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家ごもりヘロヘロ日記

スーパーに行くのがストレス発散。ドラマ『チェルノブイリ』と『海を撃つ』と「さまよい人」。世の中が普通に戻るのは取り残されたようでなんとなく寂しい

 5月12日(火)

 毎週火曜日になると「今日はヨガの日だ、頑張ろう!」と、半年前ぐらいまでは思っていたけど、最近はやりたくない日のほうが多い。しかし、それでは背筋は伸びない。

 ヨガを始めた2年前は今より元気があったし、硬い体が少しずつほぐれていく喜びがあったけど、このごろはそういうこともなくなった。楽器の練習は、やればやるほどある程度は上達するのだけど、そこから先に大きな壁が立ちはだかっていて、いくら練習してもうまくならない。体の訓練も同じなのだろうか。

 11時ぴったりに、ミセス・ヨガのO先生が、白地に黒の抽象絵画のようなカッコいい柄のマスクをして現れた。O先生の出張ヨガ教室、生徒は美子ちゃんと僕。今日は右肩が痛いので若干手を抜いてやっていたけど、それでも1時間半やるとグッタリする。美子ちゃんも疲れたのか、布団に入って横になっている。

 このまま昼寝したりすると、何もやる気がしなくなるので、スーパーに行くことにした。横になっている美子ちゃんに、おそるおそる「スーパー行ってもいい?」と聞くと、寝ぼけた感じで「気をつけてね〜」と言う。あれほど「スーパーは私が行くから、一人で行っちゃダメだよ」と言っていたのに。

 

 美子ちゃんとタバちゃん。美子ちゃんに抱かれるとおとなしい。

 

 自転車で、Everyday low priceのOKストアへ。何を買うか決めてなかったけど、OKストアに行って、何か料理を作ろうと思った。といっても、僕が作れるのはカレーぐらいだ。

 作るものが決まると、何を買うか悩むこともない。玉ねぎやらジャガイモやら鶏肉やら、スイスイ買ってレジに並ぶ。外に出たら少し元気になっていた。今のところ、スーパーに行くのがストレス発散になっているようなのだが、それを言うのが少し恥ずかしい気持ちもある。

 夕方5時ごろからカレーを作り始める。僕が作るのはチキンカレーで、スパイスやハーブが付属品で入っているケララカレー(S&B)を使っている。

 まず、玉ねぎとニンニクをミジン切りにし、セロリも細かく切り、人参の皮を剥いて適度な大きさに切り、ジャガイモも皮剥きしてやや大きめに切って置いておく。鶏のもも肉を一口大に切り、フライパンで焦げ目がつくまで炒めて、取り出して置いておく。同じフライパンで、先ほどミジン切りにした玉ねぎとニンニクを、付属品の炒め用スパイスを加えて炒め、それにセロリと人参を加え、りんごと生姜を擦って入れ、玉ねぎがキツネ色になるまで炒める。

 

 チキンカレーを作り始める。

 

 鍋に水を入れ火にかけ、出汁用の昆布を入れ(これはゴールデン街の「ビックリバー」で教わった)、付属品の煮込み用スパイスとブイヨンを入れ、炒めた玉ねぎや鶏肉、ジャガイモを入れて煮込む。途中アクなど取り、適当なところで弱火にしてカレー粉を入れ(足らないときは、バーモントカレーのルーを加える)、とろみがついたら、付属品の辛味スパイスと香りスパイスを入れて出来上がり。美子ちゃんはいつも「おいしい」と言って食べてくれる。

 夕食後、スターチャンネルで、アメリカのケーブルテレビ局HBOが製作したテレビドラマ『チェルノブイリ』を観る。5話で合計5時間半のドラマだが、グイグイ引き込まれてしまい、ぶっ通しで最後まで観てしまった。終わったのが深夜2時だった。

 1986年4月26日、チェルノブイリの原子力発電所で起きた最悪の事故と、その事故に関わった人びとを、事実に基づいてリアルに描き、数々の賞も受賞している話題のドラマだ。

 このドラマは、「嘘(隠蔽)と真実」がテーマになっていて、事故の調査をしていた科学者と、事故の真実を隠蔽しようとする政治家たちを中心としてドラマは展開される。唯一家族の物語として出てくるのが、原子炉が爆発して、強力な放射性物質が飛び散っているのにそれを知らされず、最初に消火活動に参加した若い消防士とその妻のエピソードだ。

 消火活動に行った夫は、強力な放射線で全身大火傷を負い、大勢の負傷者とともに病院に運ばれる。駆けつけた妻は、夫がヘリコプターでモスクワの病院に運ばれたことを知る。

 妻は特別な許可をもらい、封鎖された街を抜け出し、モスクワの病院に行く。ところが、中に入れてもらえない。看護師に懇願し、賄賂を渡し、やっと入れてもらい、夫と会うことができたのだが、夫は全身焼けただれ、放射線によって全身の細胞が破壊され、かろうじて生きている状態だ。夫のベッドの周りは、放射線防止のビニールシートで遮断されている(新型コロナウイルス感染防止のビニールシートと似ている)。そのビニールシートの間から手を入れ、夫と手を握る妻。妻はこのとき、妊娠していることを夫に知らせる。

 亡くなった夫は金属の棺に入れられ溶接され、ほかの犠牲者とともにモスクワの墓地に埋葬され、その上からコンクリートが流し込まれる。それを見つめる妻。

 エンドロールには、「彼女は娘と夫を亡くしたあと、幾度となく発作で倒れ、医師からは二度と子どもは産めないと宣告された。しかし、それは間違っていた。彼女は現在、キエフで息子と暮らしている」と書かれている。

 この消防士夫婦のことは前から知っていた。福島県いわき市で植木屋を営む安東量子さんが、福島第一原発事故から7年半の間、自分は何を考え、何を行なってきたかを書いた『海を撃つ 福島・広島・ベラルーシにて』という本に、この消防士の妻のことを書いていたからだ。その妻を追ったテレビ・ドキュメンタリーを、安東量子さんはたまたま学生時代に見ていた。

 夫が亡くなったあと、放射性物質に汚染されているということで、遺族に遺体も遺品も結婚指輪さえ返されなかった。2人が暮らしていた街は、放射性物質による汚染を理由に立入禁止になり、家財も持ち出すことが出来なかった。

 夫は亡くなる前、生まれてくる子どもの名前を2つ考えていたが、やがてお腹の子は死産してしまう。その後、彼女は再婚し男の子を儲けたが、亡くなった夫のことが忘れられなくて離婚する。体調がよくない上に生活も安定しなくて、子どもは親戚に預けていた。その子も生まれつき病弱だった。

 ソ連崩壊後、職がない彼女は、わずかな年金で暮らしている祖父か祖母と同居している。彼女は、最初の子どもが死んだことに触れ、夫につき添わなければよかったのかもしれない、けれど、どうすればよかったんだろうと話す。

 その後、彼女が屋外を歩く場面がある。「私、どうすればよかったんだろう。どうすればいいんだろう」と呟きながら歩いている姿が、もっとも深く安東さんの心に刺さっている。安東さんはこう書く。

 

 それまでのエピソードでも十分痛ましく衝撃的であったが、この映像には息を呑んだ。彼女の足取りは不確かで、歩いている道はおそらく彼女にとっては見知った場所であるはずなのに、知らない世界に投げ込まれてしまって困惑しきっているように見えた。すべてが正常にまわっているはずの現実の中で、彼女だけがまるで違う場所にいる。彼女自身が、どこにいるのかがわからないでいる。それは、絶望しているというのとは違う、失意の底にいるのとも違う、悲しみに暮れているのともまた違う。彼女の中で重要な蝶番ちょうつがいが外れてしまったまま、それをどうすればいいのかわからず、途方に暮れている。途方に暮れていることさえわからず、そのことにまた途方に暮れ、幾重にも重なった困惑のなかで、そのまま消えてしまうのではないかとさえ思えた。(p.74)

 

  安東さんは、思い出さえも放射能に侵食され、何もかも失ってしまった彼女のことを「さまよいびと」と書いている。

 

 ある時、彼女が失ったものを列挙してみた。夫、結婚指輪、夫の遺品、お腹にいた子、暮らしていた家、家にあった思い出の品々、安定した生活基盤、健康、近所に住んでいた友人、暮らしていた街······、ここまで列挙して、あっ、と思った。彼女は、ほとんど「すべて」を失ってしまっているではないか。それまでの暮らしにあったほとんどすべてが、あの日を境に突然消え失せてしまっている。(p.74-75)

 

  安東さんが、突然この消防士の妻のことを思い出したのは、福島第一原発事故が起きて、冷却機能を失った原子炉のさらなる爆発を防ぐために、残った作業員たちが「決死隊」を組むと報道されたときだ。作業員は地元の人が多い。

 

私のすぐそばで、彼女のようにすべてを失った人びとが生まれてしまうかもしれない。そのことを私は恐れた。(p.76)

 

 原子炉の状況が比較的落ち着き、高線量の被曝者は作業員にも出なかったようだという状況になり、誰も消防士の妻のようにならずに済んだと、安東さんは安堵する。

 

 しばらく経ってからふたたび考えた。事故の際の放射線では誰も命を落とさなかったかもしれない。この後もうまくコントロールできれば、被曝によって命を落とすほどの事態になる確率は低いだろう。けれど、少なからぬ人びとが故郷を失ってしまう可能性は大きいまま残されている。彼らのうち誰かが、同じようなさまよい人になってしまう可能性は消えてはいないのではないか。大きな喪失がこの地を覆い、さまよい人となってしまう人の中には、私の知人や隣人が含まれるかもしれない。(p.77)

 

  この後、安東さんは「駆られるように」動き始める。それは、消防士の妻のことが念頭にあったからだと書いている。

 『チェルノブイリ』を観ていて、消防士とその妻のシーンは切ない。夫は亡くなり、妻は「さまよい人」になることを、あらかじめ知っていたからだ。

 もし、あのとき、チェルノブイリ原発のように、福島第一原発の原子炉が爆発していたら、いったいどうなっていたのだろうか。そう思ったら、恐ろしくなってきた。恐ろしいものが日本中にあるのだ。それを絶対忘れてはいけない。

 

5月13日(水)

 今朝の朝日新聞の「耕論」に、「それぞれの「要と急」」と題して、吉田類さん、宇田智子さん、末井昭の意見が出ていた。吉田さんは「酒場」、宇田さんは「古書店」、末井は「パチンコ店」を取り上げている。

 1週間前「朝日新聞デジタル」に掲載された記事とダブるのだが、パチンコで鬱が治ったことも書かれているので、今回も批判されるかもしれない。

 ガラス戸を開けると、爽やかな風が入ってくる。

 ネズちゃんは布団の上、タバちゃんは僕がいつも新聞を読んだり読書したりしている座布団の上で、キー坊は庭の木陰で気持ちよさそうにダラッとなって寝ている。猫がそばにいるだけで平和な気持ちになる。

 

 庭の木陰で気持ちよさそうにしているキー坊。

 

 怖がりのタバちゃんを脅かさないようそっとその横に行き、先ほど届いた『つげ義春日記』の文庫本を読む。『つげ義春日記』が講談社文芸文庫になっていることを知ったのは4日前で、さっそく書店のネット販売で買った。

 日記は昭和50年(1975年)から昭和55年のものだ。始まりは昭和50年11月1日の日記。

 

 調布駅前の喫茶店「しの」でNHKの佐々木昭一氏と会う。今度私の原作でテレビドラマ「紅い花」を制作するにつき、ドラマの中のマンガ家役で出演してほしいと交渉されるが、台本を読んであまり感心できなかったので断わる。それに恥しくて人前で演技などできるわけがない。

 

  たった4行で終わっている。

 そのあとも、メモのような短い日記が続くので、ちょっとガッカリしながら読んでいたのだが、次のようなフレーズがあると、「やっぱりつげさんはおもしろいなぁ」と思ってしまう。 

 

帰途、電車の中でどっと暗い気持ちに落ちこむ。立っていられないほど得体の知れない気分に襲われる。発作的に自殺をするのではないかという怖れを「あと十分、あと五分の辛棒で家に帰れる」と云いきかせ懸命にこらえる。(S51.1.24)

NHKの謝礼は学歴で決るそうだから自分の場合は小卒だからこんなに安いのか。(S51.1.27)

夕方小学館の山本氏と会う。初版三万部の約束だったのに一万部だった。二万部以下では採算がとれぬから追って増刷するとのこと、アテにはならぬ。ガッカリする。(S51.3.23)

夜、駅前で小学館の高橋氏に会う。知らぬ間に二刷ができ献本五冊貰う。一刷二刷合わせ六万部。売行き好調。三刷も進行中とか、予想外のことなり。(S51.3.29)

気まぐれに引き受けてしまったが、もう二度とテレビには出ない決心を固める。マキも気の毒で見ていられなかったと云う。(S51.5.21)

先日出演した「一億人の経済」を観る。不安について語っている自分の姿が、声もか細くソワソワし、落着きなく、不安そのものの姿に映っている。(S51.5.24)

 

  小学館の「初版三万部の約束」というのは、この年の4月に出版された小学館文庫『ねじ式 異色傑作選1』のことだろう。同時に『紅い花 異色傑作選2』も刊行されている。「マキ」というのは奥さんの名前だ(本名は真喜子さん)。

 日記を読むのを中断して、松田哲夫さんの解説「奇跡と不安な人」を読むと、つげさんには「奇跡の二年」があったとある。

 1965年に白土三平らが創刊した漫画雑誌『ガロ』に招聘され、『沼』『チーコ』などの先駆的な作品を発表する。僕は『ガロ』を毎月買っていたので、『沼』も『チーコ』もリアルタイムで読んでいる。

 『チーコ』は飼っているインコをタバコの箱に入れて遊んでいるうちに殺してしまうという、何気ない日常のドキッとする出来事を描いたもので、僕は『チーコ』でつげ義春ファンになった。そして自分も漫画家になりたいと思うようになった(なれなかったけど)。

 「奇跡の二年」というのは、1967年に『通夜』『山椒魚』『李さん一家』『峠の犬』『海辺の叙景』『紅い花』『西部田村事件』、1968年に『長八の宿』『二岐渓谷』『オンドル小屋』『ほんやら洞のベンさん』『ねじ式』『ゲンセンカン主人』『もっきり屋の少女』と、つげ義春ファンなら誰でも知っている14編の傑作漫画を、2年間で描いているからだ。

 これらの漫画を読んで、僕はますますつげさんが好きになっていったのだが、どの漫画もプライベートなことをモチーフにしていて、それがつげ漫画の魅力でもある。

 松田さんはこの14編の漫画を「奇跡の作品群」と呼び、解説でこう書いている。

 

奇跡の作品群を生み出した時のつげは、あらゆる物語(ストーリー)の底の底、果てしなく深いところにある物語の原型のようなものに、まさに奇跡的に触れることができたのだろう。つげ作品がマンガ家以外の表現者、詩人、演劇人、映画人、哲学者、小説家などに強い衝撃を与えたのは、このことと無縁ではないだろう。

 

 「奇跡の二年」のあと、発表される作品の数は減って、年に2作品ほどになる。1970年にはつげ義春ブームが起こるのだが、予期せぬ印税が入ったため、ますますマンガを描かなくなる。

 『つげ義春日記』は1983年に『小説現代』で連載され、同年に単行本になっている。「あの時期、あれを仕事として引き受けたのはほんとうに金が無かったんです」と、つげさんは言っている。

 しかし、つげさんはいつも貧乏だったわけではなく、日記に出てくる昭和51年(1976年)はマンガの文庫ブームで、小学館文庫、講談社漫画文庫、二見書房のサラ文庫などで、つげさんのマンガがシリーズ化されている。貯金も1000万になり、家を買おうと思い始める(実際買うのだが)。

 つげさんは、本が出ているときは印税が入ってくるから仕事をしない。松田さんが解説で、水木しげるさんの言葉を引用している。

 「つげは怠け者ですよ。いっこうに仕事をしない。それなのに、前に描いた作品が何度も使われて、お金が入ってくる。自分はあくせく新しい作品を描かなければやっていけない。けしからんですよ」

 今また、全16巻に及ぶ『つげ義春大全』の刊行が講談社で4月から始まっている。2月にはフランスで最も古い漫画イベント、アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を授与されている。つげさんは「奇跡の作品群」があるから強い。

 

5月14日(木)

 今日も朝から『つげ義春日記』を読む。読んでいて「あれ?」と思ったのは、こういう箇所があったからだ。

 

 本屋に寄りて、雑誌「本の本」を求む。「わが愛書・私の好きな本」と題して島尾敏雄さんが文を寄せている。

「つげ義春の漫画は、私の気鬱を癒してくれた。私はつげ義春の愛読者となった。近作の『夢の散歩』『夏の思いで』はさらに味わいに浸透力が加わった。つげの作品を求めて発行所の青林堂を神田の町筋を歩きさがして、やっと見つけ買い求めた」

という意味の内容。「夢の散歩」「夏の思いで」を評価され嬉しい。青林堂まで訪ねて下さったのは、ただただ恐縮するのみ。(S51.10.7)

 

  島尾敏雄さんが、つげ義春さんのファンだったとは知らなかった。ほかにも島尾敏雄さんのことが出てくる箇所があった。

 

島尾敏雄さんが湘南のどこかに引越して来たとの噂を聞いた。とくに交際があるわけではないが、生活の苦闘をされた島尾さんが東京の近くにいるということは、慰めにもなり心強い気がする。(S52.9.6)

島尾敏雄氏より「死の棘」贈呈あり。(S52.10.8)

冬樹社の「カイエ」から島尾敏雄さんの特集号に絵を頼まれた。先日島尾さんについての文章も頼まれたが畏れ多く断った。その代りに絵ということになったが、絵でも文章でも畏敬する島尾さんの特集号では、緊張してとても描けそうにない。けっきょくお断りした。(S53.10.11)

 

 この「家ごもりヘロヘロ日記」の書き始めに、島尾敏雄さんの『死の棘』のことを書いている。共同通信の仕事で、5日かかって『死の棘』を読んだことは、僕が家ごもりしてから一番印象に残っている読書体験だったが、その島尾敏雄さんとつげ義春さんが、お互いリスペクトし合っているとは知らなかった。2人とも好きな作家だからなんとなく嬉しい。

 昼過ぎに郵便受けを見たら、しまおまほさんの小説『スーベニア』が送られてきていて、これまたビックリ。島尾敏雄さんは、しまおまほさんの祖父なのだ。単なる偶然なんだけど、「こんなことってある?」っていう感じだ。

 夕方、朝日新聞の記事の批判がないか、ツイッターをチェックしてみる。

 本日の朝日新聞朝刊オピニオン面がいい/パチンコ屋もライブハウスも「必要緊急」/何か心に染みました/「不要不急」と排除されると、それを生業としている者は立つ瀬がない/などなど。今回は批判がなくてホッとした。

 

5月18日(月)

 昨日までなんとなく体がだるく、3日間をぼんやり過ごした。ぼんやりするのも、自分にとって必要なことだと思うようになった。そう思うようになったのも、家ごもりするようになってからだ。(無理するなってこと)

 昨夜は早めにレンドルミンを飲んでグッスリ寝て、7時過ぎに起きた。体の調子もまずまず。いつものように「戦争絶対反対! 5月18日」とツイートする。もう18日なのか。今月で家ごもりも終わってしまうのだろうか。といっても、僕の場合は、今までと同じ生活が続くだけなのだが、世の中が普通に戻るのは、取り残されたようでなんとなく寂しい。そう思っている人は多いのではないだろうか。

 キーちゃんが家の中に入ってくるようになった。そのたびに出ていってもらっているのだが、うしろを何度も振り返りながら出ていくキーちゃんを見ていると、せつないような気持ちになる。うちには猫が2匹いるので、キーちゃんを飼うことはできない。キーちゃんとの距離の取り方が難しい。

 

 キー坊とうちの猫たちとのバランスをとるのが難しい。

 

 午前中、マスクをしてリュックを背負いOKストアへ出陣! 雨が少し降ってきた。

 2階のペットコーナーで、レトルトの「お魚生活」3パック、「猫ちゃんのふりかけ」2袋を買い、エレベーターで3階の食品売り場へ。エレベーターの中にある鏡に、プクッとお腹が出た自分が映っている。そのプクッをなんとかしないと。

 3階売り場で、カボチャ、レンコン、りんご、トマト、レタス、枝豆、肉売り場で豚のバラ肉、和牛のミンチ、鶏肉、牛乳······と買っていると、買い物カゴが重くなるけどカートは使わない。11時ごろは老人が多く、みんなカートを押していて、カートとカートがぶつかったりすると、すごい顔で睨まれる。

 先週の金曜日は混んでいて、17箇所のレジもそれぞれ20分待ちぐらいの列が出来ていたけど、今日は人が少ない。

 家に帰って、しまおまほさんの『スーベニア』を読む。

 

5月19日(火)

 7時に起きる。雨が降っている。朝食を作って食べ、風呂に入り、新聞を読もうとすると、キー坊が現れた。雨は止んだようだ。

 

 雨でもキー坊は来る。

 

 美子ちゃんが起きてきて、2人で部屋の掃除。11時にミセス・ヨガのO先生が「おはようございま〜す」と言って現れた。12時半までヨガ。お腹のプクッをなんとかする方法を聞く。肘とつま先で体を支え、そのままの姿勢で30秒間我慢する。これを何回か繰り返すのだが結構きつい。

 2時からペーソス・メンバーのリモート無駄話「単調ネ日乗」の4回目の収録があるので、1時50分からパソコンの前に待機する。

 今回のゲストは経営コンサルタントの藤崎泰造さん。もちろんペーソスのファンで、大阪でライブをするときはいつも来てもらっている。経営コンサルタントといっても、実際は何をしているのかよくわからない人なのだが、このたび「戦う男女の腸活パワーMAX!・ワイルドバランス」というサプリメントを作ったとかで、北海道に廃校になった小学校を買ってそこで量産するらしい。「北海道公演の宿舎になりますよ」「え、宿泊設備があるんですか?」「ハンモックがあります」「······」「音楽室にステージもありますよ」「その小学校、どこにあるんですか?」「畑の中」。藤崎さんの話は、わけがわからなくておもしろい。僕はただ笑ってただけ。

 その後、しまおまほさんの小説『スーベニア』の昨日の続きを読む。

 フリーカメラマンの安藤シオには、7歳年上の○○、文雄がいる(○○に恋人と入れられないのが、シオの悩みでもある)。2人が会うのは、文雄から気まぐれに連絡があったときだけ。デートしたり、泊まったりすることもあるけど、彼がどこに住んで、どんな暮らしをしているのか、出会って3年が過ぎたのにシオは知らない。でも、文雄と過ごしている時間は、シオは何かがキラキラと瞬いているのがわかった。せつない長編恋愛小説なのだけど、279ページを読んでいて、思わず吹き出してしまった。

 

5月20日(水)

 7時に起きる。外を見ると曇り空だ。もうすぐ大嫌いな梅雨の季節になる。

 午前中、美子ちゃんが散歩に行っている間に、美子ちゃんのパソコンで『ブルーアワーにぶっ飛ばす』を観る。主演・夏帆、助演・シム・ウンギョン、監督・脚本はCMディレクターの箱田優子。

 売れっ子CMディレクターが、親友と茨城の実家に帰るというだけの映画。夏帆とシム・ウンギョンの演技と思わせない演技がすごい。だんだん引き込まれて、最後は涙ぐんでいた。監督の箱田さんが、この映画の公式サイトで「現実と地続きのフィクション」と書いているが、まさにそんな映画だった。

 午後はやはりネットで『デヴィット・リンチ:アートライフ』を観る。ハリウッドにあるデヴィット・リンチの自宅兼アトリエでのインタビューが中心のドキュメンタリー映画。父親に「お前は子どもを持たないほうがいい」と言われたエピソードがおもしろかった。

 僕はデヴィット・リンチが大好きで、一番好きな映画は『マルホランド・ドライブ』、2番目は『ブルーベルベット』。デヴィット・リンチの絵もいいが、最近映画を撮ってないのが寂しい。

 『チェルノブイリ』を観て注文した、ノーベル賞作家のスベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(松本妙子・訳)が届いていた。本の最初に、あの、すべてを失ってしまった消防士の妻のインタビューが、「孤独な人間の声」というタイトルで出ている。名前は、消防士、故ワシーリイ・イグナチェンコの妻、リュドミーラ・イグナチェンコとある。

 

夫たちは防水服をきないで行きました。シャツ一枚のまま出勤したのです。警告はなかった。ふつうの火事だと呼び出されました。

夫に会いました。全身がむくみ、腫れあがっていた。目はほとんどなかった。

放射能のことはだれもいわなかった。軍人だけがガスマスクをつけていた。

どうやってモスクワまで行ったのか、道中はまたもや私の記憶から抜け落ちています。モスクワで最初にであった警官に、チェルノブイリの消防士がどこの病院にいるか聞いて、教えてもらいました。

私は、ほんの一分でもいいから彼とふたりっきりになりたかった。

彼は変わりはじめました。私は毎日ちがう夫に会ったのです。やけどが表面にでてきました。くちのなか、舌、ほほ。最初に小さな潰瘍ができ、それから大きくなった。粘膜が層になってはがれ落ちる。白い薄い膜になって。顔の色、からだの色は、青色、赤色、灰色がかった褐色。でもこれはみんな私のもの、私の大好きな人、とてもことばではいえません。書けません。

 

 夜になって雨になる。キー坊が来ている。

 

 夜になってもキー坊は来る。 

 

(つづく)

 

 

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著者略歴

  1. 末井昭

    1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウィークエンドスーパー』、『写真時代』、『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社、現在はフリーで編集、執筆活動を行う。
    『自殺』(小社刊)で第三〇回講談社エッセイ賞受賞。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北栄社/角川文庫/ちくま文庫/復刊ドットコム/2018年に映画化・監督 冨永昌敬)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『結婚』(平凡社)、『末井昭のダイナマイト人生相談』(亜紀書房)、『生きる』(太田出版)、『自殺会議』(小社刊)などがある。令和歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。
    Twitter @sueiakira

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