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家ごもりヘロヘロ日記

ナナシーの日、田山幸憲さんのお墓参り。小説にノラのキー坊登場! 年1回の人間ドックと年2回のお楽しみ。「森山大道 東京パンデミック」など

 

7月4日(土)

 今日7月4日は「ナナシーの日」だ。

 ナナシーとは、パチンコメーカー豊丸産業が1996年に発売した人気機種の名称だ。液晶画面の上段下段に3個ずつの絵柄が表示され、上段と下段ともにゾロ目になると大当たりになる台で、デジパチではなく一般電役機だ。絵柄は赤色と黄色の7と$と¥で、7SYだからナナシーと名づけられた。

 雑誌『パチンコ必勝ガイド』で「パチプロ日記」を連載していた田山幸憲さんも、用賀のパチンコ店で最期まで打っていたのがナナシーだった。

 

 田山幸憲『パチプロ日記』全10巻と『ベスト・オブ・パチプロ日記』上巻の扉写真 

 

 ウィキペディアで「田山幸憲」の項を読んでみると、〝1988年、当時パチンコ必勝ガイド編集長だった末井昭が田山と初対面する。第一印象は「なんか胡散臭い人」〟という記述がある。『パチンコ必勝ガイド』の編集長といっても、まだ創刊号が出る前で、パチンコ業界のこともわからないまま、原稿を書いてくれる人を探しているころだった。

 パチンコの入門書も出している出版社の編集者に、パチンコについて書ける人を2人紹介してもらった。そのうちの1人が、田山幸憲さんだった。「東大を中退したパチプロ」として週刊誌に登場し著書もあるらしい。送ってもらった電話番号を書いたファックスには、田山さんの名前のあとに、(アル中)と書いてあった。ちなみにもう1人は、パチンコ店コンサルタントの小田扶さん。こちらは(ヤマ師)だった。2人とも当たっていた。

 1988年の9月半ばだったと思う。田山さんが指定した池袋西口にあるネスパという喫茶店に行くと、田山さんは先に来ていて、隅っこのテーブルで煙草を吸っていた。パチプロだからヤクザっぽい人を想像していたけど、ちょっと長髪で、終始うつむき加減で、(当時41歳だったのに)内気な青年という感じの人だった。

 田山さんには、パチプロ入門のようなことをインタビューしようと思っていたので、「パチプロに憧れる人もいますよね。どうしたらなれるんですか?」と聞いたら、「パチプロなんかになるもんじゃないよ」と真面目な顔で言う。「どんな仕事でも、一応は社会や人のために貢献しているわけでしょう。パチプロなんて、何も貢献してないでしょう」と、パチプロの田山さんは言うのだ。「えっ?」と思うほど真っ当な話だ。「ごもっとも」とは思うものの、それじゃあ記事にならない。

 でも、本当のことを言うと、僕は昼間からパチンコ店にたむろしている人たちを、人間のクズのように思っていたのだ。

 『写真時代』が発禁になってウツ状態になっていた。いろんな人に迷惑をかけたことが一番の原因だが、次に何をやったらいいのかわからなくなったこともある。『写真時代』に代わる新しい雑誌を創刊しなければならないのだが、エロ雑誌はもう作りたくなかった。かといって、ほかに作りたい雑誌もない。

 あるとき社長が、『パチンコ㊙︎情報』という雑誌を持ってきて、僕の机の上に置いて行ったことがあった。こういう雑誌を作れということかなと思ってパラパラめくってはみたけど、パチンコに関心がないのでやる気が起こらなかった。  

 ところが、ふとしたことでパチンコにハマってしまい、やることがないからパチンコばかりするようになった。毎朝パチンコ店に直行し、昼過ぎまで打って会社に行っていた。ときには夕方まで打ってしまうこともあり、「俺、何やってんだろう」と思いながら、会社に夕方出勤していた。自分も「人間のクズ」になりかけていた。

 パチンコ雑誌を作ろうと思ったのは、ほかにやりたい雑誌もないし、パチンコ雑誌を出せば、昼間からパチンコを打っても、誰からも文句は言われないだろうぐらいの、いい加減な気持ちからだった。

 だから、本気で田山さんにパチプロになる方法を聞きたかったわけでもなかった。そういう記事を載せるとパチンコ雑誌っぽくなると思ってインタビューしたのに、田山さんは本気で答えてくれているのだ。パチプロにもこんな正直な人がいるんだと思って、「パチプロは人間のクズ」と思っていた自分が、すごく恥ずかしくなってきた。

 そのあと、田山さんの日々の生活を聞いてみたら、パチンコを打つのは4時ぐらいまでで(4時以降はサラリーマンに譲るとか言っていた)、そのあとは仲間と飲みに行くらしい。稼ぎは平均6、7千円ぐらいで、飲んだあと千円残るのが理想だと言う。家に帰ってその千円を引き出しに入れて、何かあったときの保険にしているそうだ。なんと慎ましい生活なんだろう。

 別れ際に、田山さんにまた会いたくなって、日記を書いてもらうことを半ば強引にお願いした(田山さんから見て、そういうところが胡散臭かったのかもしれない)。田山さんの「パチプロ日記」の連載はそうして始まった。

 「パチプロ日記」の原稿をもらうのは、いつも池袋のパチンコ店だった。出る見込みがあると思う台を教えてもらって打ったり、田山さんや仲間の人たちにくっついて、飲み屋に行ったりしていた。飲み屋での話題はいつもパチンコの話で、みんなでその日打った台のことを楽しそうに話していた。私生活の話が一切出てこないのは、あえてそのことに触れないようにしてるのではないかと思ったりした。

 パチプロなんて、自己中心的でガツガツ稼ぐことしか考えてないと思っていたのだけど、田山さんのように、その日酒が飲めればいいという、欲のないパチプロもいるのだ。田山さんの周りには、社会復帰しようとして会社に勤めたけど、繊細がゆえに勤まらなくて、パチンコ店に戻ってきた人もいる。もともと社会生活ができなくて、パチプロをやっている人もいる。

 そんな社会からドロップアウトした人たちに向けて雑誌を作るんだったら、本気になれるような気がした。田山さんに会ったことで、『パチンコ必勝ガイド』をやっていく心の支えができたように思った。

 田山さんの「パチプロ日記」は、稼ぎは地味だけど嘘がない独特の文章で、それに共感する人が増えていった。田山さん宛のファンレターがくるようになり、田山さんが打っているところを、わざわざ見に行く人も出てきた。

 田山さんは、最初「パチプロ日記」を書くことを嫌がっていたけど、「パチプロ日記」で励まされた人たちが増えてくると、それがライフワークのようになっていったのではないかと思う。

 田山さんが舌ガンで東京大学付属病院に入院して、大変な手術をしたのは1995年のことだった。翌年の1月に退院したのでみんな喜んで、入院前のように田山さんと飲んだり麻雀したりしていたのだけど、退院から4年4ヵ月で再発した。ガンは5年を経過して再発しなければ、治癒したものとみなされると聞いていた。あと少しのところだった。

 

(略)分院でガンの転移を知らされた時は目の前が真っ暗になるほどのショックを受けたが、それならばそれでいいと割り切った。とりあえずガンを縮めた形で退院し、後は「丸山ワクチン」でも射ちながら、残された人生をマイペースで生きて行こうと考えた。そして、退院。予定どおりに事が運んだかに見えたのだが······。この「潰瘍」は思ったよりもはるかに手ごわい。舌だけでなく、喉までも腫れ上がってくる。従って、口腔が狭くなり、ひどくなると、呼吸困難を起こすに到るらしい。その場合は喉の外から穴をあけてバイパスを通す手術を行うのだとか。くわばら、くわばら······。(田山幸憲『パチプロ日記 10』2001年1月4日)

 

 2001年7月4日、田山さんは、ガンの容態が悪くなって入院していた、東京大学付属病院で亡くなった。

 7月4日はナナシーと読める。そして、お葬式は7月7日だった。7のゾロ目だ。「さすがパチプロ」と、みんな思ったのではないだろうか。

 ということで、田山さんの命日を「ナナシーの日」と、いつからか言うようになった(豊丸産業は7月4日を「ナナシーの日」として日本記念日協会に申請し、2015年に認定されている)。

 毎年「ナナシーの日」が近づくと、田山さんのパチンコ仲間だった人や、田山さんの元担当編集者や、田山さんを慕うライターの人や、田山ファンの読者の人たちが連絡を取り合い、墓参りをするようになった。それは19年続いていて、僕も欠かさず行っている。それだけ長く続くと、だんだん人が減っていくものだけど、不思議なことにだんだん増えてきて、去年は25人ほどの人がお墓の前に集まった。

 今年はコロナだから、みんなで墓参りするのは中止にしませんかと、幹事役のウエチュー(田山さんの元担当編集者の上中理香さん)からメッセージがあった。行きたい人は個別に行きなさいということだ。1人で行くのもつまらないので、行こうかどうしようか迷っていたら、昨日の夜ウエチューから、明日は小野くん(モデル・オノ。田山さんの仲間)たちとお墓参りに行って、そのあと溝の口で飲むけど、その飲み会に来ませんかというメールがきていた。

 溝の口は近いから、行くのはやぶさかではないのだけど、せっかくお墓参りに行くんだったら、僕も連れて行ってもらおうと思ってウエチューに電話すると、小野くんが車を出すようなので、2時過ぎに八柱駅でピックアップしてもらうことになった。

 

 6時45分に目が覚めた。外を見ると雨が激しく降っている。これまで、田山さんの墓参りの日に、雨が降った記憶がない。でも、今日はダメだろうと思っていたら、2時間ほどして止んだ。すると、そのときを待っていたかのように野良猫のキー坊が現れた。ゴハンの用意をし、スマホを向けると、尻尾を足元に巻きつけてポーズを取ってくれる。かしこい猫だ。

 

 写真を撮ろうとすると尻尾を巻いてこのポーズをするキー坊

 

 10時ごろ家を出て、二子玉川回りで代官山へ行く。頭がボサボサなので、いつも行くヘアサロンを予約していた。OOOYY(オーオーシカシカ)に11時5分前に着き、担当のマミさんに1時ごろまでに終わらせてもらいたいと言うと、「大丈夫ですよ」とのこと。お互い観た映画の話などしながらカラーとカットをしてもらい、12時20分に終わった。思ったより早く終わったので、近くの蕎麦屋でカツ丼を食べて、東横線・副都心線で明治神宮前まで行き、千代田線に乗り換えて松戸まで行く。松戸から新京成線に乗り換えて、八柱駅に2時17分に着いた。

 八柱の駅を出たらギョロ、株屋、小野くん、ウエチューがいた。ギョロも株屋も、田山さんのパチンコ仲間だった人たちだ。小野くんが運転する車は、真新しい7人乗りのホンダのセダン。レンタカーらしい。その車に乗せてもらって八柱霊園へ。

 広大な霊園の一角にある田山家のお墓に行くと、雑草が生えていてちょっと寂しい。花も供えられていない。誰も来ていない雰囲気だ。

 雑草を抜いたり、お墓を洗ったりしていたら、待ち合わせたわけではないのに、鷲津くん、ポロリくん、小池さんが来た。ウエチューが花を供え、線香に火をつける。鷲津くんが缶ビール、小池さんがワンカップの日本酒を供える。1人ずつお墓の前で手を合わせる。終わって記念写真。

 

 田山家のお墓の前で。左から株屋、ポロリ、ギョロ、モデル・オノ、末井

 

 帰りは高速を使って溝の口まで1時間と少しで帰ってきた。小野くんが車を駐車場に入れ、スマホで精算。レンタカーじゃなくてカーシェアのCARECOらしい。半日借りて4千円だとか。そのあと近くの「上ちゃん」という居酒屋で、ギョロ、株屋、小野くん、ウエチューと打ち上げ。

 毎年、墓参り後の宴会では、田山さんの思い出話になるのだが、みんな田山さんを尊敬しているというより、慕っているところがいい。田山さんの子どもたち(田山さんと親子ぐらい離れているのでそう呼んでいる)も、田山さんが亡くなったときの年齢(54歳)に近くなってきた。田山さんのように独身の人もいるし、家庭を持って子どもがいる人もいる。でも、みんな昔とまったく変わらない。一緒にいても気を遣うことがないので、ほんとうに居心地がいい。

 

 いい雰囲気の溝の口駅西口商店街

 

7月5日(日)

 8時30分起床。風呂に入る。体重計に乗ると、昨日の朝より1キロ増えていた。

 昨日、田山さんの墓参りに行ったり、溝の口で飲んだりしていたころ、熊本では大変なことが起きていた。球磨川が全域で氾濫し、15人が心肺停止になり、11人が行方不明になっている。コロナの次は水害か。いや、コロナが終息したわけではない。昨日の東京都の新たな感染者は131人で、5月25日に緊急事態宣言が解除されてから最多となった。コロナはインフルエンザみたいなものだと言う人がいたが、夏になっても収まらないのはどういうわけだ。わからないことだらけで、とにかくマスクをすることしか防ぐ手立てはない。

 12時前に美子ちゃんとマスクをして、都知事選の投票に行く。2人とも山◯太◯を入れる。そのついでにEDLPのOKストアへ行き、いなり寿司、サラダ巻き、カレーセットなどを買ってきて昼食。

 3時から1人で散歩。しばらくしてから、マスクを忘れたことに気がついて取りに帰る。1人だとマスクをよく忘れる。まだまだ自分の中で習慣化できていない。

 今日はいつもの砧公園じゃなくて、馬事公苑前のケヤキ広場に行ってみる。葉が生い茂っていてケヤキドームのようだ。オリンピックのための工事で、馬事公苑を散歩できなくなり、この広場を行ったり来たりされていた古井由吉さんを思い出す。

 

 馬事公苑前のケヤキ広場

 

 TSUTAYA BOOK馬事公苑店に寄り、上野千鶴子さんと鈴木涼美さんの往復書簡「限界から始まる」が始まった『小説幻冬』7月号を買って、近くのSWEEGICCという喫茶店で読む。性の商品化に対する上野千鶴子さんの辛辣な文章がよかった。

 NHKの8時からの選挙速報を見ると、わずか0・5パーセントの開票で小池百合子が当確。虚しい気持ちになる。本日の東京都のコロナ感染者は111人。

 

7月6日(月)

 ねず美さんが襖をガリガリするので何回か起こされ、最終的に起きたのは7時40分。玄関に行くと、奈良美智マットにキー坊が座っていた。急いでスマホを取りに行き写真を撮ったら、すごすごと猫穴から出て行った。外はかなり激しく雨が降っている。なんだか悪いことをしたような気持ちになるけど、ねず美さんとタバちゃんがいるから、うちの中に入れるわけにはいかない。タバちゃんとキー坊は仲がいいから、ねず美さんが死んだらキー坊を飼うかもしれない。でも、猫にとって飼われることがいいのかどうかはわからない。のびのびノラ生活というのもいいのではないかと思う。

 

 朝起きると玄関にキー坊が座っていた

 

 新聞を見ると「熊本豪雨 死者22人」という大きな見出し。心肺停止が17人、行方不明者11人。その内14人が心肺停止になった、球磨村の特別養護老人ホーム千寿園のことが書いてあった。

 午前5時ごろから球磨川支流の水かさが上昇し、4人の職員で70名の入所者らを起こし、1階の畳部屋や2階に避難させた。そのうち入口まで水がきたので、食卓テーブルを並べてその上に車椅子を置いて入所者を乗せたが、水が部屋に入りテーブル上の車椅子が浮きだした。ものすごい速さで水かさが増したのだろう。

 古井由吉さんの遺稿にあった「あそこはよくない土地だ、と古老たちの戒めるのも幾代かは伝わるが、安穏な年が何十年も続くうちに忘れられて、人家の集まったところで、水が暴れる」という言葉を思い出す。

 雨は午前中に止み、なんとか曇り空をキープしている。今日はペーソスのライブなので、雨が降ってほしくない。

 サックスの練習もしておかないといけないのだが、このところ吹いていないので、あまりやると口の周りがフニャフニャになって吹けなくなる。ということで、ほどほどに吹いて、5時ごろ家を出て、新宿2丁目の道楽亭に向かう。6時5分に道楽亭到着。道楽亭は4ヵ月ぶりだ。

 6時半開場。お客さんは8人。間隔を開けるにはちょうどいい人数だ。1部と2部で15曲演奏して、恒例の打ち上げ。「打ち上げを断って、すぐ帰ってくるように」と美子ちゃんから強く言われていたけど、久しぶりのライブだし、皆さんと話もしたいということで、結局最後までいた。ヤナギサワ・クロッシュの山田さんから、今までで一番いい音だったと言われて嬉しかった。練習してないのにね。

 道楽亭でのライブは2ヵ月に1回だったけど、「毎月でもやりたいですね」と言ったら、店主の橋本さんが「いいですよ」と言うので、毎月やらせてもらうことになった。

 

7月11日(土)

 2時半に寝て6時半に目がさめた。天気は曇り。キー坊は何時ごろ来るのかなと思って庭を見たら、もう来ていた。いつものようにスマホで撮影してゴハンを用意すると、なんだかすごい勢いで食べ、周りが気になる素振りをしていたので庭に出てみたら、木の陰にニセホルがいてこっちを見ていた。

 だいぶ前、いまのキーちゃんのように、毎日のようにうちに来ていたホルスタイン模様のノラがいて、その猫のことをホルちゃんと呼んでいた。そのホルちゃんがつい最近2年振りに現れたので驚いていたのだが、よく見るとホルちゃんではなかった。それ以来、その猫のことをニセホルと呼んでいる。

 キーちゃんとニセホルは、しばらく睨み合っていたけど、ニセホルが逃げて行き、喧嘩にはならなかった。よかった、よかった。

 

 朝早く眠そうな顔でいるキー坊

 キー坊とニセホルの睨み合い

 ホンモノのホルちゃん(2年前に撮影)

 

 『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』ほか、石牟礼道子さんに関する本を書いている米本浩二さんが、毎日新聞九州版で「みっちん大変 石牟礼道子物語」という月1連載を4月から始めている。石牟礼道子さんの家には昔から猫がたくさんいて、その猫たちの視線で石牟礼道子さんの生涯を書くという。その3回目(6月27日掲載)に、キーちゃんが登場していることを、米本さんからのメールで知った。キー坊がモデルらしい。

 

「クロどん、順序というものだよ」とキーちゃんがささやくのだ。最近、吉田組にせりこんできた同輩である。毛並みが黄色だ。毎朝欠かさず庭に来る。キーちゃんの視線に閉口した松太郎は「よかよか、おいてやろうぞ」と苦笑したのである。

 

 キー坊、有名にならないかなあ。キー坊の写真はスマホで毎日撮っている。写真集にならないかしら。米本さんのメールでは、ホルちゃんもニセホルもそのうち登場するらしい。本になったら買おうっと。

 「家ごもりヘロヘロ日記」第5回を12時ごろ朝日出版社の鈴木さんに送る。キー坊の写真が多くなってしまった(今回も多いぞ)。

 昼食のあと、自転車置き場に置いたままの自転車を取りに行き、スーパーFUJIで買い物。外に出たらものすごい雨だった。その雨の中を自転車で飛ばす。気持ちいい。

 夕方から体がものすごくダルくなった。立っているのも辛い。コロナじゃないかと心配になる。

 

7月12日(日)

 6時45分起床。今日は少し日差しがある。調子が悪かったのは寝不足だったようで、ぐっすり寝たら治った。

 7時ごろキー坊が現れた。写真を撮ってゴハンをあげたところでうちの子たちが起きてきて、ねず美さんが水が溜まった庭石で水を飲む。それをキー坊がジッと見ている。どういう心境なのだろう。

 

 水を飲むねず美さんを見つめるキー坊

 

 美子ちゃんが起きてきて、洗濯機だけを回してまた布団に入った。僕は朝食を作って食べ、洗濯物をベランダに干す。雨は降らないらしいけど、湿度が高くてムシムシする。 

 『QBweb』の中の「クイックジャーナル」というところで、連載することになった。「カルチャーからニュースを読む」というページで、20人ほどの人が連載している。4週に1回のペースで、12月までの連載らしい。その1回目の締め切りが迫っているので、今日あたりから書かないといけない。

 1回目は「つげ義春ブーム」について書こうと思っている。ブームかどうかわからないけど、2月にフランスのアングレームで行われた「第47回アングレーム国際漫画祭」で、つげさんが特別栄誉賞を受賞している。それに関連して、フランス語版と英語版の『つげ義春全集』が、それぞれ全7巻で刊行されているし、3月には『つげ義春日記』が講談社で文庫化され、4月から全22巻の『つげ義春大全』も講談社から刊行開始になった。

 とりあえず勢いをつけるため、つげさんの自伝的漫画『大場電気鍍金工業所/やもり』を読んでいると、「洗濯できたよ〜」と美子ちゃんが言う。えっ、また洗濯? 洗濯物を干すのは僕の役目だから仕方がない。

 午後、つげさんが「アングレーム国際漫画祭」の授賞式に出席したことが『芸術新潮』4月号に載っているので、それを読みたくて世田谷中央図書館に電話すると貸し出し中だとか。「探してみましょうか?」ということで、他の図書館を調べてもらったら、烏山図書館にあることがわかった。図書館を利用してないから、そんなことをしてもらえるとは思わなかった。感激。さっそく烏山図書館に電話して『芸術新潮』4月号をキープしてもらう。

 烏山図書館をグーグルマップで調べると、千歳烏山駅の近くだった。距離的にはそう遠くないのだが、電車で行くとかなり遠回りになるので、自転車で行くことにした。

 昼食(焼きそば)を食べて2時45分に出発。しばらく走ってスマホを忘れたことに気づき、取りに戻る。2時50分再出発。環八に出て、芦花公園まで環八沿いに走る。芦花公園を左に曲がり、しばらく行くと踏切があった。おそらく仙川と千歳烏山の中間ぐらいだろうから、線路沿いに左に行けば烏山図書館はあるはずだ。

 

 自転車で環八を走る

 

 烏山図書館は烏山区民センターの中にあった。思ったより時間がかかったなあ。1時間ぐらいか。

 図書館の受付で、予約していることを言うと『芸術新潮』がすぐ出てきた。日曜日のせいか、結構人がいる。それでもソーシャル・ディスタンスを守って、適度に散らばって本を読んでいる。

 テーブルのある席に座り『芸術新潮』4月号を開くと、「つげ義春、フランスを行く」という小特集があった。つげさんの82年の人生で、初の海外旅行らしい。この旅行に一緒に行った編集者の浅川満寛さん(『芸術新潮』の記事もほとんど浅川さんが書いているみたいだ)が、「つげさん、ほんとに行くんですか?」と電話で聞いたら、「いや、僕は行きません」と言っていたそうだが、迷いに迷って、息子さんの正助さんの説得もあって行くことになったらしい。アングレームでは「つげ義春原画展」もやっていて、つげさんを見て泣き出す人もいたとか。

 40分ほど「つげ義春、フランスを行く」を読む。すごくおもしろかった。フランスに行って食事を頼むところもおかしい。つげさんに食べたいものを聞くと、「サンドイッチみたいな軽いもの」と、どこのレストランでも言う。フランスのサンドイッチはバゲットで、決して軽くないのだ。つげさんが「原画展」で自分の作品を前にすると、とたんに饒舌になるところもおかしかった。浅川さんがつげさんと親しいからこんな記事が書けるんだろうな。

 図書館を出て、千歳烏山に来るのは初めてだから、街を少し歩いた。三代目茂蔵で豆腐とあんみつとガンモと豆乳プリンを買う。

 帰りは違うコースを適当に走っていたら、祖師谷商店街に出た。だいぶそれていて遠回りになったけど、いい運動になった。

 

7月14日(火)

 6時半に目覚まし時計をセットして寝たのだが、6時10分にねず美さんに起こされた。もう少し眠りたかったけどが、今日は年に1回の人間ドックの日だ。9時までに新宿のMクリニックに行くので、眠るわけにはいかない。

 仕事部屋に行き、昨夜送った「クイックジャーナル」の原稿を読んでいたら、直したい箇所が出てきたけど、時間がないので諦める。

 胃カメラがあるので朝食は抜き。風呂に入ったり、新聞を読んだりしているうちに7時半になり、出かける用意をする。用賀から渋谷回りで行くか、千歳船橋まで行って小田急線で行くか迷っていると、美子ちゃんが「混雑を避けるんだったら、千歳船橋からの方がいいんじゃない?」と言うので、タクシーを呼んで千歳船橋駅まで。

 Mクリニックに着いて、すぐガウンに着替えて、まずはエコー検査。胸部、首、手のレントゲン撮影、心電図、身長・体重の測定と進み、いよいよ待ちに待った胃カメラだ。

 毎年人間ドックをやるのは、もちろん病気になっていないか確かめるためだけど、胃カメラと大腸検査のときにやってもらう全身麻酔が、僕にとって年に2回のお楽しみということもある。

 治療用のアームチェアで静脈に注射針を射し、検査用の血液を3本取り、そこに点滴(たぶん栄養剤)がつながれ、胃を膨らます薬を飲み、点滴ごと内視鏡検査のベッドに移動する。

 担当のK先生に「お腹の傷がきれいですね」と褒められる。15年前、大腸ガンになって慶応義塾大学病院で手術した傷だ。「慶応で」と言うと「誰ですか?」と聞かれたが、名前が思い出せなくて悔しかった(現「きたみ胃・大腸クリニック」の西堀先生でした)。

 「では、いつものお薬で」と言われ、点滴のチューブから麻酔薬が入ってくる。体が熱くなる。ここが勝負どころだ。目を見開いて、少しでも引きのばして麻酔の感覚を楽しまなければ。とは思うものの、5秒ぐらいで頭がぼんやりしてきて意識がスーッとなくなる。

 終わってベッドで2時間ほど休んで、千駄ヶ谷のエムアールクリニックに移動して、MRIとCT検査。それが終わって駅の方向に歩いていると、新国立競技場が見えてきた。現物を見るのは初めてなので、ちょっと見てみようと思って行ってみたのだが、1周するのに30分もかかってしまった。朝から何も食べてないので、ホープ軒が見えたから思わず入ってしまった。検査のために、胃の粘膜を少し切ったらしいので、本当は胃に優しいお粥かうどんを食べるべきなのだが、ラーメンを食べてしまった。

 それにしても、新国立競技場はデカかった。コロナでオリンピックが延期になってしまい、来年の開催も危ぶまれる状況になってしまうと、大きいだけにデクノボーという言葉が浮かんでくる。

 

 大きすぎて写真に入らない。

 

7月15日(水)

 6時ごろ外に出たがるねず美さんに起こされ、猫穴を開けたままで二度寝して7時ごろ目が覚めた。襖を開けるとそこは玄関になっていて、上がりかまちのところにキー坊が座っていた。最近よくあるパターンだ。

 キー坊は僕の顔を見るとサッと出て行き、いつもの庭石の上にいつものポーズで座っている。今日は小雨が降っていて肌寒い。だから入っていたのか。

 

 こうして見つめられると弱い。

 

 昨日全身麻酔をやったせいか、新国立競技場を1周したせいか、結構疲れている。日に日に、自分が老人になっていくことを自覚してしまう。

 朝食を作って食べて、「家ごもりヘロヘロ日記」5回目の直し。

 昼食後、青山ブックセンター本店の選書フェア「180人が、この夏おすすめする一冊 2020」のおすすめ本とコメントを書く。

 おすすめする一冊は、鳥羽和久さんの『おやときどきこども』(ナナロク社)。コメントは〈「子どもの意志を尊重するということで、子どもの未来への意志を抹殺している。親はその残酷さを知らない」――親と子の関係の真実に迫る本〉と書いた。

 僕たち夫婦には子どもはいないけど、鳥羽さんが書いている「子どもの意志を尊重するということは、子どもの未来への意志を抹殺している」は、ほんとうに目からウロコの言葉だった。

 鳥羽さんは、〝小中学校受験をする子どもの親の中には、「子どもの意志を尊重して」受験させたことをやたら強弁する人たちがいます。〟という前置きから、子どもの意志を尊重する親を、子どもの立場から辛辣に批判します。

 

 しかし問題は、このような親がたびたび子どもの「意志」を言質に取って子どもにがんばる責任と義務を押し付けることです。親は自分の願望を叶えようと執拗に子どもを責め続けます。「あなたががんばると言ったから応援してるのよ。」「自分で受験すると言ったんだから、最後まで全力でやりなさいよ。」親は意志を表明した子どもに対して、自分でやると言ったんだから責任を取れと、苛烈に責め立てます。こうやって責めを負い続けた子どもはいったいどうなってしまうのでしょうか。意志を示すと責められることを知った子どもが、次なる意志を持つことが果たしてできるのでしょうか。

 こうして親は、子どもが本来抱くはずだった未来への意志をあらかじめ抹殺します。子どもは自分の意志が踏みにじられたことがわからないので、意志が薄弱な自分をたよりなく感じて、自信を失っていきます。そして大人は自分の残酷さをいつまでも知ろうとしません。

 

 青山ブックセンター本店の選書フェア「180人が、この夏おすすめする一冊 2020」(9月8日に撮影)

 

 鳥羽さんの本のコメントを書くことが今日の仕事だったから、終わってホッとしていたら、美子ちゃんが「映画を観に行かない?」と言う。もちろん行きますよ。

 美子ちゃんがおすすめする映画は、『タッチ・ミー・ノット ローラと秘密のカウンセリング』。渋谷のイメージフォーラムで上映している。人に触れられることに拒否反応を起こす精神的障害を抱えたローラの物語。監督はルーマニア出身のアディナ・ビンティリエで、初の長編映画だそうだ。この映画で、第68回ベルリン国際映画祭の金熊賞と最優秀新人作品賞をダブル受賞している。

 混んでいるかと思ったら、なんと観客はわれわれ2人だけだった。しかも夫婦割引で入っている。そのためにわざわざ上映してもらうのが、申しわけないような。

 変わった映画でおもしろかったけど、音楽がすごくよかった。音楽に合わせて「ロンリ、ロンリ、ロンリ、ロンリア」と歌いながら小さく踊っていた。

 

7月17日(金)

 7時40分起床。雨が降っている。キー坊が来ていないか庭を見るのが習慣になってしまったが、今日はまだ来ていない。キー坊が来たのは、雨が止んだ昼前だった。ゴハンをあげたら皿まで舐めて、サッサとどこかに行ってしまった。

 「クイックジャーナル」第1回目の「つげ義春のマンガはコロナ禍の精神安定剤になるかもしれない」という原稿がアップされた。

 YouTubeで、7月5日に開催された『誤作動する脳』出版記念オンライン対談を見た。著者の樋口直美さんと研究者の伊藤亜紗さんが、人間の脳や体の不思議やおもしろさについて、1時間語り合っている。最後の樋口さんの言葉が印象に残った。

 「皆さんあまりにも認知症になることに恐怖感が強すぎる。認知症になったら終わりだ、なんとか予防しなくちゃというすごい強迫観念を持っていて、それを煽る社会があって。その恐怖感さえなくなれば、老後がどんどんどんどん衰えていったとしても、もっと豊かで、楽しく明るいものになるだろうなって思うんですね」

 このごろ衰えを感じている自分にとって、すごく元気になる言葉だった。

 

7月22日(水)

 5時に起きた。外は曇り。今日はMクリニックで、大腸の内視鏡検査がある。胃カメラのときよりも大変なのは、腸を空っぽにしないといけないところだ。5時に起きたのもそのためで、モビプレップという下剤を10分から15分おきにコップ1杯づつ、2時間ほどかけて飲まないといけない。美子ちゃんが寝ているので、テレビを消音にし、左上の時刻表示を時計がわりにして飲む。

 8時ごろに完了して、8時30分にタクシーを呼んで千歳船橋まで行き、小田急線の各駅停車で新宿まで。9時30分にMクリニックに着いた。

 すぐガウンに着替え、お腹のレントゲンと心電図を取る。心電図を取るのは全身麻酔をするからだ。ああ、魅惑の全身麻酔。

 例のアームチェアで点滴。そのまま内視鏡検査のベッドへ。

 小さなベッドの上で横になり、両膝を曲げて胎児のような格好になる。担当はI先生。「いつもの量で麻酔します」と言う。よし、これからが勝負どころ。少しでも長引かせようと、目の前の壁を睨むように見つめる。が、ほんの数秒で体が軽くなったようになったかと思うと、すぐ意識がなくなった(本当はうっすらと意識があるのかもしれないけど)。

 ベッドで1時間ほどウトウトしたあと、院長のM先生の診断。「胃が少しただれているほかは異常ないですね」と言われた。大腸にポリープもないとか。

 Mクリニックを出て、新宿西口のブックファーストに寄って新刊本を見る。「森山大道 東京パンデミック」という特集を、『Coyote』がやっていたので買う。

 新宿駅のメトロ食堂街で昼食。家に帰って、「森山大道 東京パンデミック」を読書。森山さんは、池袋のマンション9階の、ちょっと変わった部屋に住んでいるそうだ。巻頭は、その部屋の壁やら風呂場やら窓から見える風景やらを撮った写真で、町に出られない雰囲気が伝わってくる。森山さんがどういうところに住んでいるのかわかって興味深かった。

 この特集に「過去はいつも新しい 1968−1982」という章があって、森山さんの初期写真集『にっぽん劇場写真帖』『写真よさようなら』『狩人』『光と影』から、森山さんが特別な思いを持っている写真5点がピックアップされている。

 『写真時代』を創刊するとき、そのころほとんど写真を発表していなかった森山さんをインタビューするため、写真評論家で編集者の長谷川明さん、カメラマンの広瀬一美さんと、逗子の渚ホテルで森山さんに会った。そのときのことを森山さんが書いている。インタビューが終わって近くの逗子海岸で、海からの風で吹き飛ばされそうなほど痩せた森山さんを広瀬さんが撮影し、4人でとぼとぼ駅に向かって歩いていたときのことだ。

 

 ふたたび駅までの帰り道、末井さんとぼくはいつともなく並び歩いていた。そのうち、ひとことボソリと末井さんがなにか言ったような気がした。要領をえないままぼくも、「え?」と聞き返した。ふたことみことのやりとりのうちに、末井さんがぼくに写真を頼んでいることに気づいた。つまり、「うちに写真を載せませんか」というわけである。(森山大道「過去はいつも新しい 1968−1982」)

 

 後日、森山さんから4枚の写真が送られてきた。それが森山さん復活のきっかけになった「光と影」の始まりだった。

 『写真時代』の創刊号が出て、森山さんはどこかの雑誌で、「芍薬の花が咲いた」と書いていた。それを読んで嬉しかった記憶がある。その言葉に、いろんな意味が含まれていると思った。

 

 『Coyote』No.71「東京パンデミック 森山大道」より

 

 

7月28日(火)

 6時45分起床。雨が降っている。

 昨日からキー坊のことを考えている。「あなたのやっていることは、間接的な虐待ではないか」という批判がツイッターに上がっていた。キー坊は耳がカットされてない。避妊手術を受けたノラは、耳の一部をカットするのだとか。避妊手術をしていないからノラ猫が増えて、その猫たちがひどい目に合うということなのか。中途半端に餌をやるのではなく、飼うんだったらちゃんと飼えということなのだろう。些細なことかもしれないけど、ずっと気になっている。

 美子ちゃんは「そんなの気にする必要はないよ。キーちゃんは弱い猫なんだから。人間の目を見つめることで、生きてこられたんだから。最初はビクビクしてたじゃない。弱い猫がジッと人間を見つめることは勇気がいることでしょ。キーちゃんはそれを耐えてきたんだから」と言うので、少し気が楽になった。

 

 人間を見つめることで生きてきたのかもしれないキーちゃん

 

 午前中は家の掃除。11時にO先生が来てくれてヨガレッスン。

 夕方散歩がてら馬事公苑前のTSUTAYA BOOKに行き、『小説幻冬』8月号を買う。第1回目から読んでいる、上野千鶴子さんと鈴木涼美さんの往復書簡「限界から始まる」を読むためだったが、群ようこさんの「子のない夫婦とネコ」もよかった。

 

 そして十六歳半のとき、トン子ちゃんは眠るように亡くなった。亡骸を二人で交互に抱きながら、夫婦はこんなに涙が出るのだろうかというくらいに泣いた。兄弟も事情がわかっているのか、ふだんよりもずっとおとなしくしていて、時折、「わお〜ん」と大きな声で鳴いた。

「なんでたった十五、六年で亡くなるんだろうね。五十年も六十年も生きればいいのに」

 

というところを読んでいたら、数年前に亡くなったタビちゃんとキキちゃんのことを思い出して、涙が出そうになった。こちらも次回が楽しみ。

 

くつろぐキーちゃん 

 

(つづく)

 

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著者略歴

  1. 末井昭

    1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウィークエンドスーパー』、『写真時代』、『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社、現在はフリーで編集、執筆活動を行う。
    『自殺』(小社刊)で第三〇回講談社エッセイ賞受賞。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北栄社/角川文庫/ちくま文庫/復刊ドットコム/2018年に映画化・監督 冨永昌敬)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『結婚』(平凡社)、『末井昭のダイナマイト人生相談』(亜紀書房)、『生きる』(太田出版)、『自殺会議』(小社刊)などがある。令和歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。
    Twitter @sueiakira

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