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家ごもりヘロヘロ日記

心をキー坊に読み取られている気がする。義母さん卓球中に骨折。近田春夫さんが内田裕也さんをインタビュー『俺は最低な奴さ』。虫眼鏡がないと読めない『ドント・トラスト銀杏BOYZ』『はちどり』『開けられたパンドラの箱』銀座で堂々ダイナマイト心中。

 

8月1日(土)

 7時20分起床。外を見ると青空が見える。ガラス戸を開けると、乾いた涼しい風が入ってきて気持ちがいい。今日で梅雨は明けた(のかな?)。

  こんなに天気がいいのに、キー坊が来ないのはなぜだろう。毎朝キー坊のことが気になる。

  うちの猫たちにゴハンをあげる。ネズミさんは、テンカンの薬が入ったチキンスープを半分食べてくれた。半分食べれば大丈夫だろう。

  二階に行き、室内に干していた洗濯物をベランダに干していると、ネズミさんがトコトコと二階に上がって来る。ベランダに来たのでブラッシングしてあげようと思ったけど、ブラシがないから手ブラシで体を撫でてあげる。毛がずいぶん抜ける。これから暑くなるからだろうが、年を取ったからだと思うと悲しくなる。

 ネズミさんはペットショップで譲ってもらった保護猫だが、この前調べたら、家に来た日は2002年の10月26日だった。譲ってもらったときが生後2ヵ月ぐらいだったとすると、今月で18歳になる。人間の年に換算すると88歳になるらしい。美子ちゃんと「今年いっぱいだろうか」とか言っているけど、病気になったわけではないし、自力でなんとか二階まで上がれるし、このごろ薬が効いてテンカンも起きていないから、当分は大丈夫だろう。できればあと2年は生きて欲しい。

 

 ベランダのネズミさん、18歳

  一階に降りて行って庭を見ると、キー坊がこっちを見ていたので、いつものようにスマホで写真を撮る。いつも何をあげようか迷うのは、いろんな種類のキャットフードを買ってしまうからだ。今日はレトルトの「おさかな生活」にしようと思って用意していると、二階から下りてきたネズミさんもタバちゃんも食べたそうにしているので、3皿に分けてそれぞれにあげる。3匹が同じものを同時に食べているのが、なんとなく微笑ましい。

  午後、『開けられたパンドラの箱 やまゆり園 障害者殺傷事件』(月刊『創』編集部編)を読む。この本が出版されるとき、障害を持つ息子さんがいる大学教授から、息子さんが植松被告の名前を聞くだけで恐怖に駆られるという理由で、出版中止の要求が来た。そのことが、夜9時のNHKニュースで大きく報じられもした。そのため、第1部の「植松被告に動機を問う」の原稿を部分的に削除したり、誤解されないように説明を加えたりしたそうだ。

 編集長でほとんどの取材もしている篠田博之さんは、植松被告と手紙のやり取りをし、何回も面会に行って話を聞いているのだが、半分以上は掲載できないものだったらしい。それがさらに削除や修正を加えられることになってしまった。

 篠田さんは、『開けられたパンドラの箱』を出す動機を、「あれだけ深刻な事件に、この社会は何ら対応策も打てず、風化するのを待つだけなのか、という思いだった」とあとがきで書いている。植松被告が犯行に至った本当の理由が(裁判でも)解明されないまま、3月16日に横浜地裁から死刑判決が出て、3月31日に死刑が確定してから4ヵ月少し経ったいま、もう風化してしまったのではないだろうか。というか、世間がこの事件を早く忘れたがっているようにも感じられる。同じような事件が起こらないためにも、決して忘れてはいけないことだと思う。

 

8月2日(日)

 午前中、『開けられたパンドラの箱』の続きを読む。植松聖死刑囚が、津久井やまゆり園に勤務した3年間に、いったい何があったのか。友達も彼女もいる、ごく普通の青年の心がどう変化していったのか知りたい。

 昼になってもキー坊が来ない。美子ちゃんに「キー坊、来ないね」と言うと、「どこか行くところがあるんじゃない? わりと土日は来ないことがあるよ」と言う。

 土日しか休めない人がいて、土日にキー坊を可愛がっているのかもしれない。そういう人がいることはキー坊にとってよいことなのだけど、ちょっと嫉妬する。と、思っているとキー坊が現れた。しかも、そのあと4回も来た。自分の心がキー坊に読み取られているような気がする。

 

 ときどきキー坊に心を読み取られているような気がする

  美子ちゃんのお母さんが入所している老人ホームから、お母さんが卓球していて、転んで大腿部を骨折したという電話があった。救急車を呼ぶか呼ばないか、美子ちゃんがホームの人と話している。お母さんは以前にも大腿部を骨折していて、関東中央病院で手術をしたので、明日その病院で診てもらうことになった。

 美子ちゃんはお母さんがいるホームへ行き、僕はスーパーへ買い物に行く。夕方お母さんと電話で話したが、不機嫌そうな低い声だった。痛いのかもしれない。

 7時ごろホームの担当の方から、お母さんが食事中に気を失ったという電話があった。これまでにそういうことがあったかどうかの問い合わせだった。美子ちゃんが「明日になったら死んでるかもしれない」と、泣きそうな顔で心配している。「さっき電話で話したし、大丈夫だよ」と言う。

 

8月5日(水)

 今日は美子ちゃんのお母さんの手術の日。3日に関東中央病院に入院して、レントゲン検査を受けた。そのとき僕も病院に行ったのだけど、わりと元気そうだった。卓球をしていて、球を拾おうとしたとき転んだらしい。おそらく、卓球に夢中になっていたのだろう。自分が90歳だということも、骨粗しょう症だということも忘れるほど楽しかったのかもしれない。

 手術は4時30分からだったそうで、手術を担当した先生から、無事終わったという連絡が夕方あった。まさかのことがないかと心配していたので一安心。

 

  義母さん、思ったより元気そう

 

8月6日(木)

 午後3時まで本の整理。明後日に早稲田の古書店の安藤書店さんが引き取りに来てくれるので、それまでにもう読まないだろうと思われる本をまとめないといけない。

 3時半から1時間ほどサックスの練習。今日は新宿2丁目の道楽亭で、ペーソスのライブがある。合計15曲演奏するのだけど、しばらくライブをやってないからキーを忘れている曲もある。サックスの練習というより、キーを思い出すための練習だ。

 5時ごろサックスを背負って家を出る。渋谷で副都心線に乗り換えて新宿三丁目まで。いつもは、ホームからエスカレーターで伊勢丹の地下食品売り場の入り口に上がり、そこから階段で地上に出て歩いて道楽亭まで行くのだけど、地上はまだ暑いだろうし、信号などもあるから、地下道を通って新宿二丁目の入り口まで行こうと思い、都営新宿線新宿三丁目駅へ通じているほうへ行くと、長い地下道があった。それが新宿二丁目入り口に続いているものだと思い込んで歩いていたのだけど、なんだかやたら長いし途中に出口もない。突き当たりにエレベーターがあったので、それに乗って地上に出ると、あれれれ、ここはどこだ? 見たことのない風景だ。

 周りを見渡すと、ラブホテルとホストクラブばかり。すると、ここは歌舞伎町なのか? スマホでグーグルマップを見ると、自分がいる青い丸のそばに歌舞伎町の字が見えるのだが、歌舞伎町といっても地図が大雑把で、どっちの方向に行っていいのかわからない。右に行ったり左に行ったりしていたら、バッティングセンターが見えてきた。ここは覚えている。歌舞伎町といっても新大久保寄りだ。ずいぶん遠くに出たものだ。

 まさか新宿で迷子になるとは思わなかったけど、自分のいる場所がわかってホッとした。そこから歩いて明治通りに出て、二股を左に行き、靖国通りを渡り、30分以上かかって道楽亭に着いたら、リハはとっくに終わっていた。サックスを背負っているし、ステージ用のスーツなどが重いし、汗びっしょりになった。

 6時半開場。お客さんは6名様。ちょっと少ないけど、コロナ禍だからちょうどいい人数かもしれない(ペーソスは常に、バンドの人数よりお客さんが多ければそれでよしとしている)。

 7時開演。やはりライブは楽しい。久しぶりにメンバー全員と会えたし。

 ライブが終わって恒例の打ち上げ。店主の橋本さんが、「前は聴けたものじゃなかったけど、上手くなったね〜」と言う。僕のサックスのことだ。どう答えたらいいのか迷ったけど、とりあえず「ありがとうございます」と言っておいた。

 

8月8日(土)

 朝から一階の本の整理。今日は早稲田の安藤書店の安藤さんが来る。安藤さんに来てもらうのはこれで3回目だ。南伸坊さんに紹介してもらって、最初に来てもらったときは、お父さんも一緒だった。2人とも笑い声が大きくて、その声につられてこちらも笑ってしまう。

 美子ちゃんは玉子焼きを作って、病院で出される食事をほとんど食べないお母さんに持って行った。コロナの関係上、お母さんと直接は会えないけど、看護師さんに渡すと食べさせてもらえるらしい。あとで看護師さんから、「全部食べましたよ」という電話があった。和子さん(お母さん)は病院で人気者らしい。和子さんは、以前入院していたリハビリ病院でも老人ホームでも、どこでも人気者だ。看護師さんや介護の人たちから可愛がられている。

 3時ごろ安藤さんが来る。最近のトピックを聞くと、荒木経惟さんが電通時代に、電通のゼロックスを使って作った『ゼロックス写真帖』全25巻(各限定70部)の3、4冊抜けが、なんと1800万円で売れたそうだ。久々の古本界のビッグニュースだったらしい。「安藤さんとこですか?」と聞くと、「いや、うちじゃないんです」と言って、ハハハハと大きな声で笑った。

 安藤さんは、目の前に積んである本を、まず判型で分けていって、1メートルぐらいの高さに積んでビニール紐で結わえていく。結わえるときの手際が素晴らしい。全部終わるまで2時間ぐらいかかった。家が軽くなったような感じがした。

 

 笑い声が大きいからついついつられて笑ってしまう安藤さん

  キー坊は朝来たきりで、夕方も現れなかった。安藤書店さんに、キー坊がいつも来る庭のほうから出入りしてもらっていたからだ。夜9時を過ぎたころやっと来て、ゴハンを食べたあと庭の梅の木に登り始めた。しばらくして、その梅の木から昆虫が1匹家の中に飛び込んできた。キー坊はそのあとどこかに行ってしまった。

 

 夜中に木に登るキー坊

  部屋の中を探すと、キッチンの壁と天井の境目にアブラゼミが止まっていた。キー坊から逃げたのはこのセミだった。新聞紙を丸めて触ると、部屋中を飛び回り壁にぶち当たった。夜は目が見えないのだろうか。僕のTシャツに止まったので、そっと掴んで外に離した。

 

 キー坊から逃れたアブラゼミ 

 

8月13日(木)

 7時15分起床。庭を見るとキー坊が石の上で横になっていた。毛皮族は暑いから、石の上で体を冷やしているのだろう。

 

 石の上で体を冷やしているキー坊

 午前中、連載している『クイックジャーナル』の原稿を書く。今回は、江本純子さん作・演出・出演の毛皮族2020 Tokyo『あのコのDANCE』について書いている。1時間ほど書いていたらお腹が空いてきたので、サラダとカボチャのポタージュを作って食べる。そのあとも原稿書き。

 原稿は庭と反対側を向いている二階の仕事部屋で書いているので、キー坊が来ていないか気になり、ときどき下りて庭を見る。美子ちゃんは、江本純子さんの『あのコのDANCE』の演出風景をビデオ撮影するために出かけた。

 昼食は0・5合の米を炊き、新潟の我田大(本名)さんから送ってもらったキューリとナスの漬物と、買い置きの納豆で食べる。

 近田春夫さんから「新曲作りました! よかったら聴いてやって下さい!」というメールが来たので、早速その「PANDEMIC ~WHO is criminal?~」を聴かせてもらう。ついつい浮かれてしまう気持ちのいい曲だ。映像もかっこいい。「オリパラ音頭」作ったり「コロナ三密音頭」を作ったり、おもしろいね、近田さん。音楽を消しても、頭の中で「パンデミック、パンデミック」とリフレインされて原稿が書けない。

 

8月14日(金)

 7時45分に起き、朝食を作ろうとしていたとき、久が原のBクリニックに行く日だったことを思い出した。急いで風呂に入り、昨夜作ったカレーの残りと3日前にスーパーで50%引きで買ったパンを食べ、ちょっと出遅れたので自転車で駅に向かう。

 美子ちゃんから「マスク忘れないでね」と言われていたのに、駅近くまで来てマスクを忘れたことに気がつく。自分の中で、マスクをすることがまだまだ日常化されていない。

 駅前のココカラファインの前を通りかかると、ちょうどシャッターが開いたところだったので、自転車を止め「マスクありますか?」と聞くと、30枚入りがあると言う。1枚でいいのだけど、仕方なく30枚入りの三層立体マスクを買った。カバンを持っていてよかった。

 ココカラファインを出て駅に向かって歩いていたら、自転車を止めたままだったことに気がつき引き返す。最近、ほんとうにいろんなことを忘れる。

 用賀駅から下りの電車に乗る。なんだかソワソワしているような気持ちだ。老人になると、病院に行くのが嬉しくなるのだろうか。

 二子玉川で大井町線に乗り換え、4人掛けの座席が空いていたので座った。対面だから誰も座らない。ちょっとした旅行気分。

 幡ヶ谷で池上線に乗り換えて久が原へ。池上線はワンマン運転だ。3両編成だから問題ないのだろうが、昔は車掌がいたのではないか。

 その昔、インドで聞いた話を思い出した。工事現場にトラックが来て土砂を積むのだが、わざわざ工事現場から離れたところにトラックを止め、その間を人が土砂を運んでいると言う。なんでそんなことをするのかというと、仕事がない人がいるからだと。経済より仕事がない人のことを優先している。コロナで失業者が増えているいま、ぜひインド的発想をしてもらいたいと思うのだけど、いかにして人件費を削るかという発想しかしない。経済に支配されているから、しないというより考えられないのだ。経済の支配から解放された世界はないのだろうか、とか考えていたら久が原に着いた。

 待合室で読む本を忘れたので、久が原駅前のスーパーで『週刊新潮』(8月13・20日夏季特大号)を買い、Bクリニックの待合室でパラパラ見ていたら、〝「樹木希林」が遺した蔵書100冊と秘密の「雑記帳」〟という椎根和さんが書いた記事に目が止まった。「樹木希林さんの書棚にあった本」の一覧表があって、それを見ていたら、内田裕也さんの『俺は最低な奴さ』が入っていた。『俺は最低な奴さ』について椎根さんは、次のように書いている。

 

 内田裕也に関する本は5冊あり、彼が登場する対談集もあります。その中で裕也の本質が的確に書かれていると思うのは、『俺は最低な奴さ』。

 インタビュアーは、70年代に裕也のバンドに参加し、その生き方を近くで見続けてきた近田春夫。彼が真剣にインタビュアーを務めた437頁の大作なので、面白くないはずがありません。

 近田は裕也のことを、その存在自体が稀有であり「〝世界に唯一〟ゆえの美しさこそが内田裕也の何よりの魅力なのではないか」と書いています。

 

 この本は近田春夫さんから、「裕也さんが69歳になるから、それに合わせて裕也さんの本を作らない?」と言われて、近田さんがプロデュース、写真は若木信吾さん、デザインは井上嗣也さんという豪華メンバーで作らせてもらった本だ。僕は編集とライティングをやらせてもらった。この本が出来るまで1年以上かかったと思う。驚いたことや、困ったことや、楽しかったことや、裕也さんに殴られそうになったことなど、思い出すことがたくさんある。

 1時間待ってようやく名前を呼ばれ、B先生の簡単な診察を受け、薬の処方箋を書いてもらう。

 

 久が原に行くと必ず撮ってしまう五叉路

  帰りに二子玉川の糖朝でお粥の定食を食べ、紀伊國屋書店と伊東屋に寄って帰って来る。

 二子玉川駅のホームから、多摩川の支流で大勢の子どもたちが泳いだり水遊びをしたりしているのが見えた。まるでコロナが収束したような感じだ。大丈夫なのか?

 

8月19日(水)

 今日は、西新宿のMクリニックに行って、胸部CT検査の結果を聞く日。

 12時半から用賀駅前の指兪で、M先生から1時間指圧をやってもらって新宿に向かう。渋谷から山手線に乗り換えて新宿で降りて、いつもの進行方向一番前の出口を出ようとすると、ホームの出口が封鎖されていた。ひとつうしろにある出口を下り、西口方向に出て右に行くと、あれあれ、東口に出てしまった。どうなってるんだと思ったら、いつも西口に出ていた地下道が、西口と東口を結ぶだけの地下道に変わっていた。オリンピックに向けて工事をしていたのだろう。

 西口の新宿メトロ食堂街のつな八で昼食。出がけに中居さんから「長い間お世話になりました」と言われたので「どうしたんですか?」と聞くと、この食堂街が9月いっぱいでなくなるそうだ。昭和の雰囲気が残っていて、西口で食事をするときはいつも来ていたのに残念。町がどんどん変わって行く。

 3時にMクリニックへ。吉村先生が、CT画像を見ながら説明してくれる。上のほうが白くなっているのは空洞だそうで、前回もそうなっていた。多分45年間吸っていた煙草のせいで、さして問題はないとのこと。そのほかは異常なしだった。

 夕方、「女性セブン」の記者の方から、日記についてのリモート取材を自宅で受けた。コロナ禍になって日記が流行っているのだそうだ。77人の様々な職業の人たちが4月だけの日記を書いた、『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』(左右社)という本が話題になっているらしい。名前を忘れたけど、コロナ禍になって日記を書き出した芸能人も何人かいるそうだ。

 僕が取材を受けることになったのは、この「家ごもりヘロヘロ日記」を記者の人が見たからだろう。日記を書くようになって変わったことや気づいたことなどについて、電話で30分ほど聞かれた。

 変わったことは、コロナ禍になって毎日ボーッとテレビを見るだけだったのが、読書したり映画を観たりするようになったこと(テレビを見るだけじゃ日記にならないから)、ニュースを見ても前より考えるようになったこと(書くことは考えることだから)。あと、偶然がおもしろくなったこともある。この日記でも書いたけど、72歳の誕生日に、偶然72歳になったら崖から飛び降りて死ななければならない映画(『ミッドサマー』)を観たこと(このことが主題の映画ではないけど)。同じ日に、荒木経惟さんの『72歳』という写真集が偶然目に入ったこと。そのあとがきを読んでみると、「男は8の倍数がヤバイ」と書いていたこと(あとで過去を振り返ってみると、確かにその年齢が節目になっていることに気がついた)。ほかにも偶然はいろいろある。

 

8月30日(日)

 7時起床。新聞やテレビは、安倍首相が辞任したあと、誰が次の首相になるかということばかりでつまらないから、新聞もテレビも見なくなった。

 キー坊が来ないかなと思って庭を見ていると、スーッと現れた。こっちの気持ちが通じたようで嬉しい。スマホを向けると、いつもの尻尾巻きのポーズを取る。律儀だなあ。

 

 カメラを向けるといつもこのポーズをする。

  河出書房新社から出ている「14歳の世渡り術」シリーズの一冊『「死にたい」「消えたい」と思ったことがあるあなたへ』という本の原稿を頼まれている。7、8枚の原稿だからすぐ書けると思っていたけど、書き始めるとなかなか難しい。

 美子ちゃんは、27日からザ・スズナリで始まった毛皮族の『あのコのDANCE』の稽古を、ビデオで撮影しに通っている。初日が9月2日だから、かなり切羽詰まった状態なのだけど、みんな楽しそうにやっているらしい。

 ご飯を炊いて、鯵の干物を焼いて昼食を食べ、再び原稿書き。原稿が行き詰まるたびに、庭にキー坊が来ていないか見に行く。3回目に行ったとき、キー坊が庭の木陰で居眠りをしていた。キー坊を見るとなんとなく心が落ち着く。

 3時ごろ買い物に出る。薬局で美子ちゃんから頼まれていた強壮剤「紅蔘力」を10本買う。頭がぼんやりしているので、1本いただいて飲んでみる。それが効いたのか、原稿がすんなり書けたので、その原稿をプリントアウトして、散歩がてら馬事公苑前のスタバまで歩く。西の空に、これまで見たことがないような大きなキノコ雲。

 

 キノコ雲のような雲

  スタバに行くと、コロナなのにかなり混んでいる。座る席が難しい。大テーブルの対面に人がいると気を遣う。窓際の席に座り、マスクを外そうとしたら、ゴムがピチッと切れた。耳かけがゴムのマスクはよく千切れるなあ。コーヒーを飲みながら原稿のチェックをして、馬事公苑を1周して帰って来る。

 家に帰っても、美子ちゃんがいないのでつまらない。

 

9月5日(土)

 6時45分起床。映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』のDVDを観る。ザ・バンドのリーダー的存在だったロビー・ロバートソンの本『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春』を映画化したもので、監督は若手のダニエル・ロアー、マーティン・スコセッシが製作総指揮として参加している。この映画のコメントを頼まれているのだ。

 1966年にパリへ演奏旅行に行ったとき、ロビーがドミニックという女の子と出会い、恋に落ちた。ニューヨークに戻り、彼女にこっちに来るよう誘ったら「彼女は来てくれた」と話すロビーの嬉しそうな顔が、彼の素直な性格が表われているようだった。そのことをコメントにしようと思ったけど、うまく書けなかったので違うことを書いた。

 そのコメントを送って、朝食を作って美子ちゃんと食べる。そのあと、猫のゴハンの用意、猫のトイレ掃除、食器洗い、洗濯物を干し、山積みになっていた洗濯物を畳んで家事終了。

 美子ちゃんが、本日の『あのコのDANCE』のマチネチケットを買ってくれたのだけど、それをスマホに表示するのが難しい。昼過ぎにザ・スズナリに向かった美子ちゃんから、やり方をショートメールしてもらって操作したけどうまくいかない。

 1時半に自転車で家を出て、用賀駅のシェ・リュイで魚介のパスタを食べ、三軒茶屋からバスで下北沢へ行き、ザ・スズナリに2時55分に着く。チケットは表示できなかったけど、入場できた。

 これまで、この演劇のナマ配信を2回観ているので、どんな演劇なのかは知っていたけど、やはり配信よりナマのほうが断然いい。観ていて元気をもらった気がする。

 

 毛皮族「あのコのDANCE」のポスター(撮影:神藏美子)

  美子ちゃんは「ノゾキ」という役で、舞台(本当は客席)の一番うしろで、カメラを覗いていた。エンディングが曖昧なので、お客さんが立っていいのかどうか迷っていたのがおかしかった。客席(本当は舞台)に向かって、役者の皆さんから「どうぞ!」と言われたとき、思わず踊りたくなった(「どうぞ!」は、この芝居で次の人に場を譲るときに使う)。本当に踊ったら、サクラみたいになってしまうだろうな。

 家に帰って、なんだか元気が湧いてきて、猫たちにゴハンをあげてから、暗くなりかけた砧公園に行って早足で一周。途中で雨が降ってきたけど、雨の中を歩くのも気持ちがいい。雨が止むと、虫たちがまるでノイズ音のように鳴きだした。短い夏が終わり、もう秋になる。

 家に帰り、雨と汗でビショ濡れの衣服を脱ぎ、風呂を沸かす。風呂が沸くまで、真っ裸でサックスの練習をしてみた。

 松田義人くんが作った『ドント・トラスト銀杏BOYZ』(玄光社)が送られてきていた。もう松田流編集術と言っていい、独特のものすごく細かい作りの本で、読みでがあり過ぎる。一番細かい文字は、僕は虫眼鏡がないと読めない。文字量は何十万字あるのだろうか。いったい何人の人が書いたり話したりしているのだろうか(僕も少し書いている)。ものすごい熱量を感じた。

 巻頭の峯田和伸くんのインタビューを読む(これは虫眼鏡がなくても読める)。10月に出るアルバム『ねえみんな大好きだよ』の制作過程や、このアルバムに対する思いを話している。早く聴きたくなった。

 

9月6日(日)

 美子ちゃんは今日もザ・スズナリで「ノゾキ」をやる。僕はペーソスのライブだ。

 新宿2丁目の道楽亭に5時集合なので、用賀発4時24分の電車に乗らないといけない。4時に出かけようとしたら、キー坊が現れた。無視するわけにはいかないので、ゴハンを用意したりしていたらちょっと出遅れた。サックスを背負い、スーツを入れた袋を持って、自転車で駅まで行く。渋谷で降りて、副都心線に乗り換えようと階段を下りていたら、うしろからマスクをした女性が、「これ落としませんでしたか?」と言ってハンカチを渡してくれた。「どうもありがとうございます」と言うと目が笑っていた。階段を上がって行ったから、わざわざ追いかけて来てくれたのだ。このコロナ禍のなか、見ず知らずの人のハンカチなんか触るのも嫌な人がほとんどだと思うのだけど、こんな人もいるのかと思って嬉しくなった。

 4時55分に道楽亭に着く。メンバーが揃ったのでリハ。今日は6時開演なので、リハのあと慌ててスーツに着替える。配信もする予定だったけど、予約がひとつもなかったため中止にしたとか。

 本日のお客さんは10人。ちょうどいい感じだ。前半後半で2時間弱のライブが終わって、恒例の宴会。やっぱりライブは楽しい。ちょっと飲みすぎて、帰りに足元がふらついた。

 

9月7日(月)

 8時起床。外を見ると雨が激しく降っている。昼前になると雨が止み、キー坊が来た。

 美子ちゃんは12時過ぎに出て行った。今日は『あのコのDANCE』の楽日だ。昼夜2回公演だし、雨が止んで、よかった、よかった。と、思っていたらまた降り出した。が、しばらくして止んだ。せわしない天気だ。庭を見に行くと、キー坊が石の上で和んでいた。ちょっと怖い顔でこっちを見ているので、急いでゴハンの用意をする。

 

 ちょっと怖い顔でこっちを見ている、だいぶ大きくなったキー坊

  うちの子たちは寝てばかりだ。寝室を見ると、美子ちゃんの布団にタバちゃん、僕の布団にネズミさんが寝ている。2匹のゴハンはあと回しにして、自分のゴハンを用意する。米を0・5合脱穀し(米は玄米で保存している)、ご飯を炊き、昨夜の味噌汁の残りを温め、レンコンがあったので皮を剥いて蒸してマヨネーズで食べる。

 観たいと思っていた映画『はちどり』を検索すると、ユーロスペースで4時40分から上映なので観に行くことにする。ネット予約が自分ではできないので、念のためユーロスペースに電話して混み具合を聞いてみると、「それほどでもないですよ」と女性の方が言う。

 開演10分前にユーロスペースに入ると、お客さんは10人ぐらいだった。少なくて驚いたけど、公開してからもうだいぶ経っている。『はちどり』はキム・ボラ監督の少女時代の体験をもとに作られた映画で、1994年がキーワードになっているらしい。その意味はなんだろうと思っていたら、その年に聖水(ソンス)大橋が崩落して、たくさんの人が亡くなっている。経済成長していた韓国の節目の年であり、この映画の時代背景になっている。

 主人公のウニ役の少女がすごくよかった。団地で両親と兄と暮らす14歳のウニは、家庭からも学校からもちょっと浮いている。家族も教師も友達も恋人も、本当のことを話せる相手がいない。そんなウニが漢文塾の女性講師ヨンジに引かれ、彼女と「本当の」話をすることで心を開いていく。

 ウニとヨンジの会話のシーンがいい。ウニにとっても、ヨンジにとっても、至福の時間のようで、観ているほうも幸せになれる。『パラサイト』よりも、僕は『はちどり』のほうが優れた映画だと思う。

 パンフレットを買ってユーロスペースを出た。お腹が空いたのでマークシティのつばめグリルに入ってパンフレットを見ていたら、注文を取りに来た女性が、いきなり「私も『はちどり』観ました!」と言うので驚いた。「おもしろい映画ですよね」と言うと、「よかったです!」と嬉しそうに言う。見ず知らずの人と心が触れ合ったみたいで、ちょっと嬉しかった。つばめ風ハンブルグ定食とトマトサラダを注文する。

 

9月10日(木)

 6時30分起床。雲が多いけど青空も見える。7時過ぎにキー坊が来る。

 朝食の仕度、猫の世話、掃除など午前中の家事が終わり、仕事部屋で『クイックジャーナル』の原稿を考える。7月23日に逮捕された、京都に住む筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した女性から頼まれ、薬物投与でその女性を殺害した医師2人と、4年前の7月26日に起きた相模原障害者施設殺傷事件の犯人・植松聖死刑囚との間にある共通性について考えてみる。

 3時に予約していた指圧に行く。いつも指圧をしてもらっているM先生は、多摩川近くのマンションに住んでいる。先日の台風のとき、多摩川がかなり増水していたらしい。去年の洪水で多摩川が底上げになっていて、氾濫しやすくなっているので、今年の台風が心配だと言う。高層マンションは低い階に電気系統の設備があるので、浸水したら停電してしまう。エレベーターも動かなくなる。そのための準備もしているそうだ。

 指圧から帰って休んでいると、出かけている美子ちゃんから、『行き止まりの世界に生まれて』という映画を観に行かないかという電話があった。ヒューマントラストシネマ渋谷で7時10分からなので、6時に渋谷のうな鐡で待ち合わせして、食事をしてから行くことにした。

 映画は、ビン・リュー監督のドキュメンタリー映画だ。「繁栄から見放された町」イリノイ州ロックフォード。トランプ大統領支持者が多いことでも知られている。この町で暮らす、キアー、ザック、ビンの3人の少年。親の暴力や閉塞感から逃れるように、3人は毎日スケボーで町を走り回る。そうしているときだけが救いのように。ビンがそのときの様子をビデオで撮っていた。やがて3人は大人になり、それぞれの道に進む。ビンは映画監督になり、それまで撮った映像を元に3人の12年間の軌跡を作品にした——という映画で、数々の賞を受賞していて、アカデミー賞とエミー賞にWノミネートもされたそうだ。

 スケボーで走る2人を、ビンがスケボーに乗りながら撮った映像が、疾走感があって気持ちよかった。

 

9月14日(月)

 朝から『妄信 相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞出版)を読む。著者はこの事件に関わった朝日新聞の記者たちだ。事件当日には、総勢50人の記者が取材に当たったそうだ。人海戦術で大勢の関係者を取材しているので、植松聖死刑囚の人物像が浮かび上がってくるのだけど、事件に至った真実はやはりわからない。

 取材に関わった記者たちのコラムも入っている。「多数の報道陣を見ると、おびえたように立ちすくむ人もいた。「これじゃあ手も合わせられないじゃない」。逃げるように花を置いていった女性が涙声でつぶやいた言葉が忘れられない。」と書いている記者もいる。

 画家の弓指寛治さんから、銀座 蔦屋書店で行われるグループ展に参加しているというメールが来ていた。昨年シープスタジオで展覧会をした「ダイナマイト・トラベラー」の中から、メインの「ダイナマイト心中」を展示しているそうだ。

 「富子さんは岡山の田舎でも綺麗で派手な着物を着たりしていたと末井さんから聞いていたし、レイジさんもリーゼントにしたり目立つ格好が好きな人だったのかなと思っています。そんな2人が東京・銀座というお洒落で派手でセレブな場所の真ん中で堂々とダイナマイト心中しているのは何か良いなと思ってこの作品を選びました」と書かれていた。

 ちなみに、富子というのは僕の母親の名前で、レイジさんというのはその心中相手だ。「ダイナマイト心中」は2人が抱き合い、ダイナマイトに火をつけて爆発する瞬間を描いた絵で、すごく迫力がある。グループ展は今日から始まるので観に行くことにする。

 4時からアップリンク渋谷で映画『マイルス・デイヴィス クールの誕生』を観る。マイルスの曲がずっと流れ、いろんな人たちがインタビューに答え、マイルスのガラガラ声がインタビューとインタビューをつなぐ。映画『死刑台のエレベーター』の音楽は、映画を観ながら即興で録音したというのはすごい。晩年の気が狂ったようなステージ衣装のマイルスもおもしろい。

 アップリンク渋谷を出て、銀座線で銀座へ向かう。地図を見ながらGINZA SIXへ。6階にある蔦屋書店の中にあるギャラリーGINZA ATRIUMに入ると、最初に「ダイナマイト心中」が目に飛び込んで来た。弓指さんが言うように「堂々とダイナマイト心中」だ。銀座で爆発できて、富子も禮司さんも本望だろう。

 参加アーティストは、飯田jennifer桃子、皆藤齋、スクリプカリウ落合安奈、二艘木洋行、増田将大、宮下サトシ、森洋史、弓指寛治のみなさん。

 

 弓指寛治・作「ダイナマイト心中」(グループ展「Y-generation artists」)

 

 (つづく)

 

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著者略歴

  1. 末井昭

    1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウィークエンドスーパー』、『写真時代』、『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社、現在はフリーで編集、執筆活動を行う。
    『自殺』(小社刊)で第三〇回講談社エッセイ賞受賞。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北栄社/角川文庫/ちくま文庫/復刊ドットコム/2018年に映画化・監督 冨永昌敬)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『結婚』(平凡社)、『末井昭のダイナマイト人生相談』(亜紀書房)、『生きる』(太田出版)、『自殺会議』(小社刊)などがある。令和歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。
    Twitter @sueiakira

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