第8回:イリナ・グリゴレ
昨年日本語圏の読書人に衝撃をもって迎え入れられた1冊の本がある。『優しい地獄』というエッセイ集である。オクシモロン(撞着語法)のようなタイトル――〈優しい地獄〉は資本主義をイロニックに称している――のこの書物は、ルーマニア語を母語とする映像人類学者イリナ・グリゴレによってオートエスノグラフィとして書かれた。オートエスノグラフィとは、文化的な信念、実践、経験を記述し、批判するのに、研究者自身の個人的な経験を用いる質的研究を謂う1。本稿では、『優しい地獄』を基に、グリゴレの半生とその周辺について概見してみることにしたい。
イリナ・グリゴレは1984年、社会主義政権下のルーマニアに生まれた。国名がまだ「ルーマニア社会主義共和国」だった時代である。幼い頃は、祖父母とともに村に暮らし、「小さな畑や野原に出ては一日中のびのびと遊んでいた」(p.7)。クルミの木の陰で、自家製のチーズと畑で採れたトマト、祖母が作ったパンを食べ、ミツバチの声を聞きながら、桜の木と話したり、歌ったり、木の上で踊ったりしていた彼女の幼少時代は、童話さながらの田園風景をイメージさせ、その美しさは読者を
1989年、ルーマニアでは革命が起こり、チャウシェスク独裁政権が崩壊する。それと同期するように、グリゴレは小学校に上がるために、祖父母の村を離れて、両親と町の団地で暮らすことになる。村から出立するときのことを彼女は「あの冷たい朝の悲しみは、死ぬまで忘れられない。それは死のように感じられたし、別れという言葉の真の意味をかみしめたのもその時だった」と回想している(p.15)。動物の死骸がたくさん投げ込まれたデスバレーのような深い穴、ゴミを漁る子どもたち、チャップリンの『モダン・タイムス』を想起させる工場で働く父の
「そのころ言葉に悩んでいた。私の考えをうまく周りに話せない、感じていること、やりたいことも表現の壁にぶつかり、うまくいかないと思っていた。音楽のように、通じる電波のようなイメージで直接、身体同士でコミュニケーションできる方法がないかと考えた時、映画と出会った。映画というか、正確には「シネマ」だ。『雪国』を読んだ時「これだ」と思った。私がしゃべりたい言葉はこれだ。何か、何千年も探していたものを見つけた気がする。自分の身体に合う言葉を。その時、すべてがつながった。映画監督になりたかった「田舎から出た普通の女の子」として受験に失敗し、秘密の言葉である日本語を思い出した。「映画」で表現できないなら、きっと新しい言葉を覚えたら身体が強くなる。日本語は、私の免疫を高めるための言語なのだ。」(p.124)
主観的な
グリゴレは「社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、人間の身体がどうやって生きていくのか、という実験だったとしか思えない」と喝破する。そして、その中で失った「言葉と身体を取り戻すこと」がこれからの目標だという(p.31)。言葉と身体――これは〈ロゴス〉と〈ピュシス〉の最も分かりやすい形状にほかならず、本書は他者のロゴス=日本語を通してピュシスの豊饒性を筆述しようとする試みとしても読めるだろう。生物学者の福岡伸一が言うように「ピュシスの実態は、ロゴスの極限にまでたどり着かないと見えにくいもの」であり3、ピュシスとロゴスの来往こそがグリゴレのライフワークの深層のように私には思われる。例えば、子どもの頃バレエに魅了され、東京では田中泯率いる「私の子供=舞踊団」で活動していたことは、彼女の人類学者としての研究テーマ(獅子舞)に直結している。『優しい地獄』も、その実、深い身体性が要求される「踊り」が紡ぎ出したと言って差し支えないだろう。そして、それを書見することは、ピュシスがロゴスへと反転する瞬間を追体験することである。グリゴレ自身も「あとがき」で次のように叙している。
「最初にほかのメンバーと組んで泯さんの前で創った踊りをみせたとき、私から大きな声が出た。自分もわからないまま、踊りなのに、身体の奥から声が出た。その踊りを見た泯さんからは「おとぎ話みたい」と言われたことがすごくうれしかった。はじめて踊ったときに身体から出たあの声がどんどん言葉になり、この本になったような気がする。踊りと身体から生まれる言葉。」(pp.249-250)
最も近しいピュシスたる〈身体〉――とりわけ「女性性」を帯びた〈身体〉――は、本書全体を貫徹する主題のひとつである。精神科医の斎藤環は、ジャック・ラカンを
身体、さらにはピュシス一般への敏感さと強い関心は、自身の「小さな細胞に生の秘密、そしてこの地球の秘密、宇宙の秘密は含まれている」(p.36)などといった一節にも垣間見える。私なりにパラフレーズすれば、我々の身体には地球史分の力強い生命が刻印されているということであり、その気宇壮大なイマジネーションに
『優しい地獄』にはそこはかとなく死の気配が漂流する。そのことが生命の輝きを際立たせ、エフェメラルな生を言祝いでくれる。インスタレーションアートと民族誌に近接性を見出し、彼女がクリスチャン・ボルタンスキーの影響を受けているというのも肯える気がする。循環器内科医の稲葉俊郎は「あらゆる細胞や臓器が協調し合い、調和することによって、私たちは生きている。日々を生きることは、綱渡りのように命がけで、奇跡的な共同作業の連続なのだ」と書いているが7、グリゴレのテクストも生命の維持が「奇跡」によって支えられていることを陰に陽に示していて、それは一方で死への恐れ/畏れを
記録と記憶。「鶯は二年から五年くらいしか生きないのに対して、私は人間の形で生まれて長く生きるチャンスに恵まれていることが申し訳ない。昨年までは生きていた鶯の分までこの世界を忘れないようにしたい。周りの死んでしまった人の分まで、自分が経験、匂い、味、色を覚えなければならないといつも感じている」(pp.78-79)とのグリゴレの言は、〈忘れないでいること〉、〈覚えていること〉がそれが可能な者の責務であることを示している。彼女が映像=記録に魅入られ、刹那の
科学哲学者のマイケル・ポランニーが「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」と道破したことはよく知られている9。これは言語の弱さを指摘したものとも釈解しうるが、グリゴレはこの「ロゴスの脆弱性」を体感し、ピュシスをより重んじるようになった研究者だと見受けられる。そして、彼女のかかる姿勢は、ロゴス傾斜の私のような読者に猛省を促すと同時に、アントロポシーン(人新世)をいかに生きるかという根源的な問いをぎりぎりと突き付けてくる。にもかかわらず、ロゴスの外部にあるアウラやクオリアの如きものを言語をもって
・書誌情報
『優しい地獄』、イリナ・グリゴレ著、亜紀書房、2022年
・注
1 オートエスノグラフィについての詳細は、アダムス、トニー・E他(2022)『オートエスノグラフィー:質的研究を再考し、表現するための実践ガイド』(松澤和正・佐藤美保訳、新曜社)を参照のこと。
2 蛇足だが、思えば、私自身が読書や非母語学習に淫するようになったのも、ある意味では、ポジティブな理由ではなかった。私が文化人類学という学問に憧憬を抱き、外国に行きたい、いろいろな言語を勉強してみたいと思ったのは小学校高学年の頃だが、それは小学校があまり楽しくなく、〈いま・ここ〉ではない、別の「セカイ」へ脱出したいといつも所望していたからである。それで、暇さえあれば、世界地図を眺めたり、NHKの語学のテキストを読んだりして、まだ見ぬ「セカイ」を空想していた。外国の中でもとりわけ興味があったのはインドとネパールで、それは当時の〈いま・ここ〉から最も精神的に遠い場所のような印象を持っていたからである。
3 坂本龍一・福岡伸一(2023)『音楽と生命』、集英社
4 斎藤環(2009)『関係する女 所有する男』、講談社
5 作家の温又柔は「なるべくトラブルに遭わないように、女性は存在感を消しているところがある」と述べている(温又柔・深沢潮・辻野裕紀(2023)『あいだからせかいをみる』、生活綴方出版部)。
6 杉浦康平(2010)『多主語的なアジア:杉浦康平デザインの言葉』、工作舎
7 稲葉俊郎(2018)『いのちを呼びさますもの:ひとのこころとからだ』、アノニマ・スタジオ
8 デリダ、ジャック(2002)『有限責任会社』、高橋哲哉・増田一夫・宮崎裕助訳、法政大学出版局
9 ポランニー、マイケル(2003)『暗黙知の次元』、高橋勇夫訳、筑摩書房
Illustration: Maiko Suzuki