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音声学者とーちゃん、娘と一緒に言葉のふしぎを見つける

音声学とうた ゴスペラーズ北山陽一さん×川原繁人さん対談(前編)

今回から3回は番外編! 川原先生とゴスペラーズ・北山陽一さんの、「音声学と歌」をテーマにした対談をお届けします。プロの歌手の方の歌にとって、音声学はどんな意味を持ちうるのでしょうか?


音声学は歌の役に立つ!

北山陽一さん(以下:北山) 川原先生のことは多分、ツイッターか何かで知って、偶然にも慶應の先生だったので(北山さんは現在SFCの大学院生)、授業を受けさせてもらったら、歌手の自分にとって想像を超える知識が得られたので、これはまずいおもしろすぎるぞと思って(笑)。以来、授業の外でも意見交換などさせてもらっています。

川原繁人さん(以下:川原) こちらこそ北山さんから沢山のことを学ばせて頂いています。北山さんのご紹介で、声優の山寺宏一さんを授業のゲスト講師にお招きすることも実現しました。その授業の中で、山寺さんの演じ分けを音声学的に分析させてもらったんですよね。例えば「チーズ」の声を出しているときには、声の高さが何ヘルツになっているとか、「カバお」の声の時は声帯が緩んで、舌が後ろに下がりつつ顎が開いているとか、「銭形警部」の声を出しているときには、喉頭のここが閉まってここの部分が震えているとか。山寺さんの演じ分けのすごさは世間のみなさんもご存じのところだとは思いますが、音声学的な観点から分析してみると、声帯・顎・口蓋帆こうがいはんなどありとあらゆる器官を操って、さらには呼気量・話速・リズムもコントロールして役を演じていることがわかりました。音声学者として非常に貴重な体験をさせて頂きました。

北山 音声学って、声を生業にしている人なら全員通るべき道なんじゃないかと思っていて。声優に限らず、歌手もなんですけど、感覚的にできてしまった人、あまり努力した自覚なくその声を勝ち取った人って、スランプに弱いというか、失ったときに戻ってくるのが大変だって一般的に言われているんです。声を作っているというよりは、そのキャラクターが動いているのを見たらその声になってしまう、自動的な処理が行われているみたいなので、なぜその声を演じられるのかっていうのはご存じないんですね。それを音声学的に解き明かすっていうのは後進の方にとっても資料になるものだろうし、声がデータになれば、客観的に何が足りないかってこともわかるし。もし、これだけトレーニングすると、向こう5年でこれくらいのレベルまで行けるよというのがわかるようになれば、やる気にもなりますよね。

川原 私は、音声学の知見がどれだけ日常生活に役立つんだろうっていう問題意識を常に持ちながら研究しています。ですから、このような形で音声学の知識を使ってくれる人がいると知れて、とても嬉しかったです。

北山 これは僕の素朴な解釈なんですが、日本語って発音の許容性が高いというか、広いと思っていて。「あ」と「え」の中間の音でも、前後の文脈でどっちなのか分類しながら聞き取れるし、舌足らずでも日常生活には支障がない。でも、プロとして声を扱うとしたら矯正が必要で、それをプロになろうと思ってから始めると遅い場合があると僕は思っていて。教養として、言葉を発するときに体で何が起こっているか、つまり音声学の概念を知っていれば、もう少し楽になると思うんです。例えば僕は川原先生の授業で、聴感上「さしすせそ」に聞こえる音がいくつかあるということを知ってから、いままで自分は最短距離の方法でさ行を発音してなかったんだな、ということがわかった。それから[s]が発音しやすくなったんです。意識的には閉じた歯の間をすり抜ける「ス」という音によって「さしすせそ」を出そうとしていたんですが、それだと顎の移動距離が大きくなってしまう。別の方法での「さしすせそ」は使っている部位が全然違うんですね。1 まずは2種類あるよってことを認識しないと使い分けられませんよね。それで、[k]とか[t]とか他の音についても知りたい、調べたいと思って。

レコーディングで、[l]や[n]の音が弱いって指摘を受けて歌い直す事がよくあるのですが、歌っている本人が認識している子音の強さと、レコーディングされている子音の強さには差があるので、そういう場合は、録音された音を聞いてすり合わせていくっていう作業の繰り返しになるんです。でもそこで音声学という基準を導入すると、すごく効率が上がるだろうし、歌手として傷つくことが減ると思います。

川原 同じ音を出すにしても、いろいろな口の使い方がありますからね。ちょっと専門的に言えば、違った調音(舌や唇を使って発音すること)を使っても同じ音響結果を出すことができる。英語の[r]の音が有名で、10種類以上の調音方法があるなんて言われていますが……。

おそらく、この話の直接のきっかけは、[s]と[n]を発音するときのMRIの画像をお見せした時ですかね。どちらも舌先を使う歯茎音だけど、[n]の時には口蓋帆が下がって鼻腔に空気が流れるという点で違って……というのを解説した時だと思います。

 [s](左)と[n](右)の発音時のMRI画像。国際交流基金日本語教授法シリーズ第2巻『音声を教える』(ひつじ書房)の付属CD-ROMより。舌の形は非常に似ているが、[n]の場合口蓋帆が下がって、鼻腔へ空気が流れる。

北山 人に「お前どうやって歩いてるの?」って聞いたら、意識しすぎてぎくしゃくしちゃうように、無意識にうまくやっている人にこの事実を伝えると、一旦できなくなると思うんですけど。僕は音声学をちょっとのぞいてみたら、「ここは楽園だぞ!」と気づいてしまったので(笑)、音声学のおかげで自分自身がどう変わったか、ということを発信していきたいですね。科学的なアプローチって、「表現力」の真逆のところにあるって思われがちというか、研究したりデータを取ったりっていうのは、感情を表現するものと距離があるような気がしますけど、データのおかげで、より自由に、鮮明に表現できるようになると思っているので。

川原 そうですね。「科学的に」というと、なんだか冷たくて難しいものに思われがちですが、私は「それは違う」と思っていて。だからこそ、「プリキュア」とか「ポケモン」とか「日本語ラップ」とかを対象にすることで、科学的な分析の温かさを伝えたいというか、冷たい部分と温かい部分をつなげたいというか。ですから、北山さんにそう言ってもらえて嬉しかったです。

我々の以前の会話の中でとても印象的だったのが、北山さんが、「歌うときには、背景音に埋もれないように子音の長さを微妙に調節している」とおっしゃっていたことです。

北山 例えば、ドラムと全く同じタイミングで発音された[k]や[t]は、相当な大音量でも聞こえにくいので、前後させるのが普通だと思いますが、[s]や[m]なら、長さを調整すれば浮き上がってきます。前の音やその後の母音との関連もあります。あとは、テンポの速い曲や言葉数の多い曲のなかで表現したいことが増えていくと、どうしても遅れちゃうという問題もあります。感情を言葉に載せようとすると重くなってしまって、グリッドのなかから言葉がこぼれてしまう。情報量を減らさず歌をもたらせずにスリム化するには、子音と母音の間をより滑らかに移行したり、子音自体を短くしたり、という工夫が必要です。でもそのフレーズに[s]が入っていると、僕の[s]は「時間がかかる」ので、他の音が犠牲になるわけです。なので、感情表現の量を減らすとか、母音を少し短くせざるをえなくなる。自分の発音のスキルがないことによって、表現の幅が狭まってしまう。でも、音声学のなかに、それを速くするためのヒントがあったんです。音声学を学んでから、ここはこっちで発音してみようかなって試行錯誤できるようになりました。

川原 私たち一般人は、歩くときにどこの筋肉を使っているかなんて意識しなくてもいいけれど、アスリートが世界記録を目指すときには、どの筋肉を使って走るかわかったほうがいい。同じように、プロが歌うときには、どの音を出すときにどの器官を使っているか意識できたほうがいい。例えば、[s]だったら舌先を使って歯茎あたりに狭めを作って、摩擦をつくりだす、みたいに。すると[s]の長さも調整しやすくなるのかな。声のプロの方々は、本当に何ミリ秒での調整が必要とされるでしょうから、その背後にある調音メカニズムを理解しているに越したことはないのかもしれません。音声学はそういう武器を提供できるのかもしれませんね。

北山 スポーツ科学を例にあげて言えば、走るメカニズムを科学することによって、子供たちに客観的なアプローチで教えることができる、という良いループができていますね。トップレベルの選手のために培われたものが、うまく利用されているというか。ちなみに僕の歌は音声学を学び始めたおかげで不可逆的に変わっています。20歳から歌を始めて、頭でっかちに歌ってきたほうなのですが。

川原 理論派なんですね。

北山 一般的に歌手は、自分を立て直すための助けとして、バランスを崩した時の補助輪のような感じで音声学から得られた知見を使ってるんじゃないかな。でも、僕は車輪そのものだと思うようになった。歌を歌う土台には当然、自然言語としての日本語があって、その理解のために音声学がある。音声学を学ぶことによって、自分の歌を再構築している感じです。

川原 音声学の授業では基礎として教えることなんですが、声帯って2枚あって、それが震えることで声が出ているとか、声を高くするときに、どの筋肉がどう動いて、どう声帯に影響を及ぼしているのか。もっと一般的に言うと、我々がどんな声を出すときに、自分の体のどこの器官がどう動いているんだろうとかっていうのは、意外と知られていないですよね。

北山 僕は特別招聘の教員として、SFCで「うた」、「うたう」という授業を担当しています。その最初の授業で「あなたにとって、うたとはなんですか?」というテーマで小論文を書いてもらうんですけど、歌ってあまりに普通のことだから、なんだろうって考えたことがある人はあまりいないですね。しゃべったり声を出したりと一緒で、日常的なことなので。

川原 声を出すと言うと、みんな喉から出てるでしょって思ってしまう。確かに、声の音源となっているのは喉の中に入っている声帯です。しかし、声帯を振動させるためには肺からの呼気が必要になります。でも、声を考えるときに、肺まで遡ってくれる人ってなかなかいないんですよね。肋骨周りの筋肉や横隔膜がどう動いて肺から空気を流しているのか、あまり知られていない気がします。「腹式」に対する迷信が顕著な例だと思いますが……腹から声を出せ、的な。胸式に対する憎悪というか(笑)。

北山 ありますね。例えば歌手の三浦大知君って、激しく踊りながら歌っているじゃないですか。どうやってるの?って聞いたことがあるんです。ダンスで膝を寄せるときも離すときも同じ発声をしているように見えたので。彼曰く、腹筋を使って歌ってる感じではないらしいです。

川原 胸を使って歌うとだめ、みたいに言われる方もいるようですが、ある古典的な研究で、声を出すときに胸の筋肉も同時に動いているということがわかっています。肺の大きさを調節するためには、腹式も胸式も両方使っているほうが自然なんですよね。 また胸式と腹式をどの程度使うかには、無視できないほどの個人差もあることがわかっています。

発話時の横隔膜や肋骨周りの筋肉の動き。縦線がそれぞれの筋肉の活性化を示している。Draper他(1959)の論文をもとに作画。

北山 楽器はメンテナンスに出せますけど、自分の声をメンテできるかは、どういう仕組みで声が出ているのかをどれだけ知っているかにかかっていると思います。ベーシストって、ベースのねじの材質にまで詳しかったりするんですけど、歌手って、自分の声のことをどれだけ知ってるんだろう?って。例えばアリアナ・グランデってモノマネがすごくうまくて、ブリトニー・スピアーズとかホイットニー・ヒューストン編集部注:ブリトニー・スピアーズは1:19、ホイットニー・ヒューストンは3:59ころから)とか、ぱっとできちゃうんですよ! きっと顎とか声帯周りの構造を熟知していて、声を聞いた瞬間にこうすればこういう音になるだろうとか、癖を含めて再現できるんですよね。日本では、松浦航大君なんかが自分の表現を持ちつつ、平井堅さんとか玉置浩二さんとかのモノマネをしているんですけど、多分音声学的なボイストレーニングをしていることで、自分の楽器の構造を理解しているんだと思います。

中編に続きます!

川原注釈
(1):北山さんの意識では、歯を閉じて歯の裏側に空気を当てて摩擦を作る方法で[s]を発していたようです。一方で、歯は閉じずに舌先を挙げて歯茎で乱流を作り、その乱流を歯の裏にあてて摩擦を増幅させる方法も存在します。前者の場合、口を閉じるために顎の移動距離も大きくなるため、後者の発音の仕方のほうが、楽に[s]が発音できると感じてくださったのかもしれません。
(2):[k]や[t]の破裂部分は非常に短く、長さの調整も難しいので、背景音に隠れやすい。一方で[s]や[m]は、子音自体の持続時間が長いので、このような調整が可能なのだと考えられます。
(3):Draper, M. H.,Ladefoged, P., & Whitteridge, D. (1959). Respiratory muscles in speech. Journal of Speech and Hearing Research, 2, 16-27.

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著者略歴

  1. 川原繁人

    1980年生まれ。1998年国際基督教大学に進学。2000年カリフォルニア大学への交換留学のため渡米、ことばの不思議に魅せられ、言語学の道へ進むことを決意。卒業後、再渡米し、2007年マサチューセッツ大学にて言語学博士を取得。ジョージア大学助教授、ラトガース大学助教授を経て、2013年より慶應義塾大学言語文化研究所に移籍。現在准教授。専門は音声学・音韻論・一般言語学。研究・教育・アウトリーチ・子育てに精を出す毎日。著書に『音とことばのふしぎな世界』(岩波科学ライブラリー)『「あ」は「い」より大きい!?:音象徴で学ぶ音声学入門』(ひつじ書房)など。

  2. 北山陽一

    1974年2月24日生まれ、青森県八戸市出身。ミュージシャン。慶應義塾大学環境情報学部卒。1994年12月、男性ヴォーカルグループ・ゴスペラーズのメンバーとしてシングル「Promise」でメジャーデビュー。以降、「永遠に」「ひとり」「星屑の街」「ミモザ」など、数々のヒット曲を送り出す。2019年にメジャーデビュー25周年を迎え、2021年3月にオリジナルアルバム「アカペラ2」をリリース。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科に在学中。

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