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優雅な貧乏生活

『鶉衣』その2 三大悪癖の一つ、遅刻

 

世に悪癖は多い中にも「遅刻」、「借金」、「嘘つき」といえば、人に迷惑をかける三大悪癖といってもいいでしょう。

この中で、もっとも新しくできたのは「遅刻」です。「遅刻」という言葉は明治以前にはほとんど見ることができません。遅刻という概念は、鉄道が敷かれ、時刻表ができたことによって一般化したようです。

それに対してこの中でもっとも由緒のある悪癖は「嘘つき」です。仏教の五戒・十戒のひとつにも数えられ、お釈迦様もこれをいましめめたほどです。

さて、この三大悪癖を横井也有やゆうはどう読むのか、『鶉衣うづらごろも』をひもといてみましょう。今回は「遅刻」です。

 

豊文朝顔図譜

 

遅刻の原因となる朝寝坊

さて、「遅刻」です。

…といっても、横井也有の生きた江戸時代には「遅刻」という言葉はほとんどなかったし、遅刻という概念もなかったので也有は遅刻については当然、書いていません。

でも、「学校に遅れる」、「会社の始業に遅れる」等々、私たちの遅刻の多くが朝寝坊が原因で起こります。春は春眠あかつきを覚えずベッドの中でうつらうつらし、冬は寒くて布団から出られない。小原庄助おはらしょうすけさんだって「朝寝・朝酒・朝湯が大好き」で身上しんしょうつぶしたと歌われます(…ってご存知ない方が多いかも:民謡「会津磐梯山あいづばんだいさん)。

『鶉衣』の中には「朝寝の辞」という文章があり、朝寝坊について書かれています。これを読んでみましょう。

「朝寝の辞」の最初は「神道・儒教・仏教とさまざまな教えがあるが、『朝寝をせよ』という教えはない」と始まります。

そりゃそうですね。

朝寝を戒める教えは数々ありますが、朝寝を勧める教えはありません。『鶉衣』の中にも、唐の玄宗げんそう皇帝が楊貴妃ようきひに朝の寝床で腰をマッサージさせて朝飯を忘れているいるうちに反乱が起きた話や、商家のドラ息子が遊郭の色や酒に耽溺たんできし、朝顔の花を知らず、万事は手代てだいにまかせているうちに身代の破滅がはじまった例などを挙げて、朝寝を戒めます。

早起きは三文の徳などともいいます。

しかし、と也有はいいます。下手に早起きをして人にとやかく言われるくらいなら、朝寝をしていた方がいいよ、というのです。ここから原文を読んでみましょう。

 

さはれ世にする事なきしゅうとめの、仏なぶりの朝起に、おも屋の家うちにそしられたらむより、これらは火燵こたつに火をおこす間を、うち寝がへりてもあれかし。

 

ちょっとわかりにく文ですね。

岩波文庫の注では「仏なぶり」について「信仰のためでなく、仕事のようにして仏に仕える」と書かれています。映画『どですかでん』の中にも、太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と大声で唱えるおばさんが出てます(原作『季節のない街』山本周五郎)。

そのような人なのでしょう。この文、現代語にしてみますね。

 

しかし、何の用事ない年寄りが、ただいつものお勤めだからと早起きして読経したりして、母屋の人たちから悪くいわれるならば、それよりも火燵こたつの火をおこす間を、寝床の中で寝がえりしていた方がまだましだ

 

早起きしてお経を唱える習慣があるお年寄りが、若い人からとやかくいわれる…とくれば、「ああ、これは『源氏物語』夕顔の巻のパロディか」と、本連載の読者の方の中には気づく方がいらっしゃるかもしれません。

最後は怨霊に呪い殺される、幸薄き女性、夕顔上ゆうがおのうえの家は、京都五条あたりの陋巷ろうこうにありましたた。彼女の家にはじめて泊った光源氏は、明け方近くに、「いかにも年よりらしい声(たゞおきなびたる声)」で勤行をする声を聞きます。「命なんて朝露のようなはかないもの。それにもう短い人生を、あんな年寄りにもなって何を欲しがって祈るのか」と光源氏は耳をすまし、まことに「こちたし」と感想をもらします。

「こちたし」は現代語にすれば「大仰おおぎょう」ですが、漢字で書けば「言痛し」・「事痛し」、聞いていてイタくなる。ありますでしょ。老人の「イタい」話や「イタい」行為。

…まあ、かくいう私も64歳。立派な老人です(笑)。気をつけなきゃ。

下手に早起きして若い者から「イタい」爺さんだな、婆さんだなと言われるよりは、布団の中で寝返りしていた方がまだいいよ、というのです。

ちなみに『源氏物語』では、ここで玄宗皇帝と長恨歌ちょうごんかのたとえなども引かれますが、これは先ほど也有が書いた玄宗皇帝の話と呼応しますね。也有の原文は「げにも唐帝の玉妃に腰うたせて、飯時もわすれ給ひたらむ」ですから、これは『長恨歌』が元になっています。

さまざまな古典作品が何層ものレイヤーとなって重なる。古典の面白さです。

 

鈴木春信「玄宗皇帝楊貴妃図」(MOA美術館)

 

芙蓉ふようとばり暖かにして 春宵をわた

春宵短きに苦しみ 日高くして起く

り君王 早朝せず

 

芙蓉の花を縫い込めた帳は暖かく 春の宵を寝過ごしてしまう

春の宵の短いことを苦しみ 日が高くなってからようやく起きる

楊貴妃と出会ってから 玄宗皇帝は早朝の政務をやめてしまった

 

 

 

朝寝こそ又おかしけれ(朝寝はすばらしい!)

さて、本当に朝寝をしたいのは眠りの浅い老人よりも若者です。ここら辺から朝寝のすすめになります。また原文から。

 

されば、用をかきても寝よとにはあらねども、三、四、五月の短夜に、枕加減のよき比は、朝寝こそ又おかしけれ。必ず目のさめぬにもあらねど、うつらうつらと夢見夢みず、花に朝日のにほひたるも、松に有明の残りたらむも、かのねやながら思へるは、起きてみるにもまさるべけれ。

 

むろん、用事がある人にまで朝寝をしろとは言わないけれども(されば、用をかきても寝よとにはあらねども)と一応のエクスキューズはして…

三、四、五月の短夜に、枕加減のよき比は、朝寝こそ又おかしけれ」ときます。

旧暦の三月は今の暦では四月くらい。ぽかぽか陽気の、まさに春眠暁を覚えずの季節です。夜が短く昼が長い。そういう季節は「枕加減がいい」ときた。朝寝の寝心地がいいのです。そういう季節の朝寝は「おかしけれ」、すばらしい!と。

完全に目覚めたという状態ではない、あのうつらうつらした、夢を見ているんだか、見ていないんだかの半覚半睡はんかくはんすいのとき。

「ああ、今ごろ桜の花に朝日が照らしてきれいだろうな」と寝床の中で想像してみる。また、「ちょうどあの松の辺りには有明の月がまだ残っているんだろうか」などと、これまたベッドの中で空想する。布団の中であれこそ想像するのは、実際に起き出して実物を見るよりも、まさっているといいます。

ちなみにここは『徒然草』のパロディです。137段にこんな文章があります。ちなみにこの段はこの前後も面白いので、ぜひ読んでみてください。

 

すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。

そもそも、月や花というものは、目でみるだけのものであろうか。春は家から出てわざわざ花見などしなくてもいいし、月の夜は寝室の中にいるままでも、どんな月だろうかと思いやっている方が、むしろ期待もふくらむし趣もあるというものだ

 

しばし気長にみゆるし給ふべし(気長に見守ってね)

さて、朝寝の楽しみは寝床の中の空想だけではありません。布団の中で眠りながら聞こえてくる音も面白い。あるでしょ。半分眠っているときに聞こえてくるテレビの音。不思議な幻影が脳裏に浮かびます。

テレビの音はちょっとうるさいけれども、江戸時代、寝床に聞こえてくる音は、窓の外を歩く豆腐売りの声。車井戸でガラガラと水桶みずおけを引き上げる音。そして雀が餌をついばみに集まってチュンチュンと鳴く声。そんな音などを枕元に聞いていると、まことに「幽閑の情に堪えぬ折り」、とても物閑かな思いで気持ちがいいと也有はいいます。

が、せっかく幽閑の情に堪えず、外の物音を聞いていると、「けうとき物申(ものもう)の声」がする。

「けうとし(きょうとし)」というのは「気うとし」。うとましいこと。

突然、大きな声で「ごめん下さい(物申)」という声がする。朝寝を楽しんでいるのに宅急便屋さんや郵便局のピンポンに起こされる、そんな状態。それが「けうとし(気疎し)」です。

しかたなく起き出して、やれやれと雨戸を一枚だけ開けて見ると、もう日は高く、10時くらいになっている。家で働いている童が気を利かせて顔を洗うためのお湯などをんでくれていたけれども、それも冷めてしまって、せっかくの心遣いを無にしてしまったようで、なんだかちょっと申し訳ない。

…と、ちょっと朝寝を反省したりもする。

でもね、という。

 

さればかしこげに朝起して、一日目のさめがたく、昼寝に光陰を盗まむより、枕序に朝寝たるこそましならめとさとりて、此睡工夫をなす事になむ有りける。

 

だからといって、賢げに早起きをしたはいいけれども、一日中眠くて、結局昼寝なんかして時間をムダにするならば、夜の枕のそのままに朝寝をした方がいいやね!と、また朝の眠りの工夫をするのですよ、と何とも気楽な横井也有です。

でも、確かにその通りですね。

そして、まとめがまた也有らしい。

 

さはいへ秋の夜長になりて、又朝起の面白き時は、たちまち朝起の男と呼ばるべければ、釈迦も孔子もしばし気長にみゆるし給ふべし。

 

とはいえ、季節が変わって秋の夜長になったら、朝起きが楽しくなって、絶対、俺「朝起の男」って呼ばれるようになるよ。そんなわけでお釈迦様も孔子様も気長に見守ってね~、と〆ます。

そして最後に一句。

 

鶯を夜にして聞あさ寝かな

 

早起きをすると「ホーホケキョ」とウグイスの声が聞こえる。でも、雨戸は閉めっぱなし。部屋の中は夜のまま。朝寝をしながら、夜の闇に聞くウグイスの声もおつなんもんです。

なんともいい気なものです。

 

Inagaki Tomoo "Cat"

 

ラテンなノボルーザ

私事で恐縮ですが、仲間たちと能の手法を使ったさまざまな演劇作品の創作・上演をしています。そのグループをマルチ・クリエーターのいとうせいこうさんが「ノボル一座」と名づけてくれました(私の名前が「登」なので)。しかし、うちのメンバーは、遅刻はするわ、違う場所に行ってしまうわとみんなゆるゆるです。

そこで、アート・ユニット"明和電機"のメンバーであり、大学教授であり、かつうちのメンバーのひとりでもあるヲノサトルさんは「ラテンなグループなのでノボル一座を『ノボル一ザ』と呼んだ方がいい」と言い、いまはそちらが通り名になっています。

さて、以前に「能」でブラジル公演を何度かしたことがあります。ラテンな人たちの国です。たとえば「会場入り14時」と言われて14時に行っても誰もいない。みんな15時くらいにたらたらとやって来る。日本人はだいたい13時30分に行くので1時間30分も待つことになります。

こういうことを何度か繰り返しているうちに、あるときに「時間通りに来てくれなければ困る!」と、とうとう怒りが爆発しました。怒ったのは私たちではありません。ブラジルの人たちです。

「14時といわれれば、ふつう15時に来るのが礼儀だろう」というのです。早く来るとは何事かと。

なるほど。確かにそれも一理あります。国によって時間感覚は違うのです(あ、いまはどうかはわかりませんし、出会った人が偶然そうだっただけかもしれません)。

日本にいても「ノボル一ザ」のように、ゆるゆるで生きていくことはできます。

朝寝の習慣がありながら、スウェーデン女王クリスティーナから招かれて宮廷に入り、朝5時から講義を行うようになって、翌月に体調を崩し風邪をこじらせて、肺炎で死んだデカルトの例もあります(違うという説もありますが)。

イギリスのオックスフォード大学のポール・ケリー博士は、早起きは決して三文の徳ではなく、むしろ健康にはよくないといいます。

ケリー博士によれば、世界中の人たちの睡眠パターンを分析して、年齢層ごとの推奨すべき起床時間と起床後の活動開始時間は、むろん個人差はあるもののおおむね以下の通りだそうです。

 

青年期(15~30歳)朝9時

壮年期・中年期(31~64歳)朝8時

高年期(65歳以上)朝7時

 

そして、活動開始時間は青年期ならば11時、壮年期・中年期は10時、高年期は9時が最適だとか。年寄りの早起きにつき合わされる若者はいい迷惑です。

さらに、早起きすることで起こりうる病気もあるとして、次のものを挙げています。

 

・メタボリック・シンドローム

・糖尿病

・高血圧

・心筋梗塞や脳卒中

・心不全などの循環器疾患

・HPA(視床下部-脳下垂体-副腎皮質)機能不全によるうつ病

など※1

 

こわいですね。

 

考えてみれば、江戸時代などは庶民が時刻を知るのはお寺の鐘。時を知るのは、鳴ってからです。鐘を聞いてから家を出るわけですから、到着時間も人によって違う。

これ、現代もそうだったらいいですね。何時に会社に入るという「出社時間」ではなく、何時に家を出るという「出家時間(って何か違う意味になりますが)」にする。それだったら満員電車も緩和されるし、眠さも減るので仕事の効率も上がるのではと思うのです。

 

ちなみに「遅刻」という語の初出は、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された安政7年(1860年)の「航米日録」らしい。でも、「航米」なんていうのは、特殊な人だけの話です。

「遅刻」が一般化するのは前述したように鉄道の敷設がもとだそうです※2。さらにそれを完璧にした人がいて、「運転の神様」といわれた結城弘毅ひろたけという人物だそうです※3。

日本の鉄道は確かに世界で一番正確ですが、そのおかげで時間にしばられるという窮屈な生活を強いられていることも確かです。

いい加減な鉄道と、ゆるゆる生活。どちらがお好みですか。

 

※『When Should We Start Work? Circadian Sociology Analysis of the Conflict Between Biological and Social Time』Paul Kelley

※2『遅刻の誕生ーー近代日本における時間意識の形成(三元社)』

※3『定刻発車ーー日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか? (新潮文庫)』

 

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著者略歴

  1. 安田登

    1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。 能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。 著書に『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』、シリーズ・コーヒーと一冊『イナンナの冥界下り』(ともにミシマ社)、 『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『あわいの時代の『論語』: ヒューマン2.0』(春秋社)など多数。100分de名著『平家物語』講師。
    https://twitter.com/eutonie

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