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家ごもりヘロヘロ日記

このところ気持ちが沈んでいるのは、緊急事態宣言が解除されたからではないだろうか

 

6月3日(水)

 7時起床。タバちゃんはまだ寝ているが、ネズミさんは起きていて、僕の目をじっと見ている。ネズミさんはほとんど鳴かない。いつもアイコンタクトで要件を伝えてくる。要件は「ゴハンください」だ。

 庭を見ると、キー坊はまだ来ていない。キー坊は2ヵ月ほど前から来るようになった雄の野良猫で、ほぼ毎日来ているので、来ないと心配になる。

  猫トイレを掃除して、ゴミを出し、紅茶を入れてふと庭を見ると、あらら、キー坊がジーッとこっちを見ている。

  キー坊の得意技は、まばたきもしないでジーッと人を見つめることだ。ネズミさんと同じで、ほとんど鳴かない。ただ見つめるだけ。

  紅茶を飲んでちょっと一息して庭を見ると、まだ見ている。こんなに見つめられると、猫の好きな人はキー坊に何か食べ物をあげてしまう。そうやって人の心を動かして生きてきた頭のいい猫なのだろう。

 

 まばたきもしないでジーッとこっちを見つめるキー坊

 

 このところ気持ちが沈んでいる。その原因を考えてみると、緊急事態宣言が解除されたからではないだろうか。それまでは、みんなで家ごもりしているという連帯感のようなものがあったけど、みんな会社や学校に行きだして、失業者のような身としては、取り残されたような気分になっているのではないか。

 お試しで配達してもらっている東京新聞の夕刊に出ていた、哲学者の中島義道さんのエッセー「コロナが終息しても人は死ぬ」がおもしろかった。

 

 (略)私の周囲には、引きこもりの若者や、一刻も早く死にたい女性や、逆に死ぬのが怖くてたまらない青年が群れ集っているが、そんな彼らは、このコロナ時代、まるで異なった見方をしている。メールで、長く引きこもっているある青年に「たぶん、最近きみ元気になったんじゃないの?」と聞いてみると、「ええ、不思議なことに元気が出てきました」との返事。そして、そのあとが傑作である。「先生、みんな、なんで外に出たがるのか不思議です」。こういう人間もいるのだ。しかも、かなりの数。(2020年6月3日の東京新聞・夕刊)

 

 中島さんは、東日本大震災のような未曾有の災害になると、「普通」がまかり通ると言う。普通以外の言葉は封じられ、普通の苦しみしか許可されない。

  今回の新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の状態においても、中島さんの周囲に集まる「普通じゃない人びと」の言葉は、おそらく抹殺されてしまう。「なんで外に出たがるのか不思議です」という青年が、緊急事態宣言が解除されて、どういう気持ちでいるのか知りたいと思った。

  夕方散歩に行くことにした。歩いたほうが気分が少し軽くなる。それと、緑内障なのでパソコンを見たり本を読んだりしていると、目のピントがボケてくるから、外に出て遠くを見たほうがいい。

  環八を渡って砧公園に入ると、空気が変わる。湿気で空気は重いけど、林の中に入ってマスクを外すと木や草の匂いがして、体や心を癒してくれる感じがする。この公園があって本当によかったとしみじみ思う。

 

 

 砧公園は自然が多いこと、広いこと、いつでも入れること、どこでも歩けるところがいい。

 

6月5日(金)

 昨夜は早めに寝たので6時に目が覚めた。キー坊はまだ来ていない。

 タバちゃんが起きてきてゴハンをねだるので、猫缶を開けてあげる。猫トイレを掃除したり、猫の皿を洗ったり、自分の朝食を作って食べたりしていると、ネズミさんが起きてきたので、猫缶にテンカンの薬を混ぜてあげるが、食べない。ガッカリする。薬が入っていることを察知して食べないのか、食欲がないのか。薬は結構高いので無駄にしたくない。ラップして置いておく。

 二階に上がると、ネズミさんがあとを追ってヨイショヨイショと階段を上がってくる。年寄りなので、階段を上がるのもやっとだ。

 トレペがかかったような空の下。ベランダでネズミさんをブラッシングしてあげると、気持ちよさそうに目を細めて体を伸ばす。本当はこうして欲しかったのか。こういう瞬間、ネズミさんがいてよかったとシミジミ思う。長生きしてもらいたい。

 家事をやり終えると虚無感に襲われる。今日もただ時間だけが過ぎていくだけなのかと思ったりする。

 何かしないといけないと思い、パソコンの前に座って、「家ごもりヘロヘロ日記」の4回目を書き始めたら、結構おもしろくなってきた。やっぱり、何かに集中できればウツっぽくならない。

 自分がウツ病になるとは思わないけど、このごろ気持ちが沈んでいて、何をするのも面倒になっている。「ウツ病はこうしてなっていくんだな」と、ウツ病の入口が見えたような気がした。本当はどうなのか知らないけど。

 原稿を書くのもきつくなったので、気分転換にキッチンを片づけていると、高級そうな紅ズワイ蟹の缶詰が2個出てきた。誰かにもらったものだが、誰にもらったか忘れてしまった。賞味期限を見ると、2011年8月となっている。捨てるのはもったいないけど、食べるのも怖い。

 缶が膨らんでなければ大丈夫という意見もあるが、食べるのは怖い。

 

6月6日(土)

 昼過ぎに家を出て、美子ちゃんと明治神宮前のartspace AMへ荒木経惟展「エロッキー・エロえんぴつ」&「傘寿」を観に行く。

 駅に向かって歩いているとき、マスクを忘れたことに気づく。「ダメじゃない。玄関にマスク貼りつけて置かないと」と、美子ちゃんが言う(あとで考えたのだけど、僕がマスクをしていないことに気づかなかったのだろうか)。いまはどこに行くにもマスクが必要だけど、マスクをする習慣が身につかないのでよく忘れる。ちょうど、ネズミさんを貰ったペットショップの前を通りかかったところで、「ここに売ってるよ」と美子ちゃんが言うので入ってみると、猫柄のマスクが500円で売っていたので買う。店員さんが手作りしたマスクだそうだ。

 

 猫マスクで荒木経惟展に行く。

 

 artspace AMはいつも照明を薄暗くしている。入ってすぐ目を引いたのは、山田風太郎『人間臨終図巻』の永井荷風と谷崎潤一郎について書かれた箇所を引用した荒木さんの「書」だ。ただならぬ雰囲気が漂っている。

 

 死体は南向きうつぶせで紺の背広コゲ茶のズボンをはき、頸にマフラーを巻いていた。吐血したらしく、畳三十センチ四方が血に染まっており、まくらもとの火ばちに吐いたらしい飯つぶがついており、つねに大金を入れて持って歩いていたといわれるボストンバッグはまくらもとに置いてあった。

 

一、余死する時葬式無用なり。死体は普通の自動車に載せ直に火葬場に送り

骨は拾うに及ばず。暮石建立亦無用なり。新聞紙に死亡広告など出す事元より無用。

一、葬式不執行の理由は御神輿の如き霊柩自動車を好まず、又紙製の造花、殊に鳩などつけたる花環を嫌うためなり」

八十歳で死んだ人 

山田風太郎「人間臨終図巻」

 

 この2つの書に圧倒される

 

 「エロッキー・エロえんぴつ」は、モノクロ写真の上に体の輪郭線を描いたり色をつけたりした作品。よく見ると写真に網点があるので、キューレーターの本尾久子さんに聞いてみると、一度印刷した写真の上に荒木さんが描いたのだとか。手が込んでいる。

  しばらくすると入口がザワザワッとして、荒木さんが現れた。荒木さんに会うのは久しぶりだ。本来なら、5月25日に荒木さんのバースデーパーティーが行われて、ペーソスが曲を捧げることになっていたけど、コロナで中止になってしまった。でも、元気そうな荒木さんを見てほっとした。

 

6月7日(日)

 午後3時ごろ、僕が所属しているバンド「ペーソス」のボーカル島本慶さんから電話があった。いきなり「末井さんはどこに住んでるの?」と聞くので、「用賀ですよ」と言うと、「あ、桜新町じゃないんだ」と残念そうに言う。桜新町は用賀の隣だ。島本さんは何回かうちに来たことがあるのに、忘れているのだろうか。「どうしたの?」と聞くと、税理士を探しているらしい。

 だいぶ前、島本さんが社長の編集プロダクション株式会社SKIPの売り上げがコロナで落ちたと言っていたので、電話で「島本さんの会社、持続化給付金がもらえるんじゃない?」と言うと、「え、何それ?」と言うので、持続化給付金のことを教えてあげたら、税理士に相談してみると言っていた。その税理士と2週間も連絡が取れていないらしい。「住所は?」と聞くと、桜新町ということしかわからないと言う。会社の税理士なのに。

 それで島本さんは、桜新町を歩いて税理士を探そうと思っているらしい。僕に一緒に探してもらいたいような雰囲気が伝わってくる。

 「探すって、住所がわからないのなら、探しようがないじゃない」と言うと、「いや、交番に行ってみようと思って」「交番?」「孤独死してるかもしれないので、そういう人がいたかどうか聞いてみようと思って」と言う。島本さんはこれまでに、友達の孤独死を2人も発見している。

 「これから桜新町に行ってみます」と言って、電話が切れた。電話が切れたあと、同行してあげればよかったかなと思ったけど、面倒なので電話しなかった。

 

6月8日(月)

 昨日の税理士のことを聞こうと思って島本さんに電話したら、交番に行ったけどわからなかったらしい(そうだと思っていたけど)。ところが、今日税理士から電話があったとか。

 「えっ、電話あったの?」「うん。熱が出て2週間寝てたらしいんだけど、今日下がったから電話したって言うんだよね」「コロナ?」「うん。コロナって言わないけど、2週間だからね」と言って、島本さんは笑っていた。孤独死じゃなくてよかった。よかったのか?

 

6月10日(水)

 7時に目覚まし時計をセットしておいたのだが、6時半に目が覚めた。目覚まし時計をかけると、決まってその前に目が覚めてしまう。早く起きないといけないと無意識で思っているのだろうか。

 朝食の支度をして、7時に美子ちゃんを起こした。このごろはだいたい8時半ごろ来るキー坊が、今日は7時に来ていた。僕らが出かけることを察知しているのだろうか。

 

 最近なついてきて、こんな表情もするようになったキー坊。

 

 胃カメラや大腸検査でお世話になっている新宿のクリニックから、「希望者に抗体検査をします」という案内がきたので夫婦で申し込んだ。抗体があればコロナに感染していたことがわかるし、免疫力も増す。

 僕らが最初だから、当日9時20分までに来てくださいと言われていた。モタモタしてしまって、家を出たのが8時半、間に合うかどうか微妙なところだ。

 ラッシュ時だから混雑を心配していたけど、電車は全然混んでなくて2人とも座れた。リモートワークが多くなって通勤する人が減ったのか。

 渋谷の山手線の改札で、美子ちゃんが「カードに残金がな〜い」と泣きそうな声で言い出した。改札が改装されて券売機がなくなっていたので、チャージすることもチケットを買うこともできない。

 僕が先に改札を入って、中の精算機で美子ちゃんのパスモにチャージすることにした。それを改札越しに美子ちゃんに渡そうと思ったら、駅員さんに1回外に出てくれと言われた。これで5分のロス。

 新宿駅に着き、歩くと間に合わないので西口のタクシー乗り場に行く。慌てていたので、美子ちゃんが転んでまた大騒ぎ。なんとか9時25分にクリニックに到着したが、すでに抗体検査は始まっていて、僕らは次の番に入れてもらうことになった。

 担当の医師から、接触や三密に関する質問を受け、もう1人の若い医師から血を取られた。

 15分ほどして僕が呼ばれ、「残念ですけど、マイナスですね」と医師から言われた。「残念ですけど」というのがおかしい。美子ちゃんも残念ながらマイナスだった。抗体検査で陽性になる人は1パーセントぐらいだそうだ。2人で29000円也。

 映画を観にポレポレ東中野へ行くと言う美子ちゃんと、新宿駅で別れる。渋谷のフードショーに寄ってお昼ご飯を買おうと思ったら、シャッターが降りていた。あれ? コロナ自粛? と思ったら、まだ10時30分、開店前だった。地元のスーパーでお昼のオカズを買って、家に帰ってご飯を炊いて昼食を食べ、「家ごもりヘロヘロ日記」を書く。

 夕方、美子ちゃんを誘って砧公園を散歩。夕食後、11時まで「ヘロヘロ日記」の続きを書く。

 

6月11日(木)

 コロナ禍になる前までは毎週通っていた指圧に、2ヵ月ぶりで行く。

 入口で検温と手の消毒をして、パジャマに着替えてベッドに横になる。担当のM先生に聞くと、この2ヵ月間はお客さんの数を制限して営業していたとか。それでも、商店街の人たちでやっている自粛警察が1回来たそうだ。嫌だなぁ、自粛警察って。

 家に帰って7時まで「ヘロヘロ日記」の直し。

 8時から、吉祥寺スターパインズカフェからのヒカシュー生配信「マンスリーヒカシュー6月編〜無観客ライブ」を観る。9時前に「15分休憩します」というのが、生配信ぽくて新鮮だった。最後のほうで、僕らのようなオールドファンのために、「20世紀の終りに」など懐かしい曲も演奏してくれた。

 

 ヒカシューの生配信ライブ

 

 あとで巻上公一さんの奥さんの文子さんからメールがきていて、見ると久しぶりのライブでみんな疲れていたそうだ。配信で観ていると、疲れということを忘れてしまう。本気でライブしてるんだから疲れるのは当たり前だけど、汗とか疲れとか感じないのはメディアのせいだろう。ペーソスも、6月24日の六角精児バンドとのライブを生配信するそうだ。

 今日、東京アラートが解除になったらしい。いったい東京アラートってなんだったんだろう。

 

6月14日(日)

  今日は僕の誕生日。72歳になった。

  美子ちゃんは一昨日ぐらいから「誰か呼ばなくていいの?」とか言っているけど、72歳にもなって誕生日会というのも恥ずかしい。

  本棚を見ると、荒木経惟さんの写真集『72歳』が目に入った。空ばかりの写真をパラパラ眺めて、あとがきを読んでみる。

 

 72歳とゆー年齢は私の父が死んだ年齢で、それも私と同じ前立腺癌でである。

 2008年の秋に癌だと言われて『遺作 空2』を出したが、まだ生きている。今年の5月25日で72歳になった。養命酒の新聞広告によると〈男は8の倍数〉の年齢がヤバイらしい。いまウンコしながら読んでる山田風太郎の『人間臨終図巻』によると、72歳で死んだ人々は、孔子、阿部仲麻呂、西行、沢庵、水戸光圀、ショーベンハウエル(ショーペンのまちがい)、榎本武揚、後藤新平、徳田秋声、添田唖蝉坊、ユトリロ、柳宗悦、佐藤春夫、内田吐夢、リンドバーグ、山本嘉次郎、棟方志功、舟橋聖一、ジャン・ギャバン、ジョン・ウェイン、田村泰次郎、うーん今年死んでもイイかな。(略)

 去年の墓(暮のまちがい)豪徳寺から梅丘に引越して〈西ノ空〉でなく東北にも祈りをこめて〈東ノ空〉を写しつづけているんだけど、もーちょっと生きのびる気がする、80M(80歳のまちがい)までイキそーだ。

 

 そして、荒木さんは今年傘寿(80歳)に、僕は72歳になった。2人とも8の倍数だ。ヤバイのだろうか。

 美子ちゃんのお兄さんの神藏孝之さんから、びっくりするような大きなお花が届いた。

 

 こんな大きなお花をもらったのは初めて。

 

 午後、近くの老人ホームにいる和子さん(美子ちゃんのお母さん)に会いに行く。コロナ感染防止のため外来者は中に入れないので、入口で少しだけ会って話をする。今年90歳になった和子さん、元気そう。

 

 

 和子さん、元気そう。

 

 馬事公苑前三越の中にあるケーキ屋さんに、昨日頼んでおいたバースデーケーキを取りに行き、家に帰ってケーキにローソクを灯し、「ハッピーバースデートゥーユー」を歌い、2人だけのバースデーパーティー。

 

 

 4時ごろ家を出て、恵比寿の東京都写真美術館へ「森山大道の東京 ongoing」を観に行く。

 最初の部屋は無数に反復された唇と、『写真よさようなら』のころの写真をシルク印刷した作品が静かに展示されていた。

 ぶったまげたのは次の部屋のモノクロの写真群だ。東京のどこかを撮った写真なのに、どこだかわからない得体の知れない町に見える。写っている人物も得体の知れない人たちで、すごいエネルギーを感じた。

 そのモノクロ写真群の対面は、東京の町のカラー写真群で、不自然な色なので現実感がない。夢の世界のような写真だった。

 出口のところに、歌舞伎町の愛本店の看板の下の鏡に写っている森山さんの自写像カラー写真が展示してあって、お茶目な感じがした。

 

 後日、森山さんのマネをして撮った自写像。

 

 6時ごろ写真美術館を出て、恵比寿駅前にある席がものすごく密なタイ料理屋で食事。僕らのほかに女性2人のお客さんのみだった。

 そのあと、ヒューマントラストシネマ渋谷で、美子ちゃんが観たいと言うアリ・アスター監督の『ミッドサマー ディレクターズカット版』を観る。

 アメリカの大学生グループが、90年に1度行われる祝祭(ミッドサマー)に招かれて、スウェーデン奥地の村へ行く。そこは古代宗教を信仰する共同体で、太陽は沈まず、花は咲き乱れ、白いドレスをまとった女性たちは美しく、まるで楽園のようなところだった。

  何日も続く祝祭。最初の日に、72歳になった男女2人が、みんなが見ている前で、崖から飛び降りて死ぬシーンがある。そうするのがこの村のしきたりらしい。女性は顔がグチャグチャで即死だが、男性はまだ生きている。すると村人が木の槌を持って······。美子ちゃんは、通常版の『ミッドサマー』も観ていて、このシーンを見て、何人かのお客さんが席を立ったと言っていた。

 映画はおもしろかったけど、72歳の誕生日に、72歳になったら飛び降りる映画を観るとはトホホだけど、そういう偶然がおもしろいといえばおもしろい。

 

6月19日(金)

 今日はJKS47が集まる日。JKSとは「呪殺祈祷僧団」の略で、ウィキペディアには、

1、日本の僧侶が結成した、1970年代に四大公害病の原因企業への抗議のために結成された団体。正式名称は、公害企業主呪殺祈祷僧団。

2、福島原子力発電所事故の問題と安全保障制への抗議を目的に、2015年に結成された団体。正式名称は、呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)。1の団体と構成員が異なるが、その思想を継承したとして1の団体の「再結成」を自認する。

 

とあるが、2のほうだ。現在は「日本祈祷僧団」と改名していて、経産省正門前に設営された脱原発運動のシンボル「脱原発テント」(テントは撤去されていまはベンチだけど、こう呼んでいる)の横で、毎月「JKS47遊撃的月例祈祷会」を行っている。

 祈祷会の前に、テントに座り込みしている方々へのねぎらいも込めて、歌や楽器演奏、踊りなどを披露していて、僕はテナーサックスで参加している。

 残念ながら、本日は雨。いつもはわれわれの演奏や読経を(たぶん)楽しく聞いてくれている経産省のガードマンの人たちも、玄関奥に引っ込んでいて、一見無観客の状態で、絶叫やら演奏やら祈祷やら読経が進んでいくように見える。誰も聴いていないように見えるけど、僕は経産省全階の皆様が聴いてくれていると思ってサックスを吹いている。

 

 「死者が裁く!」雨の中のJKS47遊撃的祈祷会

 

 夕方5時に終わって、真っすぐ帰ってくる。

 家に帰ると、亜衣ちゃんが来ていて、美子ちゃんがビデオカメラをセッティングしてインタビューしていた。美子ちゃんがいまピスケン(曽根賢氏・元『BURST』編集長)の映画を撮っていて、そのためのインタビューだ。亜衣ちゃんのお兄さんとピスケンはバンドをやっていたこともあり、亜衣ちゃんもピスケンのことはよく知っている。

 『写真時代』で、荒木経惟さんが撮る写真のモデルに、亜衣ちゃんになってもらったことがある(ヌードじゃないですよ)。35年ほど前のことで、そのとき亜衣ちゃんはまだ中学生だった。

 新宿中央公園で撮影していたら、制服を着た亜衣ちゃんが歩いている向こう側に、赤ん坊を抱いた男性、お婆さんの車椅子を押すお爺さん、乳母車を押す女性2組、子供の手を引くサングラスの男性、子供の手を引く女性が、1列で並んだ瞬間があった。もちろん荒木さんはすかさず写真に撮っている。

 

 まるでエキストラを配置したような写真

 

 この写真は不思議な写真だ。偶然撮ったというより、映画の撮影のように人を配置して、「ヨーイ、スタート!」で撮ったような写真だ。しかも、赤ちゃんからお婆さんまで、人生がすべて入っている。荒木さんはそのとき、「天才は呼ぶんだよな」と冗談ぽく言っていたけど、本当にそうだと思う。

 35年も経っているのに、亜衣ちゃんが昔とあまり変わってないのに驚いた。

 

6月22日(月)

 朝から雨だ。新聞を取りに行こうと思って玄関を開けると、キーちゃんがいた。ずっといたのだろうか。

 桐生にいる近松さん(僕が看板屋に勤めていたころからの友達)から、ドウダンツツジが届いた。近松さんはある時期、仲間と一緒にドウダンツツジを採って暮らしていたことがある。「1ヵ月は持ってくれると思います。群馬の山の風情を楽しんでいただければ幸いです」とメールがあった。

 近松さんには、僕の自伝映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』(監督・冨永昌敬)で使うキャバレーのポスターを描いてもらった。それをもらいに桐生まで行って、45年ぶりぐらいに再会することができた。顔はお爺ちゃんみたいになっていたけど、話すと昔と全然変わっていないのが嬉しかった。また会いに行きたい。

 内田真由美さんが編集した『荒木経惟、写真に生きる。』という本が送られてきた。ハードカバーの豪華な本だ。

 カラーページは、荒木さん最新の撮り下ろし写真。首のちぎれた人形、目から血を流した人形、人形の生首が乗った養命酒の瓶、人形を包み込む花々······どれも「死」を感じさせる写真だけど、ユーモラスなところもあって思わず笑ってしまう。

  文章ページは、「荒木経惟 写真に生きる 写真人生の出会い」という内田さんが荒木さんをインタビューしたページだ。12章まであって、その中に「最初から惚れた。『写真時代』編集長、末井昭さんとの出会い」という章がある。その中で荒木さんが次のように話している。

 

 末井とは、雑誌も一緒にやって、写真集も何冊出しただろうな。あの頃は、週に何度も会ってたね。俺の80年代は末井がつくったようなもんなんだ。最初から俺のことを見抜いていたわけだよ。末井は俺のことを〝雑誌みたいな人〟って言うんだよね。いろんな要素を持ってるから、いろんなものがつくれるって。

 

 ここのところを読んで、少し涙ぐんでしまった。荒木さんは11年前に『遺作 空2』という写真集を出しているけど、『荒木経惟、写真に生きる。』は、まるで荒木さんの遺書のようにも感じられる。最後にある荒木さんの80年の年譜は緻密ですごい。内田さん、頑張ったね。

 

6月24日(水)

 曇り空だけど雨は降らないらしい。今日は「六角精児・島本慶・末井昭バースデー・ライブ」が、下北沢のラ・カーニャである。出演は六角精児バンドとペーソス。ペーソスは3ヵ月ぶりのライブだ。サックスを吹いてないからちょっと不安だ。

 それでも家で1時間ほど練習したのだが、それ以上吹くと口の周りの筋肉が弛緩したようにフニャフニャになって、音程が不安定になるからやめた。

 5時集合ということなので、4時にサックスを背負って家を出る。千歳船橋まで歩けば小田急線で下北沢まですぐだけど、25分歩くのはつらいから、用賀から三軒茶屋回りで行くことにした。

 三軒茶屋からバスで下北沢へ。ラ・カーニャに4時45分に着くと、六角精児バンドのリハが終わったところだった。「六角さん、誕生日おめでとうございます」と言ったかな? 六角さんも島本さんも今日が誕生日で、僕も6月生まれということでつけ加えてもらっている。

 教会でオルガンも弾いているPAの加納厚さんに挨拶。加納さんがPAをやると、サックスの音がよくなる(サックスだけじゃないけどね)。ペーソスのライブにも、ギャラが払えるときは来てもらっている。

 5時になってもペーソスのメンバーは誰も来ない。5時20分になって、ギターの米内山くんが現れた。「5時集合でしょ」と言うと、「5時半ですよ」と言う。最近こういう時間間違いがよくある。

 全員集まったところで、ダラダラとリハを始める。司会の井原さんがクリアファイル切って作ったフェイスシールドを人数分持ってきていて、1枚もらってメガネにつけてみたけど、これじゃあサックスは吹けない。

 リハで新曲の「みんな唄になれ」をやった。Gのキーの音源を送ってもらっていたのだけど、島本さんが歌いづらいということで、半音上げることになった。いきなりキーが変わると僕は困る。でも、なんとかなるだろう。

 今日はラ・カーニャ初の生配信もするそうで、配信担当の有馬自由さんがカメラを3台立てている。7時ごろからお客さんが入ってきて、30人限定だったのですぐ満員になった。飛沫防止のため、マスクに穴を開けてサックスを吹いてみると音が出るので、これでやってみることにする。

 7時半開演。1曲目の「みんな唄になれ」で、米内山くんがいきなりキーを間違えたので緊張が解けた。ペーソスは9曲演奏して、1時間のステージを終えた。いつもと同じことをやってるだけだけど、久しぶりのライブなので、お客さんも盛り上がってくれて楽しかった。

 

 

 飛沫防止対策でマスクに穴を開けて吹いてみたら音が出た。肝心のボーカルがノーマスク。マスクしてたら歌えないもんね。

 

 六角精児バンドはブルース度が高くなっていた。六角さんのMCはおもしろいし、江上さんのギターは胸にしみるし、いいバンドだなぁと思いながらビールを飲みながら聴いていた。

 昨日から気持ちが沈んでいたけど、ライブが終わったらテンションが上がっていた。ライブが多いときは行くのが面倒なこともあったけど、自分にとってペーソスのライブは精神的に必要なんだと思った。

 

6月28日(日)

 8時ごろ起き外を見ると雨。キー坊がいつも来る時間だけどいない。雨だからどこかにこもっているのだろうか。

 新聞を見ると、札幌第一ホテルが6月20日に閉館したという記事があった。札幌第一ホテルにはお世話になっていて、ペーソスの北海道ツアーのとき、いつもこのホテルの宴会場を使わせてもらっていた。68年続いたホテルなのに、コロナで利用者が激減して閉館を余儀なくされたそうだ。残念。

 コロナではなくビルの老朽化で、6月いっぱいで閉店する老舗ホストクラブ「愛本店」が、昼間1000円カフェを始めたという新聞記事を見て、美子ちゃんと今日行ってみることにしていた。今日がその最終日だ。

 美子ちゃんは、カフェは午後2時からなので、その前に武蔵野館で『サンダーロード』という映画を観たいと言う。美子ちゃんが上映時間を調べると10時45分からだ。なんとか間に合うだろう。 

 雨もやんできた。9時半ごろタクシーを呼んで千歳船橋駅まで行き、小田急線で新宿へ。10時20分に新宿に着いた。

 『サンダーロード』の監督はジム・カミングスという人で、脚本、編集、音楽、そして主演までしている。

 妻と別居し、仕事もトラブル続きのテキサス州の警官ジム・アルノーは、母親の葬儀で、母親が好きだったブルース・スプリングスティーンの「涙のサンダーロード」に合わせてダンスをしようとするが、ラジカセの故障で音が流れない。仕方なく無音でダンスをするのだが、みんなは怪訝な顔で見ている。それはバレエ教室を主宰していた母親への思いを込めてのダンスだったのだが、葬儀でヘンな踊りをする奇行男という噂が広まる······。

 何をやってもうまくいかない、感情にもろい男の話。おもしろかった。

 映画は1時間半で終わり、お腹が空いたので船橋屋で天ぷらを食べ、伊勢丹でお中元を送り、新館のバーゲンでシャツとパンツを買い、ぶらぶら歩いて歌舞伎町の「愛本店」に向かう。

 「愛本店」に行くと、同じような花輪がずらっと並んでいた。行列ができているかと思ったのだが、人はまばらだ。階段を降りていくと、係りの人が「整理券ありますか?」と言う。えっ、整理券? 整理券がいるのか。整理券は朝10時から配布したのだけど、50メートルほどの行列ができたと係りの人が言う。映画観たり、天ぷら食べたり、デパートにいったりしている場合じゃなかったか。豪華シャンデリアや金色のライオン、見たかったなぁ

 

 豪華絢爛な内装を見たかったなぁ。

 

 この「愛本店」がある場所は、通称「コマ裏」と呼ばれていたところだけど、ここ数年来たことがなかった。昔はちょっと怪しい場所だったのだけど、いまはホストクラブだらけになって、町がガラッと変わった。歌舞伎町はすごいスピードで変わっていく。

 今日はキー坊と会えない日だった。先に帰った美子ちゃんは、キー坊が来たのでゴハンをあげたと言っていた。

 

6月30日(火)

 6時半に起きて庭を見ると、もうキー坊が来ていた。

 

 今日はずいぶん早いね、キー坊。

 

 いつものように淡々と朝食の用意。1人で朝食を食べ、昨日の新聞を読んでいると、世界で新型コロナウイルスに感染した人が、米ジョンズ・ホプキンス大学の集計で、累計1000万人(死者は50万人)になったという記事があった。世界はこれからどうなるのか。自分の気分とあいまって、世界が終わるような気分になる。

 11時からO先生に来てもらってヨガ・レッスン。1時間半やると、体がグッタリ疲れて何もする気が起こらない。気持ちも沈んでいく。

 何もしないまま夕方になってしまった。

 雨と風が強くなってきた。

 キー坊はどうしているだろう。

 早く梅雨が明けて欲しい。

  (つづく)  

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著者略歴

  1. 末井昭

    1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウィークエンドスーパー』、『写真時代』、『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社、現在はフリーで編集、執筆活動を行う。
    『自殺』(小社刊)で第三〇回講談社エッセイ賞受賞。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北栄社/角川文庫/ちくま文庫/復刊ドットコム/2018年に映画化・監督 冨永昌敬)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『結婚』(平凡社)、『末井昭のダイナマイト人生相談』(亜紀書房)、『生きる』(太田出版)、『自殺会議』(小社刊)などがある。令和歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。
    Twitter @sueiakira

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