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一番身近な物体

希望と分断のお薬

 

 

 駒沢典子さんとナルコレプシーとのつきあいは、もう40年以上になります。ナルコレプシーとは睡眠障害の一種で、時と場所を選ばず強烈な眠気に襲われ、1日に何回も眠り込んでしまう病気のこと。駒沢さんは小学校高学年ころに発症しましたが、なかなか病気だとは理解されず、高校生になってようやく診断がおりました。

 しかし、「眠くなること」は、駒沢さんが抱えているさまざまな症状のうちのひとつでしかありません。感情が揺れ動くと筋力が脱力してしまう「情動脱力発作」や、夜中に目が覚めて食欲を抑えられなくなる「過食」、さらに代謝の低下からくる「肥満」や「糖尿病」、「体温調節の不具合」など、現在進行形でいくつもの症状を抱えています。

 興味深いのは、ひとくちに症状といっても、それによってもたらされる苦労は一様ではない、ということです。身体的には苦しくないのに社会の無理解が原因で苦労が生じている症状もあれば、直接的な苦痛を感じていてその結果社会生活に支障をきたすような症状もあります。この苦労をめぐる「身体」と「社会」の絡み合いを、「薬」の存在がさらに複雑化します。駒沢さんの語りを手がかりに、その複雑な網目を紐解いていきたいと思います。[1] 

 

金にならないもの

 

 まず、ナルコレプシーの主症状である「眠くなること」「眠ってしまう」について。言うまでもなく、眠ることそのものは、本質的には誰もが日常的にやっていることです。「めまい」や「頭痛」とは異なり、それ自体が直接的な身体的苦痛をもたらすわけではありません。

 けれども、ナルコレプシーにおいては、その頻度やタイミングが一般の人とは異なっています。日中、退屈なわけではないのに急に眠気がやってきて、抵抗することができなくなる。しかし通常であれば、10-30分眠ると目が覚め、しばらくはすっきりと過ごせるそうです。こういうことが1日に何度も起こる。

 程度の問題は、症状の有無に比べるとどうしても理解がされにくいものです。ある認知症の方が、自分の症状を話すと「物忘れなら私もしょっちゅうよ」などと返されることが多い、と話していましたが、ナルコレプシーにも同じことが起こりがちです。「昼間に眠くなることなんて私もあるよ」。誤解も同調ベースならまだよいのですが、ナルコレプシーの症状はどうしても「居眠り」「怠けている」といった規律に反する行為だと見られてしまう。日中の睡眠に対するこのスティグマ(ネガティブなレッテル)が、本人にも恥の感情をもたらします。

 駒沢さんも、症状を隠そうとしていたと言います。小学校のころ、あちこちで寝てしまうため、親に注意されることが多かった。それでも友達の家に遊びにいっている間などに、どうしても眠くなってしまう。それで駒沢さんは、トイレに隠れて寝るようにしていたと言います。知られたら怒られると思っていたので、自分ひとりで対処せざるを得ませんでした。

 それでも小学校のころは、まだ授業中に寝てしまうようなことはなかったのですが、中学生になると徐々に症状がひどくなっていきます。授業中に寝てしまい、徐々に学習についていけなくなってしまいます。成績が下がったことで、親にはますます怒られるように。駒沢さんはいっそう自分の症状について周囲の人に相談するのが難しくなってしまいます。

 一方で先生に対しては、眠っている=怠けていると思われているのではないかという焦りから、合唱部の活動にのめりこんでいくようになったと言います。合唱をがんばることで、先生からの信頼を取り戻そうとしたのです。でもそれも、親からは「部活をやっているから眠くなるんだ」と責められてしまう。駒沢さんは板挟みになっていました。

 当時は駒沢さん自身も、この眠気が「症状」であるとは思っていませんでした。インターネットもなく、眠くなる病気があるなど、世の中ではまだほとんど知られていない時代です。なぜ起きていたいのに眠ってしまうのか。自分のがんばりが足りないのではないか。そもそも、睡眠障害の症状だけでは、ナルコレプシーであることが気づかれにくいといいます。社会が向ける「怠惰」のイメージを当事者自身も内面化してしまい、自分を責め、恥じてしまうのです。

 駒沢さんの苦労が、学校生活において顕在化したというのは象徴的です。なぜなら、明治以降、「時間を無駄にしない」「時間を守る」といった時間規律を身につけさせることが、学校の重要な役割のひとつだったからです。

 ヨーロッパでは14世紀に機械時計が登場し、15世紀に定時法が普及、その後産業革命による大型機械の登場と鉄道の普及によって、現代の私たちにつながるような時間感覚が作り出されました。それは単に「時間を守る」だけでなく、「みんなが同期している」という時間感覚のことです。標準時の誕生によって、離れた土地の人々も同じ時間を共有しているという感覚が生まれました。

 明治になり開国すると、こうした時間感覚が一気に日本にも入ってきます。幕末に来日した外国人の記録によると、江戸時代の日本人の時間感覚はかなりルーズだったようですが、明治に入って近代化されると、一気に更新されていくのです。そこで大きな役割を果たしたのが学校でした。[2]

 たとえば、当時の尋常小学校で使われていた教科書では、「時は金なり」というベンジャミン・フランクリンのものとされる格言が紹介されています。教科書の説明によれば、この格言は、「時間は金のように尊いものなのだから、無駄にするべきではない」という意味です。西本郁子が指摘するように、ここでの主眼は「時間厳守」でも「効率重視」でもなく「勤勉」でした。「毎日規則正しい生活を送り、寸暇を惜しんで絶えず学び、その長年の蓄積によって優れた人物になり、学問なり芸術(あるいは軍事)において立派な業績を築きなさい」[3]。だからこそ、一分でも遅れるとすべてが無になるシンデレラの物語ではなく、努力の蓄積や蓄財を意味する「時は金なり」という格言が選ばれたのでした。

 このような思想のもと、明治の学校では、それまでの寺子屋とは異なる、厳密な時間区分にもとづく教育が実践されていきました。授業開始十分前の登校、時間割の制定、授業開始や終了の時刻を知らせる鐘の普及、遅刻の禁止。駒沢さんが苦労した学校生活は、そもそも子供たちの活動をひとつの時間のもとに同期させ、かつ一分たりとも時間を無駄にしないという勤勉の思想を教え込む場として誕生したものです。そこにおいて「眠ること」は、規律によって維持された同期から外れることであり、勤勉さの喪失、すなわち怠惰を意味するものとされてしまうのです。

 こうした教育の効果に加え、近年では、情報テクノロジーの登場が、私たちの時間感覚に大きな影響を与えています。睡眠が、文字通り「金にならならいもの」とみなされるようになっているのです。人々の関心や注意それ自体が経済的価値を持つというアテンション・エコノミーの考え方にとって、睡眠は、昼の眠りであれ夜の眠りであれ、経済的価値を持ちません。「ユーザーの注意を少しでも長くデバイスやサイトに引き付けておくことが儲けにつながる」という発想からすれば、人々を眠らなくすることが利益の最大化につながる、ということになってしまいます。

 2013年に出版されたジョナサン・クレーリーの『24/7――眠らない社会』は、まさに不眠社会に向かおうとする私たちの現状を描いたものです。それはスマホ等によって人々の生活が24時間管理されている社会であり、睡眠がもはや「スリープモード」、つまり休止ではなくスタンバイとして、覚醒に対する従属的な状態として位置付けられるようになった社会です。クレーリーによれば、すでに19世紀半ばまでに睡眠と覚醒は非対称的なものとして理解されていました。つまり睡眠は、「より複雑な脳活動が抑制されている」状態、「低級で原始的な様態への退行」として理解されるようになっていたのです。情報テクノロジーはこうした階層化された覚醒と睡眠の関係を、極限まで推し進めるエンジンになっていると言えます。[4]

 しかしだからこそ、睡眠は、そのような過剰なアテンション・エコノミーに対する強力な「アンチ」になる、ともクレーリーは指摘します。食欲や性的欲望、あるいは友情といった人間の生にとって欠かすことのできない必需品がすべて商品化され、作り直されてしまった時代において、睡眠だけが、「植民化できないもの」として残り続けているからです。このように、睡眠は、その時代の社会の価値観やテクノロジー、経済システムによって、さまざまに意味づけを変えられているものです。

 

『家庭の医学』と新聞記事

 

 さて、だいぶ話が大きくなってしまいました。改めて駒沢さんの話に戻りましょう。

 「寝てしまうのは怠惰だからだ」と人から思われ、自分もそれを恥じ、人に相談もできない状況のなか、駒沢さんが「これは病気なのではないか」と自覚する出来事がありました。中学生の頃のことです。

 その日は、関東大震災の日か何かで、クラス全員で黙祷をすることになりました。目を閉じ、祈りを捧げる。やがて黙祷の時間が終わり、教室がガヤガヤし始める。駒沢さんも目を開けました。ところが、隣の席の男子に意外なことを言われたのです。「おまえ寝てて寝言も言ってたぞ」。黙祷をしていたつもりなのに、実は寝てしまっていたのです。

 つまり駒沢さんは、自分としては黙祷をしたつもりであって、寝たことに気がつかなかったのです。しかも寝言を言っていたということは、夢を見ていたということになります。現実と夢が混じりあってしまっている。「ちょっとおかしい」「普通じゃないな」。駒沢さんは、自分の眠気が他の人の居眠りとは違う異常なものであることを確信します。

 ネットもない時代、まず手に取ったのは、家にあった『家庭の医学』でした。その中の「こころの病気」のセクションに、睡眠の異常のページがあったそうです。そのページをめくっているときに、駒沢さんはある記述を発見します。ページの大部分は不眠症についての記述だったのですが、最後に付け足すように書いてあったのです。「まれに眠くなるナルコレプシーという病気がある」。それを読んだとき、駒沢さんは「一筋の光が差した」。眠いのは怠けているせいではなく、病気のせいなのではないか。それは、睡眠に対する社会的なスティグマから距離をとるための、最初の一歩でした。

 とはいえ、まだ中学生ですから一人で病院に行くのは難しい。親に相談するにしてもこれまで理解してもらえなかった経緯があり、さらに精神科や精神病院に行かなければならないというのが心理的なハードルになっていました。

 結局、駒沢さんは高校生になるのを待ってから、ひとりで病院にかかります。電話帳でようやく見つけた、精神科があるとなりの市の総合病院でした。そこで検査をして、最初の病院でナルコレプシーという診断がおります。病気だと分かり、これで親にも言える。ホッとしたと駒沢さんは言います。

 ここから、駒沢さんと病院との関わりが始まります。ですが知識のない医師も多く、病院につながったから安心、というわけでもありませんでした。移った都内の大きな病院の受付で症状を伝えたら、「えーっ?」と不思議な顔をされ、紹介された先生も事典を見ながら薬を処方する始末。ただ、もらった薬はよく効いて、「この薬は生きていくためには欠かせない」と強く思ったと言います。一方、通院のために高校に遅刻しなければならなくなり、その理由を友達に隠そうとして、どんどん悩んで自分の殻に閉じこもってしまいました。

 最終的に今の主治医に辿り着いたのは、大学生のときでした。きっかけは神保町の三省堂で見つけた医学書と、新聞の記事でした。最初にナルコレプシーという病名を知ったのも『家庭の医学』でしたが、ネットのない時代でかつ頼れる人もなく、今回も駒沢さんは自分で道を切り開くしかありませんでした。

 

スイッチがゆるゆるしてる

 

 自分で必死に情報を集め、眠気が怠惰ではなく病気のせいであることを証明できた駒沢さん。このことに加え、ちょうど90年代に、筑波大学の柳沢正史氏と櫻井武氏によって、「オレキシン」という物質の働きが解明されたことも大きかった、と語ります。

 駒沢さんの説明によれば、それまで、オレキシンは「眠気のもとをつくる物質」だと考えられていました。けれどもそうではなくて「睡眠と覚醒のスイッチを固定化する物質」だということが分かった。駒沢さんのようなナルコレプシーの患者さんは、オレキシンを作り出すことができないので、「スイッチがゆるゆるしてる」。「それなんで、ちょっとした刺激で睡眠に行ったり、覚醒に行ったり、ということを常に繰り返している」。それまでは「レム睡眠とか言ってもよく理解されなかった」のに対し、オレキシンのおかげで「普通の居眠りとの違いが分かりやすくなった」と駒沢さんは言います。

 興味深いのは、オレキシンに関する科学的発見によってナルコレプシーの説明がしやすくなった、という点です。科学的な知見が増えれば現象が分かりやすくなるのは当然ではないか、と思われるかもしれませんが、必ずしもそうではないように思います。なぜなら、それまでも「レム睡眠」という科学的な概念による説明は一応可能だったからです。謎だとされていた現象が解明されて理解できるようになったのではなく、別の説明原理が登場したことによって理解可能性が上昇した。ここにあるのは、「誤謬の修正」ではなく、「新しいナラティブの登場」です。

 「オレキシンがないからスイッチがゆるゆるしてる」という駒沢さんの説明を聞いて私がイメージしたのは、シーソーのようなメカニズムでした。板の右が下がれば〈覚醒〉、左が下がれば〈睡眠〉。オレキシンがあれば、中心の支点部分をロックすることができるけれど、オレキシンがない駒沢さんのような人の場合には、ロックすることができない。だから、板の右が下がって〈覚醒〉になったり、かと思ったら左が下がって〈睡眠〉になったり、ふらふらして固定されることがない。この不安定さがナルコレプシーである。そんなふうに理解しました。

 「スイッチ」は、以前のくり茶さんの語りにおいてもキーワードになっていました。どちらも、「自分ではコントロールできない自発的なもの」という点では共通しており、それ自体、当事者の「意志の弱さ」を糾弾するスティグマ的言説を相対化する力を持っています。「スイッチ」は、自分ではどうにもならない、自動的なものだからです。

 一方で、二つのスイッチには根本的な違いもあります。くり茶さんのスイッチが「一度入ったら止められない」という絶対的なものであったのに対し、駒沢さんのスイッチはむしろ「行ったり来たりしてしまう」という不安定なものだからです。

 ナルコレプシーの説明原理としてゆるいスイッチが革新的なのは、覚醒をON、睡眠をOFFと捉えていないことです。クレーリーが「階層モデル」として指摘したとおり、私たちは睡眠ではなく覚醒を上位のものとしてとらえがちです。自分の人生の中心はあくまで覚醒であって、その余白が睡眠。睡眠を非覚醒とみなすことはあっても、覚醒を非睡眠とみなすことは極めて稀です。あくまで覚醒が意味のある「図」であり、睡眠は覚醒を引き立たせるための「地」にすぎない。そんな見方が一般的であるように思います。

 一方、オレキシンが関わるスイッチは、覚醒と睡眠を、等価な二つの選択肢ととらえる見方を私たちに提示します。覚醒=ON、睡眠=OFFではなく、覚醒=右、睡眠=左。二つが等価になることによって、ナルコレプシーの人は「覚醒すべきときにスイッチを切っている」のではなく「覚醒と睡眠のあいだを行ったり来たりしている」というイメージが生まれます。「さぼっている」のではなく「境界線の上で彷徨っている」。これが、ナルコレプシーのスイッチが「新しいナラティブ」たるゆえんです。

 このナラティブは、階層モデルにしたがった睡眠観を、鮮やかに書き換えるものになっています。科学的な知見が一般に流通するとき、専門用語のままでは伝わらないので、しばしば誰にでも分かりやすいような表現が用いられます。もっとも、そのような表現は「血液サラサラ/ドロドロ」のように過剰に不安をあおるレトリックになる場合もあるので注意が必要ですが[5]、ナルコレプシーのゆるいスイッチのように、新しいナラティブを作り出し、社会的なスティグマに対抗する言説になることもあります。科学的なものと物語的なものは、無縁であるどころか、むしろ密接に関わっています。

 駒沢さんがしばしば口にする「理性のたががはずれる」という表現も、こうしたゆるいスイッチのイメージの延長にあるように思います。ナルコレプシーの患者さんは、スイッチがゆるいため、逆に夜は何度も起きてしまいます。寝たり起きたりを繰り返してしまうのです。しかもその間、ものすごくお腹がすいて、夜から朝にかけてものを食べてしまうのだそうです。「睡眠中に食べたくなるのは、主治医の先生によると、眠たくなると理性のたがが外れるかららしいんですよね」。理性のたがが緩みやすく、簡単に外れてしまう。その結果、食欲が解放されて過食をしてしまうイメージが浮かびます。

 

情動脱力発作

 

 さて、ここまではそれ自体は苦しくないにもかかわらず、社会的なスティグマによって苦労が生じる「眠気」をめぐる症状の話でした。しかし、冒頭に書いたように、駒沢さんにはさまざまな症状があります。ここからは、それ自体が直接的な苦痛をもたらす症状について考えていきます。

 駒沢さんが「非常につらい」と訴えるのは、「情動脱力発作(カタプレキシー)」の症状です。情動脱力発作とは、感情が揺れ動くと筋力が脱力する、という症状のこと。喜怒哀楽どの感情でも、高ぶると、体の力が抜けて動けなくなってしまうのだそうです。ナルコレプシー=眠くなるというイメージが強かったので、最初にこの話を聞いたとき、私はずいぶん意外な印象を受けました。しかし、ナルコレプシーⅠ型の人には典型的に見られる症状なのだそうです。

 力が抜けるというとリラックスして楽になるような印象がありますが、情動脱力発作は、動かそうとしても体に命令が出せない状態です。要するに、「金縛り」と同じ状態。意識は明瞭なのに、体に閉じ込められて身動きが取れなくなっているので、強い苦痛を伴います。

 症状の出方には程度があり、軽い場合には、症状があらわれるのは体の一部分のみで済む、と駒沢さんは言います。友達と話をしていて面白くなり、舌の力が抜けて舌がもつれ、言葉になりにくくなる、というような場合です。軽ければ、他の人が気づかないこともある。「聞いている方は、なんか喋り方がおかしいなって思うかもしれないですけど、そういうときはすぐ戻るので、あまり気づかれないかもしれないですね」。

 一方、重い場合には、全身の力が抜けてしまいます。駒沢さんが見せてくれた動画では、ある女性が、バドミントンをしているときに発作が起き、全身の力が抜けて芝生の上に倒れこんでしまっていました。はたから見ると眠っているように見えるのですが、駒沢さん曰く「意識もあるし、戻りたいと思っているんですけど、体が動かないんですよね」。駒沢さんの場合はさらに呼吸も乱れるので、息ができなくなるような恐怖があると言います。「金縛り状態をとにかく解かなきゃ、と思うので非常につらい」。

 また発作が起きるきっかけも、必ずしもショックを感じるような強い出来事である必要はないそうです。駒沢さんの場合は陽の感情のほうが症状が出ることが多く、「特に人と会って楽しく、ウケるような話をすると、必ず起きます。人がいる場所はどうしても起きやすいんですよね」。一方、人と会っていないようなとき、「空想していてウキウキする」だけでも、「くにゃっとなる」そうです。

 さらに、「喜怒哀楽」のような明確な輪郭がないように見える感情でも、情動脱力発作は起きるそうです。たとえば、宅急便が来ることがわかっていて、ピンポンが鳴った瞬間。「あ、来たなと思って立ち上がろうとすると、ぐにゃっとなります」。予定していたものが来た、というちょっとした気持ちだけで力が抜けてしまうのだそうです。症状が起きそうになったら、阻止しようとして、まずはいったん立ち止まって冷静になる。それから倒れないように、壁に寄りかかったり手をついたりする。感情が起こること自体は止められないので、症状が広がらないように我慢したり抵抗したりします。

 駒沢さんは、情動脱力発作の症状が非常に強い方です。なので、その症状をかかえたままでは外出できず、人にも会えなくなってしまう。そこでふだんは薬を飲み、症状を抑えています。駒沢さんの場合、薬を飲んでいれば、日常生活の中で急に眠くなったり、情動脱力発作が起こることは基本的にありません。

 生きていくために薬が必須である駒沢さんは、「薬のケースを探すのがライフワーク」と笑います。駒沢さんが使っている薬は、パッケージに入っておらず、そのままチャックのついた袋に入れて渡されるのだそうです。それを小分けにして日常的にかばんに入れて持ち歩く。高校生時代は「フリスクの容器に入れて、薬っぽく見えないようにしていた」と言いますが、インタビュー時はかわいいキャラクターもののケースを見せてくれました。

 

薬の社会的副作用

 

 直接的な苦痛のある症状に対しては、薬を使って緩和することが有効です。いわば、「薬によって症状をなかったことにする」。薬は、その症状に苦しむ人にとって大きな希望であり、必要不可欠なものです。患者さんの社会参加を可能にします。

 しかしながら、薬は単純によいものとも言い切れません。患者さんの体への副作用が問題になることもありますが、ここで注目したいのは、薬の社会的な副作用です。薬は、社会参加を可能にすることによって患者さんを結びつけると同時に、分断を生み出すこともあるからです。

 それは駒沢さんがナルコレプシーの患者会に参加したときのことでした。薬を飲んでも日常生活が送れない患者さんに対して、同じ病気の仲間が責めるような場面があったと言います。

 

患者会の中でもお薬を飲んでうまく折り合いがつけられない方に対しては、すごく厳しかったです。それもわたしはすごく嫌で。みなさん、努力して、この病気に折り合いをつけてきたっていう気持ちが強かったからだと思うんですが、折り合いがつけられない人に「真面目に治療を受けてないからだろ」とか言ったりしていて、辛かったですね。

 

 薬を飲んでも日常生活を送れないのは、真面目に治療を受けていないからだ。「怠けている」というナルコレプシーの患者さんが社会から押し付けられてきたスティグマが、患者同士のあいだで反復されているのを見るのは、辛いことです。本当は、薬の効き方は人によって違うし、また薬が効かない症状をかかえている患者さんもいます。駒沢さんによれば、「ひとつの病気しか抱えていない人のほうが少ない」にもかかわらず、「西洋医学は併発に弱い」。実際の症状は複雑であるにもかかわらず、薬があることによって、それですべてが解決するような印象が生まれてしまいます。結果、個人の事情が尊重されないまま、薬の力を活かせない患者さんが差別されてしまう。薬によって分断が生まれています。

 しかも、そう言われた人が、差別されていることに気づいていないケースもある、と駒沢さんは言います。「自分が悪いと思ってる。わたしはその話を聞いたときに、それは差別だよ、症状は個人差があるよ、と言いました。周りの人からがんばって病気に打ち勝っている患者当事者もいるのに、そういう彼らに失礼だとも言われていて、なにそれ、と思いました」。怠けていない、ということを証明することに躍起になってしまうのか、どの眠気が病気の症状で、どの病気が自分の怠けからきているか、切り分けようとする人もいたと言います。苦しんでいる人が責められ、また自分を責めてしまうような構造が、患者会の中にはありました。

 なぜ薬によってそのような分断が生まれてしまうのか。駒沢さんは、患者さんたちのあいだに「薬さえ飲めば、自分たちは普通の人と変わらない」と信じたい気持ちが強くあったのではないか、と分析します。薬は、自分たちの症状をなかったことにしてくれる。症状がなかったことになれば、自分たちは「普通の人」でいられる。そう思うことが気持ちの支えになる。患者さんたちのあいだにそのような強い信念があったがために、「薬を飲んでもうまく病気と折り合いがつかない人」は、自分たちがすがりたい信念をゆさぶるような「反例」に思えてしまった。あるいは自分たちの希望を打ち砕く「異端」のように見えたかもしれない。だからこそ、「真面目にやれ」という、おそらく彼ら自身が一番言われたくない言葉を、「反例」「異端」に対してぶつけたのではないか。駒沢さんはそう分析します。

 薬をうまく使えない人に厳しく当たるのは、年齢的には上の世代が多かった、と駒沢さんは言います。患者会の分断は、世代間の分断でもあるのです。ただし、年上の患者たちがそのような態度になるのも分かる、と駒沢さんは言います。上の世代は、薬がまだない時代を知っている世代です。つまり、苦労している仲間をたくさん見てきた世代です。それは同時に、今よりも「勤勉」に対する規範が強かった時代を生きてきた世代でもあります。苦しみが大きかったからこそ、新しく出てきた薬に対する期待が大きい。駒沢さんは、ある年上の患者さんの話として、こう語ってくれました。

 

その人[年上の患者さん]が、病院に初めて来たときは、お薬の対処療法が確立していたんだけど、もっともっと上の世代の人たちは、お薬の対処療法が確立していなくて、苦労が全然違っていた、という話をしてくれました。当時は戦争中で、ものすごくひどい扱いを受けたという話ばっかりしていて、それが辛かった、だから明るい話がしたかった、と。今はお薬を飲めばなんとかなるんだから、みんなでがんばっていかないと、今まで苦労してきた方々に申し訳がたたない、と。それを聞いてなるほどな、と思いましたね。

 

 戦争中にナルコレプシーの患者さんが経験した苦労は、想像にあまりあります。薬を使ってうまく日常生活を送れるようになれば、かつての世代の苦労も報われるのではないか。世代間の分断と見えた言葉の背後には、実は別の形での前の世代との連帯があります。希望を夢見ることが必要だった時代と、現実の多様性を見るべき時代。いつ薬と出会ったかによって、同じ患者さんでも病気に対する捉え方は違っています。

 駒沢さん自身も、人に伝えるときに迷うと言います。というのも、希望と現実は、時代ごとの価値観の差であると同時に、時代を超えて常に必要な二つの要素でもあるからです。ナルコレプシーについて一般の人に伝えるときに、「お薬をのめば病状が安定する」と言ったほうがいいのか、「やっぱり苦しんでいる人はいる」というふうに伝えたほうがいいのか。「病気を早めに知ってもらって、早めに病院に行ってもらうためには、お薬である程度コントロールできるようになりますよと啓発していくんですが、そうするとそれを見た健常の一般の方からしたら、お薬飲んだらなんとかなるという理解になり、同病者の人であなたは薬を飲んでるのになんとかなってないのは、あなたの怠けではないのか?と言われたりする」。薬があるからこそ、より繊細なコミュニケーションが必要になります。

 

体ってほんとうによくできてる

 

 このように薬は、患者さんに「普通の人になれる」可能性を与えるものです。苦痛がなくなるという意味ではそれはすばらしいことですが、他方で、症状を消すべきネガティブなものとだけ捉えることにつながります。これは、自分で自分を差別しているような状態です。症状=ネガティブなものという見方が固定してしまうと、身体に起こっている現象を観察し、それが持つかもしれない意味や価値を創造的に問い直す機会を奪うことにつながりかねません。

 たとえば私も当事者である吃音は、現時点では症状を治す薬は存在しません。ですので、当事者たちには、どもりとともに生きていくしか選択肢はありません(工夫によって隠すことはできますが)。それ自体はつらいことともいえますが、「普通の人にはなれない」からこそ、どもりながら生きていくことの積極的な意味を探索する方向へと、当事者を導いているようにも思えます。

 たとえば、PWSC(People Who Stutter Create)という吃音当事者のコレクティブがあります。彼らは2024年7月の今、NYの街角に、とあるビルボード型の作品を展示しています[6]。そこには、スペイン語、中国語、英語でこう書かれています。「吃音は時間を作りだせる(Stuttering can create time)」。

 ナルコレプシーとは性質が違いますが、吃音もまた、社会の標準的な時間感覚を乱す存在です。音につまったり、同じ音を繰り返したりして、発話に時間がかかるからです。でもそれを、ここでは「時間を作り出せる」と積極的に解釈している。効率ばかりが求められ、すべての情報があっという間に流れていく都市の生活のなかで、吃音は相手の話にじっくり耳を傾ける時間を作り出す、ということでしょうか。

 実際のビルボードの文字は、「S」が横に伸びていたり、中国語の「創」が「創創創創創創創創創創創創」となっていたりして、文字自体が「どもって」います。デザインのレベルでもどもりのかっこよさを追求しています。

 これから先、もしも吃音の薬ができたら、おそらくこういった活動はなくなるか、かなり下火になってしまうでしょう。薬に限らず、人工内耳などを含めたテクノロジー一般に言えることですが、あるテクノロジーの誕生が、その障害や病のまわりに生まれていた「文化」の死につながることがあります。テクノロジーは万能ではないにもかかわらず、その意味や価値を問う活動が失われていく。テクノロジーと文化のどこを妥協点として考えるかは、非常に難しい問題です。

 駒沢さんにインタビューをしている間、彼女が何度も口にしたのは、「人の体ってほんとうによくできてる」という感嘆の言葉でした。これだけままならない体を生きているにもかかわらず、なぜ「よくできている」と思えるのか。なぜ薬を使いながらも、決して症状のことをネガティブに語らず、その意味や価値を探究する姿勢を保ち続けられるのか。そのことが不思議でたまりませんでした。

 理由を聞くと、彼女は30代で受洗した経験について話してくれました。25歳でお母さんを亡くし、その喪失感が癒えないなか、駒沢さんはある神父の本に出会います。「今のわたしの大きなターニングポイントになったのは、わたしの中では信仰の部分がとても大きくて」。

 駒沢さんは特に、新約聖書「コリント信徒への手紙一」のなかの、体について書かれた箇所に救われた、と言います。それによれば、「体は多くの部分から成り立っていて、そのすべての部分が調和がとれていて、どの部分も尊い」。この一節は、体について書かれていると同時に、人間ひとりひとりを「器官」とみなす見方を提示しています。駒沢さんは言います。「自分は今のままでいいんだな、周囲よりできなくても何かしら役にたっているんだ、ということを実感した瞬間でした」。

 この気づきは、その裏側に、ある「とらわれ」があったことの発見でもありました。当事者でありながら、自分は病気を否定していたのではないか。自分の中にもまた、あの上の世代の患者たちと同じような、「普通の人にならなければならない」というプレッシャーがあって自分をしばっていたのではないか。駒沢さんはこう語ります。

 

薬を飲んで、一般の人にどれだけ近づけるかということを、ずっと考えていて、必死に合わせようとしていたんですよね。そのことに疲れてきていたんだと思います。やっぱり限界ってあるんだなと思うし、上の世代の方々が「薬さえ飲めば変わらない」と言っていたけれど、今までわたしの中でもそういう考えがあったんだなと思います。でもそこまでやる必要なないんだ、って感じるようになって、むしろ、なぜ一般の人に合わせなければいけないのかなと思うようになりました。

 

 なぜ一般の人に合わせなければいけないのかな。「差別反対」と口で言うことはできても、心の底から自分の中にある差別意識を手放し、自分の体に目を向けていくことは容易ではありません。駒沢さんは、受洗をきっかけにして、その別の道にすすむ可能性を手にした。「体ってよくできている」という感嘆の背後には、社会、薬、仲間、さまざまなものが絡まり合った、駒沢さん自身の歴史があります。ここには、薬というテクノロジーと、症状の意味を問う文化の両立があります。

 

[1]  駒沢典子さんさんへのインタビューの全文は、こちらで公開しています。

[2] 橋本毅彦、栗山茂久編著『遅刻の誕生』(三元社、2001)pp. 3-6

[3] 西本郁子「子供に時間厳守を教える――小学校の内と外」、同上、p. 175

[4] 『24/7――眠らない社会』(岡田温司監訳、石谷治寛訳、NTT出版、2015)、pp. 18-19

[5] 磯野真穂『他者と生きる――リスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社新書、2022)第2章

磯野によれば、「血液ドロドロ/サラサラ」というオノマトペは、脳梗塞のリスクを表す表現として用いられ、抗凝固薬の効果を説明する言葉として登場した。しかし、抗凝固薬の薬効は血栓をできにくくすることであって、ドロドロだった血液をサラサラにするわけではないので、薬理学的には不正確である。この表現が一般化したのは、1997年に放送されたNHK「ためしてガッテン」において、高脂症ではない血液の状態をあらわす表現として用いられたことがきっかけである。

[6] People Who Stutter Create: Stuttering Can Create Time

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著者略歴

  1. 伊藤亜紗

    東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。専門は美学、現代アート。主な著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)〔のちに『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)〕、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社メチエ)、『きみの体は何者か』(ちくまQブックス)、『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』(文藝春秋)、『感性でよむ西洋美術』(NHK出版)など多数。

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