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家ごもりヘロヘロ日記

「要介護になったら体が大きいから大変だよ」。1万5千冊装幀しても「達成感がない」映画『つつんで、ひらいて』。高峰温泉から見た木星の衛星。 早く収束して生き死にのことを考えなくて済むようになればいい

 

9月17日(木)

 7時前に起き、コーヒーを飲みながら新聞を見ていて、ふと庭の方を見ると、キー坊が石の上にいた。いつもそうだけど、キー坊はいつの間にかそこにいる。

 

 

 ふと見るとキー坊。朝方は眠いのか目を閉じていることが多い。

 

 キー坊の食べ物を用意していると、タバちゃんが起きてきてミャーミャー鳴きだす。タバちゃんはお婆さんなのに、いつまで経っても子どものようにうるさい。タバちゃんに釣られて美子ちゃんも起きてきた。と、思ったら「もう30分寝かせて」と言って、また寝室に入った。

 二階で寝ているねず美さんの様子を見に行く。ねず美さんが寝ているヒーターが入った段ボールの猫小屋を覗くと、ねず美さんがこっちを見る。今日も生きている。ホッとする。案外まだ1年ぐらいは生きるかもしれない。

 今日の午前中、和子さん(美子ちゃんのお母さん)の大腿骨骨折の手術経過の診断がある。美子ちゃんは8時半ごろ家を出て、和子さんが入居している介護つき老人ホームへ行った。介護タクシーが病院まで連れて行ってくれることになっている。

 僕もころ合いを見計らって自転車で関東中央病院へ。病院に着くと同時ぐらいに介護タクシーが到着した。運転手さんが和子さんを乗せた車椅子を押して、病院に入って行く。僕が追いかけて行くと、和子さんは「あ〜ら、昭さん」と言ってハイタッチ。手術したところが痛いと言っていると聞いていたから、落ち込んでいるかもしれないと思ったけど、元気で良かった。和子さんがいる老人ホームは、コロナを警戒して自由に面会できなくなっているので、こういうときでないと会えない。

 

 和子さんは元気。ピンクのカーディガンとピンクのマスクが可愛い。

 

 和子さんの診断に美子ちゃんと一緒に立ち会う。手術を担当したA先生がレントゲン写真を見ながら、「痛みが発生する要因はありますね」と言う。大腿骨に入れた金属が少しズレているそうだ。しばらく様子を見ましょうということで診断は終わった。

 診察室から出て、トイレに行きたいと言う和子さんを、美子ちゃんが車椅子用のトイレに連れて行く。だいぶ時間が経って、美子ちゃんが車椅子を押して戻ってきた。「もう大変だよ。ママでも大変なんだから、昭さんが要介護になったら体が大きいから大変だよ」と言う。そう言われても体は小さくならない。施設に入ったら体が大きいと嫌われるかもしれない。痩せて体重を減らさないといけない。でもまあ、まだ先の話。と思っていると、あっという間によぼよぼになるんだろうな。日本人男性の平均寿命81.41歳まで、僕はあと9年しかない。

 毎月書いている「クイックジャーナル」(QJweb)が更新されていた。『〝たぶん自分は見放される側になるだろう〟『自殺』の末井昭が考える「命の選別」と「安楽死」』というタイトルだ。相模原障害者殺傷事件と、ALS患者嘱託殺人事件のことについて書いた。ALS患者嘱託殺人事件で捕まった2人の医師は、共著で『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術』という本(電子書籍)を書いている。「枯らす」ということは、殺すということだろう。

 新型コロナウイルス感染拡大で医療崩壊になり「命の選別」になったとき、僕は老人だから見放されるというか、若い人に命を譲る側になるだろう。それは仕方がないことだが、そういうことが契機になって、命に対する考え方も変わってくるだろう。安楽死も現実問題になってくる気がする。僕は虚無のようなものを抱えているので、死ぬことに対してそれほど抵抗はない気もするが、死にそうな状態になってみないとわからない。今は早くコロナが収束して、生き死にのことを考えなくて済むようになればいいと思っている。

 家で昼食を食べて、録画していた映画『つつんで、ひらいて』を観る。装幀者・菊地信義さんのドキュメンタリー映画で、監督・編集・撮影は広瀬奈々子さん。

 僕はこれまで、荒木経惟さんの写真集などの装幀もしてきたので、菊地さんが手仕事で切ったり貼ったりしてデザインしているところが興味深かった。

 ゆったりした時間の流れを感じる映画で、それが本を読む時間に似ていると思った。慌ただしくしないと生きていけない世の中だから、そういう時間は贅沢なものになってしまったのかもしれない。

 映画の中で、1万5千冊の装幀をしても「達成感がない」と菊地信義さんは言っている(ナレーションだったかもしれないが)。なんだかすごく贅沢でいい時間を過ごして来られたんだなあと思う。それにしても1万5千冊はすごい。

 

9月18日(金)

 人間ドックの結果説明を聞きに、新宿のMクリニックに行く。

 10時10分ごろ「行ってきま~す」と言って家を出ようとすると、寝室から「行ってらっしゃい」という小さな声が聞こえた。美子ちゃんはまだ寝ているらしい。

 Mクリニックに11時20分ごろ着く。かなり混んでいたので、読みかけの『相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞取材班、朝日文庫)を読む。この本は新聞社の強みで全公判を傍聴しているし、植松聖と18回も面会している(数名の記者による)。

 第2章は、公判前に植松聖被告を面会したときのことが書かれている。「主張したいことは」と聞く記者に、「かっこよくなりたくて事件を起こした。かっこいいことがこの世で一番価値があるので」と答えている。この事件を起こすことが「自分ができる中で一番かっこいいと思った」とも。それをかっこいいと思う人も少なからずいるのだろう。

 植松聖被告に死刑判決が出たあとの面会で、記者がなぜ控訴しないのかと聞くと、「筋が通らないし、二、三審と続けるのは間違っていると思うので。しゃらくせーなと(笑い)。死刑囚になった途端に態度が変わる人もいるので、しゃらくせーなほんと。人間の感情なんでしょうね(笑い)」と、笑いながら(上から目線で)答えている。死刑にびくびくするのはかっこ悪いということなのか。自分の命をなんとも思っていないから、平気で人も殺せるのか。

 「末井さん、どうぞ」と看護師さんに呼ばれて診察室に入る。毎年やってもらっている人間ドックの過去のデータを見ていた院長先生が、「末井さんは、会社を辞めてからずいぶん良くなったね」と言う。何がどう良くなったのかわからないけど、たぶんいろんな数値のことだろう。自分でも会社を辞めてから、心身ともに良くなったような気がする。会社の机に座っているだけでストレスがあったことが、辞めてからよくわかった。

 夕方、元『パチンコ必勝ガイド』の編集者で、パチプロ田山幸憲さんの担当だった上中理香さん(ウエチュー)と美登利さん(用賀にあった居酒屋「とり八」の女将)がやってきた。美子ちゃんがウエチューに用事があって来てもらったのだが、せっかくだから美登利さんを呼ぼうということになったらしい。「とり八」には田山幸憲さんとみんなでよく行っていた。そのときのメンバー小野くん(モデル・オノ)も呼ぼうということになり、ウエチューが小野くんに電話したらパチンコ中だった。あと1000円打ったら来ると言っていたから、だいぶハマっていることが想像できる。あとで聞いたら、1000回ハマりで単発を引き、出玉を全部打ち込んで来たとのこと。

 

 酒豪の小野くんに、我が家にあった貰い物のお酒を全部飲んでもらった。

 

 宴会は12時過ぎまで続いて、「じゃあそろそろ」ということになった。美登利さんはタクシーで、小野くんは溝の口まで歩いて帰ると言う。自転車で来ていたウエチューを「気をつけてね~」と見送って、食器を片づけたり風呂に入ったりしていたら、午前2時になっていた。

 

9月20日(日)

 昨年の9月、ミュージシャンのハッチハッチェルさんが毎年行なっている「ニューイヤー勝手フェスティバル」に、ペーソスも参加させてもらった。その会場の相模湖・みの石滝キャンプ場が、昨年10月の台風で流されてしまい(ハッチハッチェルさんは、このキャンプ場の募金活動もしている)、今年は生配信「オンラインだよ!レッツ!ニューイヤーフェスティバル」ということで、ペーソスも参加させてもらうことになった。ちなみに、なぜニューイヤーなのかというと、ハッチハッチェルさんが、毎年9月を自分のニューイヤーと決めているからだそうだ。

 2時過ぎにサックスを背負って下北沢へ。一度だけ行ったことがある会場の「空飛ぶこぶたや」を探しながら、見当をつけたあたりを歩き回る。やっと看板を見つけて地下に下りて行くと、ちょっと様子が違う。カウンターの中に女の子が2人いて、ウサン臭そうにこっちを見ている。「あのー、こぶた……ですよね?」と言うと、「えっ?」みたいな顔をして「なんですか?」と聞くので、「ライブやってる……」と言うと「うちじゃないです」とキッパリ言われて、「すみません」と言って階段を上がった。サックスが重い。

 「空飛ぶこぶたや」は隣のビルだった。もう一度看板を確かめて地下に下りて行くと、ペーソスのメンバーはすでに揃っていた。狭い楽屋で黒のスーツに着替えると、すぐリハが始まった。クラリネット担当の哲平さんが、マイクの位置などにナーバスになっている。4時からペーソスの出番。

 30分の出演が終わって、ビールを1杯飲んで(知らない人に奢ってもらった)下田卓さん(カンザスシティバンド、下八)に挨拶して帰る。ハッチハッチェルさんは秋田に行っていて、現地から参加するのだとか。

 島本さんとバス停まで歩く。暇だから疫病退散の妖怪アマビエ・カードを作ったとかで、2枚もらった。1枚300円で売ると言ってたけど、売れるかなあ?

 

 島本さんが描く妖怪アマビエ・カード。疫病が退散しそうもないイラスト。

 

9月23日(水)

 午後1時半から、Mクリニックで脳神経外科のO先生の診断がある。

 12時過ぎに家を出て、電車に乗ったところで、美子ちゃんからメッセージが入った。昨日の夕方、近所で強盗事件が発生したそうだ。世田谷に住んでるワンちゃん(美子ちゃんの女友達)がメールを送ってくれたみたいで、そのメールが転送されていた。

 警察の発表では、2人組の男がガス会社の検針員を装って被害者宅を訪れ、「金を出せ」と脅迫して暴行を加え逃走したらしい。ワンちゃんのメールには、「コロナで、今月世田谷区でわいせつ事件も何件かあったみたいです」と書いてあった。社会がどんどん荒れていく感じがする。

 1時20分にMクリニックに到着。30分ほど待ってO先生の診断。7月に撮った脳のMRI画像を見ながら、左脳の一部に毛細血管が詰まった部分があると言う。そう言われてMRI画像を見ると、確かにところどころに白い斑点がある。血液のカスが詰まっている疑いがあるのだとか。ひどくなると脳梗塞や認知症にもつながるので、再度MRIを撮ることになった。

 2時15分ごろ終わって新宿駅まで歩く。途中『THE BIG ISSUE』を売っている人がいたので買う。表紙は女優のローラ・ダーンだ。

 今月いっぱいでなくなるメトロ食堂街で食事をして、副都心線で代官山へ。4時に代官山のOOOYY(オーオシカシカ)に行き、MAMIさんにかなり伸びた髪をカラー&カットしてもらう。『THE BIG ISSUE』を読んでいたら、MAMIさんがその表紙を見て、ローラ・ダーンが出ている『マリッジ・ストーリー』をNetflixで観たと言う。面白かったらしい。

 家に帰って、美子ちゃんとちょっとしたことから口喧嘩になり、自分の部屋に閉じこもる。原稿を書く気にもならないので、Netflixで『マリッジ・ストーリー』を観る。

 夫婦が別れる映画だ。美子ちゃんと喧嘩したあとだから身につまされる。口喧嘩のシーンは会話が早いから字幕を追うのが精一杯だ。ローラ・ダーンは離婚訴訟の妻側の弁護士役で、アカデミー賞の助演女優賞を受賞している。

 今月の14日に観に行った、GINZA SIXにある蔦屋書店のギャラリーでのグループ展で、弓指寛治さんが展示していた作品「ダイナマイト心中」を、連続起業家(いろんな会社を立ち上げている。連続放火魔みたいな言い方だが)で、クラウドファンディング「CAMPFIRE」の創業者、家入一真さんが購入してくれたというメールが弓指さんからあった。「ダイナマイト心中」は、僕の母親とその愛人がダイナマイトで爆発した瞬間を描いた大きな絵だ。

 

 シープスタジオでの『ダイナマイト・トラベラー』展で展示されていた「ダイナマイト心中」。説明しているのが弓指寛治さん(2019年3月2日)。

 

 5年前、家入さんの著書『我が逃走』のトークイベントがあって、そのゲストに呼んでもらったことがある。『我が逃走』は帯文も頼まれたので事前に読んでいたのだけど、めちゃくちゃ面白かった。29歳で会社を上場し、10億のお金が入り、毎晩のように六本木で100万円ぐらいの散財をし、酔い潰れて道路で寝たりしていた、壊れていたご自分のことを書いている。

 家入さんは僕の本を読んでくれていて、ダイナマイト心中のことは知っている。「その上で購入してもらえたから嬉しい」「不思議な縁があるなーと思いました!」と、弓指さんはメールに書いていた。僕も嬉しくなる。

 

9月26日(土)

 夜8時からNADiffのオンライン配信『げいさい』刊行記念トークイベント「会田誠の小説世界」を観る。会田誠さんと中島晴矢さんの対談だ。

 会田誠さんの小説「げいさい」は、『文學界』で連載中のときに続けて読んでいた。佐渡出身の美術予備校生の主人公が、多摩美の学園祭で「人生の中でも飛び切り最低な出来事」を起こす小説だ。ほろ苦い青春小説であり、日本美術界や美術教育のことを考えさせられる小説でもある。

 会田さんのアート作品は観ているけど、小説を書いていることはつい最近まで知らなかった。2年ほど前、経堂の古書店で何冊か本を買ったら、ハトロン紙の袋に入った文庫本を1冊プレゼントしてもらった。何が入っているかはお楽しみということだ。家に帰って袋を開けたら、会田誠さんの『青春と変態』(ちくま文庫)が出てきた。

 読み始めたらやめられなくなってしまった。主人公は高校生の男子で、女子トイレを覗くことが喜びの変態なのだが、その行為が観察者のようで純粋なのだ。「変態」と「感動」は結びつかないはずだが、この小説はとても感動的だった。これが会田さんの処女小説だということをあとで知った。

 

10月1日(木)

 今日から美子ちゃんと高峰温泉2泊3日の旅行だ。高峰温泉は小諸市の標高2000メートルの山の上にある。小諸の町を見下ろせる「野天風呂」、温くていつまでも入っていられる「ランプの湯」、天体望遠鏡を使った天体観測、大旦那の苦労話語り、餌場に集まってくる鳥やリスや狸……高峰温泉には魅力がいっぱいある。

 高速バスで直行できるというのも魅力だった。新宿のバスタから高峰温泉行きのバスが出ていて、それに乗ると4時間で高峰温泉に着く。しかし、コロナ禍でその路線が中止になっているので、新幹線とバスを乗り継いで行かなければならない。

 東京駅11時4分発の「あさま」に乗る。お客さんは5分の2ぐらいで空席が目立つ。佐久平で降りてバスに乗り換えるのだが、バスが来るまで1時間少々あるので「信州蕎麦 佐久の草笛」という蕎麦屋へ入る。

 天ぷら蕎麦を頼んだら、並盛り、中盛り、大盛りとあったので、中盛りにしたらものすごい量の蕎麦でびっくり。美子ちゃんも僕も蕎麦を半分残した。東京の蕎麦屋の感覚とは違う。

 

 佐久平駅前。雲が覆いかぶさってくるような空。

 

 1時22分のバスに乗り高峰温泉に向かう。路線バスなので何箇所かのバス停に止まり、終点高峰温泉で10人のお客が降りた。

 受付で宿泊名簿を書くと、先に宿泊代の請求書を渡された。今日から東京も解禁になったGo Toトラベルの手続きを先にするらしい。宿泊代2日分で68,800円のところが、44,930円になった。さらに1万円の商品券もついているので、実質2人2泊で34,930円になる。通常の半額だ。

 部屋で一休みし、陽がまだ高いので近くの高峯山(標高2,106m)に登ることにした。高峰温泉に来るといつも高峯山に登っているけど、登るのが去年よりつらかった。それだけ老化が進んだのだろうか。

 頂上には巨石があって高峰神社の祠がある。巨石の周りは木がないので、遠くまで見渡せて気持ちがいい。小諸の町の家々の屋根が光って見える。

 

 高峯山の頂上の怪獣みたいな巨石と美子ちゃん。

 

 往復2時間ほどの登山を終えて「野天風呂」に行く。この露天風呂は定員4名だが、先客が2人いるのでちょっと入りづらい。2人の間に「3人はきついですね」とか言いながら割り込むと、坊主頭の人が「4人でいっぱいですね。ちょうど陽が沈むところですよ」と話しかけてくれた。少し話したら緊張が緩んだ。3人が無言で湯船に浸かって、沈みゆく夕日を眺める。そのうち坊主頭の人は出て、無口の人の子どもが来た。なんとなくいづらい雰囲気になったので出てくる。

 

 標高2000メートルの「野天風呂」。小諸の町が見下ろせる。(高峰温泉ホームページより)

 

 6時から食堂で夕食。ヤマメ、山菜の天ぷらなど、ほとんどがこの辺りで穫れたものだ。コロナ対策で去年より席と席の間が離れている。

 7時半から休憩所で、大旦那の高峰温泉苦労話が始まった。高峰温泉が火事で丸焼けになったとき、銀行に融資を頼んで、それを承諾してもらうまでのジーンとくる話もあるのだけど、来るたびに聞いているので今回は天体観測だけにする。

 8時半になったので2人で外に出ると、10人ぐらいの人が集まっていた。浴衣のままの女性グループもいる。気温は6度だ。寒くないのだろうか。

 大きい望遠鏡が5台置いてあって、それぞれ月、火星、木星、土星、アンドロメダ星雲M4に焦点を合わせている。解説は天体に詳しい若旦那だ。

 だんだん人が増えて、それぞれの望遠鏡に行列ができだした。浴衣の女性たちは寒かったらしく、着替えてまた出てきた。

 月に向けた望遠鏡は女性たちに人気があるようで、みんな望遠鏡を覗きながら「すごーい」「すごーい」と言っている。満月のおかげで星があまり見えないが、望遠鏡を覗くと月の表面がくっきり見えた。

 

 天体望遠鏡にスマホのレンズを当てて撮った月の写真。ピントがイマイチ合わない。

 

 月の次に人気があるのは輪がかかった土星だけど、僕は木星の衛星の方に惹かれた。木星の衛星は、発見されているもので79個もあるそうだが、望遠鏡を覗いて見えるのは3つだけだった。その衛星は木星からものすごく離れたところにあって、その離れ具合が宇宙を感じさせてくれる。木星は太陽系の中で最大の惑星だから引力も強い。だから木星からかなり離れていても木星の引力圏にあるのだろう。

 部屋に戻って大浴場の「高峰の湯」に行く。美子ちゃんは「ランプの湯」に行ったのだが、2時間経っても戻ってこないので心配になった。戻ってきたのは12時ごろだった。Mさんという女性と知り合い、北欧にオーロラを見に行ったら、10年に1度ぐらいしか現れない真っ赤なオーロラが到着した日に見えたという話を、34度の温いお湯の中で聞いていたとか。学校の先生とうまくいかなくなって登校拒否になった娘さんに、大自然を見せてあげようという旅だったらしい。美子ちゃんは旅先でいろんな人とすぐ仲良くなるけど、僕は知らない人に心を開けられない。

 

10月2日(金)

 美子ちゃんは9時過ぎに、池の平湿原散策ツアーにオニギリを持って出かけた。登山靴を宿で借りるはずだったが、コロナで貸し出しはしてないらしい。そのため靴はスニーカーだが、登山装備はバッチリだ。マイクロバスで池の平湿原まで行き、湿原を散策したあと、一人で山を歩いて帰ってくるらしい。僕も誘われたが山歩きする気力がない。

 

 

 コロナのため登山靴の貸し出しはしてなかった。靴以外は完璧だ。

 

 部屋でゴロゴロしたり、本を読んだり、温泉に入ったりしていたが、それもだんだん飽きてくる。美子ちゃんと一緒に山に行けば良かったかなと思ったりする。

 宿の食堂で昼食を食べたあと、スキー場の方へ歩いて行く。スキー場には背丈ほどの草が生えていて、道の下で数人の人がそれを刈り取る作業をしていた。あと少しで雪が降るから、その前に刈り取っておくのだろう。

 道から上はきれいに刈り取られていたので、その斜面を登ってみることにした。はぁはぁ言いながらスキー場のてっぺんまで登ると、小諸とは違う方向の家々が遠くに見えた。車の音が遠くから聞こえてくる。普段は近くのことばかりを見たり聴いたりしている目と耳が、遠くを感じ取ろうとしている。鳥になったような気分だ。

 

 スキー場のてっぺん。遠くが見渡せて鳥になったよう。

 

 美子ちゃんは3時過ぎに宿に帰ってきた。撮った写真を見せてもらうと、雄大な浅間山がボコッと写っていた。現在は警戒レベル2だとか。

 

 美子ちゃんが撮った浅間山。只今警戒レベル2だとか。

 

 美子ちゃんの疲れた足を言われるまま揉んでいると、なんだか気持ちが沈んできた。美子ちゃんが「明日、山に行かない?」と言う。帰りは4時過ぎのバスに合わせて新幹線も予約しているから、山に行こうと思えば行ける。けど、なんとなく気が進まない。早く帰りたい。

 何か気持ちがムシャクシャしてきて、美子ちゃんと言い争いになった。昔、2人で旅行するとよくこういうことがあって、お互い口もきかなくなったこともある。

 活動的な美子ちゃんは、旅行するとあちこちに行きたがる。それがまあ普通といえば普通だけど、僕は旅行すると消極的になり、部屋にこもることが多い。

 何か自分が年寄りで、もう未来がないような気持ちになってくる。夕食のときも楽しくなかった。部屋に戻って本を読もうと思ったが、部屋が暗くて読みにくい。美子ちゃんが「テレビでも見たら?」と言うのでテレビをつけると、トランプ大統領がコロナになったというニュースが流れていた。トランプ大統領のおかげで、気持ちが少し楽になった。

 

10月3日(土)

 8時から朝食。今日は16時過ぎのバスで帰る予定だったが、早く帰りたいので、9時35分のバスに変更した。

 一昨日もらった1万円の商品券を使って、売店で味噌やら温泉の素やらリンゴやら、猫の世話を頼んでいる人へのお土産など1万円分買った。

 バスが発車する。宿の人が手を振ってくれる。クネクネした道を下りてゆく。佐久平までバスで行き、新幹線のチケットを変更してもらう。上野駅から山手線に乗り換えて帰ってくる。家に帰るとほっとする。それも老人になったということなのか。

 

(次回につづく)

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著者略歴

  1. 末井昭

    1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウィークエンドスーパー』、『写真時代』、『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社、現在はフリーで編集、執筆活動を行う。
    『自殺』(小社刊)で第三〇回講談社エッセイ賞受賞。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北栄社/角川文庫/ちくま文庫/復刊ドットコム/2018年に映画化・監督 冨永昌敬)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『結婚』(平凡社)、『末井昭のダイナマイト人生相談』(亜紀書房)、『生きる』(太田出版)、『自殺会議』(小社刊)などがある。令和歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。
    Twitter @sueiakira

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