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母語でないことばで書く人びと

第10回:エミネ・セヴギ・エヅダマ

 


 

1970年代、ドイツ語圏の文学には、〈ガストアルバイター文学〉(Gastarbeiterliteratur)と呼ばれるジャンルが出来しゅったいした。ガストアルバイターとは「外国人労働者」の意であり、すなわちガストアルバイター文学とは「外国人労働者の手になる文学」のいいである。今日こうした呼び名は批判の対象とされ、歴史化した用語になっているが、その文学的系譜は脈々と受け継がれており、今回はそうした流れに位置づけられる作家のひとり、エミネ・セヴギ・エヅダマ(Emine Sevgi Özdamar)を俎上そじょうに載せてみたい。トルコに生まれ、ドイツ語で書く彼女は〈移民文学の母〉と称され、2024年には初の邦訳作品『母の舌』(原題:Mutterzunge)が上梓されることで日本語圏の読書人にも注目を浴びた。 

1955年以降、ドイツは労働者不足の解消のため、イタリアやスペイン、トルコ、ユーゴスラビアなどといった国々と二国間協定を締結して移民の受け入れを開始する。1970年代に入ると、前陳したように外国人労働者たちによるドイツ語での文芸作品が現れ始め、1980年代からは、「外国人」が書く文学=〈外国人文学〉(Ausländerliteratur)が耳目を集めるようになっていった1。1985年にはドイツ語を母語としない作家を対象とした文学賞アーデルベルト・フォン・シャミッソー賞2が設立され、第1回受賞者には、トルコ出身の作家アラス・エーレンが選出された。現在では、ガストアルバイター文学や外国人文学などといった呼称がまとう差別的含意から、〈移民文学〉(Migrantenliteratur)などのようなニュートラルな呼び方がしばしば好まれる一方、かく言い換えたところで、作家の出自に作品を回収させようとする構えそのものには選ぶところがないために、テクストの言語的特徴やテーマに着目した名づけである〈異文化間文学〉(Interkulturelle Literatur)、〈多文化文学〉(Mehrkulturelle Literatur)、〈移住文学〉(Migrationsliteratur)、〈移動の文学〉(Literatur in Bewegung)といった概念も打ち出されている。このように術語の変遷はともあれ、ドイツでは非母語話者によって数多くの文学作品が陸続と創出されており、他所よそからやってきた書き手たち――「外国人」「移民」「亡命者」――が現代ドイツ語文学に風穴を開け、その姿態したいを革新してきたのは文学史上、重要な事実である3。 

しかし、一口に「外国人」「移民」「亡命者」と言っても、その内実は非均質的である。考えてもみよう。シャミッソーにせよ、カフカにせよ、カネッティにせよ、ツェランにせよ、ドイツ語文学を牽引し、その各時代の到達点を示した書き手の一部は「非定型的」なドイツ人であったし、1970年代以降の移民作家に限局げんきょくしても、「第1世代」「第2世代」「第3世代」ではおのおのドイツ語との距離も作品内容も異なっている。歴代のシャミッソー賞受賞者を瞥見 べっけんすると、前出のアラス・エーレンはじめ、ラフィク・シャミ、フランコ・ビオンディなど、自らを「外国人労働者作家」と規定し「外国人労働者文学」のアンソロジーを編んだ著述家たちに加え、リブシェ・モニコヴァのような東欧からの政治亡命者やモンゴルのトゥバ人作家であるガルサン・チナグ、さらには多和田葉子のように史的必然性とは全く無関係にドイツ語を選び取った作家など、様々なバックグラウンドの書き手が名を連ねている。かかる点に鑑みれば、「ドイツ人/外国人」という粗笨そほんな二項対立図式で作家を範疇化し、いわゆる「国民文学」に還元しきれない作家たちを十把一絡げに〈他者〉として別途言挙 ことあげすることにいかほどの意味があるのかという疑念もおのずと湧きいづる。当今は、こうした解像度の低い分類に対する批判も当然提出されていて、一次的には、ゲーテもトーマス・マンもラフィク・シャミも〈ドイツ語文学〉(Deutschsprachige Literatur)として包括的に束ね、その中で作家個人を語る上で必要であれば、個々の背景を付け加えて論ずることが多くなっているようである。勿論、ニュー・クリティシズムの如く、作品を作者の来歴や社会的文脈と切り離して読むこともある程度可能ではあるが、とはいえ、現代史が刻まれ、自伝的要素が強いことも多い移民文学をいわば「透明に」読解するのもそれまた困難であろう。

エミネ・セヴギ・エヅダマは、1946年、トルコはマラティヤの生まれ。イスタンブールとブルサで長じた。12歳から演劇活動を行い、1965年、18歳でガストアルバイターとしてドイツに渡った彼女は西ベルリンの工場で働きながら、トルコ人女性たちと寄宿舎で起居を共にした。最初のうちはドイツ語を全く解せず、通りの名前や新聞の見出しを丸暗記するところからドイツ語学習を始めたという。その後、父親の学費支弁によって、ゲーテ・インスティトゥートで本格的にドイツ語を学ぶようになるが、2年間の淹留えんりゅうののちトルコに帰国し、俳優としての道を歩み始める。しかし、1971年、イスタンブールで発生した軍事クーデターは言論の自由に深刻な影響を与え、そうした時代の奔流の中、エヅダマは1976年にドイツへと再渡航した。爾来じらい、俳優、舞台監督など演劇人としてのキャリアを積むと同時に、ドイツ語での文学表現活動を展開している。

デビュー作は先述の短編集『母の舌』(1990年)である。表題作の「母の舌」のほか、「祖父の舌」、戯曲「アラマニアのカラギョズ、ドイツの黒い目」、戯曲「ある清掃婦の履歴、ドイツの思い出」の全4作からなる4。そして、長編小説『人生はキャラバン宿、二つのドアがある、一つのドアから私は入り、もう一つのドアから私は出る』(1992年)により、非ヨーロッパ圏出身者として初のインゲボルク・バッハマン賞を受賞。以降、シャミッソー賞、クライスト賞、フォンターネ賞、カール・ツックマイヤー・メダルなど、数々の文学賞を獲得し、2021年には『影に囲まれた部屋』でドイツ至高の文学賞ゲオルク・ビューヒナー賞を受賞した。ビューヒナー賞をドイツ語圏出身者以外で受賞したのは、1972年のエリアス・カネッティ以来、2人目という快挙である。こうした華々しい経歴を眺めるだけでも、エヅダマがいかに秀出した作家であるかが見て取れるであろう。

ドイツ語が読めない私は、唯一の邦訳『母の舌』や参考文献などを手掛かりに想像を巡らせるほかないのだが、まず私が『母の舌』に魅せられた理由のひとつはテクスト全体を貫く生硬な日本語にある。諸処に散見される訥々とつとつとして語法的にも破格な表現はリーダビリティの対極に存し、蹌踉そうろうとした筆路を淀みなく辿るためには内容への好奇心がそれなりに要る。なぜなら、こうした文体にあっては、どうしても〈はなし性〉5よりも〈ことば性〉が前景化してしまい、そのたびに繰り返し立ち止まることになるからである。そして、独特のパンクチュエーション=句読法はテクストの結束性を曖昧にし、それゆえ散文でありながら、読者はいつしか詩を読んでいるかのような錯覚に陥る。「舌足らずでブロークンなドイツ語」とは訳者の言だが、そういった「間違った」ドイツ語はエヅダマの「アイデンティティ」である6

誤謬ごびゅうこそがアイデンティティである。間違いへのこうした絶対的肯定は幼少期の記憶を持たない言語を自己の言語とせんとする者が拠って立つべき至強な橋頭堡きょうとうほと断じてよい。母語話者なら通常犯さない誤りを言語教育学では〈エラー〉と呼ぶが、エラーには各人の言語的初源が投影され、母語話者には到底思いも及ばぬある種の新奇さを作品にまぶしていく。このように、文学的創造という側面から照射すれば、エラーは決して瑕疵かしではなく、当該言語に伏在する可能態を現勢化させる生産的な技法であって、この点で母語話者は非母語話者の後塵こうじんを拝している。そしてこのことは「正しい〇〇語」という、世上に蔓延はびこる形而上学的幻想を根底から揺さぶりにかかるものである。

さらに、エヅダマのテクストにはトルコ語がんでいる。バクシーシ《心づけ》、ホジャ《先生》、ウチュシュ《労働者》のようにトルコ語の単語がそのまま現れることもあれば、「母の舌」「死は目とまゆ毛の間にある7」のようにトルコ語をカルク(翻訳借用)的に直訳した表現もある。ドイツ語文学のオーソドクシー(正統性)に背馳はいちしたかようなことば遣いは、既存の言語を外部から改鋳かいちゅうする仕掛けとして機能し、それは同時に空疎な「中心」への志向に対する反措定と言ってよいだろう。 

而してエヅダマはドイツ語を作り変えてきた。周縁に定位される人々が言語を織り直すことは政治的にも社会的にも大きな意味を持つ。何となれば、言語と権力は分かちがたく結びつき、既在の言語はすべて支配者側の論理によって組成されているからである。トリン・ミンハ曰く、言語は「白人男性こそ規範である」というイデオロギーにどっぷりと浸かって、既成の権力システムを流布させるための主要な媒介となっている8。こうした〈言語-権力〉の枠組みにおいて非権力者は自らを主体的に語ることはできず、彼らは常に権力に籠絡ろうらくされる。フランスの哲学者ジャック・ランシエールが論難ろんなんしたように、ことばを持たぬ者は政治的に存在しないのも同然であり、係争の当事者にすらなれないのである9。そして、言語の所有者は表現の機会を持ち、表現は権力のさらなる強化へと繫がっていくのに対し、言語の非所有者は表現の機会をも持ち得ない。この構造的循環は、〈言語の排除機能〉とでも名付けうる、ことばの本態的な負の側面であって、ガヤトリ・スピヴァク10など、ポストコロニアリズムやフェミニズムの研究者たちによって一再ならず批判されてきたアポリアである。森崎和江の文章を繙けば明らかなように11、そもそもフェミニズムとは「男性のことば」では掬いきれぬ体験や思考を「女性のことば」で練り上げていく思想であった。さらに言えば、外国人-女性-労働者という多重に抑圧された立場の声は、時にミランダ・フリッカーの言う〈証言的不正義〉12に晒され、不当に歪められてしまう。このような状況に抗し、〈声〉を有効化するためにはまずもって言語を新たに仕立て直さねばならない。移民作家の仕事は、しばしばそうした人々の声にことばを与える役割も担うことで、より燦爛さんらんとその輝きを弥増いやましていく。

エヅダマは、短編「母の舌」の中で、自分は「母語のトルコ語を失くしてしまった」と自伝的に叙している。生まれながらの所与としてのトルコ語はもはや過ぎさりしものと化し、「言葉蒐集家」として一途にドイツ語を疾駆しっくしてきた彼女は、「わたしがどの瞬間に母の舌なくしたか、わかったらいいのに」とも呟く。さらに、「祖父の舌」においては、湮没いんぼつした母語を手繰り寄せるために、祖父の世代までトルコで用いられていたアラビア文字を学びにいく「わたし」を描いている。思うに、言語とはかくして〈通過するもの〉であって、エヅダマの表現を借用すれば「舌には骨がなく、どっちへねじっても、そっちへねじれる」。これは使用言語の可変性、屈撓性くっとうせいを述べたものだが、では、なぜエヅダマはトルコ語ではなくドイツ語を選んだのか。この問いに対する答えは彼女の次の如き発言からはっきりと得られる13

「当時のトルコでは、言葉はすなわち死を意味していました。言葉ゆえに射殺されたり拷問されたり絞首刑にされたりしました。(…)私はトルコ語で不幸になりました」

「私の友人が以前私に言いました、「もしかするときみがドイツ語で書くのは、きみがドイツ語で幸せになったからかもしれないね」」

言語学習の目的は〈逃避〉と〈幸福〉であるということを私は以前別の拙文でも論じたが14、まさにエヅダマはトルコ語からドイツ語へと逃避することで幸福を手にした作家である。無論、その過程には計り知れぬ尽瘁じんすいが随伴したことも推知されるが、それでも言語がもたらす力によって幸せになった。この「出来事」はいくら強調してもし過ぎることはないだろう。今後、エヅダマの自余の作品も日本語に翻訳されることを鶴首かくしゅして待つ次第である。

 


・書誌情報
『母の舌』、エミネ・セヴギ・エヅダマ著、細井直子訳、白水社、2024年

 

・注
1 社会言語学や言語教育の観点に照らせば、1980年代は、ドイツ社会においてドイツ人と外国人との共生=多文化共生が意識され、また「外国語」としてのドイツ語教育研究が盛んになった時期でもある。

2 アーデルベルト・フォン・シャミッソーは、フランス革命の際にフランスのシャンパーニュ地方からドイツへ亡命したドイツ語詩人、作家、植物学者。

3 ドイツの移民文学については、村上八重子(2006)「母語の外へ出る旅:ドイツ語文学における外国人作家・「第三世代」と「エクソフォニー」」(『ポストコロニアル・フォーメーションズ』(言語文化共同研究プロジェクト2005)、大阪大学大学院言語文化研究科)、土屋勝彦(2009)「ドイツ語圏の越境文学」(土屋勝彦編『越境する文学』、水声社)、なかんずく浜崎桂子(2017)『ドイツの「移民文学」:他者を演じる文学テクスト』(彩流社)などが参考になる。本稿の文学史的記述もこれらの文献を参照している。 

4 日本語訳ではこれらに加えて「ゲオルク・ビューヒナー賞受賞記念講演」も収められている。

5 ことばによって意味の世界に造形される、あるまとまった内容を〈はなし性〉、音韻や語彙、文体の特徴など、ことばそれ自体が際立って見せてくれる性質を〈ことば性〉と呼ぶ。野間秀樹(2022)『K-POP原論』(ハザ(Haza))を参照のこと。

6 『母の舌』の「訳者あとがき」(細井直子)参照。

7 なお、これは「死はすぐ近くにある」という意だと思われるが、「ゲオルク・ビューヒナー賞受賞記念講演」で述べられている、言ってみれば〈死と生の近接性〉や「私の家族の中では、亡くなった人たちがヒエラルキーの頂点にいました」などの記述から窺えるエヅダマの死生観に触れ、私は韓国の作家ハン・ガンの作品群を想起したり、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの絵画を想像したりした。「死者を中心に据える」「死者とともに生きる」「生者は死者に守られている」などという感覚については、中島岳志編(2025)『死者とテクノロジー』(ミシマ社)も思考の端緒を与えてくれる。

8 ミンハ、トリン・T(1995)『女性・ネイティヴ・他者』、竹村和子訳、岩波書店

9 ランシエール、ジャック(2005)『不和あるいは了解なき了解:政治の哲学は可能か』、松葉祥一・大森秀臣・藤江成夫訳、インスクリプト

10 スピヴァク、ガヤトリ・C(1998)『サバルタンは語ることができるか』、上村忠男訳、みすず書房

11 森崎和江(1977)『ふるさと幻想』(大和書房)、森崎和江(1998)『いのち、響きあう』(藤原書店)などを参看されたい。

12 フリッカー、ミランダ(2023)『認識的不正義:権力は知ることの倫理にどのようにかかわるのか』、佐藤邦政監訳、飯塚理恵訳、勁草書房

13 シャミッソー賞受賞時の謝辞(『母の舌』の「訳者あとがき」(細井直子)より再引用)。

14 辻野裕紀(2024)「逃避と幸福の言語論」、浅羽祐樹・朴鍾厚編著『韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる:AI時代に「ことば」ではたらく12人』、朝日出版社

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著者略歴

  1. 辻野 裕紀

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国)専任講師を経て、2012年に九州大学へ着任。専門は言語学、韓国語学、言語思想論。文学関連の仕事も。人文学一般、教育、医療、幸福、アートなどにも幅広く関心がある。2025年度前期NHKラジオ「まいにちハングル講座」講師。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』、共編著書に『日韓の交流と共生:多様性の過去・現在・未来』(いずれも九州大学出版会)などがある。音声プラットフォームVoicyで「生き延びるためのことばたち」も配信中。

    Twitter:@bookcafe_LT
    Instagram:@tsujino_yuki

    Photo ©松本慎一

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