師から告げられたのは「ALSの可能性が高い」との診断でした。そのころにはもう新井さん自身もALSではないかと思っていたので、絶望もしたけれど、「半ば覚悟というか現実みたいなものは見えてきて」いた。問題は、大学病院の医師が、あくまで「可能性が高い」であって「確定診断はまだ出せない」という立場をとったことでした。さらに、もう一回検査入院をしようとまで言い出した。宙ぶらりんの状態は、新井さんにとってしんどいものでした。
そこで新井さんは日本ALS協会に連絡をとります。日本ALS協会は、患者、家族、遺族を中心とする非営利団体。そこでもらったのは、非常に現実的なアドバイスでした。「ALSが確定していない段階でも、可能性が出たんだったら、一刻も早く、確定診断をくれる医者にセカンドオピニオンを変えたほうがいい」。なぜなら、確定診断をもらうと、難病の制度を利用できるようになるからです。車椅子など補装具を使う際の費用が支給されたり、医療費の助成を受けられたりする。そこで新井さんは現在の主治医を紹介してもらいます。
「確定診断をくれる医師」というとなんだかいい加減なような感じがしますが、そうではありません。この医師は、別の見方をすれば「誤診のリスクをとってくれる医師」だということでしょう。大学病院の医師は、「誤診だけはしたくない」という立場をとった。一方、新たに紹介してもらった医師は、「誤診だとしたら誤診でもいいじゃん」と言った。誰も損しないし、誤診だったらラッキーってことでとりあえずやろう、というのがその医師の立場でした。
誤診に対するこの態度の違いは示唆的です。大学病院の医師がなぜ慎重な立場をとったのか、その理由は分かりません。科学としての正確さを追求したのかもしれないし、裁判になることを恐れたのかもしれないし、自分のキャリアのためであったかもしれません。いずれにせよ、それは少なくとも新井さんにとっては、「患者のため」にならない判断だった。
これに対し、現在の主治医は、新井さんが患者として何を優先したいかを考慮したうえで、「先に進める」ために確定診断を出した。つまり、「厳密さ」よりも「よい加減」のほうが、ここでは現実的だったのです。
「厳密さ」は基準が外部にあって、目の前の状況をそれに合わせて判断する態度です。一方「よい加減」は状況が先にあって、そこに関わる人たちにとって一番合理的だと考えられる基準を選択する態度です。どちらがよいかは一概には言えませんが、新井さんにとっては後者のほうが好ましい態度でした。
病気がALSであったことも、「よい加減」を選択する動機になっていたかもしれません。もしこれが癌であったら、診断のあとに手術や抗がん剤治療などの介入が始まることになります。つまり、誤診が不可逆的な影響をもたらす可能性がある。しかしALSの場合、そもそも治療としてできることはほぼありません。診断されたからといって、動かない脚が切除されたり、強い薬を投与されたりすることはない。だからこそ、「誤診でも誰も損しない」と、主治医も、新井さんも、言えたのかもしれません。
いずれにせよ、自覚症状が出始めてから約一年後の二〇二二年夏、新井さんはALSの確定診断を受けます。確定診断まで二年、三年とかかる人もいるなか、新井さんの場合は、かなりのスピード診断でした。
聞こえてきちゃう
先述のとおり、現在の新井さんの体は、少なくとも見た目から判断するかぎり、徐々に能動的に動かすことが難しくなってきています。
二〇二二年秋までは杖をついて歩くことができていました。しかし冬からは電動車椅子を使用するように。それでも歩行器を使って動く練習をしており、二〇二三年の秋までは、休み休み一〇〇歩くらいは歩けていた。
でも二〇二四年になってからは腕の筋力も弱まってきた。骨折のリスクを考えて、歩く練習もやめることにしました。春になると箸のコントロールが難しくなり、食事も全介助に移行。インタビューを行った二〇二四年夏には、話しながら電動車椅子の肘掛けや膝の上で手の指が雄弁に動きつつも、その手を顔のあたりまで持ち上げることが難しくなっていました。
一方、会話は問題なく行うことができます。ALSの患者さんのなかには、舌や顔面から症状がはじまり、呂律がまわりにくくなったり、はっきり発声できなくなったりする方もいますが、新井さんの場合、症状は脚から始まり、徐々に上に上がってくるタイプ。まばたきや表情、首を動かすことも、この時点で問題はありませんでした。
一般にALSは、「運動機能が衰え、感覚能力や思考能力は健康なときと変わらない」というイメージがあります。これだけ聞くと、病気にかかる前と比べて変わるのは運動能力だけであってそれ以外の能力は保持される、という印象を持ちます。
しかし、新井さんの語る実態は、それとは少し違っていました。運動能力の働きが低下したことによって、感覚能力が相対的に鋭敏になったように感じられると言うのです。つまり、運動能力だけでなく、感覚能力との付き合い方も、診断以前とは変わってくる。
もちろん、鋭敏になるといっても、以前より視力が良くなったり、聴力が上がったりしたわけではありません。動かせない分、「体のあちこちが訴えてくる苦情」を無視できなくなるのです。感覚が鋭敏になることは必ずしもよいことではなく、「気になっちゃうとすごい不快」だと新井さんは語ります。
動かなくなった分、面白いのが、今までだったら無視してたようなむちゃくちゃちっちゃなセンサーが働いちゃう。例えば、ベッドで寝てるときに足先にちょっとタオルが置いてあるのが小指に引っかかってるなとかっていうのが、前だったら意識に上る前にスッと足をよけたりしてたと思うんですけど。今はそれができないから、そういうちっちゃい不快な刺激が解決できず長く続くのでものすごく感覚の意識に上がってくる。ますます感覚過敏になったりとかして。
人間の感覚能力と運動能力は、通常は連動して動くものです。前からボールが飛んでくるのが見えたら体はそれをよけるように動くし、逆に、動くことによって感覚器に入ってくる情報も常に変化しています。別の言い方をすれば、体が運動することによって、感覚に絶えず変化が生まれている。つまり、同じ刺激がずっと続く、ということが避けられています。
ところが新井さんの場合は、運動機能が低下したことによって、感覚能力がいわば運動能力から切り離され、独立して働く形になっています。すると、たとえば「タオルが小指に引っかかっている」というような小さな刺激でさえ、体を動かすことによって打ち消すことができなくなり、いわばそれが感覚に焼きついてしまう形になる。元気なときなら無意識的に処理していた、体からの「何とかしてくれ」という要求に、答えることができなくなってしまうのです。
新井さんは、それを「聞こえてきちゃう」と表現します。「蚊が止まったな、とか、タオルがちょっと触れてるなとか、座っているズボンの皺が二本、左のケツの下に寄ってるなとか、そういう体のつぶやきが聞こえてきちゃう」。体が動けば、体のつぶやきが意識にのぼる前に、つまり「聞こえてきちゃう」前に、蚊を払ったり、タオルをどかしたり、皺がよらないように位置を変えたりすることができたでしょう。でもそれができないから、声が「聞こえてきちゃう」。「自分が一生懸命自由に動けてたら、スタジオの中でバンドの練習してるみたいで、ドカジャカドカジャカするその音を自分は聞いてるんだけど、今の体は誰もいない音楽室みたいな感じだから、ハエが飛んでる音も聞こえちゃうんです」。
「声」から解放されるためには、新井さんは、そのことをヘルパーさんに伝え、物をどかしてもらったり、体の位置を変えてもらったりする必要があります。特に睡眠時の体位のミリ単位の調整は、ALSの介護においてしばしば語られる難題です。「自分が夜寝てる間、自分の体の実況中継をし続ける俺は何?」。その状況には笑っちゃう、と新井さんは語ります。「はい、じゃあ右手を左に開いて、そのときに脇の下に空気が通るような感じで。左手は、あー、ただ持たないで、肘と手首を浮かすように持って、はい、下ろすときもそっと、とか」しかも、ヘルパーさんによって、要求をすぐに理解してくれる人もいれば、経験不足でうまく理解してもらえない場合もある。
加えて、ヘルパーさんが忙しそうにしていると、お願いをするタイミングも難しい。「忙しそうだなぁと思うと、ちょっと今言うの遠慮しとこうかなとかって、自分の体の声を後回しにしたりとかして」。この「自分の体の声を後回し」は、致し方ないとはいえ、切なく、またしんどい状況です。新井さんは、今は尿瓶を持つことができないので、トイレのタイミングも他人まかせにならざるを得ません。行きたいときにスッと行って帰っていた頃を思うと、「今は『膀胱さん直腸さん悪いね』っていうときありますね」。
揺れる構造体
体の声を後回しにせざるを得ないということは、裏を返せば、新井さんの体は介助者とともに動くという体制がデフォルトになっている、ということを意味します。自分の力ではなく、他人の力を使って動く。
今の自分の体は、「図体のでかいピノキオ」だと新井さんは言います。つまりは、胴体や手足が木でできていて、介助者の手によっていろんな姿勢に動かしてもらう操り人形(マリオネット)のこと。新井さんは目がくりくりしているし、いつも赤や緑の楽しげな服を着ているので、確かにピノキオに見えなくもありません。
ただし、この比喩のポイントは、新井さんが「人形」ではなく「操り人形」だということでしょう。人形は、取れる姿勢が限られています。ほとんどの人形は両手を高くあげてバンザイすることはできないし、首をかしげることは難しい。でも操り人形ならそれができます。ピノキオのあのコミカルな動きを可能にしているのも、その姿勢の自由度と変化の軽やかさにあります。
どういうことか。実は、新井さんは、筋肉は減少している一方、少なくとも現時点では、関節の可動域がかなり大きく保たれているのです。見た目の印象としては「ヌンチャク」とでも言えばいいでしょうか。それ自体は力を持たないけど、肩や肘などの関節が柔らかいから、誰かが持って動かせば、体のパーツがあちこちの方向にぶらぶらと動くのです。
たとえば「腕を回す」という動作。肩や肘の可動域があるので、このシンプルな動作ひとつとっても、新井さんの体はいろんな表情でそれを行うことができます。まず、介助者が肘と手をやさしく持つ。そして新井さんの指示にしたがって動かす。すると、平泳ぎのように腕をぐるぐると大きく水平方向に回すこともできるし、逆に阿波踊りのように高い位置で小さくリズムをつけて回すこともできる。まさに全身自在のマリオネットです。
新井さんは、努力してこの関節の柔らかさをキープしています。できることが少なくなった今でも、野口体操のストレッチのような動きは続けているのです。「開脚とかヤンキー座りみたいな座り方をするとか、でんぐり返しみたいな形でさかさにぐるっとなるとか。ああいうのは今でもやってる」。
なぜ新井さんはそこまでして関節の可動域を確保しようとするのか。実は、この関節の可動域にこそ、「動く」のオルタナティブの可能性があると、新井さんは考えているのです。
操り人形の体を、新井さんは「揺れる」と表現します。誰かにちょっと動かされたら、それによってものすごく揺れる。そして、この「揺れる」という動詞には、新井さんが長年実践してきた野口体操の独特の身体観が反映されています。
野口体操では、人間の体を「液体の入った袋」ととらえます。つまり、人体を固体ではなく液体として考える。確かに、人体は成人で五〇−六〇%が水分で構成されていると言われています。しかし、通常、私たちは人間の体は明確な輪郭を持っていると考えているため、液体と言われると違和感を感じてしまいます。
体を固体として考える見方は、別の言い方をすれば、骨格や筋肉を中心にして身体をとらえる、ということです。しかし、全身の力を抜いてみるとどうか。むしろ、揺れる液体の方が主であり、その中に、骨や内臓が浮かんでいる、と考えることもできるのではないか。新井さんは、この「液体の入った袋」という野口三千三の身体観と、ALSに罹患した新井さんの「マリオネット」という感覚は、「揺れる」という意味ではほとんど同じものではないか、と語ります。
水っていうのは骨がないじゃないですか。だから揺れる構造体ではあるんだけれども、揺れる構造体の中にさらに骨も浮かんでるとか考える。骨っていうのは固いもの、剛体であるっていうイメージを持っちゃいがちだけども、いや、その剛体すらも水の袋の中に浮いているっていうのが人間の実態なんじゃないか、と野口体操は考える。そういったときに、僕の中ではマリオネット的な関節ぶらぶらっていう動きと、水袋が揺れるってことがそんなに矛盾しないっていうか。
出力ではなく入力を高める
うーん、そうは言っても人体を「液体の入った袋」ととらえるのはちょっとピンとこないような……。そんな多くの人の戸惑いを察してか、新井さんは、ワークショップを行うときに、水が入った大きなビニール袋を会場に持ち込みます。それを参加者全員にさわってもらう。まさに言葉ではなく体で感じてもらう戦法です。
インタビューに先立って私が参加したワークショップでも、重さにして五キロくらいありそうな水袋が持ち込まれていました。会の冒頭で、新井さんは、それを両手で抱えて動きを体感するように参加者にうながします。その意味を、新井さんはインタビューでこう振り返っていました。
この間のワークショップで、袋に入れた水を持ってもらったけど、水って流れて動きやすい。流れて動きやすいっていうことは、なんていうのかな、外からの力を受け止めて、メディアになれるわけですよ。コンクリートだと動かないけど、水だとちょっと押されたら動く。揺れる。自分の体や心の状態をなるべくそういうふうに保ってみようっていう僕なりの実験があって。能動的には自分はもう動けなくなったけれども、関節の可動域を保っておくことによって、ちょっと押されたら動かしやすい新井で居続けてみよう、と。それは介護されやすさにも通じるかもしれないし、そこに遊びの余地を生んでいく可能性にもなるんじゃないかなって。
床に置かれた水袋を指でちょんと押すと、押した力じたいは小さなものであったとしても、その振動が水全体に伝わって大きな揺れが生じます。確かにコンクリートのような固体では、こうはいかないでしょう。これは人間の体も同じだ、と新井さんは言います。
水袋に続いて行ったのはこんなワークでした。二人組のペアをつくり、ひとりが床に横たわります。力を抜いて、水袋のように床に体重をあずけ、リラックス。そしてもう一人が、横たわっている人の左右の足首を持って一〇センチくらい持ち上げます。その状態で、足首をやさしくゆすると、その振動が全身に伝わり、太ももからお腹、肩、やがて頭まで揺れるようになります。高校まで野球をやっていたという、身長一八〇センチほどの筋肉質の男性の体もゆらゆら。足を持っている人も、それほど大きな力はいらないでしょう。この揺れは、体に力を入れて体を硬くしていると起こりません。体をゆるめ、相手の動きを伝える媒体(メディア)となることによって、初めてそれは可能になります。
ここに、「動く」のオルタナティブの可能性があります。一般に「動く」というと、「歩く」「立つ」「走る」など、動く何らかの動作を能動的に行うことを意味します。これは筋肉による「動く」です。しかしよく考えてみれば、水は筋肉を持たないにもかかわらず、斜面を勢いよく流れ、渦を巻き、ばらばらになって周囲に飛び散ります。木の葉だって、風を受けてふるえ、ざわざわと音を立てます。シーツははためき、カーテンは波打ちます。鯉とは違って筋肉のない鯉のぼりだって、空を自由に泳ぎます。
つまり、非生物界を見渡してみれば、筋肉に依存しない「動く」もたくさん行われているのです。それは風や重力などの外力を最大限キャッチして動く、「揺れる」をベースにした「動く」です。「重さの流れが動きの元だから。川が流れるとか、風が吹くとか、筋肉がないものも動く、地球上では。人間の体でも同じことが起こってるはずなので、筋肉が働かなくても中が流れるようにいられるってことが、僕の中でもうひとつ、他力として動きを作る望みみたいなものだったりするんです」。
野口三千三は、このことを、生卵を例にして語っています。生卵の中身は、言うまでもなくどろどろとした液体です。野口は、机の上に生卵を立たせたうえで(誰でも時間をかければできる、と野口は言います)、こう語ります。「ふんばるべき脚をもたなくとも、しがみつくべき腕をもたなくとも、たとえ床に接するのはただ一点であっても、当然立つべき条件をもっているから、立つべくして立っている。でっちあげのごまかしで立っているのではない」[3]。
脚や腕を使って立つこと、つまり筋肉を使って立つことを「でっちあげのごまかし」という野口の見方はかなり大胆ですが、生卵は、重力との関係のみにおいて、立つという姿勢にとどまっている、ということでしょう。これが「立つことの基本」だと野口は言います。
しかし、立っている生卵は、少しゆするとすぐに倒れてしまいます。「立つべくして立っている」といっても、その体勢はあまりに不安定。脆弱です。しかし野口はそれを、「動きの能力が高い」ととらえます。「倒れる生卵はけっしてあわてず騒がず悠々として、大自然の原理に任せきってなめらかに倒れる」。「〔立っているものが少しの外力で倒れるということは〕わずかなエネルギーが働くだけで倒れることができる能力をもつ、自分の姿勢や位置を変える可能性をもつ、つまり動きの能力が高いということになるのではないか」[4]。
確かに生卵は、ゆで卵のように中が固体の物体と比較すると、外から与えられた力に対してより従順に動きます。その抵抗のなさ、影響のされやすさは、脆弱に見えるかもしれないけれど、むしろ重力や摩擦、あるいは空気の流れといった大自然の原理に身を任せているともいえる。野口はこれを「信じ切っている」とも表現します。
だとすれば、むしろ影響されやすくあること、信じ切って任せるほうに振り切るならば、そこに筋肉を使わない「動く」の可能性が開けてきます。「筋力を失うこと=動けなくなること」ではないのではないか。体は能動的に何かを行う人体組織であると同時に、外からの力によって揺れ動かされることのできるやわらかい物体でもある。「筋肉がなかったら動けないのはALSの患者として本当に実感しているんだけれども、体の中が液体的に緩んでいれば、きっかけを他からもらって、中身は流動体にしとけばニョロ〜ンとユラ〜ンと動くことはできるわけです」。新井さんにとって、この発想の転換を身をもって実践することが、ALS診断以降の日々の実験に、そして希望になっています。
例えばね、体力測定って出力測定じゃないですか。どれだけ握力があるかとか、どれだけ速く走れるかとか。でも柔らかいっていう言葉を言い換えると、入力度合いが高いみたいなことだと思うんです。僕は出力はもう今後強めることはできないんだけれども、入力はアップさせることができるんじゃないかと。入力にフォーカスした世界っていうのは、今までの経験からしてみると、体を入力装置として世界への触角みたいなふうに使っていったら、そこから案外面白がれるんじゃないかって思ってて。それが僕の希望というか、この病気の楽しみ方ですね。もちろん、入力して自分がなくなっちゃうっていう意味ではなくて、自分自身は意識や脳の働きはあるっていう前提でなんだけれども。
入力度合いが高い。確かに一般に体力測定と言えば、他の物体に対して作用を及ぼす「出力」を測定することになります。しかし、外からの力に対してそれを受ける度合いの大きさとしての「入力度合い」もまた、体の力と言うことができるのではないか。確かに日々生活をしているなかでも、例えば立ち位置を変えようとして体を押すと、すぐにそれに応じて位置が変わる人と、少しくらいの力ではびくともしない人がいます。新井さんの言葉を借りるなら、それは「入力度合い」が違う。筋肉の出力や呼吸の能力に加えて、力を受け入れる度合いもまた、その人の体の特徴を大きく決める要素です。
ポイントは、新井さんがそれを「世界への触角」と語っていることでしょう。野口三千三が、生卵を「大自然の原理に身を任せている」と表現したように、揺れやすい体を持つということは、自らを取り囲むさまざまな力に対して敏感であるということを意味します。だから、それは体を「触角」にすることでもある。「動く」のオルタナティブは、動かされることと感じ取ることが一体になったような「動く」です。ALSは進行性の病気ですから、これから出力を高めることはできない。けれども、この意味で、全身を世界に対する最高感度の物体にすることはできます。それが「この病気の楽しみ方」だと新井さんは語ります。
一緒に僕を立たせるダンスを作ってみてほしい
興味深いのは、この「動く」のオルタナティブが、介護の仕方をも変えているということです。生卵にとって大自然の原理といえば重力や摩擦が中心ですが、新井さんにとっての外力といえばその体に直接触れる介助者の存在がまず大きな問題となります。
入力度合いの高い体、つまり外力の影響を受けやすい体というのは、一見すると、介助者の思い通りに動かしやすい、主張のない体、という印象を受けます。しかし、実際はそうではない、と新井さんは言います。むしろ、体が硬い人のほうが、介助者からすると扱いやすい。板のようにパタンパタンとひっくり返しやすいからです。つまりは物のように扱うことができる。それを聞いて新井さんは「えーちくしょう、と思ってグニャグニャでいてやろう」と決めたと言います。
つまり、入力度の高い体でいることのほうが、逆説的にも、物のように扱われることに対する抵抗になりうる、と言うのです。
どういうことか。この場合の抵抗とは、介助者がやろうとしていることに対して頑なに抗う、という意味での抵抗ではありません。新井さんが望むのは、新井さんと介助者が二人で動きを作るような介助です。つまり、介助者が自らの意図を一方的に新井さんに押し付けるのではなく、体で感じあいながら、一緒に「うまく動けるポイント」をさぐってくれるような介助のあり方です。
「入力」っていう言葉を「人の助け」っていう言葉に置き換えると、それなしでは生きられないわけですよ。で、そのときに相手にお任せのオーダーメイドのヘルパーの技みたいなことだけで僕が扱われちゃうと、どんどんどんどん自分が小さくなっちゃう気がして。俺の関節はこうやって動くし、あなたに動かしてもらいたい。その中で、じゃあどうやって俺のことを立たせてくれる?みたいな問いかけをして、そこで一緒に僕を立たせるっていうダンスを作ってみてよ、みたいな感じ。
「お任せのオーダーメイドのヘルパーの技」とは、「介護のセオリーにしたがって用意された介護士が最善だと考えるやり方」のことでしょう。それは確かに重要だけど、それだけで扱われてしまうと、「どんどん自分が小さくなっちゃう」気がすると新井さんは言います。ここにあるのは、拙著『手の倫理』で論じたような、「さわる」と「ふれる」の違いです。技を押し付けるのは、一方的な接触を意味する「さわる」であり、これは基本的に物に対してなされる行為です。他方、相手の反応を見ながらそのつど接触のパターンを調整していく行為は、双方向的な接触を意味する人間的な「ふれる」です。「僕の関節はこうやって動く」ということを感じてもらったうえで、「じゃあどうやって俺のことを立たせてくれる?」みたいな問いかけをし、一緒に僕を立たせるダンスを作ってみてほしい、と新井さんは言います。
入力度の高い体だと、なぜ、双方向的な介護が可能になるのか。それは、言うまでもなく、関節の可動域が大きいことによって、選択肢が増えるからです。右にも動かすことができるし、斜め上にも動かすことができる。しかも、新井さんのグニャグニャの体は、その「入力」を、介助者が想像していた以上のインパクトで受け止めます。だから、「選択肢が増える」というよりも「自由記述方式」と言ったほうがいいかもしれない。介助する側からすると、自分の入力に対するフィードバックが大きいので、「これで合っているのかな」と迷う余地が大きくなります。そのことが、正解を求めて可能性を探索する契機をひらくと考えられます。
探索の具体的なポイントは「重さの流れ」です。川の流れの例で語られていたように「重さの流れが動きの元だから」。重さのかかり方がどのように変化していくかを感じ取って、その流れを受け止めつつ、そこから動きを作りだしてくれるような介護。そのような介護が成立すると、介助する側も、される側も、サーフィンをしているときのような、能動と受動が分けられない気持ちよさがあると新井さんは言います。
それはダンスだ、と先の引用で新井さんは語っていました。実際、新井さんをもっとも近くで支えるパートナーの板坂記代子さんは、新井さんと一緒に野口体操を実践してきた方であり、野口体操の動きからダンスを作ってきた経験が、介護に生きていると語ります。「とにかくこの重さの移動ってことを研究したなっていう感じはあります。今よりももうちょっと前の段階ですけども、トイレ一つするのにも、どうやって傾いたら楽にお尻が浮くかとか、研究したのは、楽しかったし、役に立ってますね。昔の稽古の続きなんです」。
もちろん、「野口体操は介護に役立つ」などと軽々しく結論づけるべきではないでしょう。冒頭でも述べたように、新井さんが実践しているのは、他の多くの病や障害とともに生きる人たちがやっていること、すなわち、これまでの人生において実践し、身につけていたスキルや身体観を、新しい体とうまく付き合うために転用する、ということなのだと思います。体調の変化は早く、一度見つけたやり方がすぐに通用しなくなるという絶望と苦労がつきまとうはずです。その気持ちの波にも揺られながらも、灯を絶やさずに探究を続ける新井さんの視点の鋭さに、改めて圧倒されます。
[1] 野口三千三『原初生命体としての人間――野口体操の理論』岩波現代文庫、2003、p. 5
[2] 新井英夫さんへのインタビュー全文は、こちらで公開しています。
[3] 前掲書、p. 16
[4] 前掲書、p. 17