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一番身近な物体

グレーの中で生きる

 

 家電にせよパソコンにせよ、機械にとっての「入力」は明確に定義されています。電源ボタンを押せば電源が入り、つまみを回せば温度が変わる。入力は、人間が操作することを想定した部分を介してのみ行われ、行われた入力に対してどのような変化が起こるかは、あらかじめ設計されています。側面を撫でたからといってクーラーの風向きが変わるわけではないし、そばで大きな音がしたからといってパソコンに表示されるフォントが変わるわけではない。もちろん、そのように動く機械を設計することは可能ですが、設計していないにもかかわらず、機械がそのように動くことはありません。

 一方、生き物の体の場合、「入力」はあいまいです。確かに、「話しかけられたから振り向く」のような反応においては、何が入力となって行為が起こっているかは分かりやすいでしょう。しかし体は、機械とはちがって、それが置かれた状況――光、音、気圧、温度、湿度といった物理的な状況や、誰とともに何をしているかなどの社会的な状況――の影響を無際限に受けています。そこには、本人が意識していないような体への影響も含まれます。体は、環境にさらされている。

 さえさんの話を聞いていると、こうした機械と体の根本的な違いについて考えさせられます。さえさんは、身体症状症(旧:身体表現性障害)の当事者。光・音・匂いのような外的な刺激や精神的なストレスが、本人はあまり自覚していないのに、吐き気、めまい、頭痛といった多様で重い慢性的な症状として現れます。「自身の体を何かにたとえるとしたら」という問いに、さえさんがためらいながら出した答えは「風にあおられている凧」でした。環境=風から入力されまくっていて、糸一本でかろうじて制御されている薄い物体。健康な体であれば、環境にさらされているといっても、その影響を一定の振れ幅内に抑えることができます。しかし、さえさんの場合はそうはいかない。

 さえさんの病状が、「身体症状症」と呼ばれる理由は、刺激やストレスに対する反応が、気分障害のような心の症状ではなく体の症状として出てくるからです。そして、この症状があまりに多様かつ重いために、症状それ自体が、本人にとって大きな苦痛の種となる。そして生活をさまたげる障害となります。

 さえさんは、コロナ禍が始まるずっと前から、一五年近くにわたって、自宅中心の生活を送ってきました。そもそもの体調を整える難しさと、受ける刺激の強さのため、自由に外出をすることが難しかったのです。現在では家族が運転する車であれば多少の外出もできるようになっていますが、ひとりではままならない。単独外出のリハビリは今まさに始めたところで、玄関のドアを出て目の前の郵便受けに郵便をとりにくのさえ、できない日も多いといいます。私がさえさんと知り合ったのは五年ほど前になりますが、対面ではまだ一度もお会いしたことがありません。

 機械と体の違いは、「ある」と「いる」の違いと整理することができるかもしれません。環境に対する自律性が高い機械は、あくまでそこに「ある」にすぎない。一方、環境のなかに埋め込まれ、意識的にせよ無意識的にせよ環境と相互作用している体は、まぎれもなくそこに「いる」。環境からの入力を大きく受けてしまうさえさんの体は、「いる」が過剰になった結果、「いる」ことができなくなったような逆説的な状況であるようにも見えます。

 そのような体を、どのようにして安全にこの世界に「いさせる」ことができるのか。どのようにすれば、そのような体のための居場所をしつらえることができるのか。さえさんの体は、そんな究極の問いを問いかけているようにも見えます。[1]

 

綱渡りの怖さ

 

 さえさんが体の不調を感じ始めたのは、大卒で働き始めて数ヶ月経ったころでした。しばらくは無理して会社に出勤していましたが、しだいに吐き気やめまいが強くなって、電車に乗れなくなってしまいました。

 止むを得ず退職して治療を始めようとしたものの、治療の端緒に立つまでが簡単ではありませんでした。治療には、診断が不可欠です。ところが、身体症状症という診断名がつくまでに長い時間がかかった。消化器系の症状が中心だったので当初は内科に通っていましたが治療しても効果がなく、さまざまな機能性の原因を探したものの見つからない。最終的にストレス的なものが原因だと分かったときは、自分では自覚がなかったので、「そっちだったんだ」という驚きがあったといいます。

 吐き気やめまいと聞くと、経験したことのある人が多い症状なので、なんとなく「知っている」ような気になってしまいます。しかし、さえさんの場合はこうした症状が止むことなく常に、かつ複数の症状が同時にやってきます。「寝込む」レベルではない。終わりのない車酔いのような吐き気のなか、出口も見えず、刺激に揺さぶられ、なすがままになっているしかない状態。その状態を、さえさんは「体が使えない時期」と表現します。「発病してから七、八年くらいは難しくてほとんどコントロールできず、体が使えない時期のほうが多かったです」。

 なんとか自宅療養でギリギリやっていき、難しくなると入院する。それを繰り返し、一〇年近くかけて、ようやく症状を前提にした形で生活するやり方を見出したさえさん。でも余裕はまったくないと言います。「今はギリギリ、本当にギリギリ何とかやれています。そうなるまでにすごく時間がかかりました」。何とかやれているとはいえ、それはいつ落ちてしまうか分からない綱渡りのような状態です。「私と似た症状の友人とも話すんですけど、たまたま落ちないでうまく綱渡りが出来てるけど、やっぱりいつ落ちるか分からないから怖い、って。落ちちゃうと、必要最低限の生活ができなくなるから、もう活動停止みたいな感じです」。

 「たくさんの不定愁訴がある」なかで、一番生活に困難をきたすのは「吐き気」だとさえさんは言います。症状の強い弱いの変化はあるとしても、基本的に吐き気は二十四時間している。程度は平均すると十段階で五−六程度で、常に車酔いのような状態です。だから、その状態でさらに車に乗ったり、遠出したりということが難しい。頭痛であれば、よっぽど強い症状でない限り、乗り物に乗って移動することも可能でしょう。ところが吐き気の場合は、乗り物に乗ること自体が症状を悪化させてしまう可能性が高く、結果として日々の生活における移動の自由度を大きく制限してしまうことになります。

 これに対し、さえさんにとって「症状がマックスでもなんとかコントロールできる」のは、「頭痛」と「めまい」です。どちらも起き上がるのさえ難しいのではないかと感じられる症状ですが、さえさんにとってはコントロールできる部類に入る。もっともこの場合のコントロールとは、症状をコントロールするという意味ではなく、症状にあわせて生活をコントロールするということです。

 症状が出始めてからしばらくは、コントロールすることが全くできなかった。それが、七、八年という長い時間をかけて、徐々にコントロールすることができるようになった。「まだまだ実験中」だとさえさんは言いますが、さえさんの場合、症状は二十四時間ありますから、コントロールは生活を成り立たせる条件そのものです。私の求めに応じてオンラインでのインタビューに応じてくださるときにも、この約束が、さえさんが長い時間をかけてつちかってきたコントロールのたまものであることを実感します。実施する時間帯から使用するデバイス、前日に飲む飲み物や摂る食事まで、見えるところや見えないところで、さえさんはさまざまなコントロールをし、大きなコストをかけて、パソコンの画面に現れてくださっています。

 さえさんのお話をもとに私なりに整理すると、コントロールにはおそらく二つのレイヤーがあります。すなわち、「環境の調節」と「体調の調節」です。以下では、このそれぞれについて、具体的に見ていきたいと思います。

 

環境の調節としてのOriHime

 

 さえさんが行っているコントロールのひとつめは、「環境の調節」です。

 先述のとおり、さえさんの体は、光・音・匂い・気圧といった刺激に影響されて、身体的な症状が出てしまいます。したがって、こういう刺激にさらされないようにすることが、環境の調節としては重要になります。

 もっとも、環境の調節といっても、すべての条件を調節できるわけではありません。人工的な空間であれば、刺激が少なくなるように明るさや音の大きさを調節することはできます。でも、自然環境そのものを最適化することは難しい。さえさんによれば、平均すると、「天気」が体調を左右する要因の六―七割を占めると言います。特に気圧の変化が大きい台風の時期は、大きく翻弄されてしまう。この部分は調節しようがないので、それ以外の条件に関して、できることをさぐっていきます。

 工夫の基本は、刺激の量を減らすことです。刺激を受けそうな状況を事前に避けること。フード付きの服やサングラス、イヤホンなどを使用すること。関わる人にあらかじめ体調について伝えておくこと。約束の時間を刺激を受けにくい午後以降に調整すること。こうしたさまざまな工夫があるなかで、さえさんにとって特に大きかったのは、分身ロボットOriHimeの導入でした。OriHimeによって、環境調節の幅が大きく拡張したのです。

 OriHimeとは、株式会社オリィ研究所が開発するロボットです。ロボットと言っても、AIを搭載していたり、プログラムどおりに仕事をこなしたりするわけではなく、あくまで人が遠隔で操作をします。現時点で開発されているのは、卓上型のOriHime-Biz、カフェの給仕などができる大型のOriHime-D、視線入力やスイッチ入力ができるOriHime eye+switchの三機種。ここでは、さえさんがもっとも頻繁に使っている卓上型のOriHime-Bizを中心に話を進めます。

 OriHimeの目と目のあいだ、額の部分にはカメラがついています。これは、操作する「パイロット」が、周囲の様子を視覚的に確認するためのもの。見たいものがうまく視野に収まらないときには、首を振って、カメラのアングルを調節することもできます。また、マイクとスピーカーがついているので、自分の声を使って、OriHimeの機体の近くにいる人とコミュニケーションをとることができます。さらに、首に加えてペンギンのような両手を動かすこともできるので、「はーい」「ぱちぱち」「なんでやねん」などのジェスチャーも可能。さえさんは身体動作に不自由はありませんが、パイロットの中には四肢を思い通り動かせない人もいるので、そういう人にとっては体を使ってリアクションできることが大きな意味を持ちます。

 パイロットは自宅などにいて、専用のアプリを入れたスマホやタブレット、あるいはパソコンの画面から、遠隔でOriHimeを操作します。画面上にはカメラがとらえた現地の様子が大きく映っており、中央に自分=OriHimeの後ろ姿、左右に動作ボタンが配置されています。さえさんは指で入力をしていますが、横になった姿勢でタッチペンを使って入力しているパイロットも。多様な身体の状態に対応しつつ、しかしOriHimeとして会うときにはその差異が消えて対等になるのも面白いところです。

 さえさんが最初にパイロットを経験したのは二〇一八年末のこと。そのときはOriHime用にしつらえらえた期間限定のカフェで働きました。そのあとは本屋さんで売り子をしたり、朗読をしたり、農作業をしている人の話し相手になったり、海外旅行に行ったり、活動の幅を広げていきます。世界中どこであっても、そこにOriHimeがあり、ネットが使えれば、さえさんはそこに「行く」ことができる。場合によっては、行き先Aから、行き先Bまで、自宅の部屋にいながらにして瞬間移動することさえできてしまいます。OriHimeは、医師や家族しか話し相手がいない生活を大きく変えてくれる存在だった、とさえさんは語ります。今は常設のOriHime用のカフェDAWNのフロアスタッフのお仕事を中心に、自身の興味をさぐりつつ、多様な活躍されています。

 大きく見れば、OriHimeのインパクトは、確かに「遠隔」の距離を縮めたところにあります。でも、「環境の調節」という点で見ると、OriHimeのインパクトはむしろ、人間の体にカメラの「しぼり」のような機能を付与してくれる点にあるように思います。すなわち、入ってくる刺激の量を、柔軟に調節できるのです。

 最初にOriHimeを使ったとき、さえさんは、「電車に乗って吐き気が強くなるときのようなパニック障害」の状態に陥ってしまったと言います。機体に「入った」瞬間に、気持ちが悪くなってしまった。もちろん、初めてで緊張していたということはあったでしょう。でも、テレビ電話ではそういった症状は出なかった。ということは、初対面の人とのコミュニケーションのせいで体調不良になったというより、OriHimeが与える臨場感があまりに強く、それが刺激になって、強い吐き気につながったと考えられます。「そのくらい『行っている感じ』は強い」とさえさんは言います。

 しかし、生身と違うのは、OriHimeなら調節できるということです。生身の体は環境からの影響をもろに受けてしまうけれど、OriHimeなら刺激の量を選ぶことができる。さえさんは言います。「たとえばいきなり生身でフードコートに行ったら、匂いと声の洪水で結構参っちゃうと思うんだよね。でもOriHimeに入ってなら、最初は音量のボリュームを0にしておいて、自分の耐えられるところまで上げていくとか、そういうことができる。仕事をするときは、それはかなり絞ってやっているかな」。

 つまり、OriHimeであれば、匂いという情報をカットしたり、音量や場合によっては光の量をそのときの自分にあった程度に合わせることができる。0か1かの二択ではなく、ちょうどいいところに合わせることができるところがポイントです。生身の体では、行くか行かないか、つまり環境からの刺激を受けるか受けないかの二択しかない。けれどもOriHimeであれば、刺激を完全にシャットアウトすることもできれば、少しずつ刺激の量を多くして、「行ってる感」をフルで感じることもできる。調節は、まさにこの連続的なスケールがあってこそ可能になります。それはまさにファインダーのように刺激を「絞る」ことです。

 

良いものだけ取らない

 

 OriHimeを介した環境の調節に関して、前節では「音量」や「光の量」といったパラメータをあげました。しかし、それを使っているさえさんの実感としては、この調節は、単なる「音の量」や「光の量」以上の、より繊細な感覚の違いと結びついています。

 刺激を完全にシャットアウトすることは、生身の体のようにそこに「いる」状態から最大限離れるということです。つまり、冒頭の区別でいえば、OriHimeが通信用の機械として、ただそこに「ある」状態にしてしまう。これに対して、刺激の量を最大化すれば、あたかも自分がそこに「いる」かのような感覚を、OriHimeは作り出すことができる。音や光といったパラメータを使って調整できるのは、「ある」と「いる」のあいだ、「機械」と「体」のあいだだと言うことができます。冒頭であげた「ある」と「いる」、「機械」と「体」という二つの極を、OriHimeはグラデーションでつないでしまうのです。

 そのことを、さえさんはこんなふうに語っています。

 

本来のOriHimeの使い方とはかけはなれちゃうんだけど、極論言うと、これはテレビ電話だって思うことでOriHime側の現実と、 こっちの自分を解離させることができるんです。それで、体の感覚的には自宅にいる感覚に強く引き寄せて、OriHimeを「操作する」っていう感じにしちゃうこともできる。でもそれだと外に出たい欲求は満たされないから、プライベートとかで使う時は、なるべくOriHimeの方に自分を寄せています。だからそのグラデーションの割合を自分で都合のいいように変えているんだと思います。

 

 さえさんが言うように、確かにOriHimeの製品としてのポテンシャルは「いる」を作り出せることにあります。それは、他のコミュニケーション機器にはない特徴です。でも、「いる」を体感するためには、OriHimeを通じて入ってくる刺激の量を多くしなければならない。だから、それが難しいときには、刺激の量を減らし、OriHimeのポテンシャルをさげて、テレビ電話のような通信機器として使ってしまう。これは、環境からの影響をうけない「ある」の状態です。それはOriHimeの本来の使い方ではないかもしれないけれど、「ある」というオプションがあることによって、さえさんは「いる」の状態を楽しむことができています。

 「ある」の状態は、「自分を解離させることができる」とさえさんは語っています。OriHimeが物理的に置かれ、対話の相手がそこにいる環境から、自分の体を引き剥がして守ることができる。たとえばOriHimeが四国に置かれているとするなら、OriHimeはあくまで四国に「ある」ことにして、自分は自宅のある東京に「いる」状態を保つ。調子がよいときは、OriHimeに一体化して四国に「行く」けれども、そうでないときは、一体化しすぎないようにする。「ある」と「いる」のあいだ、「機械」と「体」のあいだのグラデーションは、自分の存在の重心のようなものを、「向こう」と「こっち」のあいだのどこに置くかの問題とも言い換えられそうです。

 ただし、興味深いのは、引用の中でも述べられているように、「安全」「快適」が必ずしもさえさんのゴールではない、ということです。

 確かに、「安全」「快適」だけを目指したら、刺激は少ない方がいいに決まっている。「ある」が一番の選択肢です。でも、長いあいだ自宅中心の生活を送っているさえさんにとって、欲しいのは「外出している」という感覚です。そして「外出している」とは、想定外の出来事や、場合によっては不快な経験をすること、つまり自分にはコントロールできない要素に出会うということを意味します。外出には、必ずノイズがある。だから、体調が悪くなっても許される場合には、「OriHimeの方に自分を寄せて」いる。

 「いる」ためには調節が必要だけど、でも調節をしすぎると「いる」にはならない。このジレンマを知っているから、さえさんは、一見するとあえて自分の身を危険にさらすようなふるまいをとってしまうことがあると言います。つまり、不快なことがあるのに「居座っちゃう」。あるいは「抜けられるのに抜けない」。安全や快適を選べるという土台は非常に重要だけど、その上に「良いものだけ取らない」という指針を置くさえさんの生き方は、ままならない体とつきあううえで、非常に示唆的なポイントだと思います。

 

やっぱり聞かない方がいい会話とかが聞こえてくるときってあるんですよね。でも結構あえてそこに居座っちゃうこととかがあって。「良いものだけ取らない」みたいなのも、やっぱり生身で外で過ごす良さとかだったりするんです。本当に良い情報だけ、心地いいものだけ取りに行くとVRとかで自分の作り上げた世界にいるのとあまり変わらない感じになっちゃう。だからちょっとストレスがかかったり、吐き気がめっちゃ強いとか思うところにも、なんか抜けずに行っちゃうみたいなことがあります。

 

 確かにこれまでさえさんとOriHimeで出かけたときにも、「良いものだけ取らない」ようにしているのかなと感じたことがありました。たとえば、さえさんの希望で、爬虫類カフェに行ったとき[2]。OriHimeより大きなゾウガメがカメラに向かって口を開ける様子は、そこに入っているさえさんからしても、かなり恐怖をかきたてる映像だったのではないかと思います。「全部恐竜に見える」とさえさん。OriHimeからログアウトしちゃえばいいのにそれができなくて、「やっぱり最後まで、気がつくともうOriHimeに入ってる……だからおもしろいんです」。

 公園を散歩していて、雲行きが怪しくなったときもそうでした。雷が鳴ったりすると、音と光の強い刺激を受けて、調子が悪くなってしまうかもしれない。でもさえさんは、「そうなったとしても電源を切れない」と言います。あまりにその場に「いる」状態に入り込んでいるので、「客観的に見れば切れる」のに、「切るという選択肢が消えてしまっている」。生身の体を犠牲にしてでも、そこに「いる」ほうに重心をかけてしまう。この逃げられなさは、OriHimeがそれだけ強い「行ってる感」を与えるメディアであるということを示す証拠であると同時に、さえさんが「外出する」「そこにいる」ということを望み、渇望してきた長い時間の厚みを感じさせる瞬間でもあります。

 「自分の作り上げた世界」の外に出ること。そこには、カメや雷だけでなく、当然「人」もいます。不快な刺激や想定外の刺激に開かれていることは、とりもなおさず他者に出会うということに他なりません。ずっと自宅中心で暮らしてきて、「存在を誰かにふれてほしかった」とさえさん。その可能性を、さえさんはOriHimeに見出しました。「相手の感覚とか、相手の存在に思いを馳せることが、生身で会っているときよりも、頭の中で増幅されてゆく」。「そこに実体がなくても存在にふれてもらうことはできるのかもしれない」とさえさんは言います。

 

体調の調節

 

 さて、ここまでコントロールの二つのレイヤーのうち「環境の調節」について見てきました。ここからは、二つめのレイヤー「体調の調節」を見ていきます。

 一般的に、体調の調節にはタイムラグがあります。自転車のようにハンドルを切ればすぐに右に曲がるということはなく、船のように舵を切ってから時間をかけて徐々に向きが変わっていくことになる。今の行動が未来にどのような変化をもたらすかを想像しながら、「先手を打っておく」ような体との付き合い方になります。

 さえさんの場合、具体的には、仕事やプライベートの予定が入っていたら、それに「合わせる」ような調整をすると言います。体調悪化につながることを避けたり、食事を調整して内臓への負担を軽くしたり。数分前、数時間前、前日など、打つべき先手は、時間軸ごとに重層的に重なっています。「予定がある日は、ちょっとの変化で『あ、これで吐き気がちょっと強くなりそう』みたいなことがなんとなく経験でわかるので、そういうのを避けてみたりします。あとは前の日にお白湯を飲むとか、お粥を食べとくとかして、ほかのところに負担をかけないようにして、会って話せるぐらいの体力を残すようにしています」。

 それは、別の言い方をすれば、常に体力の残量を計算しているということでもあります。いま、体力がどのくらい残っているか。約束の予定をこなすのに、どれだけの体力が必要か。そのためには何をセーブする必要があり、何が起こるとダウンしてしまうか。こうした計算が必要になるのは、とりもなおさず、「収支」が常にギリギリにならざるを得ないからです。オンラインインタビューに応じてくれたとき、さえさんは笑いながらこう言っていました。「今日は話すぐらいの体力しかためていない」ので、「ここで突発的に誰かが来て踊りだしたりしたら私の体力はなくなると思う」。

 ただし、このような計算を行うのは、あくまで予定が入っているときだけです。予定がないときには、調節そのものを手放す。無理に介入せず、体調の変化に任せます。「普段は、意識しないことで体調の悪さを少し紛らわせることができるから、あまり意識しない、限界を超えたらもうしょうがない、という感じにしてる」。調整を意識すると、体力の残量を計算しようとして、常に体をモニターすることになってしまいます。そうすると、結果として痛みや不調に向き合うような関係になってしまう。むしろ、悪化してしまうリスクがあるとしても、意識しないことによって紛れる可能性を選択したほうが、その日を楽に過ごせることもあります。

 もっとも、このような調節は、「こうすればこうなる」のような分かりやすい一対一の関係ではありません。繰り返しになりますが、機械であれば、特定の入力に対する出力はある程度予測することができるのに対し、体が受け取っている入力は無際限です。特にさえさんの場合は、先述のとおり天気の影響を受けやすいという特徴があります。気圧が急に変化したりすると、実際の天気としては晴れに変化していたとしても、さえさんの体調は悪化してしまう。一般的な「いい天気」を享受できないことがあるとさえさんは言います。

 つまり、調整といっても自分がやったこと以外の入力が体には無数に入っている。変数があまりに多いので、それは、「こうすればこうなる」式のノウハウで捉えられるようなものではありません。そういう意味では、調整といっても「制御する」というより「流れに乗せる」ような付き合い方に近いのかもしれない。さえさんはよく「体の機嫌をとる」という言い方をします。環境のなかにより強く埋め込まれているからこそ、体はつねにこちらの思惑を超えていく。そういう相手となんとかうまくやっていく。

 だとしても、それは一〇年近くコントロールすることを全く許してくれなかった体に、ようやく空いた余白です。「ひどくなっちゃうとどうしようもできなくなっちゃうんですけど、ひどいなりのリズムを掴むというのがすごく大事」。

 

グレーの中で生きる

 

 グレーの中で生きていかなくちゃいけない、とさえさんは言います。「白黒つけられたらすごく楽だけど、実際にはグレーの中で生きていかなきゃいけない。体も疾患をかかえて、その状況のなかで生きていかなくちゃいけない。そういった状態と常に向き合ったまま生きていく強さとかしなやかさが必要なのかなと最近は思います」。

 「こうすればこうなる」というノウハウの世界は、いわば白黒がはっきりした世界です。努力すれば報われる。この薬を飲めば病気が治る。そうシンプルに言えたら確かに楽です。希望も持ちやすい。だけど、無数の刺激の影響をうけ、さまざまな入力に翻弄されているさえさんの体は、そのような単純な因果関係で描ける対象ではありません。生活できる程度に理解するのにさえ、一〇年近くかかるような複雑さをかかえこんでしまっている。前回の谷田さんとはまた違う仕方で、さえさんの体もまた分かりやすい因果関係の外に置かれています。

 因果関係を描かないということは、特定の事象を不調の原因=敵として定めない、ということでもあります。何かをとりのぞけば、自分の平和が保たれる、という友敵関係は成立しません。「地球には敵わないので、体も環境の一部だと思うようにする」とさえさんは言います。グレーとは、環境と自分のあいだに明確な線を引かない、ということに他なりません。

 体は環境の一部である。この地続き感を象徴するのが、さえさんが調整について語るときに使う「とっても感覚的な話」という言い方です。たとえば台風が来ているとき。もし制御的なマインドでその接近に備えるなら、ニュースで天気予報を確認したり、アプリで気圧を確認したほうがいいはずです。でもさえさんはそうしない。データ的に警戒すべき条件が揃っているのに症状が出なかったり、安全だとされているときに症状がでたりして、必ずしも「こうすればこうなる」が成り立たないからです。備えること自体がストレスになるから、これでは「備え損」です。

 だからさえさんは、台風の接近によって体に直接起こる変化に耳をすませます。データを介さない、いわば台風との直接接触。「ここ数年は、あんまり数値とか天気予報とかを当てにするのはやめて、すごく抽象的で説明するのが難しいんですけど、(…)台風が発生する前の日っていうのに、独特の症状があるんです」。その症状とは、吐き気が最大級にまで強くなり、「『怖い、不安!』みたいなのが上がって落ちるみたいなのが続」く。それで翌日に家族に確認すると、台風が来ているということが分かる。「天気〔予報〕に関しては、今は予測で使うっていうよりは事後報告的な感じですね」。

 環境と体のあいだに境界線を引かないということは、環境と体のあいだに入ってクッションになってくれるものがない、ということでもあります。ある程度健康な人であれば、ニュースで流れる天気予報程度の解像度の情報があれば、生活を環境にあわせることができる。けれどもさえさんの体は、天気の変化を非常に高い精度で敏感に感じ取ってしまうため、天気予報程度の情報では役に立たない。その精度の前では、科学、医療、メディアなど社会がつみあげてきた「環境と体のあいだに入ってくれるクッション」も無力です。社会的に用意されたクッションでは十分に体を守れない。

 だから、さえさんは、長い時間をかけて「感覚」をつかみ、環境が体に直接起こす変化をたよりに、状況を乗りこなすようになりました。結果として、「何かをとりのぞけば、自分の平和が保たれる」という友敵的理論的な世界観・身体観から離れていっているように思います。

 何ものも敵として定めない、というスタンスは、さえさんと関わっていて常に感じる姿勢です。OriHimeに入っているときの「良いものだけ取らない」という態度もそうですが、刺激に脆弱なはずなのに、何かを排除するということはしない。

 このことは、突き詰めれば、病とともにあるというさえさんの生の条件の引き受け方そのものにつながっていきます。病気にかかった当初は、「症状を消さなきゃならないって思っていた」とさえさんは言います。でも病院の先生に、難治性だから一生つきあっていかなきゃいけないと言われて、「付き合うことを主眼に」生活するようになった。

 実際、さえさんの言う「グレーの中の強さとかしなやかさ」を感じることがあります。たとえば、最近始めた、ひとりで外出するためのリハビリについて。長年自宅中心の生活を送ってきたので、リハビリを始めることによって、自分でも気が付かないレベルで体のバランスがくずれることもある。でも、この原稿のためにフォローアップでさせてもらったインタビューで、さえさんはこう語っていました。「一年後とか二年後に、あんまり出られるようにならなかったとしても、多分それは失敗とか諦めみたいなことにはなっていなくって」。

 さえさんの気持ちは、むしろ自分のなかに生まれた「欲望の芽」を喜ぶことに向いています。自分がそんなに欲張りだった、ということに驚いた、とさえさん。OriHimeで社会とつながれて、それでよいと思っていたら、新たな感覚の引き出しとして「外出したい」という欲が出てきた。「生活が動いているっていうことが楽しい」とさえさんは言います。

 どんなに環境にさらされ、刺激に翻弄されるなかでも、確かに欲望の芽が吹くということ。それは、体がそれでもやはり単なる受け身の存在ではないということの証明です。欲望とは、いま自分が身を置いている状況に対して、断絶をつくりだす力です。二十四時間ずっと症状が続き、つねに病がそこにあるグレーの時間のなかで、今置かれているのとはちがうステージに踏み出そうとすること。その力に忠実であろうとするさえさんに、とてつもない強さとしなやかさを感じます。

  

 

[1] さえさんへのインタビューや対談の全文は以下で公開しています。特に断りがないかぎり、さえさんの発言は、ここから引用されています。

 http://asaito.com/research/2020/06/post_71.php

 http://asaito.com/research/2021/10/post_82.php

 

[2] このときの様子は、伊藤亜紗、さえ、砂連尾理「分身ロボットとダンス」(未来の人類研究センター編『RITA MAGAZINE――テクノロジーに利他はあるのか?』ミシマ社、2024年、14-43頁)参照。

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著者略歴

  1. 伊藤亜紗

    東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。専門は美学、現代アート。主な著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)〔のちに『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)〕、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社メチエ)、『きみの体は何者か』(ちくまQブックス)、『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』(文藝春秋)、『感性でよむ西洋美術』(NHK出版)など多数。

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