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迷路と散歩

6. 伊吹島――軽自動車がバスの島

 

 伊吹島は香川県の観音寺市の沖にある周囲が5.5キロの、人口300人あまりの小さな島である。

 前々からこの島が迷路だという話は聞いていて、地図で見てみれば、果して道路がいい感じに錯綜しており、迷路で間違いないと確信した。

 

 

 

 

 観音寺港からの船は1日5便あり、われわれは11時20分を目指して、観音寺駅からタクシーで向かった。

 港の前に「伊吹いりこセンター」というラーメン屋があって、大槻さんの事前の調査でおいしいと評判だというので、入ってみた。船に乗る人だけかと思ったら、わざわざここで食べるためだけに来ているお客さんも多いようだった。店の人はみな伊吹島のTシャツを着ており、伊吹島の島興しに力を入れているのがわかる。Tシャツを含むグッズ類も売られていた。そうまでして力を入れているラーメンだからおいしくないわけがない。大槻さんもおいしいおいしいと連発しながら食べていた。いりこなので、豚骨のようなこってり味とちがって、これはさっぱりと腹にもたれない。

 伊吹島へ向かう船は2階にデッキがあって、外に出られるようになっていた。私に言わせれば、船には2種類ある。デッキに出られる船と、出られない船である。私が好きなのはもちろん、デッキに出られる船だ。今回、全員が室内に入って着席する小さな高速艇じゃなくてホッとした。解放感が全然違う。多少寒くたって、雨でも降っていない限り、デッキで風を浴びながら乗るようにしている。

 この日は空も晴れ渡り、実に気持ちよく風に吹かれながら伊吹島に到着した。

 

 

 伊吹島は、強引に見れば、ハートのような形をしており、その一番下の尖がった部分あたりに真浦港がある。港からすぐに斜面になっていて、集落は上にあるようだ。右手の海べりには水産工場が建ち並んでおり、ハートの右半分をぐるりと歩く道があるようだが、迷路状なのは、上の集落なのでそっちには行かず、われわれはすぐに目の前の坂にとりついた。

 住宅が密集して建っており、そこここに狭い路地が見えて、早くも島が迷路であることが感じられる。漁村が迷路になりやすいのは、港の後背地が狭いわりに標高もある場合が多いため、どうしても斜面に家を建てざるを得ないからだ。斜面に町をつくろうと思えば地形に従うしかなく、まっすぐな道路を敷くことは難しい。

 われわれが登りはじめた島の幹線道路も、上るにつれて右にカーブしていた。坂がアルファルトでなく、コンクリートで舗装され、丸い溝がスタンプのようにたくさんつけてあるのは、急斜面あるあるだ。

 

道に丸い溝がたくさんある

 

 黒い瓦屋根と茶色い板壁、ときにはしっくい壁などの昔ふうの家が多く、道路脇には石垣が積んである場所も少なくない。直線の路地はあまりなく、どの道も曲がりくねって、かっこよくいえば有機的、かっこ悪く言えば場当たり的だ。

 少し歩くたびに分岐が現れ、ワクワクした。さしあたり島の中心とおぼしい八幡神社を目指して歩いていたのだが、脇道があまりにそそられたので、思わず曲がってしまったりする。曲がりたくなる路地が多いのだ。曲がりたくなる路地とは、自転車やバイクがぎりぎり通過できる程度の幅で、車が入ってこず、左右の家々が古くて、道の先が見通せない路地。

 行き止まりを恐れず、でたらめに歩いていくと、旧伊吹小学校の跡地に出た。地図に「トイレの家」というマークがあり、何があるのかと思えば、こげ茶色の建物が建っていた。文字通り中はトイレで、なぜ突然豪勢なトイレがあるのかといえば、ここは瀬戸内海の島々に散在する現代アートのひとつであるらしかった。

 私は以前、直島や豊島、女木島などを訪れ、島内にたくさんの現代アートが唐突に設置されているのを見たことがあるが、ここにも現代アートが進出していたらしい。私は現代アートに造詣が深くないので、とくに感想はない。そのことよりも、なにより、公衆トイレがあったことがありがたかった。コンビニもない島にトイレがあるかどうか心配だったからだ。

 現代アートだろうが、仮説トイレだろうが、どこかにトイレがあってくれないと安心して散策できない。

 自宅から散歩に出るときも、東京郊外の公衆トイレMAPを独自に作成して、現在地にもっとも近いトイレがスマホで瞬時に確認できるようにしてあるほどだ。だんだん私も熟年化が進み、トイレが近くなってきているのだった。コンビニもスーパーもない島で公衆トイレが見つからないとなると、おむつでも穿いてくるしかないから、本当に助かる。

 

トイレの家。家の形にスリットが入り、分解されることで、
中がちょっとした迷路状になっている。
島の家と路地を表現したものらしい。

 

 さて、そのトイレの前が八幡神社だった。ここを基点に島を反時計回りに散策していくことにする。一応幹線道路と思われる道が島を巡っており、そこにはバス停もあったから、バスが走っているようだが、とてもバスが走れる道幅と思えない。バスどころか普通乗用車でさえぎりぎりではないかと思ったら、空き地にバスが停まっていた。横面に、乗合バスと書いてあるから間違いない。バスは軽自動車であった。

 だろうな。腑に落ちた。これで十分ということなのだ。しかもその軽自動車、しっかり擦った痕がついていた。

 聞くところによれば、島にはオート三輪の消防車も残っているという。オート三輪が走っているとは、昭和っぽい。しかもそれが消防車。トゥクトゥクみたいな消防車にぜひ遭遇してみたいものだった。

オート三輪の消防車はこんな感じのようだ。

 

 幹線道路の途中に伊吹島民俗資料館があったので、入ってみる。

 かつて幼稚園だった建物を利用した手作りの資料館で、漁具や民具ほかの生活道具や、古い写真などが展示されていた。壁に貼られたパネルによると、伊吹島の人口は、最盛期の昭和30年頃には4000人を超えていたが、2016年には557人に減ってしまっている。今はそこからさらに減っているのではないかと想像するが、その先の展示はない。

 色あせたモノクロ写真のなかに、気になる新聞記事があった。

 そこに掲載されていたは井戸端に置かれた石の写真で、「おじのっさん」と呼ばれ、伊吹島特有の神様であるとのこと。

 言われてみれば、ときどき石が祀られているのを見た。石を組みあげてコンクリートで固めた台座の上にちょこんと載っていたり、小さな祠のなかに鎮座したりしていた。よく見ると、石というより礫の塊というか、ものによっては礫が混じったコンクリート片にしか見えないものもあって、いったいなぜこんな凡庸なものが祀られたのかふしぎに思ったのである。

 

おじのっさん
 

  記事には、3面に本文があって、そこに詳細が載っていることが記されているが、残念ながら3面は展示されておらず、謎だけが残った。「おじのっさん」の語源については、お地主さん、がなまったものらしい。何でもこの島は日本で唯一、平安時代のアクセントが残っている場所だそうで、かつて金田一春彦も調査に訪れているというから、どんなアクセントか興味津々である。平安時代人と現代人の間に、会話は成立するのだろうか。日本語はそれほど変化せずに伝わってきたのだろうか。よく聞く話で、昔の日本では、Hの発音は、Fの発音だったというのがあり、常陸の国は、ふぃたちのくに、であり、秀吉は、ふぃでよし、だったそうだ。そういう言葉をしゃべる人と対話してみたいが、さすがに現代には残っていないだろう。そもそも伊吹島では歩いていて人に会うことがほとんどなかった。

 ネットで地図を参照しながら、さらに歩いていく。道は錯綜し、そこら中に路地が通じていて、しかもどの辻も似たような雰囲気があるので、地図がなければ迷っていただろうことは間違いない。

 地図を見ないで適当に歩いて、真に迷ってみたい気持ちになるが、帰りの船の時間もあるし、適当に歩くと迷路の一部をぐるぐる回るだけで、全体を味わえない懸念もあるので、やはり地図に頼って、なるべく多くの路地を体験できるルートで歩く。

 本当は島に滞在して、思う存分でたらめに歩き回りたいところだ。時間を気にして迷っているようでは、真の迷子は楽しめない。

 路地を塗りつぶすように歩いていると、不意に島民がバイクに乗って通り過ぎていった。まったく分岐で迷うことなく、自分の知った道をすいすい走っていく感じで、慣れればこの迷路も理路整然と見えてくるのだろう。それとも島民といえど迷うことがあるのだろうか。

 島の家々は、平屋が多く、2階建てであっても斜面に隠れるように建っているため、屋根が低く、おかげで空が広く感じる。もしかしたら風が強いために、敢えてそうしているのかもしれない。人がもう住んでいない家も多く、軒下に落ち葉が溜まったままになっていたり、庭木が野放図に伸びて家の屋根に大胆に覆いかぶさっていたりする。たまに溜池に出会うのは瀬戸内の島あるあるだ。

 

 

 

 

 島の反対側、ハートの上部の窪み付近に、伊吹産院跡という場所があった。海に向かって開けた台地で、かつて日本では女性が出産時になるとひと月ほど滞在して産んだ産小屋があったと聞くが、ここもそういう場所だったのだろう。すでに建物はなく、開けた敷地に大きなオブジェが設置されていた。

 産道を表しているのだろうか、オブジェには大きな穴が開いていて中に鏡が敷き詰められ、覗き込むとその先に青空が見えて、なぜか私は怪獣を想像した。なにゆえ怪獣なのか説明は難しいが、異次元から来た怪獣が空間を凝縮するか何かして、そこからまばゆい光が放たれる。そんな描写を思い浮かべたのだ。あるいはこの穴は異次元への通り道であり、つまりそれが産道なのだというメタファーになっているのかもしれない。

 現代アートはわかりにくいが、このオブジェは印象に残った。

 

 

 ぐるぐる歩いて、やがて「トイレの家」に戻り、ここであらかじめ島に渡る前に買っておいたお昼のおにぎりを食べる。旧小学校校舎の玄関の上に陶器でできた紋章が飾ってあり、その重厚さに感心した。民俗資料館の写真でも見たが、かつては児童数も多い立派な小学校だったのだ。

 人口密度が県内のほかのどの島よりも高かったそうだ。今は道を往来する人もあまりいない。おかげでこうして迷路状の路地を散策して楽しいが、そんなに人がいっぱいいたら、暑苦しかったかもしれない。旅行客の勝手な都合だが、ときどき人に会うぐらいがちょうどいい。

 実際はときどきどころか、島の人とほとんど出会うチャンスもなく、ひととおり路地を堪能して港に戻った。

 なんとなく、戦前を歩いてきたような気分だった。平安時代とまではいかないものの、路地から、突然白い袖なしシャツを着た坊主頭の子どもが飛び出してきそうな気配というか、若い兵士が出兵していく光景などが頭に浮かび、それが島のもの悲しさのせいなのか何なのか、理由はよくわからなかった。迷路の街というのはたいてい古い街が多いので、自然にそういう妄想が湧いてくるのかもしれない。

 

 

 高速艇で観音寺の港に戻ると、駅へ向かうバスがなかった。船が着くのだから当然接続しているものと思っていたが、そんな都合のいい運航はしていないようだった。タクシーを呼ぶか、がんばって2キロほど歩くか思案していると、同じ船に乗っていたおじさんが声をかけてくれ、車で送ってくれるという。ありがたくお言葉に甘えて、乗せてもらう。

 おじさん、と言っても、たぶん自分より年下と思われ、見た目がおじさんだと自分のほうが年下だと思う癖がいまだ治らない。自分で自分の顔が見えないからだ。おじさんと自分の顔を見比べることができれば、自分のほうがおじさんを超越していることがわかったはずである。

 おじさんは伊吹島の出身で、今は本土に住んでいるそうだが、昔は小学校に同学年が30人ぐらいいたと話してくれた。今ではすっかり草が繁っているが、昔は島のあちこちに海辺に下りる道があったそうだ。

 今回、路地の突き当りが急斜面になって終わっている場所があったが、そういうところも昔は道が続いていたのだろう。

「島の人は道に迷うことはないんですか」と訊くと、

「それはないですね」

 と答えて、やはり路地が迷路であっても、住んでいればそのうちすっかり覚えてしまうというわけだった。もし自分が住人だったら、そこまで道を熟知してしまいたくないと思った。小さな島に住んだら、きっと閉じ込められたような気持ちになるから、少しでも知らない道を残しておきたい。

 駅で礼を言って車を降り、岡山行の電車に乗った。

 結局迷路な路地を面白がるのは、よそ者の発想なのだろうと考えた。

 

 

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著者略歴

  1. 宮田珠己

    1995年に『旅の理不尽~アジア悶絶篇』を自費出版しデビュー。以来、紀行エッセイを中心に、日常エッセイ、書評、小説なども執筆。『東南アジア四次元日記』で第3回酒飲み書店員大賞、『ニッポン47都道府県正直観光案内』で第14回エキナカ書店大賞を受賞。他にも『ときどき意味もなくずんずん歩く』『いい感じの石ころを拾いに』『だいたい四国八十八ヶ所』『明日ロト7が私を救う』『路上のセンス・オブ・ワンダーと遥かなるそこらへんの旅』などエッセイ多数。小説に、東洋奇譚をもとにした『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』、ド直球の青春陸上物語『そして少女は加速する』がある。

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